2006年02月12日

『ゆとり教育』は正しい・・・はず5

8bacbdf8.JPG Hidekiさん、および、こだま先生から、『ゆとり教育』について、コメントをいただいた。『これ自体は間違っていないが、様々な誤解と、一部教育実践の課題が原因で、失敗したかのように喧伝されてしまったのは、残念だ。』というような論評である。

 これについては、まったく同意するものである。それで、以下、私見を述べたい。ただ、これについて、推敲に推敲を重ねたため記事がなかなか投稿できず、空白の日が続いてしまったことはお詫びしたい。

 
 悗罎箸蝓戮箸蓮決して子どもを努力不足にさせる教育ではない。

 この言葉は、それ以前の『つめ込み教育』の反省から生まれた言葉である。
『やれ、子どもの過重負担だ。』
『やれ、偏差値教育が、本来の子どもらしさを喪失させてしまっている。』
『子どもはもっとのびのびと育てるべきだ。』
『諸外国と比べると、日本の授業時間は多過ぎる。』
『知識偏重教育が、子どもから考える力を奪い、受身の子どもを育てている。』など。など。
 
 だから、『ゆとり教育』は、『学ぶ力』『生きる力』を身につけさせる教育だったはずだし、その根底には、『思考力の育成』があったのだ。
 わたしが言う、『子どもが自ら主体的に学ぶ力』も、当然このはんちゅうに入る。
 脚光を浴びた(?)『総合的な学習の時間』も、この考え方から導入されたはずだ。


△靴燭って、『ゆとり』とは、子どものためのものだった。

 『思考力の育成』は、試行錯誤も認めなければいけないし、共同で練り上げることもするから、時間がかかる。だから、学習内容を精選し、必要なことをじっくりと考えさせる学習を導入しようとしたのだし、その方向は正しかったはずだ。
 ところが、この辺り、一部教員は誤解した。よく言われたが、『学校五日制になって、教員は雑務を含め、労働加重になった。ほっと息をつく時間もない。』

 これが、『ゆとり教育』と別次元で語られるのなら、それはそれで意味を持ったはずなのだが、『ゆとり』という言葉が一人歩きし、『ゆとり、ゆとりと言っていながらなんだ。』という意味合いで語られることもあったため、世間からは、『教員のためのゆとりでもある。』と誤解される側面をもつようになってしまった。

 つめ込み教育は、教員は楽なはずだ。つめ込もうとするものだけ教材研究し、準備すればいい。氷山の見える部分だけでいい。
 しかし、『子ども自ら主体的に学ぶ力』を育てようとする教育は、子どもはどこからせめてくるか、予想はするにしても、予想が外れることはけっこうあるから、氷山全体を視野に入れなければならない。
 そういう意味では、教員には、ゆとりなぞなかったのだ。
 
 でも、本来、子ども主体の学習は、子どもらしさがにじみ出てくるから、教員にとっても楽しく、やりがいのあるものなのだけれどね。


授業時数は3割も減らされていない。

 ずいぶんばかげた誤解をされたものだと思う。大体計算したって分かるではないか。土曜日がすべて休みになった。どうしてそれが、3割になるか。
 
 正確に言えば、教科授業時数の3割減だろう。これは、上記,糧想から、内容精選を図ったのだ。
 そうして、この内容精選はさらなる誤解を招いた。いわゆる円周率『3』問題である。
 わたしは当時、学校長として学校説明会に臨んだが、教科書の当該ページをコピーして、『教科書だって、ちゃんと、3.14を扱っていますよ。マスコミの変な論調はこまったものです。』そう説明した。
 
 もう一つ。台形の面積を出す公式を扱わなくなったということも大々的に喧伝された。でも、これなど、台形を2つの三角形にわけ、その面積を出して足せばいいのだから、思考力を養う意味では、公式など扱わない方がいいのだ。子どもが、『公式』を発見する学習なら、わたしは大賛成だった。
 なお、これなど、こだま先生も、大賛成されるのではないか。


こ慘呂箸浪燭。
 
 今の論争をみると、学力の意味をはき違えた議論がなされているように思えてならない。ペーパーテスト、イコール学力というとらえが、蔓延してしまっている。

 そうではないだろう。国は、『生きる力』を育むと言っているではないか。それなら、そういう力を育んでいるかどうかも正当に見てほしい。そうでないと、まじめに、子どもを育んでいる学校が、低く評価され、ペーパーテスト向きの学習をすすめている学校が高く評価されることになりかねない。実は、わたしが今のゆとり教育論争で一番危惧する点はこの点なのだ。
 この点は、いくら訴えても訴え足りないくらいの危機感を抱いている。

 たとえば、生活科を例にしよう。生活科の評価をペーパーテストで行っている学校はないと思うが、どうだろうか。
 
 今、ここに、生活科の学習指導要領、『目標』を掲載する。

(1)自分と身近な人々及び地域の様々な場所、公共物などとのかかわりに関心をもち、それらに愛着をもつことができるようにするとともに、集団や社会の一員として自分の役割や行動の仕方について考え、適切に行動できるようにする。
(2)自分と身近な動物や植物などの自然とのかかわりに関心をもち、自然を大切にしたり、自分たちの遊びや生活を工夫したりすることができるようにする。
(3)身近な人々、社会及び自然に関する活動の楽しさを味わうとともに、それらを通して気付いたことや楽しかったことなどを言葉、絵、動作、劇化などにより表現できるようにする。

 ここでわたしが言いたいのは、これらはすべて学力なのだ。『愛着・行動・自然を大切に・工夫・楽しさを味わう・(知的な)気付き・(豊かな)表現。』これらはすべて学力なのである。

 だったら、それをどのように評価するか。ペーパーテストになじまない点は理解いただけると思う。わたしは、思う。地域・保護者の方が、授業参観などで、お子さんの学級の授業をどうご覧になったか。それが、子どもの学力を量るうえで、有力な位置をしめるであろう。
 これまでも、『ああ。子どもたちは張り切っているし、仲間関係もよさそうだし、充実した授業だな。』とか、『一体何を学習しているのだろう。混乱している姿もあるなあ。』とか、感じられただろう。そうした思いが、学力論争でも大事だと思うのだ。
 こうした意味での授業評価、学校評価も始まったのだから、ぜひ、それをとり入れてほしい。
 
 まあ、現状では、前回述べたように、『活動あって学びなし』の実態も、正直言って認めざるをえない。つまり、上記生活科で例示した意味での学力が、必ずしも、身についたとは言えない状況だ。それだけに、上記のような論争を望むものである。

 なお、これは、総合的な学習の時間についても、当てはまる。
 教科なら、学年だよりに、『正三角形と二等辺三角形』としか書かれていなくても、何を学習するのか保護者には分かる。しかし、総合においては、たとえば、『地球環境を守る』と書かれていたとして、これだけでは何を学習するのか、保護者には分からないであろう。
 そう。だから、単元目標、学習内容などは記述しないわけにはいかないはずだ。そして、それは説明責任を果たすことにもなる。そのうえで、上記学力が身についているか、いないか、判断してもらう必要がある。


イ泙箸

 ほんらい、『ゆとり』とは、こうしたものを学力としていたはずなのだ。
 ただ、Hidekiさんのおっしゃるように、「創造力・自律性(自立じゃないです)・思考力創出の教育改革」とすれば、少なくとも誤解はされなかっただろう。『ゆとり』という言葉がよくなかった。これが大いなる誤解を招いた点は否めない。


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1. 静謐な授業。  [ プロ家庭教師(女性)は、見た。 ]   2006年02月16日 10:17
私は個人指導を生業としています。 ご家族の方にお見せする場合もありますが。 ですから、集団授業の醍醐味を、 現在進行形で語ることはできません。 ですが、私がお子さんと仕事の上でかかわれなくなる前に、 どのような大きさの 集団の中であっても 相手の話を聞き...

この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2006年02月12日 13:12
こんにちは

いつもいつも、心や頭の中にあるもやもやしたものを、きれいにすっきり語りつくしていただいて、本当にすごいと思いますし、感謝しています。

教える側の立場でない人間が言うのも僭越だとは思いますが、おっしゃるとおり「訓練型・詰め込み教育」は教える側としては楽だと思います。もちろん、もっと楽なのは「何もしない、放任・ついてくる人だけくればいい」というものですが、それは教育ではない。

子どもを正面からしっかりみて、その力を引き出すのは難しいし骨も折れると思います。

確かに学校の先生の負担も増えるし、それは学校の役割でないという主張もあります。

でも、「家庭」と「学校」という、時間も空間も異なる2つのステージで、双方ともに連動して教えていかないと、成り立たないものだと思うのです。

2. Posted by Hideki   2006年02月12日 13:15
ゆとり教育については、結論を出すのが早すぎましたね。しかも、偏った切り口だけの評価で。

ただ、先日の新聞で、ゆとり教育の見直しは詰め込み教育への回帰ではないという文科省のコメントが乗っていたのは、少し光明が見えた気がします。

・・・
今さっきもとある塾の、算数のテストの点の世界での順位が落ちたという点「だけ」の学力低下を殊更に訴え、危機感を煽るTVCMが流れていました。これを鵜呑みにしたらとんでもないことになる。

これからは、ますます「情報の本当のところ」を見極めないといけないですね。

「考えること」は、私達大人が一番要求されているんだと痛切に感じます。
3. Posted by toshi   2006年02月13日 01:35
Hidekiさん
 家庭と学校の双方でというご意見、その通りと思います。現実的には、学校の説明と、子どもの変容が、家庭を刺激し、親の養育態度が変わるというようになるのだと思います。
 前も言いましたが、家庭が変わってくれれば、学級経営もとてもやりやすくなります。
 もっとも、逆もない訳ではありません。

 なかなかペーパーテスト以外の学力というのは、量りにくいものではありますが、まして、点数で表されるものではないだけに、それだけ、大人がじっくり見てやる態度が必要ですね。どうしても大まかな量り方になってしまうとは思いますが、心したいものだと思います。
4. Posted by hirarin   2006年02月13日 05:20
久しぶりにコメントさせていただきます。
toshiさんの記事、さすがです。
新聞などで読んでもすっきりしないところをストンと落としてくれましてありがたいです。

保護者もペーパーテストの結果を重視しようとする方も確かにいます(もちろんこれも大事です)が、これからの未来に向けての力(生きる力)を期待されている方が多いです。
学校のHPや便りなどで「総合的な学習」や「学びあう授業」についての説明をしていますが、まだ保護者には説明不足のようです。

「見えない学力」の部分を表出してあげるような子ども自身の能動的な自己評価を取り入れて授業をすすめていくのも大事なのかなと、思いました。

まとまらないコメントですみません。
また勉強させてください。
5. Posted by toshi   2006年02月14日 01:47
hirarin先生
 いつもお読みいただきありがとうございます。
 ただ、読み返してみると、『見えない学力』については、もっと吟味が必要だなと思いました。
 教える方は、ふつうなら、見にくい部分もよく見ているでしょうが、保護者の皆さんにもっとPRする必要がありそうですね。
 わたしももう少し、考えてみます。
6. Posted by 虹の父   2006年02月14日 13:07
以前『中学校長から学ぶ(2)』で「社会の縮図を小学校で経験する必要があるのか?」というコメントを書いた者です。
 先生のその他のブログを拝見し、少し見えてきたものがあります。
 私立小・中学校への進学は、学習環境、学歴、コネクションの点で有利となり子どもの大きな財産となるかもしれないとも考えていた。
 しかし、生活そのものは自分の暮らす地域にあり、そのものの実体の中から学ぶことは非常に効果的であり、小学生にはふさわしいと思われる。(たとえ教師がそういった授業をしていなくても。)(つづく)
7. Posted by 虹の父   2006年02月14日 13:13
 今の、偉い人たちはその組織の活動に埋没してしまい。地域生活がなくなってしまっているのであろう。
 今後も、中高一貫校からの高学歴者が増えてゆくと、さらに実態の伴わないえらい人々が増えてしまうのであろうか。
 ぜひとも、公教育の復権を祈りたい。
今回の記事とずれた内容となってしまい、また、長文出の投稿失礼しました。
8. Posted by toshi   2006年02月14日 21:24
虹の父さま
 お返事にならないかもしれませんが、わたしも、現職中に8校を経験したのですが、保護者、地域の様子(人々の人間関係の豊かさ)も、まちまちでした。旧農村で、新興住宅地と言える地域でも、実態は一様ではありませんでした。
 真に、豊かな人間関係を構築している地域の子どもたちは、地域の大人の多くが子どもたちを見守ってくれていて、子どもは幸せだなあと思ったこともありました。そういう地域は、今もありますよ。
 ただ、よそもの意識が強いといった点もあるのですけれどね。
9. Posted by hajiro   2006年02月16日 10:02
はじめまして。
社会人家庭教師をしております、はじろと申します。
先生の記事に触発されまして、記事を一本書きました。コメント欄では収まらない大きさでしたので、記事にいたしました。
お目汚しかもしれませんが、ごらんいただければ幸いです。
それでは、またうかがいます。
10. Posted by toshi   2006年02月18日 09:25
hajiro先生
 コメント、ありがとうございます。
 なかなか読めなくてごめんなさい。
 今日、明日で読ませていただきます。
 これからよろしくお願いします。

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