2017年01月14日

問題解決学習のtoshi的考察(1)

CIMG1099 あけましておめでとうございます・・・というには、ずいぶん日がたちすぎましたね。すみません。でも、本年もどうぞよろしくお願いします。

 光陰矢の如し。ほんとうにその通りで、退職して12年目の新春を迎えました。拙ブログも同年数を数えます。長くお付き合いいただいている方、最近の方、すべての方に、あらためて厚くお礼申し上げます。

 さて、新春第一回目の記事は・・・、問題解決学習についてのtoshi的考察である。

 我が横浜においては、教育委員会はじめ、各教科領域の研究会、小学校の学校現場に至るまで・・・、それは実践力はさまざまであるにしても、問題解決学習を標榜しているという意味ではまとまっている。表だってこれを批判する声はほとんどない。

 ところが全国に目を転じると、案外批判の声は多い。曰く。
・子どもに流される
・一部の発言力のある子どもしか活躍せず、あとはお客様的存在になっている
・はい回ることが多く時間がかかる
など、など。

 しかし子細にそうした声に耳を傾けてみると、彼らが問題解決学習としているものは、わたしたちが《問題解決学習もどき》と称するものであって・・・、要するに、形だけマネをして、真に子ども主体の学習になっていないことに気づく。それでは、本シリーズで最終的に述べることになる《子ども像》に及ぶべくもない。

 今、わたしは学級担任でなくなり、いくつもの学級で社会科を担当するようになった。そこから分かることは、一人一人個性があるのと同様、学級にも学級の個性というか、持ち味があるということである。当然問題解決学習も学級ごとに特徴を持つ。

・発言する子が多いクラス
・友達の発言に対し、共感したり反論したりし、活気あるクラス
・よく調べ学習をする子が多いクラス
など。など。

 そこでは、学習の流れも多様に展開する。こうしたことは、現職のとき経験しなかったことで、それが問題解決学習の幅を広げることにつながるようだ。そこで幅が広くなった(?)我が実践を中心に、真の問題解決学習について考察してみたいと思う。

 その時キーワードとなるのは、ある大先輩の言葉であるように思う。

 それは、『学習問題はつくるものではないでしょう。子どもたちの切実な思いによって、にじみ出るように自然に生まれるものではないですか。』

 なるほどなあと思う。そして、皮肉なことに、退職した今になってこの言葉の重みを感じることがふえている。本シリーズでは、2回に分けそれぞれ一つずつその事例をとり上げてみたい。そして、3回目は2つの事例の考察としたい。

 最初は、4年生の《郷土の開発等、先人のはたらき》の単元である。

 この単元。横浜においては、吉田新田をとり上げる学校が多い。これは、横浜港の近くで、かつて流行歌にもなった伊勢佐木町を含む。いわば横浜の中心部である。

 しかし、江戸時代初期までは大きな入り海であった。吉田勘兵衛という江戸の材木商の私財と横浜、石川、蒔田、太田、野毛村などの村人たちの協力によって埋め立てられた。新田の名の通り、田にする目的である。以後、約200年にわたり米作が続いた。

 幕末、幕府と諸外国との通商条約によって鎖国の夢は破れることとなる。横浜開港をきっかけに、この新田は急速に市街地化していった。

 さて、説明はそのくらいにして、この単元の導入時である。

 現代人が入り海のころを想像し描いた、まるで写真のような絵や埋め立て前後の絵地図など、視覚に訴える資料を中心に、埋め立て工事の概要をつかんだ後、感想や疑問を出し合った。

 そのとき、Aさんが言う。
「どうして埋め立てなんかするのだろう。入り海のままにしておけばいいのに。」

 一瞬、奇異に思ったわたし。子どもたちの多くも同じだったようだ。口々に、
「ええっ。Aさんは田んぼにしなくていいって言うの。」
「豊かにならなくていいの。このころの人は米作りにあこがれていたんじゃん。」
「そうだよ。横浜村など入り海のまわりの村人たちは、魚をとるとか塩をつくるとかしかできなかったから、貧しかったんだよ。」
「・・・・・・。」

 頃合いを見て、わたしはAさんに聞く。
「Aさんは、みんなと違って、埋め立てなんかしなくていいと思ったのだね。どうしてそう思ったか、そのわけは言えるかな。」
 Aさん。微笑をたたえながらも、首をかしげ言えなさそう。

 そこでわたしは、クラスの子に向かって言う。
「そうか。言えないか。どうだろう。Aさん以外に埋め立てなくていいと思う子はいないの。ああ。いないようだね。
 でもどうだろう。誰か、Aさんの気持ちになってAさんがなぜそう思ったか、そのわけを想像できる子はいないかな。」

 しばらく考えた上で数人が挙手。
「入り海で魚がとれなくなるから。」
「自然が豊かなのだから、自然をへらすことはない。自然のままでいい。そう思ったのではないか。」
「・・・・・・。」

 わたし、Aさんにそれでいいのか聞く。Aさん、今度は納得の笑顔。友達に分かってもらえたからだろう。うれしそうだった。

 しかし、ここは導入で、これから埋め立ての中身に入っていこうとしているのだから、深追いはしない。
「Aさんの思いは、この単元の最後で、またとり上げたいと思うから、それまでとっておくね。」
そう言って、早々に切り上げた。

 その後の学習のあらましを述べると、

)笋疥ての目的や使った道具、さらには埋め立ての工程などの学習を通し、勘兵衛は村人に工事の協力を求めたこと、村人も協力したこと。当時機械はないから全部手作業だったこと、工事には失敗もあったがそれを乗り越えて完成させたこと
開港後の横浜のまちづくりとしての開発
3年生で学習した、近年のわたしたちのまちの再開発を ↓△犯羈咾垢覦嫐で再びとり上げ・・・、

 終末段階を迎えた。

 3つの開発を工事方法、目的などで比較してその共通点、相違点などを確認した後だ。

 わたしの方から、冒頭のAさんの思いを提起した。
「〜。というわけで、どうだろう。今も、埋め立てはしない方がよかったと思うかな。」
 子どもたちの意見は分かれた。と言っても、吉田新田そのものを不要とする考えは、Aさんも含め、なかった。Aさんもこの時代の開発はやっていいと思うようになった・・・ようだ。

 分かれたというのは、開発賛成論者と抑制論者だった。そのやり取りの一部。
「吉田新田のころはね。自然だらけだったでしょう。横浜にまちなんかまったくなかったからね。それに村人たちは貧しかったから進んで協力したでしょう。だから、開発していい。
 でも、今は、森は減っちゃったからね。開発はしないほうがいい。」
「そんなのは無理。開発しないなんて考えられない。森は今よりさらに減っていくに決まっている。だって、〜町では森だったところが今マンションの工事中だよ。」
「そう。どんどんまちは広がっていく。」
「でもさ、マンションを建てても、そこには必ず公園もできているよ。マンションを建てて確かに自然は減るけれど、でも、必ず公園には木を植えている。だからそのようにすれば無理じゃない。」

 その後、『木を植えたって減ったことは減っているじゃん。』と、『減るけれど、大事にはしている。』との対立の後、Bさんが折衷案的なことを言った。

「自然を大事にすることと開発とのバランスをとることが大事なのだと思う。今の横浜では木をまったく切らないで自然をとっておくことはできないけれど、開発する中で自然を少しでも残す工夫はしていると思う。だからCさんが言うように、マンションを建てても庭や公園で緑を大事にすればいい。Dさんが言うような無理ということにはならないと思う。」
 言われたDさん、ここでは首をかしげながらも無言だった。

 さらに、子どもたちは、
・これからも開発は進んでいく。
・吉田新田のときは、横浜は村ばかりだったし、自然がいっぱいというか、自然だらけだったのだから、自然を守るなどということを考える人はいなかったし、また、考えなくてもよかった。
・今、都会では自然がものすごく減っている。でも、その時代、時代に合ったやり方、考え方で自然を大切にして、バランスを考えた開発を進めていくことが大事なのではないか。
という方向に収束していった。
 しかし、少数ながら最後まで、「開発は抑えるべき、今はやりすぎ。」「いや、それは無理だ。開発はこれからも進む。」「わたしたちの生活を豊かで便利にするためにはやはり開発は必要。」の対立は続いた。

 このときのわたしの思いは、《バランスのとり方》についてだ。

 Bさんが言うように、マンション建設にあたっては公園など、緑も大切にした空間を設ける。これももちろんあるが、もう一つあるな。

 それで、わたしの方から提起した。

 それは3年のとき学習した、わたしたちのまちの概観にかかわる。

「Bさんが言って多くの子が賛成したバランスをとるという考え方だけど、マンションの庭、公園以外にも、バランスをとっている例があると思うけれど、分かるかな。実は、3年生の時学習しているのだよ。」

 《ああっ。》という声が上がった。Eさんだ。

 実は、高台にあるF交差点を境に、そこまでは市街地化がどんどん進んでいるが、その先は、森、田畑など、緑が大切に残され農業も盛んなのだ。隣接していながら、双方はまったくの別世界のようだ。3年生のとき、それを地域ごとの違い、特徴として学んだ。

 実はこれ、市の施策にかかわる。市は数か所、農業専用地区を指定し、緑や自然を守る取組を行っている。まさにF交差点の向こうはそれなのであった。

 バランスをとる。

 市もその考えを大事にしていることをとらえ、この学習を終えた。

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 この学習でおもしろいことがありました。江戸時代の工事に使われた、土を固める道具。名前はタコと言いますが、G先生。

「これ、我が家にあるのです。むかし、使っていましたから。」

 そうしたら、なんと、ご家族の方が、子ども用に、わざわざ2分の1の重さになるように作ってくださいました。おかげさまでもっことともに土固めの体験学習を進めることができました。

「重たいねえ。」
「体全体を使わないとうまくいかないな。」
「2人でちゃんと協力し、力を合わせないとケガするよ。」
など、体を使っての工事の大変さに気づいていきました。

 また、それよりも早い時期に、吉田新田の規模を知るため、社会科見学も行いました。土を取ったところは今もものすごい崖になっています。その規模も知ることができました。

「あんな高いところからも土を取っているのだね。すごい。」
「ほんとうだ。どうやって運んだのだろう。」
「空中かな・・・えへへ。それは無理だよね。」

 子どもたちのやり取りを聞いていたらおかしかったです。

 また、横浜開港の学習のときは、Hさんが、授業終了後、わたしのところへ来て、

「toshi先生。もしAさんがいうように、吉田新田の埋め立てをしなかったら、入り海のままでしょう。そうしたら、砂州の部分しか陸地はないからね。横浜のまちは広がらなかったでしょう。こまったのではないかな。」

 このHさんの言葉も次の授業のとき、全体に伝えました。みんな同感のようでした。

「そうだね。そうしたら横浜開港はなかったかもしれない。そうすると、今の横浜のまちもないことになるな。」



rve83253 at 17:50│Comments(2)TrackBack(0)問題解決学習 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2017年01月25日 08:32
自ら考える授業の具体的な実践、とても素晴らしいと思う。さらに加えて「体感」があることもすごい。たまたまかもしれないけど言葉の上・知識の上だけで「タコ」を知るだけでなく、実際に手にしてその重さ体感するということは、とてもとても大事なことだと思います。

それは、机上でものを考えるのではなく、かならず現場で自分の目で耳で肌で感じて考えることが大事だという、一番の考えることの原点を学ぶことにつながるからです。机上の考えで現場と遊離して大失敗した例は、それこそいっぱいありますからね。

いつも思うのですが、こういう授業を自分も受けたかったなぁということと、こういう授業をしていることをもっと広く知って欲しいなぁということです。良く出てくるのが、学校の授業は暗記教育ばかりで、自分の頭で考えるような授業はしていないという意見。親の間では、学校への不満・教育への不安がいつも何らかあるものですが、それが授業内容への批判という形で出てくるのです。

もちろん、事実そういう側面があるのは確か。一方で、きちんとやっておられる授業があることを知らないと思うのです。そりゃ、授業参観くらいだけですから、知りようがないわけですが。


2. Posted by toshi   2017年01月28日 15:26
Hidekiさま
 いつもありがとうございます。たまたまは、確かにそうなのですが、でも、こういう授業をしていると、たまたまがほんとうに多くなります。子どもが意欲的なので(この場合は担任の先生が・・・となりますか。)、両親初め、子どものまわりにいる方々を巻き込んで、たまたまを増やしてくれます。
 自分の頭で考える教育。今の日本社会の実相を見ると、この教育の大切さを強く感じます。特にネットの中で感じます。右であれ、左であれ、思考パターンが常に一様といった感じ。小さいときから自ら考える学習をしていないので、誰かさんの論調をうのみにしてしまうのでしょうね。
 わたしの担任時代、こういう授業に対し、保護者は、子どもらしいかわいい論理にニコニコしたり、《おっ。すごいな。そこまで深く考えるか。》といった感じで、驚きの表情を見せたりしたものでした。
 でも、今は、何か、それもありますが、戸惑いの表情も見られるような感じがします。
 Hidekiさんがいつもおっしゃるように、こういう授業がふつうに行われるようになるのがわたしの夢ですね。
 

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