2005年12月22日

社会科学習への誤解(3)

19abed7c.JPG 社会科は、暗記教科だという誤解。
 社会科は、むずかしいという誤解。

 でも、これは誤解と言うのは申し訳ないくらい、あまりにも多く横行してしまっている実態があるので、本来の社会科は、そういうものではないということを書いてきた。

 今日は、自分が小学生当時受けた社会科の授業を書いてみよう。昭和30年ごろのことだ。わたしは、小学4年生だった。

 よく買い物に行く商店街調べをした。主に、母親などに聞いて、それを発表したのだと思う。多くの子が発表したあとで、級友Aが、
「お母さんが言っていたけれど、今はB商店街がにぎわっているでしょう。でも、むかしは、C商店街の方がにぎやかだったんだって。」

 そう言えば、何となく分かる。確かに、C商店街は、人通りが少ないようだ。
 ちなみに、Aは、C商店街に住んでいた子だ。むかしのようににぎわってほしいという思いがあった。

 翌日、
「やっぱりAさんの言う通りだった。うちのおばあちゃんもそう言っていた。」
そう言う子が何人かいた。また、
「C商店街は、空襲でみんな家が焼けちゃったんだって。」
という子もいた。

 自分は多分親に聞いていなかったと思う。C商店街は、自分の家からは遠く、生活実感としてあまり関心がもてなかったからではないか。

 だから、この部分の記述は、同窓会で過去の授業の思い出を振り返るなかでの、みんなの話をもとに、書いている。

 それで、「にぎやかな商店街が、BからCに変わってしまったのはなぜだろう。」という学習問題で、1ヶ月以上、追求していくことになる。

 予想をたてる。
。綻ε抗垢麓屬よく通るから、危なくてゆっくり買い物ができないのではないか。
■綻ε抗垢諒は、お店でない家があるよ。だから、お店がはなれちゃっている所もある。
B商店街は、お店の人が、『いらっしゃい。いらっしゃい。〇〇が安いよ。』などと言って、元気だ。
い泙世い蹐い蹐△辰燭忘れた。同窓会でもよく話が出るが、それも忘れた。すみません。

 そうして、予想が合っているか確かめるなかで、いろいろな活動が始まる。
,うちの人や、お店屋さんにインタビューする。
⊆屬反佑猟鵡堽鳴瓦戮鬚垢襦
・・・。

 わたしも級友と道へ出て、車が通るたびに、『1、2、3・・・』と数えたのをよく覚えている。信号待ちしている車には、『どこへ行くのですか。』『この道を通るのはなぜですか。』などと聞いたこともよく覚えている。

 大きくて重い、オープンリールのテープレコーダーを持って、録音もした。マイクを相手に突き出すと、かさばるし、重いしで、一人ではとてもできなかった。

 次に、当時、売り出されたばかりだっただろう。マジックインキを使って、模造紙などに、調べたことを書き始めた。みんなに発表するときに使うためだ。文章、図表、グラフ、絵など、多岐に富んでいる。当時カラフルな筆記具はこれしかなく、みんな、多くの色を使って書きたがった。


 そして、問題解決のための話し合いが始まる。

ー屬猟鵡堽未蓮確かに、C商店街の方が〇倍も多い。これは、市の中心地であるDへの近道だからだ。むかしは車が少なかったから、近道でもそれほど車は通らなかった。

⊃幼未蠅蓮△△泙螳磴いない。でも、これは、商店街がにぎわうのは夕方だから、放課後調べないと分からない。

商店街の地図を見ると、確かに、C商店街の方は、しもたやが多い。これでは買い物に不便だ。ちなみに、最初に問題提起したAさんの家も、しもたやだ。

ざ襲に遭ったのは、B商店街も同じだ。でも、こちらは、戦前あまりお店はなかったのに、戦後お店ばかりできた。

タ幼未蠅詫縞になると、圧倒的にB商店街の方が多い。みんな、夕食のための食料を買う。だから、八百屋、魚屋、乾物屋、肉屋などは、特にお客さんが多い。

Δ店屋さんも、元気だ。いろんな声をお客さんにかけている。お客さんもいい品物を買おうとして、質問したり手に持ってよく見たりしている。

АΑΑΑ


 ちなみにわたしがした発言でよく覚えているのは、
「B商店街の方はあまり車が通らないから安心して買い物ができると思うけれど、これは、すぐそばを車がいっぱい通る道があるからで、そっちをみんな通るからだ。だけれど、C商店街の方は、そういう道がないから、車はみんな商店街のなかを通っていて買い物も危ない。」
というものだった。

 そうしたら、級友のDが、
「だけど、B商店街のそばの車が通る道だって、C商店街を通る車に比べれば、車は少ないよ。」
と発言した。

 このようにして問題解決が図られたわけだが、一つの問題が解決すると、そこから新たな問題が発生する。本学習においても、い砲らんでは、『それならなぜ、戦後、B商店街の方は、お店ばかり建ったか。逆に、C商店街には、しもたやができてしまったのか。』が問題となり、新たな問題解決学習が始まった。この学習もよく覚えているが、長くなるからここでは省略する。

 また、これは、担任の先生が問題提起したのだが、『お客さんでにぎわう商店街は、いろいろ売るための工夫をしているが、それはどこも同じか。』ということで、なんと、我が家のすぐそばの商店街にも、取材活動を広げることになった。これには、わたしはえらく興奮して、お店屋さんにインタビューした。よく知っているおじさんだったからだろう。



 以上、これが戦後すぐの社会科だった。

\鐐阿里茲Δ法◆慘鮖法聞饂法法戞愧詫』と教科を分けられないわけが、分かるのではなかろうか。一つの単元に、歴史的な見方と地理的な見方が融合している。それこそが、社会科誕生の秘密(?)なのであった。

当時は、日本各地でこうした問題解決学習が行われたが、しかし、当時とて、まんべんなくとは言えない。地域ごとの温度差はある。現に、わたしの妹は、同じ学校なのに、こういう教育を受けていない。妹の担任は、学級の子全員を成績順にランキングして発表するような先生だった。

E時、すでに、学力低下論が横行していたが、わたしは、低下とは思っていないのだ。地図帳を駆使しながら問題解決をはかったから、多くの子が、地図に関してくわしくなった。『好きこそ物の上手なれ』だ。

ぜ分はこだわりが強かった。子ども時代、『うすうす自分の考えはどこか変だ。級友の方が正しいみたい。』と思っても、自説をなかなか引っ込めないで言い張った。だんだんそういう自分がいやになった。でも、こういう学習をしていたからこそ、そんな自己認識がもてたのではなかろうか。大人になって、自己改革に努力したつもりだ。(そのようなことを言っても、今もあまり変わりないかな?)

ゼ分が教員になったとき、世は、内容過密の時代だったが、しかし、内容を精選し、自分が子どもだったころの学習を大事にして、授業をすすめてきた。さいわい、そういう研究校にいたから、よい講師陣、同僚に恵まれた。

子どもに興味・関心をもたせ、学習に、切実感、必然性を抱かせると、忘れたくても忘れられない学習となる。実際、わたしのまわりでも、子ども時代の授業など、何も覚えていないという方が圧倒的に多いのだが、それは、一方的な教え込み教育を受けてきたからではないのか。現在も教え込みをよしとする教員、保護者は多い。何とか、こうした状況を改善したい。

Шもわたしの身の回りでは問題解決的学習をすすめている教員が多くいる。現代は、まちへ子どもだけで出るのはぶっそうだから、そういうときは、保護者数人についてもらっている。子どもの自主的、主体的な学習態度に、感動してくれる保護者もいるし、マナーが守れないと、報告を受けることもある。

   (4)へ続く。


rve83253 at 05:16│Comments(11)TrackBack(0)社会科指導 | 授業

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2005年12月22日 18:28
こんにちは
良い授業ですね!てっきり社会の目的について先生が語ったとかかと思ってましたが、全然ちがった(汗

でも、ここまで子どもが熱中できる授業ってすごい。そりゃ、覚えてても当然かもしれません。

テーマとしてはとても難しい授業なんですけどね。恐らく担任の教師も答えが分からない。そんな教師自身も答えが出ないテーマを授業で行うというのも、大きなポイントに思う。普通は答えが出せないという時点で「教える」ことに躊躇いがでちゃうかと。

思うに、そんな授業をうけた「体験」がいまの教師・先生にも無いから分からない気がする。分からないから実行できない。そんな負の連鎖を感じます。

外部講師の導入など、そんな連鎖をぶっ壊す施策も必要かもと思っちゃいます。
2. Posted by こだま   2005年12月23日 01:54
Toshi先生、こんばんは!
実は私、子ども時代、社会が大の苦手でした。今思えば、暗記が苦手だったからなのですが‥。
今日の記事を読んで思ったのですが、私のように社会という科目に興味を持てない子どもが社会を好きにするためには、「もし〜だったら→どうなるだろう」式の問題提起をしてどんどん議論していく授業をすればどうかなあと。「もし太平洋戦争で日本が勝っていたら」、「もし日本がユーラシア大陸とつながっていたら」・・・そこで、自分が調べた資料をもとに徹底的に議論を戦わせる。その後、だけど本当はこうなんだよね。みたいな感じになれば、社会ももっともっとみんなに受け入れられる科目になるかもしれないと思いました。現実問題として、決まったことの暗記になりがちなので、おもしろがれないという子どもが多いのが現状のような気がします。
これからは私も社会科教育にも目を向けていきたいと思います。
3. Posted by toshi   2005年12月23日 07:34
Hidekiさん。早速のコメント有難うございました。担任は、答えは持っているのですが、子供主体の学習なので、子供の思いやこだわりは、どこに転ぶか分からない。そういうことなのですね。
 Aちゃんはこう言うのではないか。Bちゃんはこうという見通しをもち、その時はこのように学習を組み立てよう、深めよう等と考えますが、その通り生の子どもは反応しないことが多い訳です。そこで、臨機応変さを求められる訳ですが、私が今仕事としている初任者はそこの所がなかなかうまくいかない。いえ。私だってうまくいかないことが多いです。反省ばかり。
  
4. Posted by toshi   2005年12月23日 07:39
先に書いた「保健の先生、首になっちゃうよ。」は、だいたいの教員は、『何バカなことを言っているのだ。』と、無視してしまうでしょう。しかし、子供を読む訓練をしている教員、そこから何が押さえられるか見通しをもてる教員は、うまくとっさに判断し、学習の流れにのせることができるわけです。
 その辺りを大事にして、初任者指導をしています。
Hidekiさんのおっしゃる『物語』の大切さ。これも、おっしゃる通りだと思います。子供がものすごく興味をもったので、指導要領にはない、『真田幸村』を授業にとり上げたこともありました。私のHPの学級経営・児童理解編の『学級文化』をお読み頂ければ嬉しいです。
5. Posted by toshi   2005年12月23日 07:57
こだま先生。いつも有難うございます。問題解決学習においては、問題提起も基本的には子供です。そうなるように、学習の流れを工夫します。でも、なかなかうまくいかないことも多いです。そういう時は、子供はこれを知りたがっているのではないかという判断をして、教員が与えるのも次善の策としてはあると思います。
 話は変わりますが、国の学力検査で、ひどいなと思ったことがあります。新聞記事の誤答分析で知ったのですが、円グラフの問題で、『アメリカをはじめとする三か国の読み取りができなかったためと思われる。』というのがありました。これって、社会科の学力だろうか。単純な文章の読み取りだから、国語の学力ではないかと思った次第です。いかがでしょうか。
 
6. Posted by Hideki   2005年12月24日 00:06
> 子供を読む訓練をしている教員、そこから何が押さえられるか見通しをもてる教員は、うまくとっさに判断し、学習の流れにのせることができるわけです

こういう先生、良いですね!
実際にはその子にその場合によりけりな所があるので、かなり難しい事なんでしょうけど、子どものことを本当の意味で良くみてないとできないですよね

ちなみに、商店街が何故さびれたか?って、実はその答って難しいと思います。

もちろん、一つの答はあるでしょうがあくまでも仮説の中のひとつ。本当のところは分からない。恐らくいろんな要素と運(たまたま)も絡み合った結果かも。

7. Posted by Hideki   2005年12月24日 00:09
社会って、実はこんな問題ばかりな気がします。

だから、社会の教師が教えることって、答えなんかじゃなくって、その答えを導くための手順や考え方なんですよね。だから、その手順は決して「暗記」なんかじゃない。

その意味で、「答を教師も全く分からないテーマ」を取り上げる授業というのは、お話を伺ってて、大切な気がしました。

先日、TVで「命の授業」というものを放送してました。生徒だけでなく、教師も答えが分からない、一緒に悩んで考えて苦しんで、一つの答えを出した授業で、とても考えさせられました。
8. Posted by こだま   2005年12月24日 12:46
Toshi先生、こんにちは!

>単純な文章の読み取りだから、国語の学力ではないかと思った次第です。いかがでしょうか。

私も同感です。ここは社会の問題ということでそうしたのだと思いますが、読解力の欠落に起因しているものだと思います。
以前から、このような学力検査の問題に対しては疑問視していました。たとえば、このような検査からは10÷2の答が5と合っていれば、わり算は理解しているという分析結果になるのでしょうけど、10÷2=5と答えることができてもわり算が本当に分かっていない子を今までたくさん見てきました。<続>
9. Posted by こだま   2005年12月24日 12:48
だから、よく引き合いに出される「日本の子どもの学力は世界で第何位という言い方」はこれもほとんど信用していません。かつて世界でトップだったといっていますが、これもただ単に反射的に解法パターンの式を出して数値を入れて計算して答える力があっただけのような気がします。問題の種類によって、得点の分布図がかなり変わってきますので、ふつうのありきたりの問題だと見るべき能力がかなり制限されると思います。
私的には学校で習っていないような問題を出して、応用力を見ると本当に力に近いものが見れるような気がするのですが…。
10. Posted by toshi   2005年12月25日 11:27
Hidekiさん、こだま先生。お返事が遅くなって申しわけありません。
 このシリーズ(?)をこんなに続けるとは思いませんでした。皆さんのコメントのおかげです。
 今日、『第4集』を立ち上げました。コメントから思うことを書かせていただきましたので、内容は、ばらばらです。すみません。ご覧いただければ幸いです。
 ただし、ごめんなさい。学力検査は、もう少しあとになります。
 通知表についても書きたいものですから。
11. Posted by 協働学力   2013年01月23日 09:52
★こだま先生、同感です。学力問題はわかり方とはかり方の関係を勘案して読む必要がありますね。順位や点数だけで考えると。質の薄い量的データに圧縮されてしまいます。メリットとメソッドは裏表。フィンランドの学力が高いと言われますが、それはあの問の形式だからこその結果です。フィンランドも記述問題には強いが単純計算には弱いという学力問題が深刻になっている様です。PISA型学力への過適応が原因ですね。http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/igi-ari-1.pdf(参考まで)。「大事なのは学校教育の内容で、これが犬の本体なら、入試というのはしっぽのようなものだ。ところが、日本の教育はしっぽが犬を振り回している(ドーア)」。評価が本体を振り回す、そういう学テにしてしまわない見識が必要な気がしますね。

ここ4年間ほどある中学校の社会科の研修に関わっていますが、社会を暗記教科にしてしまうか否かは“教師というカリキュラム”次第だと強く感じます。先日の小学校では・・・・・
子ども:「先生、工業団地って地図にあるけど、団地だから工場に勤めている人が住んでいるだよね、きっと。だって、あそこには沢山人が働いているもん」
先生:「違います。その団地は人が住む団地ではありません。団地の意味が違います!!」
子どもの発言を教材にし、対話の中で共材(共通の学習材)、協財(みんなの学習財産)にしていく技が必要だという気がしますね。

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