2006年01月23日

美しき誤解を!5

37ce82fe.JPG わたしたち、教員の仕事に、誤解はつきものだ。

 日々、教員は子どもと過ごしている。その大部分を保護者は見ていない。保護者は、子どもの話とか各種たより、お知らせを通してしか、学級の様子を理解していない。

 その多くは、正しく伝わっていないと考えるべきだろう。子どもの話は、あるときは、子どもにとって自分に都合のいいことだけ、あるときは、断片的な話がほとんど、そうなりがちだからだ。

 さあ、そこでだ。どうぜ、誤解されるのだったら、『美しき誤解』をされたいものである。


 たとえば、こういうことだ。二つの例を述べるが、いずれも、5年生担任となってすぐ、どちらも、5月くらいのことである。

 保護者5人(いずれもわたしの学級)が、地域の親子ボランティア活動に応募し、日曜日の公共施設の清掃活動に参加した。その際の5人の子どもたちの、真剣で一生懸命清掃する姿を見て、保護者は皆一様に、感心したのである。

「もう、みんな、すごいのですよ。腰が入っているって言うか、力がこもっているって言うか、とにかく一生懸命で、終わったら汗びっしょり。疲れたって言いながらも、みんな笑顔で、満足そうなのですね。『toshi先生に受け持ってもらってから、子どもたちは変わったわね。』って、母親同士でみんな話していたんですよ。」


 もう一件も日曜日のことだ。そして、ちょっとお断りをしておかなければならないが、まだ、タバコの害が今のように言われる以前のころである。

「家族でドライブに出かけたのです。娘(これが我がクラスの子)は、助手席に座っていたのですけれど、運転中にいたお父さんが、タバコを取り出したのですね。そうしたら、娘はさっと、灰皿をひいて、『はい。』ってお父さんに知らせたのです。

 うちの子って、そんな気のきいたことをする子じゃないんです。後で、夫婦で話したのですけれど、『これはtoshi先生がうちの子の担任になってくれたおかげだ。』という結論になったのです。」


 こう言われて、正直、うれしかった。わたしの学級経営を評価してくださっていることが分かり、何ともありがたかった。


 しかし、はっきり言って、これは『美しい誤解』だろう。

 いずれも日曜日のことだ。しかも、家族のつながりのなかで起きたことだ。そう評価してくださるのはありがたいが、客観的に見て、それは、わたしとは関係ないとみるのが妥当だと思う。


 繰り返すが、わたしの学級経営を評価してくださるのはありがたい。そして、それを誤解と言っているわけではない。誤解というのは、結びつかないものを結び付けたという点で言っているのである。


 逆もある。日曜日に何か子どもが問題行動をとったとして、それが、『toshi先生に受け持たれたからだと思われたのではかなわない。』そういう思いもある。

 これはやはり、子どもの自然な成長、発達段階における子どものよさの発揮と見るのが妥当だろう。また、家族同士の心のつながりが豊かだとも言えよう。
 わたしは、上記のようなことを言われたとき、そんな意味の言葉で応えたと思う。


 しかし、しかしだ。こういうように、保護者が見てくださったという事実。それは残る。親子でも、そういう話をしているかもしれない。
 それは信頼関係にもろにかかわってくる。そして、わたしの学級経営にはかりしれないプラスをもたらす。


 ふつう、誤解というのは、マイナス的な意味で使われるだろう。
『そんな意図で言ったりやったりしたのではないのに、なんでそんなふうに、曲解するのだ。』
そういう思いになることもあろう。

 でも、どうせ誤解されるなら、『ああ。偶然そうなったに過ぎないのに、なんかすばらしい意図があってやったように、感謝してくれている。ありがたいなあ。』と思えるような誤解をされたいものである。


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rve83253 at 23:25│Comments(6)TrackBack(0)学級経営 | 児童観

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2006年01月24日 00:55
こんちは

いや〜、火のないところに煙は立たずといいますが(この引用はめっちゃおかしいですね…すみません)、普段のToshi さんのやってることの積み重ねあってのことだと思いますよ。

たしかに日曜日の子どもの所業だし、そこに直接の指導があったわけじゃないでしょうが、そこには普段の指導の結果ゆえの結びつきもあったと思う。

まあ、こういう「誤解」というか、「イメージ連想による評価」って、ちょっと怖いと思うのは、客観的な判断ではないだけに、あまりに実態と遊離しちゃうと問題かもしれませんけどね
2. Posted by 地理屋   2006年01月24日 21:05
この記事、とても私の考えと一致するものがあったのでコメントさせていただきます。

人間ってどうしても「誤解」が頻繁に起きますよね。だから、保護者へのイメージのもたれ方って大事だなあと。好意的に見てもらえれば、こちらが思い切った取り組みを学級でやりますといっても喜んでもらえます。逆に同じことをやっても反感を買っているのであれば批判されます。

そして、そうやって好意的に「誤解」されていると子供もいい雰囲気で育ちますよね。親は先生に好意的。学校からのお願いにも協力的。であれば担任の意図と家庭でのしつけが同じ方向になるから、子供も育つと思います。それに、学校の文句を言っている家庭より、好意的なほうが絶対子供も安心して学校にいけますし。

というわけで、始めに好印象をつかむ、ということが難しいけれども大事だと感じます。
3. Posted by うるとらまる   2006年01月24日 21:57
美しい誤解をされたいですね。

なかなか、保護者の考えが見えないのを
疑心暗鬼になっているのではなく、
自分が信じる学級経営を
すすめていきたいものです。

では。
4. Posted by toshi   2006年01月25日 00:11
Hidekiさん。いつもありがとうございます。
 わたしも、『美しき』と付けたとは言え、『誤解』と言うのはおかしいかもしれません。
 しかし、教員のなかに、『どうせ、正しくは受け取ってもらえないのだから。』と、さめた見方をする人もいると思うので、あえて、こういう言い方をしました。
 わたしから見れば、みんな、もともとのいい子のように思えたということもあります。
5. Posted by toshi   2006年01月25日 00:19
地理屋さん。ありがとうございます。
 信頼も、ただ、保護者や子どもに迎合するというものではないと思います。
 最近思うのですが、やはり、子どもへの愛情、温かみ、そのようなものではないかと思うのです。
6. Posted by toshi   2006年01月25日 00:23
うるとらまるさん。ありがとうございます。教員の熱意が、伝わっていくといいですね。子どもって、自分が愛されていると感じれば、思う以上の力を発揮するものだと思います。

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