2017年06月03日

昨日、横浜は開港記念日、市民の愛唱歌、横浜市歌

iriumi 初めにお詫びをしなければなりません。《問題解決学習のtoshi的考察》は、その4を予定していますが、大変手間取っており、そろそろ記事にさせていただく予定ですが、もうしばらくお待ちください。

 ところで、昨日6月2日は横浜市のお祝いの日。横浜開港を祝う日である。市内公立小中学校は休日となる。

 もしかしたら、他地域の方は『港を祝うなんて。』といぶかしく思われるかもしれないね。しかし、横浜にとっては・・・、

 約160年前まで一寒村に過ぎなかった横浜だ。地名としての横浜は古くからあったが、それまでは横浜村と・・・、そう。村だったのだ。

 冒頭の入海の絵図を参照していただくと・・・、左下から砂州が延びているのが分かる。その付け根あたり、今の元町、駅で言えば石川町駅あたりが横浜と言われたに過ぎない。

 なぜ横浜と言われるようになったか。それは、絵図をご覧いただければ、ご想像いただけるだろう。京都府に天橋立なる有名な観光地があるが、それに似た砂州があったのだ。

 余談だが、わたしは子どもに話したことがある。
「この入海は釣り鐘型と言われた。それでこのころは、北を上にするという常識はなかったから、釣り鐘に見合う形に絵図がかかれた。だから、砂州は横に伸びているね。
 でも、当時から北が上という常識があれば、砂州は下から上に伸びることになる。そうすると、よこはまではないね。」
「ほんとうだ。たてはまじゃん。」
「いやだあ。たてはまなんて。よこはまの方がいい。」
みんな大笑いだった。

 この入海の大半は、四代将軍家綱のときに、江戸の材木商吉田勘兵衛の財力と周りの村々の村人たちの手によって埋め立てられ、吉田新田となった。これが幕末の横浜開港に大きく貢献したといっていい。

 もし入海のままだったら、この砂州の部分だけでは、とうてい外国とお付き合い目的の港など開くことはできなかっただろう。

 横浜開港に直接的に寄与したのは、幕末の大老、井伊直弼である。諸外国との間に修好通商条約を締結し、貿易を開始した。

 これも余談だが、横浜開港の恩人ということで、港が見える掃部山(かもんやま)公園に井伊直弼の銅像がある。
・太平洋戦争の折、金属供出ということで、この直弼像もなくなった時期があった。
・かつては港が一望できたが、今は、ランドマークタワーはじめ、高層ビルが立ち並び、まったく港は見えなくなってしまった。
・わたしのかつての勤務校では、6年歴史の単元に《井伊直弼と横浜開港》なる単元を組み、横浜開港を通して幕末・明治維新へとつなげる指導計画を作成・実践した。

 横浜浮世絵なるものがある。検索をかけていただければ、あれよ、あれよ。いっぱい出てくるだろう。当時の港、町のにぎわい、外国人の生活、文明開化の様子など、社会科の資料としては、たまらないほど魅力がある。

 これは、歌川広重の子どもだったかな。それも含め多くの浮世絵師が、魅力的な横浜にやってきては競って描き上げた。極めて短期間にすすめられた異様な(?)街づくりは好奇の的となり、格好の題材となった。

 さて、ここで話を大きくかえさせていただく。

 横浜には、市民に親しまれた横浜市歌なる歌がある。開港記念日にあたり、各校は開港記念にかかわる学校行事を行うが、そこではこの市歌を歌うのが恒例となっている。

 今回この記事を書くにあたり、ネットで市町村歌について調べてみたが、けっこう多くの市町村に歌はあるようだ。しかし、横浜市歌には際立った特徴が2つある。

・1909年(明治42年)の開港50周年記念の折、市民に披露されたとのこと。作詞はなんと森鴎外氏である(作詞者名は本名の森林太郎)。もう百年を優に経過した。現存し、市民に親しまれている歌としては、一番古いとのこと。

・文語調で一見とっつきにくいと思われる歌詞だが、ネットでも市民の評判はいいようだ。「なつかしい。」が多かったが、「今も歌えるのでびっくりした。」「歌っていたら涙が出てきた。」などという声もあった。

 娘も今は横浜市民ではないが、《完璧に歌えますよ。》と自信たっぷりのメールが届いた。

 わたしが歌えるのは当たり前だけれどね。子どものとき、多くの小学校にはまだ校歌がなかったから、儀式というと必ず市歌を歌っていた。また、教員になってからも折々に歌う学校が多かった。

 何年前だろう。市教委から卒業式などの儀式では必ず歌うようにという通達があった。

 さて、その歌詞だが、冒頭は直接的には横浜でなく、日本のお国柄、特に貿易立国であることを歌い、続けて、かつて一寒村に過ぎなかったころと、現在(明治末期から現在に至るまで)の港の繁栄ぶりとを対比した形となっている。軍国調でないことも長持ちしている理由・・・かな。

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 冒頭の絵図の入海はかなり大きくて、今の横浜市営地下鉄では、吉野町、阪東橋、伊勢佐木長者町、関内、桜木町の5つの駅が入ります。また2つの川に囲まれていますので、航空写真や地図でも、釣り鐘型を確かめることができます。

 砂州の部分は、桜木町から石川町まで、どこから海へ向かっても、緩やかな登りとなりますので、歩いていて分かります。

 拙ブログでは、かつて本記事、特に横浜にかかわる記事を2つほど書かせていただいたことがあります。今、それにリンクしますね。よろしかったらご覧ください。

 旧東海道を歩く。(2)
 諸外国と結んだ修好通商条約には、開港場として、横浜でなく、神奈川と書かれていました。その間のごたごたに少しふれています。

 あけましておめでとうございます。
 横浜の歴史、はまっこ気質など、横浜の紹介といっていいような記事です。

rve83253 at 14:13│Comments(15)TrackBack(0)エッセイ | むかし

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この記事へのコメント

1. Posted by 海城   2017年06月04日 22:35
はじめまして!
今回の記事とは内容が異なりますことをご了承ください。

インクルーシブ教育についての内容を探していてこちらのブログにたどり着きました。
私は現在3児の母親で、大学の通信教育部で小学校教員免許を取るべく勉強中です。
また子供が通う小学校がインクルーシブ教育を実践しており、メリットを感じておりました。

しかしながら、ある発達障害児に関する本を読んでいて、学習に困難のある子供と定型の子が同じ教室で学ぶことは、
「健常児にメリットはあっても支援を必要とする子供にメリットは全くない」
というような記述を見て、大変ショックを受けました。

それで、どんな考え、意見があるかを調べたかったのです。

こちらのブログの過去の記事を読み、泣いてしまいました。
重度重複障害のあるお子さんとある小学生たちの交流についてのお話です。
書き出すと長くなりそうなので割愛しますが、少なくともどちらにもメリットがあると感じました。
学習についての配慮は課題があるとは思いますが、自分が目指していく道が見えたような思いがしました。
ぜひとも感謝を伝えたく、こうして書かせていただいた次第です。
本当にありがとうございます。

これからも少しずつながら記事を拝見し、学ばせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
2. Posted by toshi   2017年06月07日 16:40
海城様
 コメント、ありがとうございます。
 子育てされながら免許取得のためにご奮闘されていらっしゃるとのこと。そのご努力に敬意を表します。
 「健常児にメリットはあっても支援を必要とする子供にメリットは全くない」
 これには驚かされました。ふつうよく聞くのはその逆ですよね。そして、その逆の意見に対し、《そのようなことはない。》と反論する気持ちで記事を書いています。
 海城さんが読まれた本の方がどのような思いでそのような意見を述べているか。その背景が分からないので何とも言えないのですが・・・、
 海城さんにお読みいただいた拙ブログ記事は、重度重複障害児にも、交流は大変なメリットがあることを実践的に述べています。感動とか、感謝とか、涙とかおっしゃっていただき、こちらこそ感謝しています。
 もう一つ。海城さんからいただいたコメントにより、一つ、記事が書けそうな気がしてきました。ありがとうございます。
 こちらこそ、末永くよろしくお願いします。
3. Posted by toshi   2017年06月07日 17:10
海城様
 貴コメントですが、本コメントはそのまま残し、お読みいただいた記事のコメント欄にも貼り付けさせていただこうと思います。
 よろしくお願いします。
 なお、貼り付けさせていただく記事は、下記のとおりです。

 人権教育(15)交流をテーマの総合的な学習の時間
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1065392.html
4. Posted by Hideki   2017年06月08日 07:55
横入り失礼します。障がい児の父です。

「健常児にメリットはあっても、支援を必要とする子供にメリットは全くない」というお話は、いわゆる統合教育に対する評価ですよね。

まず健常児へのメリットを言及した点はとても評価したいと思います。通常は、ここをなかなか理解してもらえないので、むしろそのマイナス面ばかり強調されがちだと思う。

一方で、障がい児へのメリットはどちらかというと親の願いの部分が大きいと思っています。

そこへのアンチテーゼとしてデメリットを警鐘するのは必要なことだと思う。統合教育の障がい児へのリスクですね。

ただ、全く無いというのはちょっと違うと思います。

以下、私なりに親としての思いを綴りました。もし、よろしければご参照いただければと思います。


【まぜこぜへの願い】

http://ameblo.jp/jaboyan/entry-12276974652.html
5. Posted by toshi   2017年06月10日 15:41
Hidekiさん
貴ブログ記事を拝読しました。
 読後の感想。《ううん。むずかしいなあ。》でした。
 ほんとうはむずかしくなってはいけないし、人間が他者理解の精神と障がいへの知識と実践する力(やはり知・徳・体)をもっていれば、共生社会は実現するはずなのですがね。
 でも、それは理想論・・・でしょうね。
 教育の力が大きいはずなのですが、そこがまずうまくいっていません。教育者にも、現状、上記知・徳・体に問題がありそうです。かく言うわたしにしても、まだまだですが・・・
 なんか、障がい児教育に関する拙ブログ記事は、すっきり書きすぎているなと・・・、海城さんは、感動した旨お書きくださって、それはそれでありがたかったのですが、もっとドロドロした部分も感じ取らなくてはいけないなと思った次第です。
6. Posted by 小6の母   2017年06月11日 22:55
5 Hideki先生、海城様、そしてtoshi先生
こんにちは😃

皆様のコメントを拝読し、「学校」の役割、更には『学ぶ』とはどういう事なのだろうと思いました。
toshi先生のブログを拝読していると、子どもの「気づき」を褒めてくださり、笑顔で「心をニュートラル」にして、子ども達の感情に染みていくのではないかと思います。

正解探しではないですものね。
この単元の「めあて」で締めくくらないといけないわけですが、多くの先生は「誘導」、しかも、先生の正解に近い解答を肯定する事で「めあて」に近づくような気がします。
私が授業を拝見するのは参観日のみなので、まとまった授業をと先生方が尽力されているのでしょうか?

私の娘の学校の算数少人数制では、習熟度でクラス分けしますが、出来るクラスは、恐らくどんどん問題を解くでしょう。出来ないとされるクラスは、正解を導き出す為にあの方法、この方法と彷徨い、最後にやり方が教えられるそうです。
なので、私は担任の先生にお願いして、ずーっと出来ないとされるクラスでお願いしますと頼んでいます。

東大の異才発掘プロジェクトの番組をみました。
プロジェクトの担当の中邑先生は「日本のアウシュビッツに気付きましたか」とおっしゃいました。
どんどん先に進んでいないとダメな世の中、留まる事は悪いことのような風潮がそうであると理解して見ていました。
また、ラジオで「みんなの学校」の映画のモデルとなった校長先生がお話しされていました。「流れを変えようと思ったら、流れに逆らうしか無かった」と。



7. Posted by 小6の母   2017年06月11日 22:56
5 続きです。

本当にもう少し皆が立ち止まってもらえたら、もっと沢山の人が共有できる物が増えます。子どものうちほど、立ち止まって良く周りを見渡す時間を与えてあげたいものです。
私は障がいを持っている方と関わる仕事をしています。「障害手帳」をお持ちでも、人間として必ず尊敬出来るところがあって、私にはない才能を持っていて、魅力を持っています。
ある基準が出来た所から、「障がい者」なだけです。

自分でコメント書きながら、流れに逆らえる様に、もっと仕事頑張らないといけないなと反省してしまいました。

8. Posted by Hideki   2017年06月12日 17:53
あ、Toshiさんの授業を私は問題視しているわけじゃ決して無いですよ。

むしろToshiさんの授業は本当に理想のひとつの形です。皆がToshiさんみたいになってくれたら、どんなに素晴らしいか。

ただ、その子の障がいの内容によって、あるいはその子の状態によって、みんなと一緒であることがものすごく負担になる事が往々にしてあるので、無責任に「みんなと一緒」を煽る、映画『みんなの学校』は問題があると思っているのです。

その子にあわせた個別の支援、個別の配慮は、とても大切です。

でも、それが障がい者の隔離になってはいけない。

交流というのはとても大事なひとつの形だと思う。

でも、できれば普通に障がい児が公演に、遊戯施設に、世の中にいる社会になって欲しい。普通に障がい児が隣にいることが当たり前の世の中になって欲しい。

そのためには、障がい児が自然に無理せず参加できる、そんな配慮が社会に欲しい。

様々な「つらさ」を抱えた子どもには、まだまだ今の社会は障害が多すぎるのです。
9. Posted by Hideki   2017年06月12日 18:00
小6の母さん、私は先生ではありませんです。ただの(障がい児の)父親です。

でも、障がい児をみていると、その自由な発想に本当に驚くことが多いです。

かくいう私の長男も、初めて習字を書いたというので見に行ったら、「!!」(ビックリマークが2つ)でした。

習字にビックリマークを書くという発想は、私には衝撃でした。

そして、その習字をそのまま掲示してくれた担任の先生には本当に感謝しています。(普通なら、文字を書かせようと書き直しをさせるでしょう)

長男にはいろんなことを教えてもらいました

そのあたり、まったくもって親バカですが、以前に拙ブログにまとめましたので、もし宜しければご覧になっていただければ

http://ameblo.jp/jaboyan/entry-12263606131.html
10. Posted by 海城   2017年06月12日 22:48
コメントをいただき本当にありがとうございます!
皆様のお話の内容が素晴らしすぎて何からどう書いたらいいか分かりません(。>д<)

Toshi先生、嬉しいお言葉ありがとうございます!
教職に就けるギリギリの年齢で、頭から湯気が出そうではありますが、日々楽しんでおります。
また教職を目指し出してから、学校のこと、先生のこと、子供のことを今までとは違う目で見られるようになった気がします。

我が子の通う学校はいつでも教室に入れるので、先日半日ほど授業に入ってきました。
クラスに困りのある子が多いのですが、基本的にはみんなで問題解決型の授業を進めていました。
その授業に困りが強い子は、それぞれの課題に挑戦していました。
担当の先生は子供をよく見ておられ、授業もとても上手ですし、クラスにはもう一人支援担当の先生が入っておられますが、二人とも特別支援の専門家ではありません。
支援担当として入っておられる先生は今年異動してきたばかりの若い先生です。
学習についてきちんとフォローが出来ているかというと、難しいところだと思います。
けれど、人としての成長は困りの多い子も少ない子も目を見張るものがあります。
それはひとえに先生方のご尽力の賜物だと思います。
きちんと子供の可能性を信じ、的確な関わり方が出来る先生方がいる、またその精神を貫く学校であれば、両者にメリットがあると思います。

でも、全ての学校がそうではありません。
理想を持っていても抗えない雰囲気の学校が少なくないでしょう。
教師も合理的配慮が出来るように専門的に学んで来た訳ではないので、どうしたらいいのか分からないのかなとも思います。
その場合、ただ形だけインクルーシブ教育を行っても悲惨な結果を生む恐れがあるのでしょう↓
11. Posted by 海城   2017年06月12日 22:50
そして困りのある子が取り残され、出来るはずだったことも出来ないまま、自己肯定感を育てられずに大人になる・・・
と、私が読んだ本の著者はこのケースを危惧してあの一文を書いたのだと思いました。
(愛知県の小児科医が書かれた本です。発達凸凹について知るにはこれ!と勧められました)

インクルーシブ教育にしても交流にしても個別支援教育にしても、効果的な教育を行えるかは、教師の力で全て決まるように感じました。
「当たりはずれ」とは絶対に言いたくないのですが、やはり教師の存在は大きいものです。
子供にいいも悪いもありません。
育て方次第なのだと思います。
それは同時に教師にも言えるでしょう。
もちろんセンスの良し悪しなどはありますが、育たない教師はいないはずです。
よき教育者を育てる、そんな切磋琢磨できる環境が、より多く増えてほしいと思います。

長々と書いてしまいましたが(。>д<)
綺麗事ばかりではありませんよね。
障がい児教育に限らず、ドロトロとした部分もあるのは当然です。
そしてきっと最善の道は一つではないのでしょうね。
自分に何が出来るのか、頭を抱えてばかりですが、必死に模索しながら進んでいくことはやめないようにしようと思います。

支離滅裂で言葉も足らないところがあります。
でも書けば書くほど長くなりすぎてまとまらず・・・何卒ご了承ください(T-T)
本当に申し訳ありません。。。
12. Posted by 海城   2017年06月12日 23:39
Hideki様、コメントありがとうございます!
貴ブログを拝見しました。
実は子供が記事に書かれていた学校に通っています。
映画に関しては私もいろいろ思うところがあり、元校長や現教職員の意図しないところもあると思います。
問題点や危険性もあると思いますが、話が逸れるのでここでは割愛しますね。
(専門家の方に「これはインクルーシブじゃない!」と指摘されていたとは存じませんでした・・・が、便宜上統合教育とさせていただきます)

困りの強いお子様を持つ保護者からは、
「街中でもたくさん声をかけられるが、支援学校に行った友達はほぼそんなことはないから羨ましいと言っていた」
「刺激があるから驚くような成長が見えて、子供の可能性を信じられるようになった」
などという話は聞いていました。
けれど、本人から話を聞けた訳ではありません。
私が悩むのはそこなのです。
Hideki様もおっしゃっていましたが、大人の欲だったり思い込みだったりで統合教育がいい!と思っているだけで、本人たちにとって一番の幸せはなんだろう、と思うのです。
私が悩んだところでどうにもならないのですが・・・
難しいところですね。

長女は困りの少ない子ですが、よく困りが強い子たちの話をします。
それは全てポジティブな話です。聞いていて楽しくなります。
そして、娘に特別支援学級の説明をした時に、言われた一言があります。
「みんなで勉強できるのに、どうして分けるの?確かに時間がかかることもあるけど、みんなで支えたり支えられたりしてやっていけるよ」
これを聞いて、私はこの学校に行ってよかったと思いました。いろんな人がいるというのが当たり前になっていると思ったからです。
ですから、「健常児(本の通りに書いていますが、私はこの言葉が嫌いです)にとってメリットがある」というのは間違いないと思います。↓
13. Posted by 海城   2017年06月12日 23:42
長男は少し困りのある子ですが、クラスの子も他学年の児童も先生も、とても可愛がってくれています。特徴的な子達は特に人気が高くて、いつも誰かがそばにいるように思います。

統合教育だからといって、みんなを「普通」にするというのはおかしいなと個人的には思います。
そもそも普通なんてものは存在しないのではないかと思っています。
(すみません、私自身もADHDだからか、普通が嫌いなのです)

先日テレビで交流(いわゆる通級)についての特集を見たのですが、初めの頃「(通級先の)クラスの子が怖い。話に入れない。」と言う子がいました。
先生方の配慮がなければそうなって当然だと思います。
元気な大人でも、時々入る教室で自分から声をかけるというのはハードルが高いと思うのです。
その後、その子達は先生方の働きかけのおかげもあって、友達も出来ていましたが、もしずっと一緒にいたら感じなくて済んだストレスだったのでは、と思いました。

それはやはり子供によるのかもしれませんね。
感覚過敏だと人が多いところ自体が辛いこともあるでしょうし、多くの人と関わることが苦手な人もいるでしょうし・・・

いろんな選択肢があって、どれをとっても心ある教育が受けられて、なんて、素敵な環境が整っていったらいいんですけどね。
今の日本では、長い時間がかかりそうですね。。。
私に何が出来るかは分かりませんが、とりあえずは目の前の子たちに心を注いでいきたいと思います。

やっぱり支離滅裂で申し訳ありません。。。
14. Posted by 海城   2017年06月13日 00:04
小6の母様
学校とは、学びとは・・・とても難しいですよね。
私も日々考えています。
決して正解探しではないと思うのですが、そうなりがちな先生もいらっしゃるのでしょうね。
推測でしかないですが、決まった時間内に決まったことをやらなくては!と思う先生は、誘導的な発問をして、先生の思う正解に近付けていくのでしょうね。
いや、私も大学の授業で模擬授業をするとき、いかに時間内に収めるかを考えてしまったことがあります。
先生方に対しては、もっと気楽に考えていいんじゃないかな〜なんて思ったりもするのですが・・・なかなか簡単には行きませんよね。

「障害」というのはそういう規定があるから存在するもので、そもそも「困り」は誰にでもあるものですよね。
どちらかが一方的に支えてもらうなどということはない・・・持ちつ持たれつだと考えています。

もう少し周りを見渡す余裕、子供には特に持たせたいですよね。
おっしゃるように、どうしても立ち止まらずに走り抜けることが正しいことのような空気がまだまだありますものね。

ごめんなさい、うまく意見がまとまらなくなってきましたが、共々に今いる場所で精一杯出来ることに尽力してまいりましょうね(*^▽^)/★*☆♪
15. Posted by 小6の母   2017年06月13日 17:25
皆さん、こんにちは😃

私が話を広げ過ぎました。すみません。

Hidekiさん、ブログ、もっと拝見しますね。
Hidekiさんがブログで書かれている事の多くは子どもたち皆に必要な配慮であると思います。

もう既にコメントでHidekiさんも海城さんも書かれている様に
本人が「選べる」事が大切ですよね。
選べて決める過程で本人が十分納得できる時間と選択肢の幅が必要です。
1人が良ければ1人でもいいと思います。
ただ、理由を自閉症だからにしてはいけないと思うのです。そのような特徴の大小は全ての子にありうることだからです。海城さんの「困り」という言葉が良いですね。

ただ、例えば感覚過敏で昼間でもカーテンを閉めていた方が落ち着く子と、暗めだと怖いという子がいた時に、どちらの環境にしましょうか?別々で良いからと言ってくれる所はありますか?
健常児と言われる娘の母からすると、過敏な子はストレッサーから本能的に身を守る脳力があるような気がしています。「いやだ」となった時にはかなりのストレスを受けているのも理解できます。
ただ、健常児と言われる子どもは、健常の幅の広さを無視されて、学校の方針、先生の方針に従う事を余儀なくされ、自己肯定感を失っていく場合も多数あります。
しかし、成績の良い子であっても、小学校の成績が良いからと得た自己肯定感は、諸刃の剣です。成績ではなく、そのままで良いという自己肯定感を与えなければいけないと思うのです。

現在の普通教育がすべて正しいとはいえないと思います。

私が娘に行なっている「どんぐり理論」では、思考は1人で行うものとなっています。皆んなと過ごすのは人生の学習と割り切っています。そうなってから、娘は強くなりましたし、多くの友達に対して優しくなりました。(と、思っています(~_~;))

思考のお話は、toshi先生を悩ませてしまっている様です申し訳ありません。気長におまちしております。

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