オバマ演説から、かつての道徳の授業を思う(再改訂版) 〜母さんの歌全文掲載〜旧東海道を歩く。(2)

2016年07月22日

旧東海道を歩く。(1)

IMAG7873 前々から横浜市内の旧東海道を歩き通してみたいと思っていた。かつて勤めていた複数の学校の学区を通っているし、偶然出っくわして、『ああ。こんなところを通っていたか。』とびっくりしたこともあって、ひかれるものがあったからだ。

 しかし、通してとなると、それは無理なようだった。ある地点、地点で道がなくなってしまったり、幹線道路がぶった切って先が分からなくなってしまったりした。それであきらめていた。何せ江戸時代の道だからね。市街地化されれば仕方ないなと思った。

 そうしたら・・・、なんとこのたび・・・、Hidekiさんがすばらしいサイトを紹介してくださった。《時系列kk地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」》だ。日本の主なところについて、明治時代の地図と現在の地図を並べての対比ができる。カーソルで新旧の位置が確認できるのだ。明治中期の地図だが、江戸時代の東海道はちゃんと記載されていた。すばらしい。うれしくなってしまった。

 どんなに細かく見てもどこを通っているのかがよく分かる。行き止まりと思ったところも、それはほんの数十メートルで、迂回すれば先に続いていることも分かった。

 それでふつふつと市内縦貫の思いがわき起こってきた。どうせやるなら、多摩川から、つまり、お隣の川崎市から歩いてみようと思った。全体を5回くらいに分けて、つまり、5日間歩けば、川崎、横浜両市を縦貫できるだろうとふんだ。実際は隣りの藤沢市まで、4日間で歩き終えたけれどね。

 さて、それでは道中記といこう。IMAG7828

ukiyoe kawasaki 出発地点の多摩川。ここは江戸時代、元禄まで橋は架かっていたようだが、流されてしまった後はかけ替えられなかった。広重の浮世絵にもあるようにもっぱら渡し船にたよっていた。これは、江戸幕府の政策でもあっただろう。

 話題は変わって今の話。

 今回、多摩川にかかる橋のたもとに立ち、あらためて川の水質のきれいなことに驚かされた。40年くらい前、ここは白い泡のようなものが充満し、かなり汚染されていた。魚は棲めなくなり、川は死んだともいわれた。
 それが見事に復活した。今、けっこう釣れるようだ。ただし、外来種の増加という新たな問題もある。

 環境の改善は川だけではない。50年前・・・、そう、もう50年前になるか。学生時代のことだ。東京の我が大学から横浜の我が家をめざして、徒歩旅行したことがあった。しかし、とても我が家まではたどりつけなかった。ほとんど国道を歩いたせいだろう。車の排気ガスにやられ、頭が痛くなるとともにフラフラになってしまった。

 それが今回、旧東海道の3分の1くらいは国道になっているが、終始快適な気分で歩き通すことができた。
kawasaki
 さて、出発するとすぐ川崎の宿場町である。町と言っても前記明治中期の地図を見ると、街道沿いに家々が並んでいる程度であることが分かる。この旧宿場町。いろいろな案内板が目につく。

 それだけではない。宿場町川崎をPRする交流館なる建物があるし、個人商店なども店のシャッターに浮世絵などがかかれていて、実に楽しい。IMAG7855歴史探訪しながら興味をかき立ててもらう工夫を感じた。歴史ブームと言われて久しいし、歴女なる言葉も生まれた世相の反映と言っていいだろう。

 ところで、3年生の社会科の冒頭は、まちの概観である。自分たちが住むまちの様子を地形、土地利用、公共施設、交通、古くからある建物などを通して学ぶ。そして、中学年全体を通してねらうことではあるが、地域社会に対する誇りと愛情を育てるようにする。

 地域社会に対する誇りと愛情。それを子どもにももたせるには、これら歴史的遺産を守り育む人々の努力をぜひとり上げたいものだと思う。そして、後述するが、こうした努力は川崎だけではない。どの宿場町でも見られる姿だった。IMAG7871

 横浜市に入った。すぐ市場一里塚にたどり着く。ここの一里塚はなんか手を合わせたくなるような感じだ。ここで案内板に見入る初老のご婦人にお会いした。同好の方と思い声をかけさせてもらう。早朝、お子様のお住いのある東京を出発し歩いてきたとのこと。
 うわあ。わたしの何倍も歩いていらっしゃる。ご実家は静岡だそうで、そちらでも旧東海道を歩かれたことがあるとのこと。すごい。わたしも藤沢どまりでなく、もっと西をめざそうかという気になった。

 またどこかでお会いするかもしれないとの思いで、別れた。そういえば、けっこう同好の士はいるものだ。逆に東京を目指して歩いている方とも何組かすれ違った。

 さて、この一里塚だが、川崎から藤沢までで8つあった。市場、東子安、神奈川、保土ヶ谷、品濃、吉田、原宿、遊行寺坂。それで、江戸時代の旅人になった気分で、《ああ。もう4キロ歩いたか。》という感慨を抱くことができ、旅への励みとなった。江戸時代へ感謝したい思いにもなった。

 一里塚のおかげで、だいたいの総距離が分かる。多摩川から藤沢駅まででほぼ30キロあまりだ。一日当たり7、5キロとなる。
IMAG7910
 生麦にたどり着く。ここでは魚河岸通りがそのまま旧東海道だ。早朝こそ活気づいているが、昼下がりのこの時刻では、店はシャッターが閉まり、まったく閑散としていた。それだけにどこまでもまっすぐ続く旧東海道が印象的だった。また、冒頭の写真のように、昭和の面影を残す看板も目についた。
kotizu namamugi
 この魚河岸どおり。今は鶴見川沿いに展開するのだが、むかしの地図を見て驚いた そこは東京湾に臨む海岸沿いでもあったのだ。いやあ。今はなんと、ここから2キロも先へ進まないと海岸にはならない。そう。言い方を変えよう。かつてはここが鶴見川の河口だったわけだが、今は2キロ先になってしまったというわけだ。おまけに首都高速湾岸線が通るところはさらにその先となる。

 京浜工業地帯の一角を占めるこの辺りは、大正期、浅野総一郎による埋め立てが進んだところだ。この地域の多くの小学校では、4年生の郷土の開発単元でとり上げていることだろう。だから、道の左側はずっと工場ばかり。あと高速道路も続く。

今、横浜の海岸からは自然のままの海が消えてしまった。わずかに金沢区の海の公園の砂浜を残すだけとなってしまった。しかし、この砂も、対岸の千葉県富津市から運び込んだものだという。

 またまた話は戻るが、生麦と言えば、有名な生麦事件というのがあった。この事件現場には、なんと一般の民家の塀に事件を説明する案内板が掲示されていた。

 さらに旧東海道を歩く。これも明治中期の地図で分かったのだが、生麦から神奈川宿先まで、ほぼ全域が海岸沿いとなっていた。

 そして、キリンビール横浜工場から神奈川までは、第一京浜(国道15号線)がそのまま旧東海道なのであった。この間は、ほとんど案内表示はない。旧東海道らしさはほとんど消えてしまっていた。

 わずかに一つ。東子安一里塚の案内だけが痕跡をとどめていたが、これもうっかりすると見落としてしまうくらいの小さなものだった。やはり民家の塀にあった。説明を読むと、正確な場所は不明なようだった。古地図をもとに場所を割り出したとある。そして、不明になってしまったのは、神奈川県下で唯一ここだけという。どうも、国道にするため、道路を拡張したわけだが、それ以前から不明になってしまっていたとみえる。

 一日目は、ここまで。京急新子安駅で電車に乗り帰宅した。

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 本文に書かなかった中から案内表示、史跡などの主なものは、下記のとおりです。

 川崎宿 万年屋、田中本陣、芭蕉の句碑、八丁畷の無縁塚、
 鶴見  庚申堂、金剛寺、寺尾稲荷道道標、鶴見神社、鶴見線国道駅、横浜市指定無形民俗文化財 蛇も蚊も、 


rve83253 at 11:08│Comments(2)TrackBack(0) 自己啓発 | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2016年07月26日 10:53
Toshiさん、神奈川県の東海道を縦断したんですか!すごいですね。その行動力にまずは敬服いたします。でも、とても楽しそうに歩かれたことが手にとるように分かります。歴史・過去への思いを馳せるのは楽しいですもんね。

私のすんでいる岐阜は信長が命名したのですが、その居城岐阜城から尾張を一望すると、ここから天下を取ろうとした信長の思いが垣間見えたりします。

私もToshiさんみたいに古道を歩いてみたくなりました。私のいるあたりだと中仙道になるかな
2. Posted by toshi   2016年07月28日 16:40
Hidekiさん
 Hidekiさんのおかげなんです。例えば、『ここはずっと国道が旧東海道だ。』と思っても、よく地図を見ると、数十メートルだけ国道から外れるなどということや、その逆もあり、そこまでくわしく分かったので、感激してしまいました。
 おもしろい発見もいろいろありました。その一つですが、環状2号線が旧東海道をぶった切っているところがあり、そこには歩道橋が設置されているのですが、その歩道橋に旧東海道と書いた道路標示があるのです。確かに親切は親切ですが、歩道橋が旧東海道であるわけはなく、思わず笑ってしまいました。
 岐阜市と岐阜城は30年あまり前、旅したことがあります。とてもなつかしいです。すごく急な、崖のようなと言ったらオーバーかな。そんな坂道を登りたどり着きました。おっしゃるようにほんとうに見事な眺望でしたね。
 今、旧東海道歩きを記事にしています。あと1回で終わるかな。よろしかったらご覧ください。

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