2013年09月09日

おもてなしの心で、オリンピック、パラリンピックを成功させよう!!

undoukai 2020年東京オリンピック・パラリンピック、決まる。なんとすばらしいことか。

 わたしには特別な感慨がある。我が世代に共通するのだと思うが・・・、昭和39年の東京オリンピックの記憶が鮮明だ。

 ごめんなさい。タイトルの趣旨はちょっと後にゆずらせていただいて、まずはその思い出にしばらくひたらせていただきたい。

 約50年前。わたしは学生だった。よく覚えている。東京の街が一変してしまったことを。

 街を歩く人波に、外国人がほんとうに多くなったっけ。

 こんなに外国人が多いのは・・・、何年ぶりだろう。

 そうだ、日本が戦争に負けて連合国に占領されたころ。それ以来だ。

 しかし、まったく違うことがある。

 占領下においては、みんなカーキ色の軍服姿だった。それが、今回は開会式のまま街に出てきたような感じ。何と色とりどりなことか。それに人種も実に多様だ。街がパッとはなやいだようだった。

 平和のすばらしさを実感した。

 大学そばの喫茶店のテレビでちょこっと開会式を見たっけ。中は学生でいっぱいだったが、みんなコーヒーを飲むのも忘れ、画面にくぎづけになっていた。

 各種目の思い出も鮮明だ。

 女子バレーボールの東洋の魔女。ハラハラドキドキしながら夢中になって見た。亡母がプレーの一つ一つに、大きな声を上げていた。あんなに興奮する母は、それまで見たこともなかった。そして、3カ月後に急逝した。

 マラソンでは、円谷選手が2位で競技場に戻ってきて大歓声が上がったが、イギリスのヒートリー選手に抜かれてしまった。今度はわたしが悲鳴をあげたっけ。

 今回の、《東京に決定》の報道画面によく登場した三宅義信氏は、重量挙げで金メダルを獲得した。確かこの大会で日本が獲得した最初の金メダルではなかったか。
 重量挙げなんてただ重い物を持ち上げるだけと思っていたが・・・、どうして、どうして・・・、思惑あり、かけ引きありで、ほんとうにおもしろく見ることができた。

 閉会式で世界中の人種が入り乱れ一体となって入場してきたのには、どぎもを抜かれた。世界は一つ。それを強く感じた。確かこういう入場の仕方は、この東京オリンピックが初めてではなかったか。報道では、《日本のまとまり、やりぬく力への信頼、感謝》といったようなことを言っていた。

 ちょっとわき道へそれるが、このことに関しすばらしいブログを見つけた。ただでさえ本記事の趣旨から離れた記述になっていて、それがますますはなれてしまうのは申し訳ないが、お時間のある方は、ご覧いただければと思う。
 また、わたしと同世代の方は、なつかしい思い出を共有できそうだ。なかなかおもしろい記事ですよ。

    オリンピックの閉会式

 さて、今度は4年前のこと。

 そのときは残念ながら落選してしまったのだよね。ああ。でも、日本のプレゼンはよかった。そのときの感動をブログに書いている。今、リンクさせていただこう。

    東京落選は残念。しかし、さわやかだったのでは、〜

 いま読み返してみてびっくり。この記事の末尾に、《どうでしょう。『4年後に、再チャレンジ』というのは。》と、書いているではないか。まさかねえ。ちょっとした思い付きで書いただけなのに・・・、なんと、正夢になってしまった。

 それにしても、今回、決まってほんとうによかった。その思いがつのる。

 
 それでは、お待たせしました。タイトルの趣旨に入らせていただこう。

 プレゼンで、滝川クリステルさんが、日本人の心として、《お・も・て・な・し》を強調した

 これは、委員の心を打ったに違いない。

 東日本大震災のとき、地震や津波が襲ってきても、心を乱すことなく耐え忍び、生き抜こうとする日本人。
 最近なら、南浦和駅での、電車とホームにはさまった人を乗客みんなで救った話など。

 これらのニュースは世界中を駆け巡り、委員の皆さんの心にも鮮明だったに違いない。 

PAP_0084 ここでちょっと話を変えるが、

 安倍さんは、観光立国を目指しているようだ。

 これはとてもいいと思う。外国からの観光客が増えてきたといってテレビが喜んでいたが、それでも、今はまだ世界三十位にすぎない

 もっともっと増やしたい。中国からの観光客が激減したら、観光関連産業は大打撃などというのでは何とも情けない。

 そこで、東京オリンピック・パラリンピックでは、まさにこの《お・も・て・な・し》の心を、一大テーマとしてとらえたらどうだろう。これは、日本の貴重な観光資源となるのではないか。そして、オリンピック・パラリンピック終了後も、恒常的にリピーターが増え、観光立国が実を結ぶようにしたいものだ。

 それにしても、この《おもてなし》は、まもなく世界に通ずる言葉となるだろう、その契機となったのは、上記のように大震災の被災者の方々だ。
 そういう意味でも、《震災復興の加速なくして、オリンピック・パラリンピックなし》そんな精神でいきたいものだ。

 また、それに付随して、原発の汚染水問題がある。安倍さんは世界に安全を公約したが、ほんとうに大丈夫かな。もっともこれは、世界への公約だから、必ず責任ある行動をとるだろう。


 もう一つ。これもおもてなしの心に通じる面があるが、

 東京に決定した日の夜、ある名アスリートが言っていた。

 「このオリンピック・パラリンピックの成否は、教育に負うところ大ですね。学校の先生方にはがんばってもらわなければなりません。
 しかし、今、先生方はおろおろ(『あたふた』だったかも、)しています。だから子どももそんな感じです。」

 どんな意味で使われたのかは分からない。しかし、分かる気がした。

 選手の養成にしても、道徳心の涵養にしても、教員にもっと自信をもってもらわなければならない。
PAP_0085
 ところが、今現実に行われている教育行政、改革は、この自信を喪失させるものばかりだ。その結果、指導者を蹴飛ばしたり、『死ね』が教室でとび交ったりする(リンク先コメントの8、9番)ようではこまるのだ。

 《おもてなし》の心を養うには、教育行政、改革も、温かみのある、人間味あふれた施策でなければならないだろう。

 政治家に奮起を求めたい。

 それらなくして、東京オリンピック・パラリンピックの成功、なし。

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〇プレゼンでは、もう一人、陸上の佐藤選手も印象的でした。骨肉腫で足を失ってしまったこと、震災で被災し家族の安否が分からなくなってしまったこと、それを救ってくれたのが、スポーツの力だったと話しました。

 これもリンクさせてください。

    秘策!佐藤真海プレゼンが五輪引き寄せた

〇先ほど、アベノミクスに関連し、観光立国のことを書きました。他にも、農業、再生可能エネルギー、ハイテク技術などがあるのではないでしょうか。

 こうした産業の育成に力を入れないと、実体経済と地球環境との共存はできないと思います。環境を保全しながら経済成長を達成するという考え方が大切でしょう。

 そして、それらは皆、五輪と無縁ではありません。これからがアベノミクスの真価を問われることになるでしょう。


rve83253 at 13:22│Comments(3)TrackBack(0)エッセイ 

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この記事へのコメント

1. Posted by のぞみ   2013年09月15日 10:19
お久しぶりです

>《おもてなし》の心
非常に大切な事だと改めて感じます。
7年後と言えば、今の小学生が中学・高校・大学生になっているんですね…。

仰る通り、教育はとても大きく多くの可能性
を引き出す力を持っていると思います。
前記事にあった高校生や、南浦和での出来事など
まだまだ日本は捨てたものではないなあと言う出来事
も多くあります。

その可能性を引き出すような教育行政を望みたい
です。また、地域の一員として出来る限り学校・地域・子どもと再び関わって行こうと言う気持ちに
なりました。
2. Posted by toshi   2013年09月15日 20:46
のぞみさん
 本記事では、先にのぞみさんからいただいたコメントを引用させていただきました。ありがとうございました。
 《地域の一員として出来る限り学校・地域・子どもと再び関わって行こうと言う気持ちになりました。》
 とてもうれしい思いで拝読しました。
 今学校を取り巻くもろもろの中に身を置くと、《おもてなし》の逆を行くかのような事象が多いですものね。それではいけないと思いながらも、先の静岡県知事のような言動を目の当たりにすると、現場だけでなく、行政に携わる者もしっかりしろと言いたくなります。
 ほんとうにのぞみさんのように、地域として教育環境を支えてくださる方も、もっともっと増えるよう、祈る思いです。
3. Posted by 小2の母   2013年09月27日 21:23
5 toshi先生
のぞみ先生

お久しぶりです。
娘の小学校で上靴隠しがあったらしいです。珍しい事ではないとか。
今日は、うちの娘の仕業にさせられそうになって、逃げ回ったと知らされ、実態を知りました。
いたずらなんでしょうか?
いたずらだとしてもなぜそんな事をするのか、気になります。
「だいじょうぶ、3組」の乙武さんが出ていた映画でも、上靴隠しがありましたが、やってしまった子は、「障がい」に対して、人に言えない感情を持
っていたのでした。

のぞみ先生がおっしゃる「地域の一員として出来る限り学校・地域・子どもと再び関わって行く」と言うのは、どのような事なのでしょうか?

子どもとの関係を最近見直すことが多くなり、学校と娘の間にいる自分の立ち位置で迷うことが多くなりました。
上靴隠しなんて、よくある事と割り切ればよいのでしょうか?
だからと言って、先生に言う必要もない気がします。そして、
言わなければ、また、起きるでしょうね‥。

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