2006年02月04日

塾と学校と5

ca9b6f94.JPG たった今、テレビで、『世界一受けたい授業』をやっていた。1時間目は算数で、『6合マスで1合を量るには、』というのをやっていた。テレビ画面の背景には、『数式無用・考えて確かめよう』みたいな文字があった。
 わたしはそれを見ながら、こだま先生の『道草学習のすすめ』を思い出していた。


 わたしは長い間、塾と学校の性格を次のように考えていた。

 塾は、基本的には、目的意識をもち、そこへ通いたいという意思をもった子どもが集まる。それに対し学校は、やはり基本的にということだが、その地域に住む子どもが、目的意識とは関係ないところで集まる。
 また、塾はいやになればやめるだろうし、(そんなことはないかもしれないが、)塾の立場からすれば、『やりたくないのならやめろ。』ということも可能な場なのに対し、学校は、義務教育である以上、基本的にやめることはありえない場だ。

 そこから言えることは何か。塾は訓練でよい。目的意識をもっているのだから耐えるだろうし、また、耐えられなければやめればいい。それに対し、学校は、基本的に、『通うのが嫌。』という気持ちにさせることはできない立場にある。したがって、興味・関心・意欲・態度をものすごく大切にしなければならない立場にある。

 そういう意味では、学校でも、塾的な性格を持つ教育活動はある。サッカー、バスケ、合唱などの特別クラブ的な活動である。これはやめることもやめさせることも、基本的には可能だろう。だから、訓練的な性格をもたせても、ほとんど違和感はない。


 そんなことを長い間思っていたし、若い先生方にも言っていた。
 最近で言えば、初任者に対して、
『学級には、目的意識もなく、学校は友達と遊ぶために来るような子もいる。給食だけが楽しみだと言って来る子もいるのだ。そういう子たちを相手にして学習を成立させるためには、1にも2にも、学習に興味・関心をもたせ、意欲的な態度を培うことを、他の何よりも大事にして、授業をすすめる必要がある。』
 そういうことを言ってきた。それだけならよかったのだが、『それが塾と違うところだ。』などと言っても来た。

 ああ。今、こだま先生をはじめ、心ある塾の先生に、心からお詫びしたい。金輪際、後者の言葉は口にしないことを誓う。申し訳ありませんでした。


 今回の『陰山学級物語掲示板』におけるこだま先生の真摯な取組は、他の多くの読者とともに、心打たれた。具体的な問題をあげられて、説得力あるコメントと思った。

 そして、何よりも、自分の長い間の固定観念、思い込みと言ってもいいが、それが見事に打ち砕かれたことを知った。まさに、わたしのいう塾と学校の立場が逆転してしまっているではないか。

 塾も学校も経営はしているが、基本的に異なるのは、塾は子どもに来てもらわなければ成り立たない性格を持つ。学校は、子どもに来てもらう心配をする必要は基本的にはない。そういう意味で、保護者の理解を得る必要があるのは学校以上だ。こだま先生のブログでも、その悩み、苦しみは垣間見える。

 勇気ある教育、経営に、言葉では言いつくせない、感銘を受ける。


 さて、現代における教育の目的は何か。

 これは、今の世相を見て、明確になったと思える。『思いやり、豊かな人間関係の構築、人権意識をしっかりもつこと、じっくり物事に取り組み豊かな思考力を養うこと、豊かな感性』。一言でいえば、『豊かな人間性』の構築と言えよう。そして、さらに論をすすめれば、『民主主義社会を守り育てる人材の育成』とも言えるのではないか。

 もっと言わせてもらおう。子どもを追い込み、強制させ、それで知識・技能を身に付けさせようとする教育は、学習方法において、戦前のそれとなんら変わるところはない。

 今、悲観的な材料にこと欠かない。今、民主主義社会を守る人材の育成は急務なのである。

 さて、そのためには、どんな教育を推し進めなければならないか。これもかなり明確になってきたと思える。

 『分かる』より『できる』とおっしゃる方。その方は、後で修正されたようだ。でも、そういう考え方は公教育においても多いと思うので、あえてふれたいのだが、一言で言って、こわい。思考はなくていいと言っているようなもの。今のいろいろな事件を連想してしまう。

 あとで、『ああ』と、分かるというが、それは偶発的に起こるもので、意図的・計画的に授業をすすめる公教育の立場としては、いかにも弱い。そんなこと、偶然に期待しても、そうならないことだって多いことは、今の世相が証明しているように思える。

 家庭に協力を求める部分も多いようだが、これも、二極化が進んだ現在、求めても応えない家庭の子どもはどうなるのだろう。基本的な生活習慣も身につかず、学ぶ習慣もない子は、おいてきぼりを食うのだろうか。わたしは、テレビで陰山先生の話を聞いたとき、そういう危惧をもった。こういう子どもの場合こそ、公教育の力で子どもを変容させ、それによって保護者が変わることを期待するのが筋だろう。

 こだま先生の『じっくり、ゆっくり、丁寧に』が、公教育においても重要だ。これは、試行錯誤を認めることであり、思考を保障する。さらに言えば、Hidekiさんのおっしゃる『楽しい学習』をも味わわせることができる。
 公教育においては、こだま先生のお考えに補足し、学級のみんなで共同思考し、練り上げて行く過程をも大事にしたい。塾で先行学習している子がいるから、そんなのは無理だとお考えだったら、わたしのホームページをのぞいていただきたい。

 『両者のいいところを』というお考えの方が多いようだ。わたしも、担任時代、ドリルをとり入れなかったわけではないから、こういうふうにおっしゃられると、わたしのしていたことと大差ないように見えるかもしれない。
 しかし、わたしは、ドリルを積極的にとりいれた訳ではない。『ドリルなしで済むなら、そうしたいが、自分の指導の至らなさで、とり入れざるを得ないのは、子どもに対し申し分けない。』いつもそういう思いでドリルをとり入れていた。だから、たまにではあるが、『やったあ。みんな理解できたぞ。』となったときは、ドリルは、強制を伴うものとしては、やらなかった。
 
 したがって、自分では、『両者のいいところを』とは思わなかったのだ。
 その点、もう今気づいても遅いのだが、こだま先生のブログからは学ぶところが多いのだ。若い先生にぜひ読んでほしいと思っているのも、その点なのである。

 最後に、『人間が人間らしく生きる』ことが大切なのである。子ども時代は訓練で、大きくなったら人間性をなどという人もいるが、基本的に、思考停止して育った脳は、大きくなってからと言っても、もはや無理なのである。繰り返すが、今その種の事件があまりにも多い。


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rve83253 at 23:34│Comments(14)TrackBack(0)教育観 | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by 糸山泰造   2006年02月05日 10:51
「どんぐり倶楽部」の糸山です。
 事後報告ですが、勝手ながらリンクしました。
「教育」は素敵に面白いです。 
2. Posted by アロマぽっと   2006年02月05日 16:35
Toshi先生のように「子どもが主人公」でいられる先生に、子ども時代、私も出会いたかったです。
 自分を大切にできる自尊感情を育て、人を大切にできる他者理解を深めることができれば、昔、被害者だった人が加害者に変貌してしまうような怖ろしい事件は減っていくのではと思っています。
「考える学習」は、心を育てる学習でもある気がします。思考力を育てイメージする力を養うと同時に子どもが主体なので、子どもがいきいきと輝き、生きる力が育つ学習法なのではと思います。
もちろん机上だけじゃ無理な話で、友だちと五感を働かして力いっぱい遊ぶこともたくさんの学びがあります。仲間と育ちあえることは何より大切です。
まとまりのない文章になってしまいました(>_<)いつもいつも拙い文章で恥ずかしいです。
 要は、子どもに寄り添いながらその時々考えていきくことが大切ですよね。子育てにマニュアルなんてないんですから。
3. Posted by 大山虎竜   2006年02月05日 17:29
toshi校長先生ご無沙汰しております。大山虎竜です。
私も百マス計算もしたことがあります。でもそれは岸本先生の実践を見習ってのことです。
正直言って、少し勉強している者なら、陰山先生の実践が特に真新しものはないことは直ぐに分かると思います。それをまるでオリジナル実践のように述べるのはどうかと思います。
特に、大学進学の成果を小学校の勉強までさかのぼって成果とされたは、驚きました。普通なら、自分で思っていても、公言しないと思います。だって、中学校、高校の先生に失礼じゃないです。
先取り学習だって、何とかしたいと思っている教師なら、当たり前のようにやっている実践です。
toshi校長先生のコメントが削除されたとのこと。
「ああ、やっぱりね」と、思いました。
現在の学校で成果があがっているとしたら、それは
教頭先生をはじめとする教職員のがんばりだと思います。

4. Posted by Hideki   2006年02月05日 22:59
こんちは

今回の記事は、いろいろな点を考えさせられ、同感するものが多いです。

・基本的に、任意の教育と義務の教育はやはり違いますし、それは致し方ないと思う。ただ、商売や損得を突き抜けた「あるべき姿への思い」から、実践されている方がいるという事は、大変心強く思います。

・豊かな人間性の構築の重要性。もうおっしゃるとおりです。それが、心の教育=ゆとり教育=学力低下、といっしょくたにされて、ないがしろにされていきかねない昨今の風潮は、すごく懸念しています。

・民主主義を守る。誤解を恐れずにいえば、昨今の右傾化の流れの中、こういう大事なものまで否定されてしまいそうな気がします。杞憂ならいいのですが。

5. Posted by Hideki   2006年02月05日 23:00
いずれにしても、マニュアル・暗記・強制ということによる、思考停止教育はなんとしてもやめたいです。
そして、学校の現場にいらっしゃるToshi さんが、同じ意識でいらっしゃる点をとても心強く思います。

がんばりましょう。
私にできることは、微かなものかもしれませんが、
全面的に応援します
6. Posted by こだま   2006年02月06日 01:29
Toshi先生、こんばんは!
私も謝らなくてはいけません。私自身も、学校側はある意味閉ざされた空間で、対話がもはや不可能ではないかと内心思っていました。それで、民間側からの教育改革の道しかないのだろうと。
だけど、Toshi先生との出会いで、これまでの偏見がくずれました。教育上の問題は、学校・塾の垣根を越えて、共有できるし、また協力して様々な問題を乗り越えていけるんだという明るい展望が見えてきました。実際に、私のブログに学校の先生方が好意的なコメントをくださるようになってきました。これも、Toshi先生のおかげです。
本来の教育のあり方を公教育の皆さんと共に考え、お互いの立場を踏まえつつ、建設的な方向を模索していきたいと思っております。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
今回はどうもありがとうございました。
7. Posted by サワダ   2006年02月06日 18:17
はじめまして。札幌のサワダと申します。今はプロの家庭教師として活動しておりますが、近いうちに塾を開こうと思っている者です。
「学校と塾の関係」について、私も思うことを1月7日の記事で書いております。本当はTBさせていただこうと思い、何度か試みたのですが、どうもうまくいかなかったようなので(認証制でしょうか?)、コメントにて失礼致します。
今回の「陰山学級騒動(?)」、失礼ながら外部から傍観させていただきました。百マス計算などには、私も思うことが多いのですが、まあ、書くと長くなってしまいそうなので、今回はコメント控えさせて頂きます。
それでは、訪問させていただきます。
8. Posted by サワダ   2006年02月06日 18:19
>それでは、訪問させていただきます。

「それでは、また訪問させて頂きます」の間違いです。すいません。
9. Posted by toshi   2006年02月07日 00:04
糸山泰造さま
 リンク、ありがとうございます。
《「教育」は素敵に面白いです。》
 わたしも、今、それを、実感しています。子どもとふれあうこと以外にも、このブログの交歓が、何とも言えない充実感をもたらしてくれています。
 今後とも、どうぞよろしくお願いします。
10. Posted by toshi   2006年02月07日 00:12
アロマぽっとさん
 ありがとうございます。わたし、自分で言うのも恥ずかしいのですが、あまえさせてもらって、言ってしまいます。
 担任時代、言われたことがあるのです。保護者から。
「わたし、自分の息子に嫉妬しているんです。わたし、子どものとき、先生には恵まれませんでした。それなのに、何でうちの息子は、入学と同時に、こんないい先生に受け持たれるの。そう思って嫉妬して、子どもに言ったことがあるのですよ。」
 ああ。恥ずかしい。ブログだから書けちゃうのですね。

《「考える学習」は、心を育てる学習でもある気がします。思考力を育てイメージする力を養うと同時に子どもが主体なので、子どもがいきいきと輝き、生きる力が育つ学習法なのではと思います。》
 もうおっしゃる通りだと、わたしも思っています。そうした考えでこのブログも書いています。共感し合えてうれしく思います。
11. Posted by    2006年02月07日 00:16
大山虎竜先生
 こちらこそ、しばらく、ご無沙汰しておりました。すみません。
 お互いに、子ども第一で、学校経営をしたいですね。そのうち、『教頭として』を記事にしたいと思っています。
 すみません。なかなかそこへ行かなくて。
12. Posted by toshi   2006年02月07日 00:23
Hidekiさん。
 子どもの思い、こだわり、それを軸にすえた教育を、これからも大切にしていきます。
 Hidekiさんのおっしゃる、《商売や損得を突き抜けた「あるべき姿への思い」》ほんとうにそうだなと感じています。
 それと、やはり、思い込みによる偏見、これを、何とかして克服していかなければと思っています。そういう意味で、ブログにより、心を開かせてもらっています。
 今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。
13. Posted by toshi   2006年02月07日 00:28
こだま先生。
 今日の、こだま先生の、ブログの記事を読ませていただき、またまた、ありがたく思いました。
 塾もいろいろ、学校もいろいろなのですね。
 そのなかで、共感し合えること、何が大切かを理解し合えること、何度も言うようですが、退職後に気づかせてもらうとは、ざんきにたえない思いもあるし、いえ、まだ、現場にいるときでよかったという思いもあります。
 しかし、学校がいろいろでは、ほんとうは、いけないですよね。すみません。ただ、地域差というのがものすごくありそうです。
 こちらこそ、よろしくお願いします。
14. Posted by toshi   2006年02月07日 00:34
サワダ先生
 コメント、ありがとうございます。
 今回の、塾と学校の逆転現象(?)は、わたしの目を開かせてくれました。
 先生の記事も読ませていただきました。先生の真摯な取組がよく分かり、うれしく思いました。
 こちらこそ、よろしくお願いします。
 TBは、認証制などということはありません。誰でも自由にできるはずなのですが、先日もNANAさんから、そういうご指摘がありました。NANAさんは、何回もやられて、やっとできたようにおっしゃっていました。
 今度、パソコン教室の先生に聞いてみます。

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