2006年01月20日

二極化解消の鍵5

263bd2e1.JPG 12日の記事で、二極化傾向の今の世相について述べた。そうしたら、数多くいただいたコメントの中に、七星来人先生からだが、次のようなものがあった。
『この二極化の両端の家庭・児童が同じ学校で生活するときに「分かり合える」かどうかが問題になりますね。でも、両極になれば主義主張の根本が違いますからむずかしいのではないかと思えています。』
確かにその通りだ。まず、この両者は、どの学校、どの学級にも、存在するのではないか。そして、うっかりすれば、水と油のごとき違和感をもたらす。

 どなたのブログかは分からなくなってしまったが、こういうのがあった。
「6年生にもなって、〜のようなこともできず、周りに迷惑ばかりかけている子が我が子の学級にもいます。そんなこともしつけられない保護者は、いったい何を考えているのでしょうか。お子さんが学級の子みんなに迷惑をかけているということを知らないのでしょうか。」

 わたしの勤務校でもこういうことはあった。保護者同士が反目し合ってしまうのだ。そして、矢面にたった子どもの保護者は、もう絶対学校へ来ないか、逆に開き直るかしてしまう。『謝れ。』『なぜ謝らなければいけないのだ。』で、学校を舞台に言い争いをしてしまう。学校も収拾を図るべく努力はするのだが、双方とも感情的になると、無理な場合もある。

 我が初任者の学校でも、そうしたことはある。子どもも我が身がかわいいから、知恵をつけて、その場をとりつくろうとする。たとえば、自分が紛失したにもかかわらず、いつも悪さをする『Aちゃんが取った。』ことにし、親から怒られるのを回避しようとするのだ。それを信じた保護者が、『また、あのAちゃんか。』と、学校に抗議してきて、とんでもない騒動になる。
 これだって、とりつくろったことが判明すればまだいい。
 が、そうならない場合は、『取った』『取ってない』の水掛け論となり、永遠に反目が続くことにもなりかねない。


 公立学校なら、どの学校、どの学級でも、こうしたことは起こりうる。ならば、たとえむずかしくても、学校が融和を図る努力をしたい。成功すれば、学級集団はよくまとまり、どの子も伸びて、担任の苦労は激減するというものだ。
 
 それでは、どうしたらいいだろうか。その解決期待策(そう。とても『解決策』とまでは言えない。)のいくつかは、すでにこのブログやホームページの中で述べたと思う。

担任が『一極』をよしとし、他方をだめとしたら、融和は図れないだろう。それぞれの家庭の個性と見て、『子どもへの愛情はどの家庭にもあるが、その現れ方はさまざまである。』というようにとらえたいものである。
保護者同士がなかよく、気心の知れた集団にするために、学校が音頭をとって、積極的な融和策を講じるとよい。それには低学年のうちから工夫する必要がある。高学年でもやらないよりはやった方がいいだろうが、上記のようなしがらみができてしまうと、にっちもさっちもいかないケースが出てくる。もっとも、幼稚園、保育園のときの反目を引きずるケースもあるから、これは別途対策を考える。
学力の差をどう埋めるかについても、すでにホームページに掲載した。学力の高いグループと、低いグループに分かれるように分布するから、どの子も主体的に学べる授業づくりは大変なのだが、工夫する必要がある。


 それでは以下、わたしが学級担任時代に工夫したことを少し述べてみよう。
ここでは、△砲弔い董⊂椽劼垢襦

 この学年は入学から卒業までずっと2学級だった。しかし、それは結果であって、入学のときから、『いつ1学級になっても不思議のない状態』だった。それで、早いうちから学年単位で活動することの必要性を保護者に訴えた。小規模校では、一度人間関係につまづくと、取り返しのつかないことになりかねない。それで、
「6年間ずっと一緒なのですもの。親同士仲良くしましょうね。」
「2学級がいつも、一緒に親子レクをするというのはどうですか。」
「毎学期1回ずつやっても、6年間なら、18回もできますね。」
という機運を盛り上げた。
 
 PTA学年委員さんとも話し合い、次のようにルールを決めた。
親子レクは多様性を持たせる。運動ばかりにしない。たとえば、調理、造形遊びなど、親子で楽しめることをどんどんとり入れる。
親子と言っても、親たちと子どもたちの活動ととらえる。保護者は我が子と一緒に活動したいだろうが、来られない家庭の子どものことも考え、親子レクの活動中は、我が子のいないグループに入ってともに活動する。

 こうして始めた親子レク。大部分の親が参加してくれた。目的を明確にしていたから、積極的に我が子の友達、我が子のクラスの子どもたちとふれ合ってくれた。


 2年生になって驚いたことがあった。まだ、開会前のこと。あちらこちらで親子の戯れている姿が見られたと思ったのだが、大部分は錯覚だった。よく見ると、我が子の友達と戯れていたのだ。なかには、実の子どもがやっかむような場面も見られた。
 
 家庭訪問では、子供同士が活発に友達の家を訪ねまわっている姿を見た。そして、友達のよくないことがあると、保護者は、我が子同様に自然体で厳しく叱ってくれた。
 
 わたしは、この子達が4年生になるとき転勤したのだが、卒業まで、学級の垣根を越えて豊かな人間関係を保っていたし、卒業後も、彼らは今年、20歳を迎えたが、親子ともに、同窓会を続けている。そして、いつも5・6年担任とともに、わたしたち1・2年の担任も呼んでくれる。

 
 延々と書いてきたが、これらはもう10年以上も前のこと。今と事情が違うと思われるかもしれない。でも、わたしの最近の勤務校でも、こうした事態を克服しのり越えた事例はある。それを紹介したいが、ちょっと具体的に載せるのは無理である。
ただ、学級で大変な問題行動をとる子が、多くの保護者の理解と、当事者の保護者の変化によって、見事改善に向かったという事実を指摘するにとどめよう。信頼関係で結ばれると、予期せぬ効果をもたらす。
 

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rve83253 at 23:50│Comments(10)TrackBack(1)学級経営 | むかし

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1. 親同士の距離  [ おもいでになったとき ]   2006年01月22日 09:44
交流の大切さ を考える記事が気になっている。 (もう一つ。toshi先生のほうも、かなり良いのが上がってます) 保護者としての私の経験。を一つ。 思い出したので書いてみようと思う。

この記事へのコメント

1. Posted by hirarin   2006年01月21日 08:54
保護者をも巻き込んだ学年経営すごいですね。
昨今、低学年を担任していると、子ども同士の人間関係作りはもちろん大切なのですが、そのベースにある家庭、地域での人間関係作りが大切なのを痛感します。
toshi先生は「学び合う教室」だけでなく、「学び合う保護者」「学び合う地域」をも作り上げていたんですね。

我が学年も生活科で今月のように保護者の方を招いて学習を進めています。今月末はおじいちゃんおばあちゃんを招いて「昔の遊び」について教えてもらいます。
今後はtoshi先生の視点で学習活動を見てみたいと思います。
2. Posted by NANA   2006年01月21日 10:00
あっぱれ!toshi先生!
の気持ちで読ませていただきました。

乳幼児期の経験しかありませんが、一つ?(かなり長いです)私の経験をトラックバックさせていただきます。
3. Posted by toshi   2006年01月21日 17:28
hirarin先生。
 『そんなことまで学校がやらなければいけないのか。』という声も聞こえてきそうです。しかし、やればやっただけのことはあるというのが実感です。
 保護者と信頼の糸で結ばれれば、学級経営はどれだけ充実したものになるでしょう。やりやすさも実感できます。
 それと、2学級ですから、もう一人の担任との連携も大事ですね。
 あと、当時、校長から、「授業時間にやるのに、レクという言葉はよくない。授業らしい、もっとねらいや夢をもった名称にできないのか。」と指導を受けました。
 しかし、ごめんなさい。保護者は、ずっと、『レク、レク』と言っていましたので、わたしたちもついそう言ってしまうので、どんな名称にしたか、忘れてしまいました。
4. Posted by toshi   2006年01月21日 17:33
NANAさん。ありがとうございます。恐縮です。
 実際楽しかったですよ。この学年のもう一人の先生との連携も、とても楽しいものでした。
 学級だよりなのに、まるで、学年だよりのように、双方のクラスに配布し合ったこともありました。
 TB楽しみにしています。
5. Posted by NANA   2006年01月22日 10:29
やったぁ〜!
やっとTB反映したようです。。。

上の《交流教育》の記事も…。
ありがとうございます!
6. Posted by 笑い上戸   2006年01月22日 23:10
昨日、市内の小学、中学作品展で図工、家庭科、美術、書道の子供達の作品を見てまいりました。
学校によってこんなに差があるのか、、正直、愕然としました。
教師の力の差としか言えませんでした。
同じ公立なのに、、、、。
我が子の学校では算数を習熟度別にして一学年2クラスを3クラスにしています。
レベル分けをしていますが上のレベルでは私立中学の入試問題をやらせたりします。我が子は全くできません。45分間一問も解けなくて、宿題にして持って返ってきます。哀れです。
教室では塾の問題集を持ってきて「これができたら百円あげる」なんていう子もいるのだそうです。
塾に行ってる子も行っていない子も心に相当なストレスを抱えているのだと思います。
先生達は子どもの現実を見ているのか疑問です。
7. Posted by 笑い上戸   2006年01月23日 10:48
続きです。
二極分化現象の中で分かり合えるのか?という問題については先生の取り組み方しだいと考えます。
私は多くの小学校の先生のブログを読んでいますが、子どもに対する受け止め方の違いに驚きます。
いわゆる問題のある子に対し家庭とか何かに原因を持ってくる先生と、自分の指導に至らないところがあるのかなと省みる先生と。
そしてほんの些細な事にでも子どもの良いところを見つけようとしている、気付いてあげられる先生と。
始めに二極化ありきではなく、それを埋めていくのが先生のお仕事ですよね。
ものごとは正規分布をなす。
これが崩れているということはそこに何か人為があると考えます。
笑っていられない笑い上戸でした。
8. Posted by toshi   2006年01月24日 00:10
笑い上戸さん。
 学校差があるということ。これは残念ながら、ありますね。やはり、教員一人一人の資質もありますが、いかにまとまっているかという点もあるのではないでしょうか。それは、やはり、管理職の力が大きいと思います。
 習熟度別もわたしは正直賛成できません。12月15日の記事にまとめてありますので、まだご覧になっていらっしゃらなかったら、お読みいただければうれしく思います。
 私立中学の入試問題というのは、正直、愕然とします。思考力を養う点はどうなっているのでしょう。
 心を鍛える点を軽く見て、見かけの学力にとらわれているのかもしれません。
9. Posted by 笑い上戸   2006年01月24日 13:13
12月15日の記事拝読いたしました。
色々な子どもがいてこそ授業が成り立つのですね。
上のレベルのクラスには私立受験の子が多いので、それにあわせて授業をしているのでしょうか。
それにしても、何かの問題集をそのままコピーして印刷してプリントにして配ってやらせる(一問一問の最後にかっこ付けで○○中とあるので私立の過去問と思われます)ことに驚きました。
しかも次の授業で答え合わせをする事もなく、解答もくれないのです。配ってやらせるだけ。それが4回ほど続いてよほど学校に出向いていこうかと、、、で2学期が終わりました。
結局学校で何か勉強してきたという実感はなかったようです。
先生一人一人の問題なのかなとも思います。
それにしてもToshi先生のお話はいつも共感できるものばかりです。Hotします。


10. Posted by toshi   2006年01月25日 00:28
笑い上戸さん。
 またまたびっくり。コピーして配布。やらせっぱなし。これは、何だ。ちょっとショックでした。習熟度以前の話ですね。
 あのう、関係ないことですが、わたしの『小学校初任者のHP』のコラム集5『子どもの目線で』も、十分笑えると思いますよ。
 お名前がお名前なので、紹介したくなりました。
 よろしかったら、どうぞ。

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