2014年01月21日

未来を生きる日本人に必要な学力は!?

IMAG1625 もう、とうに、《あけましておめでとうございます。》などと申し上げる時期ではなくなりましたね。更新がとどこおりがちで、どうもすみません。

 でも、今年最初の記事ですので、『本年もどうぞ、よろしくお願いします。』とは申し上げたいと思います。ほんとうに、どうぞ、よろしくお願いします。


 さて、それでは、さっそく記事に入らせていただこう。

 もう一年半ほど前になってしまった。ある日、『BLOGOS』なるサイトから、拙ブログ記事転載の依頼を受けた。各界の専門家や政治家の方々のブログが多く掲載されているので大変驚いたが、名誉なことと受け止め快諾した。以来、7つの記事が掲載されている。

 ところが、『BLOGOS』の拙ブログ記事に寄せられたご意見を拝読して、驚いたことがある。拙ブログへのコメントとは趣をまったく異にしているのだ。一言で言えば、批判的な意見が多い。それも、かなり激烈である。

 なぜか。だんだん分かるような気がしてきた。

・読者層がかなり異なるのではないか。拙ブログをご覧の方々は、教員、保護者が多く、ときには学者層もいるのに対し、『BLOGOS』の方は、一般のブログ愛好者が多いのではないか。失礼ながら、評論家的な気分の方もいらっしゃるように思う。

・拙ブログをご覧の方々は、もう数年にわたりご愛読いただいている方が多く、そのため、わたしの教育観、実践など、熟知されているのに対し、『BLOGOS』で読まれる方々は、その記事でしか判断の材料がないのかもしれない。

・これはいたしかたないことだ。ブログの宿命といっていいと思うが、どうしても記事の一つ一つは断片的にならざるを得ないものね。

 だから、読者層の拡大につながるという意味では、『BLOGOS』に掲載されることをありがたく受け止めるし、《いろいろな見方があるのだなあ。》という意味では、勉強になっているとも言い得る。

 もう少し具体的に述べてみよう。

 わたしはテストの点数に重きをおかないし、もっと大事な学力があるとしているのだが、どうも世間的にみると、それは教育者の責任放棄とうつるようだ。

 そこで、本記事では、拙ブログに掲載の過去記事を3つとり上げながら、《もっと大事な学力とは何か。》を考察しようと思う。責任放棄どころか、未来に向けどういう日本人を育もうとしているのか、ご理解いただけるなら幸いである。例によって過去記事をいちいち開かなくても、論旨は通るように努めたいと思うが、お時間のある方は、どうぞそちらの方もクリックしてみてください。

 まず実践についてだが、代表的なものとして、今のわたしには安心できる解き方だよ。を上げさせていただこう。小学3年生の算数。はかりの目盛りを読む学習である。

 ここでは、Bちゃんの発言をとり上げる。今、そっくり再掲させていただこう。

 「(このはかりの)一目盛りが20gだっていうことは、さっきのCちゃんの説明でよく分かった。
 だから、(今、Dちゃんが説明してくれたように、)3kg500gの目盛りから一つ下を見れば(はかりにのっているランドセルの重さは、)3kg480gだってすぐ分かる。そのようにした方が早いし、簡単というのもよく分かるけれど、
 でも、今のわたしには、そのやり方は簡単ではないの。なぜかと言うと、一人でやっていたら、一目盛りがほんとうに20gか心配になっちゃうのね。だから、面倒かもしれないけれど、Eちゃんがやったように、3kg400gのところから、400g、420g、440g、460g、480gってやった方が、次は、500gだから、『ああ。よかった。やっぱり480gで合ってたんだ。』って分かるから、その方が、安心できるの。」


 さあ。この発言から浮かび上がる《テストの点数よりも大事な学力》とは何か。

・この発言をしたBちゃんは、まことに失礼ながら、算数的学力という意味では、そんなに高いレベルではないであろう。むしろ、Cちゃん、Dちゃんの方が高いように思う。
 
 しかし、自分に合った、より良い解き方を追求するという意味では、かなりの学力を発揮している様子がうかがえる。

 特に着目したいのは、『〜、今のわたしには、そのやり方は簡単ではないの。〜。』のくだりである。
 この、《今のわたし》が、すばらしいではないか。
 《Dちゃんの解き方がいいことは分かっている。分かっているが、今のわたしはそれでは安心できない。だから、まどろっこしくても、当分はこの解き方でやっていきたい。でも、そんなわたしだって、やがては〜。》
と言いたいように感じる。

 だから、目指すべきところは自覚しているのだ。この《学びへの態度》といったらいいかな。これも、まさに学力である。テストでは測ることのできない学力といっていいだろう。

・次に、これはBちゃんだけではなく学級の多くの子が身につけている学力だが、友達の発言をよく聞いている。そして、友達の発言を聞きながら、自らの考えを深めたり、ある考えをひらめかせたり、ときには疑義の念を抱いたりしている。

 この《聴く力》もそうだが、集団の力の相互作用によって深めることのできる《思考力》も、テストでは測りにくい学力だ。

 さて、ここで話をちょっと変えさせていただくが・・・、

 わたしは、教員養成の大学出身ではないので、大学の仲間は民間企業に勤めた者が多い。そのなかでは、長く企業で新人養成に携わった者もいるし、退職後も関連企業で働いている者もいるし、今も自営業にいそしんでいる者もいる。そして、一様に公教育への関心は強い。

 わたしの教育実践を語ると、多くは共感の念を示してくれるが、それとは逆に驚かされることもある。

 上記、Bちゃんの発言を話したときだ。自営のEさんが言った。
「それはたまたま、その先生のクラスに、そういうことを言う子がいたというだけのことだろう。別に、どうということはないではないか。」

 そうか。《たまたま》か。

 このことに関し、教員の営み、努力は認めてくれないのだな。なるほど。一般にはそういう評価もあるかもしれない。

 そうか。これはいい勉強になった。市民の方々に対しては、我々の教育観、指導観、学力観をおおいにPRする必要がある。強くそう感じた瞬間だった。

 そこで、大学の仲間へは、(すみません。一部繰り返しになってしまうが、)
・一人で学習していたのでは獲得できない、子ども同士の相互作用によって初めて獲得できる学力があること、
・相互作用だから、この力は、決してBちゃんだけが突出して獲得している学力ではないこと。多くの子が身につけているし、身につけつつある学力であること。
・この相互作用は、教員が一方的に教え込んだのでは生まれるはずのない、教員が子ども同士の学び合う姿勢を育むことによって初めて生まれるものであること。
・教員は、子ども同士の話し合い学習を支える存在であること。
 すなわち、いくつもの発言を組織づけたり深めたり、あるいは対立する関係か深める関係かなどを見きわめたり、はたまたそれることもあるだろうから、それは軌道修正を図ったり、すばらしいひらめき、友達を思いやったり共感したりする発言は称賛したりとか・・・、これらはほんの一例だが、そうしたもろもろのはたらきかけが大事になってくること。
などを話した。

〇次にとり上げる過去記事は、ちょっと本記事の趣旨からはそれ、指導観にかかわるのだが、どうしても申し上げたいのでお許しいただきたい。

 上記、《今のわたしには安心できる解き方だよ。》の実践は、子どもの主体的な学びを保障しているし、指導者がそれを支えていること、ご理解いただけると思うが、子どもの主体的な学びを保障するとなると、どの子どもも自分の持てる力をフルに発揮できる環境が醸成されていなければならない。
 どういうことかというと、
 たとえば、どの子も教科書を持っているのにそれを見させないで行う授業とか、塾で先行学習した内容の発言を禁止して行う授業などである。これは指導者の作為が色濃く、したがって子どもの主体的な学びを阻害するのである。

 それでは、このことにかかわる過去記事を紹介させていただこう。《学校だよりへの想い(4) 主体的な学びの紹介3》である。わたしの校長時代、勤務校の教員Fさんの話を、学校だよりで紹介した。今、本記事に関連する部分だけ再掲させていただこう。

 〜。
 あとで、職員室で、教員の皆さんと語り合いました。塾に行っている子もいるでしょうに、こういう子どもらしい表現で学習が進んでいくことをすばらしいと思い、そんなことを話しました。
 すると、担任(Fさん)の言葉です。
「塾へ習いに行っている子は、塾で習ったことを、授業中言っていいと思っています。よく、『塾で習った子がそれを言ってしまうと、塾に行っていない子にはよく理解が進まないまま、学習がまとめられてしまうのでこまる。』と言う先生もいますが、わたしはそうは思いません。
 共同思考が成立していれば、塾で習ったことを言う子がいても、分からない子は分からないと言いますから、それを説明しなければならず、学習はかえって深まると思うのです。」
すばらしい自信だなと思い、うれしくなりました。


 さて、本記事の結論が近づいてきた。

 知識・技能ももちろんだが、るる述べてきたように、それよりもっと大事な学力、テストでは測れない大事な学力があるということ・・・、実は過去に日本経済新聞も社説に書いている。《テストでは測れない学力》とストレートに書いているわけではないが・・・、《これからの日本にとって大事な学力は、》というテーマで、我が教育観、学力観と共通する論旨を展開している。
 それを採り上げた過去記事を紹介させていただこう。

 日経社説に驚きと感動と(1)

 この記事で特にふれたいのは、同記事3枚目の写真の横にあるのだが、ここでは再掲でなく社説の要旨を述べてみたいと思う。

 『世界のさまざまな才能と堂々と競い合える人材は育っているのだろうか。』と問題提起したうえで、『知的エリート層も人材豊富とは言えない。』と分析、『知識の習得を重んじ、均質な人材育成で集団の力を高めるモデルは、もう通用しない。』
 そして、こうなってしまったのは、『ペーパーテストの点数に偏った画一的な選抜制度のひずみの表れかもしれない。』と、暗に現状の受験システムによる選抜を批判。

 それを受けて、どのような人材が必要かという点に関し、以下の3つを上げる。
・情報を集め、問題の所在を見つける発見力。知識の詰め込みでなく、素早く正しい情報を抽出する技術の習得
・問題を発見したら、独創的に解決する。また、新しい価値を創りだす創造力も大切。自分の頭で考え独自の提案を生む能力
・自分の意思を他者に伝えるコミュニケーション能力


 このブログを以前からご覧の方々はご理解いただけると思うが、これらはどれも、小学生時代から養うことのできる学力ばかりである。冒頭の小学3年生の算数においてなら、
・自分の頭で考え、自分に合った解き方を抽出する技術
・自分の意思を他者に伝えるコミュニケーション能力
となるだろうか。

 ここまで読まれて、読者の皆さんのなかには、《そんなことを言ったって、現実の公教育でそのような実践はお目にかかったことがない。》と、いぶかしく思われる方もいらっしゃるかもしれない。

 確かにその通り。

 ブログに寄せられるコメントやメールを拝読すると、こうした教育とは無縁で、授業以前の問題も多々あることに気づかされる。
 また授業にしても、あたかも子ども主体のように見せかけて、その実態は教員の恣意的(示威的)な発問で進められたり、日経が指摘するように、ペーパーテストの点数に偏り画一的な指導が行われたり・・・、残念ながらそういう授業が多いのではないか。

 そこで、いつも繰り返し言うように、教員の研修・研究の充実が望まれる。

 それもただ、研究・研修を積めばいいというものではない。真に、子ども主体、子どもが主人公の授業をおし進める方向で行われなければならない。

 ここで、冒頭にリンクさせていただいた、《今のわたしには安心できる解き方だよ。》なる記事を思い起こしてほしい。この授業は初任者の授業なのである。初任者だってそうした方向性をもって研究・研修を積めば、こうした授業は可能なのである。

 そして、これも何度も拙ブログに書いているが、特筆すべきは、ペーパーテスト軽視のように見えるこのような実践の方が、結果的にはペーパーテストの点数もよくなることをあえて申し上げたい。

 それはそうなのだ。子どもの内面がきたえられ、子どもが主体的、意欲的に学習を進めるのであるから、点数がよくなるのも当然なのである。

 わたしは《急がば回れ》というむかしからのことわざを思い出す。

 テストの点数をよくしようとするあまり、短兵急に教え込む、覚えさせる教育は、結果的にむなしさが残ってしまう。


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 実はもう一つ、現代的な意味で、ふれておきたいことがあります。

 それは、子どもが変わってきているという点に関してです。

 現代社会を反映しているからでしょう。享楽的、せつな的、自己中心的な傾向は、だんだん強まってきています。そういう子どもたちを相手に、短兵急に教え込むようなことをすれば、無気力、無感動、無関心な子、はたまた脱落する子を量産する結果となってしまうでしょう。

 せいては事をし損じる。

 またまたむかしからのことわざを思い浮かべてしまいました。
 
 子どもの主体的な学びを保障する授業においては、問題行動の多い子もいきいきと活躍することができます。自分たちの考えが大事にされていることが分かるからでしょう。そしてそれは、問題行動の減少にもつながっていくのです。                     


rve83253 at 05:58│Comments(11)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by 協働学力   2014年01月21日 10:33
「それでは、今日は前回の分数の割り算を、みんなで説明できる様にしよう」「まなみさんどうですか」「そうか、それは困ったね」「マサル君どうですか」「納得できないかー」「え、宿題出して欲しいの?」
「明日決着できそうかな」授業中に発した教師の言葉はこれだけ。残りは、全部子どもの考え合い、話し合いでした。

 子どもは四分の三割る五の計算の仕方を、個々の書いたミニ黒板を元に説明、質疑を重ねていく。教材は単純な数式だが、子どもの議論は「分母を割ってもいいのか、悪いのか」というテーマで白熱していく。
16人ほどの学級に、50人もの教師が参観していたが、子どもの話し合いは活発で深まりもある。講評では、「子ども数学学会みたいな雰囲気」と評させていただいた。

 子どもがお互いの意見を交換しながら、ミニ黒板に書いた数学的事実を示しながら、考え合いが続く。「先生、自分で考えて来たいから、宿題にしてよ!」という子どもの声が授業の充実度を示している。

 一人で考え抜くことも大事だが、一人で考え抜くことだけに頼って乗り越えて行けるほど世の中は甘くはない。他者と考え合う、考協の能力は、現実的な課題解決において重要な能力だと言えるだろう。学力は、個人でできることに加え、他者と協力することでできるという、協働達成の学力も大事なのでしょう。

 楽器の演奏家が数名でセッションをする様な、「学びのセッション力」は今後一層重要になりますね。そこから、パッション(情熱)も高まり合い、クエッション(より質の高い問い)が生まれてくるのでしょう。校内研修の授業検討も似ている気がします。

 toshi先生の思想には、これからの授業づくり、指導要領の改訂の方向にかかわる「資質・能力の育成」にかかわる大事な視点が含まれていると思います。

2. Posted by ももぱぱ   2014年01月22日 00:27
時期を外れましたが
旧年中は大変失礼致しました(汗)

その「ぶろごす」とやらへ行ってみましたが

すみません!!

もう背中に冷や汗で....。
私が話題を振りまいた記事が
一番意見多かったようで....(^^)A

何かtoshiさんへ迷惑を掛けた感じがして
申し訳ない気がしました。

正直言いますと、私も含め
皆、学生時代から大きなトラウマを抱えながら
今日まで来たのかな?と思いました。
ささやかな「復讐」にも感じ取れます。
しかし、全く無関心であるよりはマシなのかなとも
思います。

私がなぜ、ここへ来たかと申しますと
今年始めの山形の悲しい事件のことで
なぜか無性にtoshiさんのブログを読みたくなったからです。

それは、揶揄とか非難とかではなく
言葉に表せないような「ある種の疑問」を
確かめる意味で読ませて頂きました。

ありがとうございます。
3. Posted by toshi   2014年01月26日 09:55
協働学力さん
いつもありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
 冒頭の7つの言葉。これしか教師が言わないということは、記事中の一市民に語らせれば、教師の怠慢と映るかもしれませんね。しかし、そうではないのですよね。やはり記事中の言葉を借りれば、《いくつもの発言を組織づけたり深めたり、あるいは対立する関係か深める関係かなどを見きわめたり、はたまたそれることもあるだろうから、それは軌道修正を図ったり、》など、教師の役割として書いているのですが、これもまた、子どもたちがやっているということなのでしょう。そこまで子どもを育てている教師。すごいと思います。
《一人で考え抜くことも大事だが、一人で考え抜くことだけに頼って乗り越えて行けるほど世の中は甘くはない。他者と考え合う、考協の能力は、現実的な課題解決において重要な能力だと言えるだろう。学力は、個人でできることに加え、他者と協力することでできるという、協働達成の学力も大事なのでしょう。》
 このお言葉、ほんとうにその通りだなと思いました。さらに、民主主義社会において、どんな仕事に就いたとしても、この資質は人間として最も大切になるのではないでしょうか。ということは、最大の価値をおいていい学力と思いました。
4. Posted by toshi   2014年01月26日 12:50
ももぱぱさん
 こちらこそ、本年もよろしくお願いします。
 どうぞ、《背中に冷や汗》などとおっしゃらないでください。わたしがももぱぱさんのご意見に賛同し、ふくらませての記事ですので、わたしの責任で書いていることです。どうか気になさらないでくださいね。
 ももぱぱさんからいただいたコメントとかみ合わないかもしれませんが、想い浮かべたという意味でお許しください。
 わたしのように昭和20年代に子どもだった者から見ると、今の日本人の意識は明らかに変わったということができます。靖国神社に詣でた安倍首相ですが、返って支持率はアップしているようです。諸外国の意識と日本人の意識とのずれを感じ、恐ろしくなってしまいます。
 同時に日本人の多くは、自分の頭で考えているのかしら、その時代時代に流されていやしないかという想いもあります。
5. Posted by Mama Lawyer   2014年01月26日 18:54
5 はじめまして。
二児の母で、弁護士をしています。

このブログを拝読し、まさに私が子供の教育について考えていることと重なると思いました。

弁護士をしていると、情報の収集、分析、問題解決能力が非常に重要です。

アメリカでは低学年からこれを意識した教育が導入されています。

長い人生に訪れる、知識だけでは対処できない問題をいかに解決するか、子供には、何事も諦めない底力と、思考力を身につけて欲しい。テストの結果ではなく、結論を導いたプロセスを大事にしたい。

とはいえ、成績に一喜一憂しがちな私です。
6. Posted by 伊藤   2014年01月26日 22:19
本年もよろしくお願いいたします。

さて、私は実技教科ですし、テストをほとんどしないので過程を評価してます。
民間は結果しか見ないですから、視点の違いがあると思います。
プリントも考えさせます。仮説実験やtossなど研究しているところもありますが、私は常識をぶっ壊して考えろと言います。服のコーディネートを考えさせましたが、条件さえあれば非日常や有り得ない服でも評価をしました。端から見れば、最低の授業です。それでも、必要なら私はやりますよ。もちろん、個人を傷つけるものはダメです。

日経の社説に抗えば、
テストによる画一的な選抜は賛成です。
これは、客観的な能力を計るのは必要ですし、日本人が得意とする分野です。
確かにエリートは少ないが、優秀な中間層が豊富なのが、日本の強みであり、これを放棄することは明らかに損です。日本の強みを本当にわかっているのか疑問です。海外から日本の信用が高いのは安定した仕事ぶりでしょう。

では、テストで計れない能力はどうするのか、と言えば、それを道徳、学活、特活で学ばせていましたし、課外活動で鍛えていたように思います。
そういう意味では、むしろゆとり教育は課外活動に期待してたはずですが、裏切られました。批判ばかりしてますが、私立と公立の差がはっきりしましたし、公立も危機感が出た分良かったと思います。

集団に揉まれる経験や理不尽な体験と言ったものがもっとあれば、日経の言う能力が高まるのではないかと考えます。
子どもが変わったなんて思いません。変わったのは大人です。
子どもは正直です。つまらない授業にはついてきません。信頼できない大人を信用しません。大人がきちんと粘り強く、身につくまで子どもに教えたのか、でしょう。
どうしてできないの?なんて言えませんよ。私の教え方が悪いからできないんですから。
7. Posted by toshi   2014年01月28日 05:25
Mama Lawyer さん
 コメントをありがとうございました。
《弁護士をしていると、情報の収集、分析、問題解決能力が非常に重要です。》
 そうでしょうね。容易に想像がつきます。しかし、高度に発達した現代社会においては、多くの仕事に言えることだと思います。それなのに、いまだに、小学校教育においては、読み・書き・そろばんでいいと考える人が多くいるのも現実です。
《長い人生に訪れる、知識だけでは対処できない問題をいかに解決するか》
 ほんとうに、自らの生き方に迫れるような教育でありたいものです。
8. Posted by toshi   2014年01月30日 05:00
伊藤さん
 本年もよろしくお願いします。お元気そうですね。よかったです。
 と申しながら、今回はちょっと反論させていただきます。
 まず、《民間は結果しか見ない》とありますが、本記事では、グローバルな時代を迎え、企業も問題解決力、独創性、コミュニケーション能力などを求めるようになってきていることを書いています。これは過程を大切にするということではないでしょうか。
 また、伊藤さんは、《テストで測れない能力は道徳、学活、特活、課外活動で》とおっしゃいますが、本記事では算数の授業におけるそれを書いています。全教育活動で養っていく必要があります。
 《テストによる画一的な選抜は賛成》とあり、《客観的な能力》とありますが、これも、
・多くの企業が客観性を認めなくなってきたのではないでしょうか。記事からそれがうかがえませんか。
・単なる知識・技能の測定では、それは企業に生きる人材とつながらないことがはっきりしてきたのではないでしょうか。
9. Posted by toshi   2014年01月30日 05:00
 したがって、《優秀な中間層》という概念があいまいです。何をもって優秀とするのか。《安定した仕事ぶり》とありますが、それだけでは外国とごしていけないと多くの企業は感じているのではないでしょうか。伊藤さんがおっしゃる中間層が今も優秀なのか、それとももはや古いのか、議論が分かれるところかもしれませんね。
 最後に、《子どもが変わったなんて思いません。変わったのは大人です。》とありますが、確かにおぎゃあと生まれたばかりの子どもなら、縄文時代も今も変わらないでしょう。しかし、子どもはその時代時代の社会環境の中で成長していきます。社会が変われば、子どもも変わらざるをえないのではないでしょうか。
 これは決していいこととしているわけではありませんが、むかしの子どもはつまらない授業でもそこそこついてきたし、信頼できない大人に対しても従順でした。あるいは従順なふりをすることができました。あくまで度合いの問題ですがね。
 そしてこの2点についてなら、今の方がいいといっていいでしょう。
10. Posted by 小2の母   2014年02月11日 19:13
5 toshi先生
お久しぶりです。

BLOGOSすごいですね!
批判的な意見が多くても、教育分野からの代表として認められるなんて、敬服致しますm(_ _)m

Mama Lawyerさんのコメントには、とても共感します。
私は、医療系の専門職なのですが、情報収集、分析、問題解決能力は、本当に大切だと感じます。
一方で、実は私はドリル病で、今日の課題→例題→問題で育ちましたから、例題が無いと解けない事の方が多いかもしれません。
今日の課題以外の事を質問されると固まるしかないのです。
ただ、ドリルの問題は出来なくても、仕事上や私生活の問題は、やる気で頑張ってます。

頭が良いというのは、どういうことを意味するのでしょうか?
IQ?科目全部が100点なら、文句ないですけど、100点3つ、50点2つ
の人と、80点5つの人がいたら、どちらが頭が良いのでしょうか?
質問が意地悪になりましたσ^_^;

恐らく、ごくわずかの割合の発達障害の方だとは思いますが、学力だけが高くても、精神的ストレスに耐えらず、成人して母親が老いてしまうと精神科病院に入院する方もいらっしゃいます。
点数で区切ってもらってきたから、普通の学校をなんとか卒業したもののの、社会で生活出来なかった。
この状況を目の当たりにすると、学力はなんの足しになるのだろうと思ってしまいます。
いじめられて、精神科を受診する方も同様です。
学校のせいだけではありません。
私も含め、重きを置くところを変えた方が良さそうに思います。

はかりの件もそうです。
480gは、500-20が美しいはかり方でしょう。
ただ、社会に出て、エラーをなくす方法は、400+10‥のように思います。

今の私にはこっちのやり方の方が良い、の「今の私」に私も可能性を感じます^_^

かなり遅くなりましたが、toshi先生、今年もよろしくお願いしますm(_ _)m
11. Posted by toshi   2014年02月13日 06:00
小2の母さん
 うれしいコメントをありがとうございました。お元気そうでなによりです。
 弁護士の方に続いて医療系の専門職。しかし、現代社会においては、会社員も含め多くの職業に情報収集、分析、問題解決能力などが求められているのだと思います。
 共感してくださりながらも、ドリル病だともおっしゃいました。まことに失礼ながら、それは子どもの時からのトラウマではないかと拝察しました。
 頭がよいというのは、真の意味の学力が身についた方、つまり情報収集、分析、問題解決能力にたけていることをいうのではないでしょうか。特に実社会においてはそういうことだと思います。そして、学校教育もその視点にたたなければなりません。国も、学力としては《生きる力》も大切と言っているのですから。
 小2の母さんが意地悪だとおっしゃった質問については、これはどちらが頭がいいという問題ではないと思いました。どちらもいいのですが、要するに個性の問題。それぞれがオンリーワンということではないでしょうか。
 そして小2の母さんが上げられた例からは、問題解決力などの学力に加えて、自律、自立なども、大事な学力と拝察しました。
 世間は、学力としては、ドリル、テストにのみ学校教育の成果を問う傾向にありますが、そうではないのだということをこれからも訴えていきたいと思います。
 どうぞ、こちらこそ、本年もよろしくお願いします。

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