2013年09月05日

きびしい漢字テストを高校生が告発!?

IMAG0523 いやあ。舌を巻いた。高校生が教育界へ投じた一石はあまりにも大きい。…と、わたしは思う。その一石は、前々記事『保護者の皆さんへ(6) 〜我が子の担任への思いが〜』にSZKさんがお寄せくださったコメントの中にある。

 ことの発端は以下のようだ。

 それは同記事に、小2の母さんがくださったコメント6番(後半部分)がきっかけだ。お子さんの担任(学校)が、漢字の「とめ」や「はね」を一年生からきびしく指導(?)していることに関して、疑義を投げかけるコメントだった。それに対して、前述のSZKさんが、すばらしいホームページを紹介してくださったのだ。
 SZKさん。ほんとうにありがとうございました。

 高校生による、あるコンクールで大賞をとった作品が掲載されている。題して、『漢字テストのふしぎ』。

 さっそく拝見した。もう感動の極致と言ってよかった。

 高校生がここまでやるか。それが率直な思いだった。

 ここには、高校生による問題解決学習の典型が示されていた。

 改めて認識させられた。子どもの主体的な学びを保障する問題解決学習は実にきびしいものがあると・・・。人としての生き方を問われるのだ。教員であるわたしも、高校生によって告発された思いだ。
 想えば、漢字テストの採点に際し、はね、とめ、はらいなどについて、いかにいい加減な認識しかなかったか。それを痛感させられた。

 採点の際の、あまい、からいを言っているのではない。あまい教員、からい教員がいることは認識していた。しかし、それを統一するのは無理だ。いろいろあったっていいではないか。そんな認識だったことを指している。わたしはあまい方だったし、国も比較的ゆるやかな採点でいいと言っているから、きびしくつける教員に対して、『何でそんなにきびしくしなければいけないのだ。』と思い、そんな論争をしたこともあったが、結局は水掛け論。
 統一する努力をしないといけないとまでは思っていなかった。

 今回、小2の母さんからコメントをいただき、いろいろ調べたが、新発見がいくつもあった。

 前述のように、国の解釈が比較的ゆるやかであることは知っていた。しかし、具体的に調べたのは今回が初めてだったから、『空』の4・5画目が『ハ』となっていても、『保』の最後の『木』の部分が、『木』ではなく、『ホ』となっていても許容とまでは知らなかった。このことは、正直のところ驚いてしまった。

 これまでのわたしの漢字の指導、採点について、申し訳ない思いでいっぱいになった。


 それでは、この高校生たちの作品に入っていくが、


〇まずこの高校生たちは、強い疑義と問題意識をもっていたのであろう。小、中、高と上がるに従い、いかに先生方がきびしく採点しているか。いろいろあっていいではないかと。むかしからはねる、はねないなど、いろいろあるなかで、何で一つしか認めないのかということを・・・。その想いが高校受験を経験して、頂点にまで達したのではないか。
 
 そこで初めに、教員たちの採点についての実態調査にあたる。

 わたしは思う。この高校生たちは、国がゆるやかな採点でいいと言っていることを承知していたのではないか。だって、実態調査にあたって作成した答案は、たぶん国が許容し、きびしい教員がバツとする、そんな解答ばかりなのだ。そしていざその結果を突きつけられると、わたしはあぜんとしてしまった。

 その中身については、あまり具体的に書かないことにしよう。高校生たちのすばらしい作品をご覧いただきたいから。

 それでは、再度リンクさせていただく。『漢字テストのふしぎ』。

 ただ簡単にふれさせていただくと、わたし以上にゆるやかに採点する教員(『木』ではなく『ホ』となっている『保』も〇にするなど)も確かにいる。
 そして、この高校生たちは、きびしく採点する状況を問題とし取材を敢行するが、不ぞろいであることは、問題としない。
 まあ、きびしく採点する状況を国の言っているセンまで近づけてくれれば、不ぞろいな点についてはかなり改善されることは確かだから、それでいいとしたのだろう。

 この点は、高校生たちの問題の整理能力の確かさを感じた。問題を広げ過ぎると問題があやふやになる。

〇次に、正解とするにあたり基準はないのかと、きびしく採点する小中高それぞれの教員に取材する。その結果は・・・、かなり恣意的であり、一人ひとりの教員の主観によっている状況が浮き彫りになる。

 ここでは、その主観に対してつぶやく、高校生の声がおもしろい。作品では画面に示されるだけで実際につぶやいているわけではないが・・・。

 そこで、さらにつきつめるべく、県教委へ。そして、東京へ。

 ここでは、先に、わたしがインターネットで調べた中身(コメント10、11番)同様の内容が分かってくる。

 つまり高校生たちにしてみれば、何が問題であるのかを明確にしたというわけだ。

〇高校生たちは、県、国に取材した結果を、つまり許容範囲の広さを、先ほどのきびしく採点する教員にぶつける。ここがこの作品の一番興味深いところだろう。

 あぜんとする教員、反省する教員、謝罪する教員など、など。

 それで高校生から、『それなら、〇にして。』と迫られると・・・、浮世離れした学校の唯我独尊ぶり。独特の論理を振りかざす教員。

 『バツをつけられない。』と、『バツをつけてはいけない。』と、現実にどう違うというのか。取材する高校生の、『ううん。』というため息に、痛々しさを感じてしまった。

 ここで、『バツをつけられないと言っているのに、つけてしまっているわけですよね。』と切り返せば、この先生はどう答えたのかなあ。

 ああ。でも、ごめんなさい。教員であるわたしが批判してしまっているが、しかし、先ほどからこの作品を見て感じることは、取材する高校生に対し、どの教員も軽んじたり無視したりすることなく、子どもも一個の大切な人格をもつ存在として大事にし、真正面からまともに応えていることに対しては、うれしいし、ありがたく思う。

 ここでおもしろいことが起きる。ハプニングだ。

 小学校の教員が、『それなら、漢字検定というのは、(いったい)何なのですか。』と問いかける。

 そう。問題解決学習においては、追究の過程でも解決の過程でも、ハプニングがつきものだ。このハプニングにもちゃんと対応しなければ、真の問題解決にはならない。
kounaihousou
 先ほども高校生は、県教委へ、そして東京へと出向いたが、今度は京都へとぶ。さすが高校生の問題解決学習は、小学校のそれとは違い、ダイナミックだ。たくましい。

 しかし、これは簡単だった。どうやらきびしく採点するのは学校だけのようだ。

〇ここで新たな問題が・・・、それは高校入試だ。

 そう。一件落着すると、そこから新たな問題が発生するというのも、問題解決学習ならではということができる。

 驚いたのは、小学校教員が高校入試の話をすることだ。そうかな。一般論として、小学校で高校入試を意識した指導などするかな。ちょっと驚かされた。
 高校入試に、小学校での新出漢字が出されることがあるからといって、だから小学校でもきちんと教えなければという論理は、なんか飛躍を感じる。

 それに、高校入試がそこまできびしく採点しているかというと、取材されている教員の思い込み、想像にすぎないことが表情、口調などからうかがえた。

 ところが、入試する側の、つまり県教委の問題も露呈される。『誰が見てもこの漢字であるということが基本(つまり〇になるということ)』と言いながら、同じ教員が『保』の『木』の部分の横棒が短いからバツとも言う。これっておかしくないか。そう思うのはわたしだけかな。

 『未』と『末』という二つの漢字があるから、これについて横棒の長さを問うのは当然だろう。しかし、『保』の場合はねえ。それこそ長くても短くても、誰が見ても『保』と読めるだろうから、長さなど許容でいいではないか。

 もう一つ。糸へんの『小』の部分を、点3つで書いた場合、県教委は許容範囲と言い、高校の教員はバツと言う。つまり、高校入試の基準もあいまいなのだ。

 ねっ。こうなると、小、中の教員の言い分も認めざるを得なくなる。つまりきびしい方が良心的ということになるのではないか。
 諸悪の根源は入試かな。どうもそんな印象となってきた。

〇ところで、この高校生たちはすごい。

 なんと、ここで、高校入試問題の誤答例を過去25年にわたり調べるのだ。許容範囲でもバツとしているのがあまりにも多いことを知る。

 この矛盾。

 以下は、この矛盾点を追及していくことになるのだが、教員の論理がだんだん破たんしていくと感じる。
 
 でも、ここでは、詳細の記述を省かせていただこう。どうか、ビデオ作品をご覧いただきたい。

 そして、最後は、高校生による提言が結びとなる。それこそ、将来にわたって『生きる力』を養うことに直結する提言だ。


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 ninki



〇冒頭、『子どもの主体的な学びを保障する問題解決学習は実にきびしいものがある。人としての生き方を問われるのだ。』と書かせていただきました。これは、小学校においても当然言えることです。そんな過去記事もありますので、紹介させていただきましょう。

    問われる。大人の姿勢も、

〇もう一つ、紹介させていただきましょう。高校における授業改善の取組です。いつもお世話になっているしょうさんの提言です。

    わたしたちは だれも 一人じゃない!!(4) 〜大震災の単元構成に感激〜

〇本作品で、登場する教員が誤解し、また、読者の皆さんの中にも誤解される方がいらっしゃるのではないかと思うので、特にふれさせていただきたいのですが、この高校生たちは、『ただ採点をあまくしろ、はねてもはねなくてもいいではないか。』と主張しているのではありません。
 作品でもふれているのですが、『標準のかたちは教えるけれど、ゆるうく採点する』。これが主張していることです。

 つまり初めからどちらでもいいとするわけではないのですね。

〇最後に特にお断りしたい点、2つ。

・本記事の多くは、高校生を礼賛し、教員を批判する内容となっています。

 しかしながら、特筆したい点は、こうした高校生、問題追求や解決に向けての姿勢、取組、努力、能力など、そういったものを育んだのは、やはり教員の皆さんでしょう。

 ここでは高校入試が話題となりましたが、入試一辺倒の教育では、こうした力を育てることはできません。むしろ、こうした力を育てることは入試の邪魔になるでしょう。

 先ほども申しましたが、この高校生たちは、この作品の最後に、ある大事な提言をしています。しかし、ほんとうはもっと大きく、受験システムの弊害を言いたいのではないでしょうか。世はグローバル化の方向なのですからね。

・もう一つ。本作品は、6年前の作品のようです。

 それなら、この6年間、教員の皆さん、それは入試に携わる方も含めて、改善の努力をされてきたのでしょうか。そこが問われます。わたしのまわりでは、どうも、?になってしまいます。すみません。
    

rve83253 at 05:48│Comments(8)TrackBack(0)自己啓発 | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by ももぱぱ   2013年09月10日 00:43
高校生の問題提起、素晴らしい内容でした。

私は書道をやっていましたから
動画を見てても全く違和感ありませんでした。

現代はPCを使って書類を作成するので
その落差については、もう気にしなくなりました。
これではいけませんね。反省です(汗)

極端な話、PCやタブレットを導入するより
書道の授業時間を増やせば、漢字そのものは理解できるはずです。
しかし、ご存知の通り、社会へ出たら
PCで文字が早く打てる方がいいのです。残念ながら。

ところで不躾ではありますが
元校長先生として意見を伺いたい事があります。

本日、報道で「静●県知事が学力調査で下位の学校の校長を公表....」ご存知でしょうか?

こんな事を言う輩、出てくると思っておりました。
それでも学力調査をやる意味あるんでしょうか?
こんなとんでもない勘違い「恐喝経営者」は
先の高校生にも劣ります。

私には単なる「地方自治体財源を大枚かけているんだから、結果を出せないなら罰だ」
と、大阪の誰かの二番煎じとしか思えません!

2. Posted by toshi   2013年09月12日 05:00
ももぱぱさん
 いやあ、ほんとうに、パソコンの時代ですから、書き順、はね・とめなどにこだわるのは、社会の現実と学校の指導との遊離を感じざるをえません。
 しかし、わたしも含めての教員の無知は、社会がそれを許しているというか、学校はきびしくあっていいとする現実が、これまたあるからではないかと思う部分もあります。少なくとも問題としたのは、この高校生と一部保護者とも言えそうだからです。
 知事の話は、わたし知りませんでした。教えていただいてありがとうございました。さっそくグーグルで検索しましたが、もうあぜんとしました。橋下以後のあしき《伝統》となってしまったきらいがあります。
 わたしはつい先日次の記事に、『おもてなしの心で』と書かせていただきましたが、まったくその逆を行くものですね。こんなことをすれば、知事→県教委→校長→教員→子どもの順で、名アスリートが言った『先生方(子ども)はおろおろ(あたふた)』がますますふえてしまうことでしょう。そして、リンク先コメントにあるように、教員を蹴飛ばす、『死ね』がとび交う教室の増加へとつながってしまいます。
 学力調査そのものに問題はないのです。特にBの活用問題は思考力・活用力を問うものであり、従来の日本の伝統的な問題にはなかった設問が多いです。ですから、この検査結果を教員の研修材料として活用すれば、授業改善におおいに役立つものです。
 しかし現実は、この調査を研修でなく業務としてしまっているため、結果にばかりこだわり、極端なケースでは、この知事の言葉のようにまったくマイナスの効果しかもたらさないようになってしまいます。
 このことは、過去記事にたくさん書いています。《全国学力調査》カテゴリーでご覧いただければ幸いです。
3. Posted by SZK   2013年09月18日 18:15
このビデオ作品は本当によくできていると思います。
学校の先生には必ず見ていただきたいものの一つです。
自分は、白川静先生の文字学が好きです。
白川先生は、旧字体を新字体にしたことで、由来が分かりにくくなった漢字が多くあることを残念がっていたそうです。
漢字と言う文化を見直すべきものだと多くの人が感じ取ってくれるといいですね。
4. Posted by toshi   2013年09月20日 04:41
SZKさん
 すてきな資料提供をいただき、ほんとうにありがとうございました。高校生の作品を、わたしたちが推し進めてきた問題解決学習の観点から観察、分析、解説させていただきました。
 問題解決学習は単なる指導法、学び方にとどまるものではなく、人としての生き方そのものにかかわるのだということを説明するのに、格好の作品だと思ったからです。
 旧字体というのは、わたしもほとんど忘れた存在だったのですが、パソコンにはたくさん旧字体が入っているものですから、いいものだなあと思い、ときには使ってみたくなることもあるので、ほんの少しではありますが、復活しつつあるということも言えるかと、でもちょっと無理がありますかね。この論理は・・・。
 すみません。

5. Posted by macfan   2013年12月09日 21:43
 小学校教員です。秩序を重んじる体制と自由を求め矛盾を暴く反体制の争い(までは行かないか…何でしょう、葛藤?、せめぎあい?)でしょうか。暴くというと言葉が悪いですが、「なぜいけないの」という高校生のしなやかさに対し、裁判でも起こされたらどうなるんだろうという先生の歯切れの悪さ。カッコ悪さ。
 わたしも教師ですが、悲しくなります。
 このような子どもたちが、世の中を変えていくことを期待します。大人になっても大勢に流されず、何事にも疑問を持ち生きていって欲しいです。
Think different.(随分前のアップルコンピュータのCMです)
Here’s to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers. The round pegs in the square holes. The ones who see things differently. They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them. About the only thing you can’t do is ignore them. Because they change things. They push the human race forward. While some may see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.

クレージーな人たちがいる
はみ出し者、反逆者、厄介者と呼ばれる人たち
四角い穴に 丸い杭を打ちこむように
物事をまるで違う目で見る人たち
彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない

彼らの言葉に心をうたれる人がいる
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
しかし 彼らを無視することは誰にもできない
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた

彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから
6. Posted by toshi   2013年12月10日 05:58
macfanさん
 すてきなCMをご紹介いただき、ありがとうございました。ウィキペディアにも掲載されていますね。
 この記事に登場した高校生たちの、自らの人生を切り開いていくかのような生き方のすばらしさはもちろんですが、我々はmacfanさんがおっしゃる《大人になっても大勢に流されず、何事にも疑問を持ち生きていく》子どもを育てるべく、指導法の研究してきました。力不足は否めませんでしたが、こうした子どもたちが成長し、日本をつくっていく時代がくるといいですね。
7. Posted by 今日   2014年09月30日 23:11
ご無沙汰致しておりました。

ずっと、頑張ってこられたのですね。


ブログ再開しました。

現在、漢字指導について書いています。

木は、ハネル、ハネナイで高校で問題になり、
裁判をした元・教師が研究会に来ています。
8. Posted by toshi   2014年10月05日 17:21
今日様
 ブログ再開。うれしいです。今後ともどうぞよろしくお願いします。
 裁判の件、驚きました。高校生の作品では、裁判を起こされることを心配する教員の話が出てきますが、そうですか、先生が起こしたのですね。
 これも、国と現場とのかい離を示していればこそでしょうか。

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