2016年07月27日

旧東海道を歩く。(2)

fumikiri 2日目は京急新子安駅からのスタートだ。ここは旧東海道が国道15号線(第一京浜)となっている。しばらくは幅の広い国道を、きょろきょろしながら歩いた。やはりさしたる史跡や案内表示はなかった。IMAG7987

 ところで、この京急(京浜急行)だが・・・、すでに明治中期の《今昔マップ》には、京濱電氣鐡道の名で出現している。Wikipediaによれば、1905年(明治38年)に、品川(現・北品川) - 神奈川間開通とあるから、このころはまだ、開通したてのほやほやだった。ちょうど日露戦争直後。全国各地で鉄道がどんどん敷設された時期だ。

 さて、国道と分かれるのは、幸ヶ谷小学校の先、宮前商店街からである。そしてすぐ神奈川宿となる。急に案内板が増えた。どれも上右の写真のように、《神奈川宿歴史の道》なる標題がついている。
2008_11080069kanagawajuku
 この神奈川宿。広重の浮世絵にあるように、東海道沿いに並ぶ茶屋の背後は海である。 

 十返舎一九の東海道中膝栗毛におもしろい描写がある。
 茶屋の女が、旅人に、
「お休みなさいやあせ。奥が広うございやす。」
と声をかけている。すると、喜多八がすかさず、
「奥は広いはずだ。安房上総まで続いてらあ。」
としゃれのめす。

 そう。そのくらい、当時の横浜なんて、海を眺める以外目につくものは何もなかった。ちなみに向こうに見える岬は本牧辺りか。さらにその奥は金沢辺りではないかと思う。また手前に小舟が4そうほど浮かんでいるが、そのあたりが現横浜駅ではないか。
 今はもう、うめ立てが進んで、横浜駅だけでなく、そごう、みなとみらいなどで、海はかなり遠ざかってしまった。
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 なお、上右の写真は神奈川宿の今だ。浮世絵とほぼ同じ方向になるように撮った。

 ところで、幕末からの宿屋(料亭か)が今に残っている。数か月前、横浜をとり上げたブラタモリにも登場した。
 ちょうど携帯を構えていたら、女将さんらしき方がきれいな和装姿で出てこられた。

 なおNHKのブラタモリだが、これはyou tubeで見ることができる。リンクはできないが、よろしかったら検索をかけてご覧いただければと思う。《横浜の秘密はハマにあり》。その辺のことが分かっていただけるのではないか。

 さて、くわしくは同番組に譲るが、知らない人はかなり驚くのではないかと思う。IMAG7998 (1)左の写真だ。本覚寺の門に《史跡 アメリカ領事館跡》とある。さらに、もっと上の《神奈川宿歴史の道》なる標題の説明でとり上げた写真の甚行寺は、フランス公使館跡だった。
 そう。幕末、幕府と諸外国とのあいだで修好通商条約を結んだが、それには開港場として神奈川の名が書かれていた。それで、アメリカ、フランスにくわえ、オランダ、イギリスなども、この地のお寺に領事館を置いたのだった。

 今回歩いて分かったのだが、外国人に使用されるのを良しとせず、しかし幕府の命令なら聞かないわけにもいかず、そんなわけで建物の一部を壊して修理中であるとし、領事館になるのを免れたお寺もあるようだった。

 神奈川宿から保土ヶ谷宿へと足をのばす。・・・ところで・・・、kanagawahodogaya明治中期の地図を見ると、この時期になっても現在の横浜駅西口辺りは浅間下(せんげんした)の辺りまで内海であったことが分かる。
IMAG8013
 そして、江戸中期まではその先も入海だった。この辺りかつては袖ケ浦と呼ばれ、東海道でも風光明媚なところとして有名だったらしい。入海とその向こうに見える野毛山。入海には塩田もあった。その光景が目に見えるよう・・・かな。

 この袖ケ浦。今は、まったく別な意味で風光明媚だね。海はまったく見えないが、ビル群とその向こうにはランドマークタワーが見える。

 上述したが、上の古地図で入海の南西にあたるところ。ここは江戸時代のうめ立てだ。岡野、平沼、尾張屋新田という。

 4年生には開発単元があり、こうしたむかしのうめたてをとり上げての学習が多い。しかし、横浜市の小学校の多くはここではなく、野毛山の向こうの吉田新田をとり上げる。岡野、平沼、尾張屋新田は関東大震災のときに、資料の大半を失い、不明な点が多くなってしまったからだ。

 なお、吉田新田は現在の横浜中心部にあたると言っていい。実際に開港された横浜港に近いし、伊勢佐木町などの繁華街もここにある。
matubara
 道中記に話を戻そう。保土ヶ谷宿に近づく。すぐ手前に、松原商店街がある。ここはテレビでもよくとり上げられる活気ある商店街だ。昼下がりなのに、ご覧の通りの人通り。

 かつてこの商店街を生活圏とする小学校に勤務したことがあったが、ここにももちろんスーパーマーケットはある。スーパーと立派にわたり合える商店街で、双方を比べながらの学習はとても楽しかった。
IMAG8033
 すぐ相鉄線天王町駅前。ここも案内板はたくさんあった。おもしろかったのは、ここを流れる帷子(かたびら)川の流れが、河川改修工事で大きく変わり、それに伴い帷子橋の位置も変わったということだ。駅前の広場は、旧東海道らしく、昔風の雰囲気を大切にしていた。

 ここには、むかしを大切にするだけでなく、むかしを復元させる人々の営みを見ることができた。

 さて、保土ヶ谷駅は保土ヶ谷宿にあるといっていい。今日のところはここまで。保土ヶ谷駅から電車に乗り、家に帰った。

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〇わたしはブラタモリを見て驚いたのですが、あまりにも有名な葛飾北斎の富嶽三十六景。この絵には何と《神奈川沖 浪裏》とあるではありませんか。うかつなことに、これまで知りませんでした。fugaku36

 でも、何か変ですね。いくら沖と言っても、神奈川沖なら、東京湾内(当時なら江戸湾か。)ですし、こんなに波が高くなることなんかないのではないでしょうか。まわりの情景からして、台風とも思えませんしね。

 なぜ、神奈川沖としたか。横浜市民としてうれしくはありますが、なんかふしぎです。

〇本文に書かなかった中から案内表示、史跡などの主なものは、下記のとおりです。

 神奈川宿 洲崎大神、普門寺(イギリス上官の宿舎跡)、大綱金比羅神社(神奈川一里塚)
 袖ケ浦  浅間神社、追分


rve83253 at 14:17│Comments(2)TrackBack(0)エッセイ | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2016年07月30日 18:27
またまた楽しい記事・第二弾をありがとうございます。

ところで文中に出てきたブラタモリ、私も大好きな番組です。歴史と地理と地学をごっちゃに学べる、知的好奇心を刺激しまくる番組ですね。理科・社会が苦手な人には何が面白いか分からないと言われそうですが。
2. Posted by toshi   2016年07月31日 16:39
Hidekiさん
 ブラタモリ。おっしゃるとおり、わたしも大好きです。都市って長い歴史を背負って今があるのだなということを実感します。
 それに、今回紹介させていただいた横浜で申せば、関内駅の地下に開港のころにできた石垣がねむっているなど、まったく知りませんでした。ほんとうに驚きました。
 他都市のことも、興味深く見ることができますね。

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