2014年09月28日

どの子にも合わせた授業を!!

PAP_0247 最初はタイトルと関係ないところから書かせていただく。すみません。

 あるとき、拙ブログを紹介してくださっているブログを見つけた。光栄と受け止める一方、失笑を禁じえない部分もあった。先方はリンクはしてくださっているので、わたしも、一応リンクはさせていただこう。次のブログである。

    美しい国への旅立ち「保守小児病と左翼の実力」

 ここでは、拙ブログについて、
 《このサイトの発想を一言で論評すると、落ちこぼれを発生させない代わりに、国家的エリート育成には関心があまりない?ただ、文書様式的には、非常によくまとまっているので、イデオロギー的思想背景があってこうした理論を展開していることに気づかないで読むと、うっかりすると騙される?》
と紹介されている。

 《?》付きなので、決めつけてはいないようだが、《そうか。そのように読まれているか。》という思いはぬぐえなかった。

 まあ、わたしは小学校の一教員にすぎないから、《国家的エリート育成》などとはあまり考えたこともないが・・・、
 しかし、ブログを書いていて、一回だけ深く考えたことがある。今、その過去記事にリンクさせていただこう。

    日経社説に驚きと感動と(1)

 今、同記事でとり上げた日経社説のポイント部分を紹介させていただくと、

 同社説は、日本の教育の現状について、『世界のさまざまな才能と堂々と競い合える人材は育っているのだろうか。』と問題提起し、『知的エリート層も人材豊富とは言えない。』と現状を分析。さらに、『知識の習得を重んじ、均質な人材育成で集団の力を高めるモデルは、もう通用しない。』『ペーパーテストの点数に偏った画一的な選抜制度のひずみの表れかもしれない。』と続けた。

 ねっ。上記リンク先ブログを開いたとき、日経社説を思い浮かべたわけがご理解いただけるのではないか。同社説は、現行の多くの学校における教育、さらに選抜システムでは、これからの《国家的エリート》は育たないと言っているように受け止めた。わたしもまったく賛成である。

 この点、上記ブロガー氏はどのように思っているのかな。わたしのブログは、《国家的エリート育成には関心があまりない?》と受け止められたようだが、それでは、現状の日本の教育をどう受け止めているか。それは書かれていないから分からない。

 同社説は次に、どういう人材を育成すべきかという点について、これはエリート層に求める学力と言っていいと思うが、そこに筆を進める。

・情報を集め、問題の所在を見つける発見力。知識の詰め込みでなく、素早く正しい情報を抽出する技術の習得
・問題を発見したら、独創的に解決する。また、新しい価値を創りだす創造力も大切。自分の頭で考え独自の提案を生む能力
・自分の意思を他者に伝えるコミュニケーション能力

を上げた。

 ねっ。長期にわたり拙ブログを愛読されている方にはご理解いただけると思うが、

 こうした学力重視は我がブログにおいて一貫して主張しており、わたしが目指す教育の姿とほぼ一致するものである。我が意をえたり。心からそう思ったことを覚えている。

 となると・・・、わたしの目指す教育は、《国家的エリート育成》に貢献している・・・と言えるかな。言えそうだな。

 実は、そのように意識されてはいないだろうが、側面からそうしたわたしの考えを支持してくださっている・・・と思われるコメントをいただいたことがある。ある大学教授の方からだった。上記ブロガー氏の評価と真っ向から対立する・・・かどうかは分からないが、わたしがそのように受け止めたコメントだった。

 再掲すると、
《(toshiの)取り上げている(授業の)事例が、大都市圏の裕福な地域のエリート的な学校での話が多い(あるいは、そういう事例ばかり)と感じています。》
とのことだった。

 これにもわたしは、ただただ苦笑するしかなかった。ある意味うれしかったのである。というのは、
 わたしは、確かに教員生活を大都市圏の学校でおくったが、ついぞ裕福な地域のエリート的な学校に勤務したことはなかった。だから、そのように言われると、片腹痛い感じがしたものだ。
 
 大学教授が、toshiはエリート的な学校ばかり(?)にいたと思ってくださるのは、子どもがそれだけ知的に活躍していると受け止められたからであろう。それならこれはもう、勤務校の実践を誇りにしていいなとひそかに思ったものだった。上記、日経にあるようなエリート。そうした人材を育てていると自負できる思いがした。

 それなら、さっそく我が実践の紹介をといきたいところだが・・・、しかし、《国家的エリート育成》となれば、高校、それも進学校における取組をとり上げるのが最良であろう。幸いそういう記事が過去にあるので、そちらを紹介させていただこう。

    わたしたちは だれも 一人じゃない!!(4) 〜大震災の単元構成に感激〜

 未曾有の大震災があったにもかかわらず、全国のほとんどの学校は、その後も何もなかったかのように、静かに予定路線で授業を進めている。

 そんななかで、この高校は積極的に東日本大震災を受け止め、それを我がこととしてとらえ、実践をつんでいった。
 見事だった。こうして育てられた子どもたちにこそ、将来の日本をしょってたってほしい。そう思わずにはいられなかった。そんな思いにさせる実践なので、未読でお時間のある方はぜひご覧いただきたいと思う。


 さて、それでは、話題を一転。我が実践はエリート養成にのみ真価を発揮するのか。

 そうではない。そういう意味では、冒頭のブロガー氏の《落ちこぼれを発生させない》も、わたしにとってはうれしい分析だった。これについては、拙ブログの、やはり過去記事をひとつ紹介させていただこう。

 どちらかと言えば、比較的学力が低いと思われる学校での実践だ。

    思考力養成はじっくりと、

 ここでおもしろいのは、蟻がどうやって行列を作るのかをさぐろうと、ありが行列を作るところにあらかじめ大きな石をおいてみたという内容の説明文をとり上げたのだが、ある子の初発の感想を読むと、何と、『ありさんがこんな大きな石をおけるなんておどろいた。』とあったことだ。

 学力が低ければ低いなりに、問題解決学習は成立する。今述べた例は誤読だから、こういうのは問題とは言わないがね。具体的にはリンク先記事をご覧いただきたいが、申し上げたいのは、問題解決学習は、どんな学力の子にも合った学習なのだ。子ども主体なのだからね。
 だから、その一面にしか目を向けなければ、どの子もエリートの卵のように見えるし、逆に、落ちこぼれを発生させない授業のようにもみえるということだろう。

 ここで、視点を変えてみよう。

 よく、初任者に限らずベテラン教員からも、質問を受ける。
『どのレベルに合わせて授業をすればいいのか、いつも悩んでいます。学力の低い子に合わせると高い子は退屈してしまいますし、逆に高い子に合わせると、低い子はちんぷんかんぷんとなってしまっておいてきぼりをくうようになってしまいます。』

 わたしはそういうとき、決まって、
「どのレベルの子にも合った授業をしなければいけませんよ。」
と言う。

 一瞬、びっくりした顔をされるが・・・、

 それはこういうことだ。指導者である教員が問題を投げかけたり教え込んだりするからこうした問題が起きるのだ。子どもは問題に答えたり説明を聞いたりするだけだものね。子どもは受け身だから、関心・意欲のない子、ちんぷんかんぷんな子は、おいていかれることになってしまう。

 簡単に言えば、子どもを活躍させる授業、別な言い方をすると、子どもが、『ええっ。なんでえ。』『おかしいよ。変だよ。』『分からない。どうしてそうなるの。』という声を上げるような、そんな授業にすればいい。

 また、問題解決学習といっても、現状は《問題解決学習もどき》が横行している。かたちとしては子どもが学習問題を作ったり話し合いをしたりしているようにみえても、指導者のこうしたいという思いがプンプンにおったり、活躍しているのが一部の子に限定され、大部分の子はお客さん状態になってしまっていたりすると、ちんぷんかんぷん、おいてきぼりの度合いは、教員主導よりさらに深刻化してしまうだろう。

 どんな学力の子も活躍できる授業。そういう授業を心がけたい。

 分からない子が分からないと言える。分かる子は、どう説明したら分かってくれるかなと考える。算数で言えば、分かる子が、それまで公式を覚えて解いていただけだったが、説明する中で公式の意味をとらえていく。そういう授業を心がけたい。

 ここで、過去記事の一部を再掲させていただこう。記事は、《学校だよりへの想い(4) 主体的な学びの紹介》だが、その後半部。

 後で、職員室で、教員の皆さんと語り合いました。塾に行っている子もいるでしょうに、こういう子どもらしい表現で学習が進んでいくことを、すばらしいと思い、そんなことを話しました。

 すると、担任の言葉です。
「塾へ習いに行っている子は、塾で習ったことを、授業中言っていいと思っています。よく、『塾で習った子がそれを言ってしまうと、塾に行っていない子にはよく理解が進まないまま、学習がまとめられてしまうので、こまる。』ということを言う先生もいますが、わたしはそうは思いません。
 
 共同思考が成立していれば、塾で習ったことを言う子がいても、分からない子は分からないと言いますから、それを説明しなければならず、学習はかえって深まると思うのです。」
すばらしい自信だなと思い、うれしくなりました。


 読者の皆さんには、どの子も活躍する授業のイメージがもてただろうか。もたれたなら、幸いである。
 
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〇冒頭のリンク氏の記事には、後半部に、《イデオロギー的思想背景があってこうした理論を展開していることに気づかないで読むと、うっかりすると騙される?》とあり、これにも苦笑させられました。

 そうか。わたしはだましているのか。恐れ入りました。まあ、ときに政治的な記事も書くからこう思われたのかもしれませんが、自分ではイデオロギーなんて書いていない、特定のイデオロギーなどないと思っています。まあ、あえてあるとすれば、《子ども党》かな。そんな思いです。

〇《比較的学力が低いと思われる学校》と書きました。リンク先を開いていただければ、学力の高い学校も、低い学校も、教員の営み、努力は同じだと認めていただけるのではないでしょうか。
 どこかの県知事に読んでもらいたいなあ。

〇わたしが学級担任だったころ、と言っても30代なかばからでしたが、話し合い学習であればほとんどの子が発言していました。まあ、発言できない子は3・4人くらいだったかな。それも固定した3・4人ではありませんでした。年数回、気づいてみれば全員が発言していたなどということもありました。

 そう。この、《気づいてみれば》というのが大切ですね。『あと、3人で全員発言』などと口にしてしまうと、その3人にはものすごいプレッシャーがかかってしまうでしょう。無理して言わせる結果となってしまいます。

〇すごい高校生の取組は、まだ書いています。これは授業というよりは部活動のだぐいと思いますが、これも紹介させてください。おもしろいですよ。動画も見られます。

    きびしい漢字テストを高校生が告発!?
 

rve83253 at 07:07│Comments(16)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by 今日   2014年10月02日 07:30
引用させて戴きました。
2. Posted by tsuguo-kodera   2014年10月05日 06:56
 何時も勉強させていただいている企業定年後早10年の高校非常勤のものです。何年もこの村で勉強をしてきました。でも、管理人様のこのブログは、初めてのコメントかもしれません。
 管理人様は何時も素晴らしい理想を述べているように思えていましたし、今回も。もちろんご自身は実践できたことであり、たくさんの若い先生を指導してできるようにさせてきた人だと思っていました。
 でも、冒頭に引用したブログの管理人様の論も賛同してしまいます。どちらかと言うと、むしろ多くのこの村の管理人様にも、と言うべきかもしれません。
 今はとても悲観的になっています。早く棺おけに入りたい心のほうが入道雲のように湧いてきています。この業界で仕事を続けられている自分が信じられないくらいなのです。
 これ以上は演繹すると村八分になりそうですので、ここで停めます。失礼しました。
3. Posted by toshi   2014年10月05日 17:24
今日様
 高校生の作品の、漢字テストの方ですね。ありがとうございます。
4. Posted by toshi   2014年10月05日 17:28
tsuguo-kodera様
 はじめまして。わたしも退職して10年目の非常勤です。どうぞ、よろしくお願いします。
 少なくともお仕事を続けていらっしゃるとのこと、すてきですよ。共にがんばりましょう。
5. Posted by ABC   2014年10月05日 22:15

正しい事をしているのだと思いは伝わります。
でも、どんなに立派な思想をお持ちでも、来年度からは教育基本法1条改正で、戦前の修身教育が始まるのですから、子供たちに未来はありません。
6. Posted by 石田剛   2014年10月09日 01:24
toshi先生

 こんばんは。石田です。

 石田は子どもらの『主体的な学び』に、おおいに期待しています。子どもらが、そういう機会を得られることを、強く望んでいますし、石田自信もそういう機会を作ろうと、無い知恵を絞っています。しかし、現代の小学校の先生方は、そんなことを言っていられないほど、忙しすぎるのではないかと心配しています。

 ご紹介されている、ある先生の『共同思考が成立していれば〜』とのご発言、 toshi先生 もおっしゃるとおり、素晴らしい自信ですね。こうおっしゃった先生は、ご自身での実践を踏まえておっしゃったのでしょうから、きっと子どもの主体的な学びを尊重できる方なのだろうと、少しうらやましく思いました。

 先日、石田は、 息子2(小3) の授業参観に出かけました。授業の中で先生は、なんとか、より多くの子どもに発言させようと、懸命に取り組んでおられました。しかし、せっかく子どもがした発言を、上手く取り上げられるだけの余裕が無さそうな様子だったのが、気になりました。

 その様子を見ていると、予め先生が期待している発言を取り上げるのみで、それに沿わない発言は聞き流しているように、石田には見えていました。そればかりか、ある子どもの発言について、言下に「それは違う」と言い返してしまうことまでありました。とても、残念に思いました。石田は、その子どもの発言は、面白いし鋭いと感じたので、なおさら残念でした。

 せめて、他の場合と同じように、聞き流してくれればまだマシだったとさえ思います。積極的に挙手して、幸運にも先生に指してもらえて、自分の考えを述べた、その子どもの主体的な行動は、ずいぶんひどい仕打ちで報われてしまったと、石田は考えています。

(続きます・まいど長くてすみません)
7. Posted by 石田剛   2014年10月09日 01:26
(続き)

 その先生は「ふだん、みんなの安全のために働いている人たちには、どんな仕事をしてる人たちがいますか」と問いかけました。先生が期待していた『模範解答』は「警察」とか「消防」でした。しかし、その子は「自衛隊」と発言しました。そうしたら、その先生は「それは違う。自衛隊は戦争や災害が起こってから仕事するだけで、普段から安全を守るための仕事をしているわけじゃない」といった応答をしました。

 この先生が、自衛隊の仕事について、大きな勘違いをしていることは、やむを得ないと思うのです。自衛隊が、災害派遣や―ぜひとも、無いようにしたいことですが―防衛出動の必要が生じた際に、直ちに出動するために、普段から訓練だけでなく、装備品の点検や整備、燃料や潤滑油や消耗品などの維持または交換など、たくさんの仕事をしていること。そういう準備が常に整っていることが―やや残念なことではあるものの―戦争を起こさないために重要であること。そして、それが私達の安全のために、極めて重要であることは、知らない人は知らないことです。ちょっと考えればわかることではありますが、考えてみたこともない方はたくさんいらっしゃるでしょう。忙しい先生が、そういうことを知らなくて、考えたこともないことは、無理もないことです。

 しかし、それでも「それは違う」なんていう必要は無かっただろうと思うのです。言われた子どもは、せっかく発言したのに、ずいぶん残念な思いをしたでしょう。石田がその子どもの立場だったら、かなりガッカリしただろうと思います。いっそ、せめて他の子どもたちの発言にそうしたように、単に聞き流してくれたほうが、ずっとマシだったと石田は考えています。
8. Posted by 石田剛   2014年10月09日 01:27
 以下、余談です。
 小学校高学年くらいのころの石田だったら、「この先生、バカだな」とも思ったかもしれません。まあ、 小3 のころの石田がそう思ったという、はっきりした記憶は無いのですが、小学校高学年から中学校くらいにかけては、「この先生、バカだな」と思ったことは複数回あります。そういうとき、「先生、ばっかじゃねぇの」と言うほど、石田はやんちゃではありませんでした。けど、挙手して淡々と誤りを指摘する『かなりイヤな子ども』でした。
9. Posted by 石田剛   2014年10月09日 01:53
ABCさん

 横から失礼します。石田ともうします。

 「道徳」を教科にするというお話であれば、早くても 2018年度 ごろだと報道されているようです。

 それはさておき、先の教育基本法の改正や、「道徳」に関わる近頃の変化には、石田も残念に思うところがあります。しかし、石田はそんなに悲観してはいません。あの程度のことで、子どもらの未来を失わせてしまえるほど、子どもらを取り巻く社会も、小学校の先生方も、脆弱ではありませんよ。


 小さな変化であっても、厳しい目で見定め、ダメなことは「ダメだ」と声に出すことは、とても重要な事です。しかも、子どもの教育に関わることは、社会の未来にとって極めて重要な事です。これからも、そういう主張をなさることは、ぜひ続けてください。

 どうせ主張なさるなら、地元選出の国会議員の方に、メールでも書いてみたりなどなさると、なお良いかと考えます。石田は、そういうことも時々します。朝、駅前に立っている議員の方に「おはようございます。1分だけ良いですか」と声をかけて、質問したり、石田の意見を述べて、それへの所感を求めたりすることもあります。もうなさっていることでしたら、ご容赦願います。
10. Posted by toshi   2014年10月11日 06:23
石田剛様
 コメントを賜り、ありがとうございました。
 子どもを大切に思わない教員はいないはずですが、子どもの思い、考えを大切にということとはどうも別なようです。石田さんがおっしゃる《予め先生が期待している発言を取り上げるのみで、それに沿わない発言は聞き流している》といったように、一方的な考えで授業を進めてしまう教員はとても多いのではないでしょうか。
 でも、《言下に「それは違う」と言い返してしまう》教員はそんなに多くはないと思いました。ちょっとびっくりしました。授業参観でこれでは・・・と、
 ちょっと同じ教職にいるものとして申し訳ない思いになりました。
 ここでの学習内容は、確かに警察や消防なのです。しかし、教師の発問に対する答えとしては、石田さんがおっしゃるように、自衛隊も大正解でしょう。わたしなら、
「ほう。すごいことを知っているね。ところで、どうして自衛隊も安全を守っていると思ったの。」
と問い返すでしょう。そして、子どもの発言は板書もするでしょう。ただしそこまでで、以後の学習内容としては、やはり警察や消防に限定していくと思います。子どもたちの生活に直接かかわり、学習に発展が期待できるからです。
 ABCさんへのコメントもありがとうございました。わたしもまったく同感です。
11. Posted by 石田剛   2014年10月11日 17:29
toshi先生

 石田です。
 先生のおっしゃるとおりで、最終的には「警察」と「消防」の話に持って行くことは、石田も全然問題無いし、むしろそうすべきだと思うのです。

 いくら、面白い発言だからといって、そこから話を発散させてしまうのは『遊び』としては面白いし、そういう機会も『総合的な学習』の時間でも使ってやれば良いと考えるのですが、いつもそうするわけにはいきませんからね。

 『そんなに多くはない』は、石田もそう思います。石田が子どもだった時も、そんな応答をする教員は 1-2人 しか思い出せません。

 中学校の保健体育の時間に、体育教師から「骨を作るのに重要な食べ物はなんだ」という問いかけがあり、石田は ビタミンD のことを思いついて「しいたけ」と応えました。その教師は爆笑して、「そりゃ、ちょっとはあるだろうけどな」といったことを言いました。彼が期待していた回答は『小魚』とかで、彼はカルシウムの話がしたかったわけです。この時は、石田ははっきり「この先生、バカだな」と思った記憶があります。このときは、挙手して誤りを指摘したりはしませんでした。たぶん、言っても理解できないだろうと、子どもだった石田は判断したのでした。
12. Posted by のぞみ   2014年10月17日 18:23
toshi先生 ご無沙汰しておりました。

東日本大震災があった年に、近隣小学校から「のぞみさんの人生体験を子どもたちに話してもらえないだろうか?」と、校長先生から相談された時の事を思い出しております。

就活にも失敗して、障害がある私の話など子どもは関心を持たないと思いますと、お断りしたのですが
校長先生は「成功している人の話だと、一部の子どもしか話を聞かないけど、のぞみさんの話ならきっと全員がどこかで感じると思う。」とのお言葉を頂き、当時四年生3クラスの総合学習の時間で、手作りの教材?を持ち込んで授業者として教壇に立ちましたが、45分と言う時間では話すのが精一杯で終わりました。授業が終わった後に、担任の先生から「クラスの中には、直接話をするのが苦手な子どももいるんですよ…。そこでのぞみさんと子どもたちとの交換ノートを作ってみたいと思うのですが、いかがでしょうか?」

との提案から、交換ノートを教室に置いて毎週金曜日に持ち帰って週末にコメントを入れて、月曜日の朝に教室にノートを置いておくと言う事を、2.3学期ずっとやっていたのですが、最初はほぼ特定の子どもしか書き込んでいなかったのですが…。終業式間際になると
病気欠席以外の子どもの全員が、それぞれの言葉で伝えてくれるようになりました。

ある女の子からの書き込みにこのような事が書かれて
いました。「私のお母さんは耳が聞こえません。誰にも言えなかったのですが、のぞみ先生なら聞いてもらえると思って書きました」

担任の先生にすぐに見せた所、「○○さんは大人しい子だと言う感じでいましたが、これはすぐに対応させて頂きます。」(続く)
13. Posted by のぞみ   2014年10月17日 19:41
女の子に対して返したコメントには「よく書いてくれたね、のぞみもずっと誰にも言えなかったけど、勇気を出してお話ししなかったらきっと○○さんも、のぞみのように苦しくなっちゃってたと思うから…。」としか書けませんでした。

後日談で「私があの時間に総合をやっていたら、○○さんの事を見過ごして5年生にしてしまう所でした。」と当時担任だった先生から聞きました。

先生も一人の人ですから、何十人もの子どもを完璧に
見て学級運営する事は厳しいと言わざるを得ません。
中には「私のクラスに教員免許すら持っていないような人に授業に入って欲しくない!」と思っていらっしゃる先生もいらっしゃる事でしょう。
今回お話しした授業法は、担任と授業者の二人で授業をやる方式(TT)でやらせて頂きましたが、教員免許を持っていない者としては、プロの先生がいて下さる事で安心して授業する事が出来ましたし、担任が全て対応していた子どもとの対応の一部分を、素人が見る事によって、違った見え方がするのではないかと思います。
14. Posted by 伊藤   2014年10月17日 21:11
二度とコメントしないと決めていましたが、ご報告を兼ねまして書かせていただきます。
どう環境が変わろうとやることに変わりはありません。
ただ、実態に合わせて見かけを工夫するだけです。


横浜市の教員採用試験を受けました。結果は二次不合格でした。
私には、何一つ足りませんでした。
わかっていても、無能と突きつけられるのはキツいですね。

よい報告ができなくてすいませんでした。
15. Posted by toshi   2014年10月18日 08:45
のぞみさん
 すばらしい経験をされましたね。校長はじめ、先生方の誠意ある取組と相まって、のぞみさんの真摯な姿勢が、子どもの心を打ち、子どもにとっては生涯忘れることのできない経験となったと思います。
 生涯忘れることができないということは、子ども一人ひとりの生き方にまで影響を与えるような経験となったのではないでしょうか。
 さらに、先生方の子どもを見る目も繊細になっていくような・・・、
 のぞみさんはそこまでお考えになってなさったわけではないでしょう。しかし、人の心ってこのようにひびき合っていくのですね。結果的にすばらしい教育力を示すことができます。
 わたし、思いました。今、結果的にと申しましたが、校長先生はそこまで見通していらしたのではないかなと。
 うれしいコメントをいただき、ありがとうございました。
16. Posted by toshi   2014年10月18日 09:17
伊藤さん
 採用試験が不合格だったとのこと。わざわざご報告いただき、申し訳ない気持ちです。
 今、拙ブログの読まれる記事ランキングで常に上位を占めている《臨時的任用職員について》の記事にも書いたのですが、いろんな状況がありますから、無能などと自己卑下されることはないですよ。
 ご奮闘を祈念しています。

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