2005年12月19日

社会科学習への誤解(2)

b11ee507.JPG 昨日の記事について、Hideki氏、桐氏より、コメントをいただいた。

読ませていただいて、言い足りなかったこととか、つけたしたいことがあったので、連続して、『社会科学習への誤解(2)』を掲載することとした。

 繰り返すが、社会科は戦後誕生した教科だ。
 太平洋戦争に敗れ、連合国の占領下におかれた日本は、連合国の指令によって、民主化の方向に歩みだした。そのなかでも、教育の民主化は最重要とされた。皇国史観は一掃され、国家の価値観を一方的に教え込む教育は排除された。そして、新たな民主主義教育が始まった。それをしょって立ったのが社会科だった。

 社会科は、アメリカ直輸入の、バージニアプランなどをもとにして生まれた。当時、アメリカから教育使節団が来日し、全国各地を回ってこの普及に務めた。また、当時の国民はこぞって民主主義を受け入れたから、社会科は全国各地でもてはやされた。

 社会科では、子どもの生活に根ざした問題を子ども自らが設定し、追求し、解決していくこと。それが大切なこととされた。皇国史観に彩られ、ついこの前まで、天皇陛下万歳と言っていた国民。受身にならされた国民は、新教育の象徴としての社会科を受け入れつつも、驚いたに違いない。

 広く国民の支持を受けた社会科だったので、学校ごとに単元構成を考えるようになり、地域性あふれる単元が、各地に生まれた。新しい時代の、新しい国民を育てるための社会科として、バラ色だったのである。
 
 ところがである。昭和30年ごろ、わたしが小学校の高学年だったころだが、現代と似た現象。つまり、学力低下論が渦を巻くことになる。『子どもたちは、ああでもない、こうでもないと、ただ議論しているだけではないか。一体何が身についたと言うのだ。現に学力は低下している。戦前の子どもの方が、学力は高かったのではないか。』そう言われるようになった。

 このころはやった川柳に、『六・三制 野球ばかりが強くなり』(『うまくなり』だったかな。)と、学力低下を揶揄したものがある。

 その結果、皇国史観に戻ることはなかったものの、世間的には、教え込みの指導法、過多の学習内容に戻っていった。『通史もどき』の歴史学習がスタートしたのもこのころだった。社会科の学習内容がむずかしいのではないかと言われるようになったのも、これを契機としている。

 それでも、心ある教員は、子ども主体の学習を維持、発展させていた。みんなで話し合うなかで、問題解決を図り、そこからまた新たな問題が生まれるという学習(問題解決学習)は、『生き方、学び方』を育む教育として、それなりに定着していったのである。

わたしが教員として採用された昭和45年は、『学習内容の精選』が言われるようになっていた。しかし、その歩みは遅々としたもので、『詰め込み教育』の弊害が説かれるようになるまで時間がかかった。そして、平成に入ってからの『ゆとり教育』につながる。

 今また、学力低下が盛んに言われるようになり、『歴史は繰り返す』ということを強く感じる。


 あともう一つ。社会科はむずかしいという点についてだが、私見を述べる。

 繰り返すが、日本の小学校学習指導要領社会科編は、やはり、あいまいである。桐氏がおっしゃったようなイギリスのようでもないし、また、通史でもないと言う。
同学習指導要領を見ても、縄文時代は学習内容としていない。また、戦国時代もとり上げない。天下統一からはとり上げる。なぜそうなっているかについては、異論もあろう。わたしも、縄文時代などはやればいいのにと思う。しかし、ここでは論点としたくないので、これ以上はふれないことにする。

ここで問題としたいのは、それにもかかわらず、教科書は、指導要領にない時代もとり上げている。光村図書では、縄文時代の絵が大きくとり上げられているし、戦国にしてもコラム的にではあるが、応仁の乱が出ている。

なぜこうなるか。網羅的になるか。それは、やはり、盛んに言われた『教科書が薄くなった。学習内容が3割減』などとセンセーショナルに言われたことと関係があろう。教科書会社だって売れなければいけないから、必死なのである。

だから、こうした風潮に世論も教員ものせられて、あたかも通史であるかのような誤解が生じているものと思われる。

少なくとも、6年生の歴史学習に関する限り、学習内容は過密である。とても、上記のような、問題解決学習は、ふつうは無理である。子どもの思いを重視した、子ども主体の学習は、どうしても時間がかかるからだ。

それでも、心ある教員は内容精選を心がけ、内容を重点化し、子ども主体の学習を実践している。そして、研究会などを通し、その普及に努めている。

わたしが、『小学校初任者のホームページ』を開設し、初任者にアッピールしたいと思ったのも、その辺りに大きな理由がある。

   (3)へ続く。


rve83253 at 22:49│Comments(11)TrackBack(0)社会科指導 | むかし

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この記事へのコメント

1. Posted by みんなのプロフィール    2005年12月20日 11:10
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2. Posted by Hideki   2005年12月20日 17:18
社会が戦後から始まった教科というのは初めて知りました。確かに大切な学科ですね。改めて思います。

ただ、正直なところ、小学校の社会の時間で何をやったのか?という点は、全くといっていいほど記憶がないです。いや、小学校の授業なんて、どれも記憶ないけど、とくに社会はイメージできない。

その頃の「社会・歴史」については、「マンガ日本の歴史」のほうが断然面白かったし、そそられました。当時、国盗り物語が流行ってたこともあり、戦国武将の話も興味深々でしたよ。

3. Posted by Hideki   2005年12月20日 17:25
「社会」といえば女性のほうが嫌いな人が多いようですが、妻はその典型みたいです。

歴史は「なんで昔の事なんか勉強する必要があるの?」、地理は「なんで、そんな他の地方の事なんか勉強しなきゃいかんの?」という思いが強く、面白くないから聞いてなかったといいます。

前も書いたけど、歴史にしても地理にしても、「物語」として語れるかどうか?なんじゃないかと思う。

そこに「人」がいて「思い」があると、物語(ドラマ)になる。それが、ありありと描かれると、ロマンが生まれる。

ただの、文字の羅列の復唱じゃ、面白くないのは当たり前に思うのです。
4. Posted by kaikai   2005年12月20日 23:03
 Hidekiさんのコメントを読みながら考えたことを少し書いておきます。
 社会科に限ったことではないのですが、なぜそれを学ぶのかということをもっと教師は語るべきだと思います。面白いから学ぶとか、受験に必要だから学ぶというのではなく、なぜこのような教科が生まれ、なぜこれまで学び続けられてきたのか。そのようなことを語ってほしいと思います。
 教師自身そういう所まで考えたことがなければ語ることができません。いくら教員採用試験のためなどで学習指導要領を丸暗記していても、それは語ることはできません。
 私自身、語れるかどうか自身はありません。常に、子どもに話ができるようになりたいなと思っています。
5. Posted by toshi   2005年12月21日 00:13
Hidekkiさん、kaikaiさん、投稿有難うございます。
 何のために学ぶか、それは、本文でも触れたように、「生きる力」「学ぶ力」を身に付けてほしいためです。さらに言えば、自己教育力、生涯学習力もねらっています。
 実は、わたし、もう50年前になりますが、自分が受けた授業をいくつも覚えています。あの学習問題のとき、わたしはこういう意見を言って、そのとき、友達のAがこう反論してきてなど、覚えているのです。
 
6. Posted by toshi   2005年12月21日 00:13
覚えているのは、わたしだけではありません。実は、今度、2月に還暦同窓会を予定しているのですが、けっこうみんな覚えていますよ。覚えている場面はいろいろですけれどね。
 これって、ただ記憶しているに過ぎないとは思いません。切実感、必然性をもって学んでいたからだと思いますし、生涯学習力に関わって、今のわたしを形成する力となっているのだと思いますが、どうでしょうか。
 今度、わたしが受けた授業と称して、ブログにのせましょうか。
 
7. Posted by Hideki   2005年12月22日 00:28

実は、「社会」という学科は、一番実生活での役立ちでイメージしにくい学科だと思うのです。

今日、異郷の部下と飲んでたわけですが、やはり生まれた場所が違うと、同じ日本人でも全然生活は異なります。いや、価値観まで違う。

それは、その土地の風土(気候から海からの距離まで)、その土地の歴史(未だに江戸時代・戦国時代からの確執が歴然と残っている。例えば会津と薩長。いや会津と奥羽ですらある)、といったものが、本当に影響しているのです

そんな、いろんなところの「文化」を知るのに必要なんですよね。地理にしても歴史にしても。

8. Posted by Hideki   2005年12月22日 00:30
そして、人間は皆同じ…だけど人はそれぞれ違うということを理解しなきゃいけない。

同じ日本人でも違う。となりの県の人も違う。違う国の人も、同じ人間なんだけど、違う部分(意識・価値観)がある。これを、その背景ごと知ることは大切なんですよね。

なぜ中国で反日暴動がおきるのか?なぜ中東は戦火が絶えないのか?外国を訪れた時に、その土地の人と自分との価値観や常識の違いを感じるときに、その背景となる歴史・地理的な知識があるのとないのではやはり理解に差がでると思う。

9. Posted by Hideki   2005年12月22日 00:35
ただ、お話を伺ってて、感じたことがあります。

最終的には、子どもの「社会」という学科に対する学習意欲を高めるということがゴールになることなんじゃないかな。

で、その動機づけになるのは、合目的・理性的なものと、充足目的・衝動的なものの2種類があると思うのです。

前者は、医者になりたいから数学をがんばる・良い中学に行きたいから英語をがんばる・もてたいから勉強がんばるといったもの

後者は、何か知らないが、おもしろいからやりたいというもの
10. Posted by Hideki   2005年12月22日 00:43
この両者は各々優劣つけるべきものじゃないと思う。前者は学んだ結果が魅力、後者は学ぶ過程が面白いという違いがあるだけ。

ただ、合目的な動機づけができる子どもって少ないのでは?と思う。

それよりも、単純に「歴史って面白い!」「地理って面白い!」という、学ぶことそのものの面白さを演出した方が良いと思うのです。というのは、上述の社会を学ぶ目的って、大人になってからしか分からない気がする。

私が「物語」といったのはそういう点なんです。いろんな人の生き様や思いが見えるのは「社会」なんですよ。分かりやすく社会を紐解いたもの(例えばマンガやゲーム)は面白さが引立ってます。

教科書を棒読みする「社会」なぞ、面白い訳ないんです
11. Posted by toshi   2005年12月22日 05:58
Hidekiさん。いつもお世話になります。実は、社会科学習への誤解(3)を打ち終わってから、拝見しました。
 こんなに長いコメント、それをいただきながら、(3)を読まれての感想をお願いするのは、ほんとうに恐縮なのですが、もし、いただけたら、嬉しいです。
 Princip校長先生は、いつだったか、『考える学習はけっこうやっていますよ。』とおっしゃっていましたし、わたしも本文に書いた通り同感なのですが、一方では、教え込みが横行しているのも事実だと思います。
 ぜひ、こうした先生方、学校に、自己変革をお願いしたいと思っています。

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