2006年02月17日

保護者の皆さんへ(2)4

540ce2a8.JPG 前回は、『思考力を養うこと』というテーマで、掲載した。しかし、後で気づいたが、『訓練的な学習も捨てがたい。』の部分については特にふれなかった。
 だが、これは、『道草学習のすすめ』を含め、さまざまなブログや掲示板で、議論沸騰していたので、ここでは割愛してもいいだろうと思った。

 ただ、今の時点でわたしとして言えることは、これまで、訓練的な学習を必要悪みたいにとらえていたが、今は、『不必要悪』とする気持ちが強くなった。

 そして、Hidekiさんがおっしゃる、《最後は、各々の自己の責任と判断で、っという事になってくるだろうと思いますが、それならその意思がある人たちだけにして欲しい。義務教育課程で全ての子どもに対して否応なしにやらされてしまうのだけは、まじめに勘弁して欲しいです。》は、全面的に支持する。このことについては、2月4日の記事にまとめてある。


 さて、今日は、2月14日の記事での保護者の悩みぁ慍罎子の性格が、どうも豊かな人間関係の構築にそぐわない傾向があり、もう少し、友達関係をうまく築くことができればと思う。』にふれたい。わたしの反省の記録でもある。

 長女が、小学5年生、次女が2年生だったときのことだ。

 日曜日等、わたしが家にいると、
「Aちゃん(次女の名前)。いるう。遊ぼう。」
と言って友達がやってくる。それが頻繁なので、次女は友達が多いなあと、親としてはうれしい思いになっていた。妻ともよくそんな話をした。

 しかし、長女は、そんな次女の姿をうらやましそうに見つめ、家にいることが多かった。友達がいないわけではなかったが、お互いに誘ったり誘われたりは少ないようだった。

 そんなとき、さえない表情の長女に、わたしは言った。

 「何、そんなにつまらなそうな表情をしているのだ。

 B(長女の名前)は、友達が少ないなあ。そうやって、家にくすぶっているからだよ。自分から友達を誘うとか、いろいろやってみたらどうだ。」

 そんなわたしの声かけに反発したか、Bは無表情のまま、自分の部屋に閉じこもってしまった。

 そんな姿に、親としてのイライラはつのる。


 数日後、職場の呑み会があった。わたしは、何気なく、上記のことを話題にした。

 そうしたら、一人の先輩教員に言われてしまった。なお、この先輩は、1月17日の記事、人権教育(3)交流教育他に記載した、養護学校の校長と同一の方である。もっとも、『校長』は、後の話であって、このときは、わたしも先輩も40歳近辺だったことになる。

 お互いに家族ぐるみのお付き合いを願っていたから、その先輩は、うちの娘2人をよく知っていた。

 「何だよ。toshiさんは、お嬢さんにそんなことを言うのかよ。だめな父親だなあ。わたしだったら、そんなことは言わない。」

「何ておっしゃるんですか。」

「そうだなあ。だって、Bちゃんは、妹のAちゃんをうらやましそうに見ているわけだろう。元気がなさそうなのだろう。そのようなときは、励ましてあげるのが当然ではないか。そんなことを言って、『よし、友達を誘おう。』などと思うか。

 わたしなら、こう言う。

『何だ。元気がないじゃないか。なぜ元気がないか、分かる気がする。Bは、Aを見て、友達が大勢いていいなあって、うらやましく思っているのだろう。

 でも、そんなふうに思うことはないぞ。友達なんて数じゃあないさ。1人か2人いれば充分だよ。その代わり、その1人か2人を大切にしろよ。一生の友達にできればいいな。』そう言うよ。」

 『まいった。』と思った。自責の念に襲われた。

 『そうだ。自分の言葉かけはまずかった。何とか取り返したい。長女が希望、自信を抱けるように、言葉をかけてやりたいな。』そう思った。

 しかし、唐突になるのもかえって変だから、自然にそうした言葉かけができるタイミングをうかがうことにした。


 その日は、一ヶ月もたたずにやってきた。珍しく友達が誘いに来てくれたのだ。長女はうれしそうな表情で外へ出ていった。


 その日の夕方、長女に言った。
「よかったなあ。今日は。Cちゃんが誘いに来てくれて。・・・。うれしそうだったじゃないか。」
きょとんとした表情の娘。

「お父さんなあ。この前、変なこと言っちゃったじゃないか。」
「なあに。・・・。ああ。あれ。別にそんなこと、気にしていないよ。」
「そうか。それならいいんだけれど、悪いこと言っちゃったなって反省したんだ。ごめんね。」
それから、先輩の受け売りをした。うれしそうな表情に戻った。わたしもうれしくなった。


 しかし、こういうことは成長とともに変化する。長女は、中学、高校を通し、テニスクラブに入っていたが、その関係か、ずいぶん明るくなったし、友達は急激にふえていった。家へ友達を呼ぶこともふえた。

 なんだ。同じころのわたしと比べたって、娘の方が、友達が多いではないか。おかしくなった。

 長女が結婚したのは4年前。そのとき、長女の賛同もあり、その先輩に、主賓をお願いした。また、お祝いに駆けつけてくれた娘の恩師や友達の姿に、感慨無量なものがあった。

 そして、その先輩は、主賓祝辞のなかで、吉野 弘さんの『祝婚歌』を詠んでくださった。

《〜。
  正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
  正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
  気づいているほうがいい     〜。》

 なんだか、娘へより、自分に言われているような気がした。


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rve83253 at 03:35│Comments(33)TrackBack(0)自己啓発 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by Y   2006年02月17日 09:37
 私は最近「家でくすぶる大切さ」を感じています。友達が多い方が良い、外で元気に遊ぶ方が良い、という学校や家庭の風潮が少し行き過ぎではないかと思います。
 なぜなら、家でじっくり自学(学校の勉強に限りません)するには、1人で家にいる時間の確保が必要だからです。
2. Posted by Hideki   2006年02月17日 13:17
すごいですね

きちんと慮れる先輩教員の方もすごいし、ミスしたと思ったら、きちんとフォローするToshi さんもすごい。1ヶ月たたないうちにって、私なんかだったら1週間もたったら忘れちゃう。

でも、親子って不思議なもので、他人の子どもに対しては結構冷静に客観的になれるのだけど、自分の子どもに対しては、ダメなんですよね。

ちょっと話がそれるかもしれませんが、子どもに「自分の姿」をみている時があるんです。だから、自分の嫌なところが子どもに映し出されると、もう冷静でいられなくなる。嫌な自分を叱ってるような感じになっちゃう。子どもにとっちゃいい迷惑なんですけどね(汗
3. Posted by NANA   2006年02月17日 16:39
>正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
>正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい

これはすごい教訓だ。。。
私も、自分に向かっている気がする。。。

私も子どもによく謝りますが・・・。(ダメな母さんで)
でも?ただ謝るだけでは、いま一つ。のようです。
やはり、タイミングと子の中で消化できる何かがないと、謝られても・・・。ただ困っちゃうみたい。
そりゃそうだよな。。。と、この頃思います。
でも、タイミング狙ってるうちに忘れちゃうのとどっちが『まし』なのだろうか?って言うレベルの低さです。
4. Posted by まき菱   2006年02月17日 21:18
>友達なんて数じゃあないさ。

これ、嬉しい言葉です。

だれとでも付き合える社交性は大事。誰にでも合わせられると便利。でも、それと「友達の人数が多い」ことって、違いますよね。
友達はたくさんいるけれど一人になるのが怖くてケータイを手放せない、それが豊かな人間関係だとは思えないし。
友達といても楽しいし、一人でいても楽しい。人は人、我は我、されど仲良き。・・・コレが理想なのですが(^^;)。
5. Posted by toshi   2006年02月18日 09:37
Y先生でしょうか。
 《私は最近「家でくすぶる大切さ」を感じています。友達が多い方が良い、外で元気に遊ぶ方が良い、という学校や家庭の風潮が少し行き過ぎではないかと思います。》
 そうですか。そういう論調は初めてうかがいました。
 明るく、意欲的に、くすぶるのなら、おっしゃる通りでしょうね。
6. Posted by toshi   2006年02月18日 09:45
Hidekiさん
 《でも、親子って不思議なもので、他人の子どもに対しては結構冷静に客観的になれるのだけど、自分の子どもに対しては、ダメなんですよね。》
 そうなんですよ。おっしゃる通りです。我が子だと冷静になれないときがある。冷静になれていても、あまりにも長く気になる状態が続くと、ダメなんですね。
 そう。失敗しちゃったなと思ったら、やはり、言葉に出すことが大事なのだと思いました。
 Hidekiさんのおっしゃる、我が子に、自分のいやな部分を見るというのも、実感しています。
 ありますよねえ。学級の子どもにも、しょっちゅうではないけれど、感じたことがあります。
7. Posted by toshi   2006年02月18日 10:10
NANAさん
 
 《やはり、タイミングと子の中で消化できる何かがないと、謝られても・・・。ただ困っちゃうみたい。》
 
 その通りですね。そう言えば、わたし、タイミングのことは書きましたけれど、子どものなかで消化できる何かについては、ふれなかったですね。

《「お父さんなあ。この前、変なこと言っちゃったじゃないか。」
「なあに。・・・。ああ。あれ。別にそんなこと、気にしていないよ。」》

 娘は覚えていたのですね。わたしの自責の念に襲われた言葉を。このとき、『ああ。娘は、やっぱり、わたしのいやみな言葉を覚えていたのだ。』と思えたのです。だったら、謝ることは、娘にとって大事なことになるに違いないと思えたのです。

 そう。やはり、これも大切ですよね。ありがとうございました。
 
8. Posted by toshi   2006年02月18日 10:18
まき菱さん

 もう、ほんとう。おっしゃる通りです。
 今、一人でいるのが怖くて携帯を手放せない状況というのは、ふえているようですね。
 友人関係というのは、娘の場合は、テニスですが、共にやれる何かがあると、いいようです。苦楽を共にするというような感じですね。
 ただ一緒にいるというのはね。上記のようなことになりがち、・・・かな。 
 
9. Posted by POOHママ   2006年02月18日 21:28
>友達なんて数じゃあないさ。
素敵なフォローですね。

でも、本当に友達と思える人が0人の場合って、
どうフォローしたらいいでしょうね。

うちがそうなんです。
第1子は友達を連れてきたことがない。
誘われたこともない。(転校して4年目)
通学する仲間もいない。
(これは地理的な問題もあり)

第2子は、友達の家に行くことも
誘うことも多い。
通学もいつも誰かといっしょ。
誕生会には、10数人よびます。

第3子は、学童や少年団の友達が
そのまま友人関係になっていますが。



10. Posted by miyasyun   2006年02月18日 22:55
5 >正しいことを言うときは少し控えめにするほうがいい

私は去年教員1年目でとにかく「まじめないい子になってほしい」と担任の子たち(5年生)に
正しいことを言ってきたり、自分の自覚のないところで希望を縮小させたりするような接し方をしたような気がします。

今年は2年目で、少しはtoshiさんが
思い直されたことを感じて、改善するようにしています。
正しいことを「控えめに」。大事ですよね。
控えめに・・・子どもから引き出すのが一番だと思っています。
11. Posted by こだま   2006年02月19日 01:17
こんばんは!

ご無沙汰しています。最近の記事はどれもコメントしたいものばかりだったのですが…。ばたばたしていてなかなかコメントできないでいました。

特に、3割削減のカリキュラムで「台形の面積の公式」に触れていた記事。確かに台形の面積の公式は必要ないですよね〜。算数をよく知らない方は、公式がある方が高等と思ってしまうみたいですね。三角形の面積の公式だって、必要ないと思います。それをきっかけに等積変形を考えるきっかけができますから。<続>
12. Posted by こだま   2006年02月19日 01:18
>正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
>正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい

私もこれまでこれで何人の友達を失ってきたことか。過去の傷がうずきます。笑

正しいことよりも、大切なことがあることを子どもたちに教えなくてはいけないですね♪

PS
おかげさまで、私もブログランキング上昇中です。これからも、コバンザメみたいにぴったりそばにいさせてください!笑
13. Posted by キテイ   2006年02月19日 03:55
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

私もこの言葉のとおり失敗した経験ありの人間です。
でも、人ってそれでよいのでは?だからこそ人間だと。
やがて、振り返る瞬間があればよいのだと
私は思うのですけど。

包容力がありすぎる人間にも、本当に相手を受け止めようと努力する人と、他人に絶対自分の本音を明かさない
心の寂しいタイプの人がいますもの。
14. Posted by キテイ   2006年02月19日 04:07
こだま先生、私も正しいことよりも大切なことがあることを教えられるのが本当の教育者だと思います。
子供は生身の人間ですから。
感情があってよい。思いやりも、怒りも。
本当にその子を愛していれば。
そう思います。
でも、こだま先生のように人の愛に触れて教育に携わる
人は良いのでしょうが、自分の価値観だけで、公教育以外の人や親や、ねえ、あそこの家庭って。。。みて、あの子要注意よ。といっぱい耳にしている私としては
それで、どれだけ、子供の傷つけているか!と、いいたいのですけど。
15. Posted by キテイ   2006年02月19日 04:12
私自身も、子供のころ、近所で仲良くなって行き来していた子がいます。その子と駄菓子屋へ買い物へ行くと、その子は万引きしていました。でも、あーだからその子は悪い子だと決め付ける周りの風潮が悪いと私は思います。特に親。
私も確かにびっくりしました。でも、その子は良い子だったと思うのです。
今、公教育に携わる人になっています。
人間ってそんなものじゃないですか?
過ちも、許しましょう。親の価値観で子供同士の心を
乱さないように気をつけましょう。。。
16. Posted by toshi   2006年02月19日 07:18
POOHママさん

 第2子、第3子さんのそういう状況は、第1子さんにとっては、けっこうつらい状況と推察します。
 でも、分からない。
 もし、つらい思いがあるのなら、『友達がいることが全てではない。あなたにはあなたのよさがあるのだから、それを生かすべき。』という姿勢で親が臨んでやらないと、つらい状況が倍加されてしまいますね。
 つらいとも何とも思っていない状況なら、とりたてて、心配することもないと思います。
 ただ記事にも書きましたが、スポーツとか合唱とか、何かのめりこめるものがあると、それを通して、友人関係を築くことができると思います。

 ごめんなさい。こんなえらそうなことを言える立場ではないですよね。失礼しました。
17. Posted by toshi   2006年02月19日 07:28
miyasyun先生
 《控えめに・・・子どもから引き出すのが一番だと思っています。》
 いろいろなことに、これは言えると思います。教員のお説教は、子どもの心にさほど響かない。『ああ。そうだよなあ。先生の言う通りだ。』というように、共感できる部分がないと、だめですね。
 そこへいくと、子どもから引き出せた場合は、けっこううまくいくと思います。
 自分で自覚するようになるわけだし、共感し合えるようになるからですね。
 そして、そういう部分に担任が、共感したりほめたりすれば、ますます子どもの心は、鍛えられるでしょうね。
18. Posted by toshi   2006年02月19日 07:45
こだま先生
 なるほど。おっしゃる通り、三角形の面積も、子どもが発見する学習でありたいですね。図形を描けば、簡単に分かるでしょう。
 学校では、一応発見するような学習を組み立てますが、発見したと思えた後は、もうすぐ公式化してしまいますね。
 当記事においては、わたしの『小学校初任者のホームページ』のなかの授業改善編3『算数 分数
4年生 9月25日』にリンクしました。
 若い教員の授業ですが、子どもたちは、まさに、数理発見の過程を踏んでいますし、『おおざっぱでもいいでしょう。』という立場と、『いや、正確じゃないとダメ 』という立場とがみられ、おもしろいと思います。
 ごらんいただければ、幸いです。
19. Posted by toshi   2006年02月19日 07:52
こだま先生
 
 《正しいことよりも、大切なことがあることを子どもたちに教えなくてはいけないですね♪》
 その通りだと思います。ただ、信念にもえて、正しいことを主張することが大切なときと、両方必要だということをとらえさせたいですね。

 ちょっとすれますが、道徳に、『正直』を扱う授業があります。そのなかでは、正直の価値をとらえさせるのですが、同時に、『うそ』を『言う』ことが、友達への思いやりであったりやさしさであったりすることもとらえさせたいと思っています。
 そういう場で考えさせると、低学年でも、よく理解してくれます。
 
20. Posted by toshi   2006年02月19日 08:12
キテイさん
 うううん。
《やがて、振り返る瞬間があればよいのだと
私は思うのですけど。》
 わたしがまさに、そうだったのですけれどね。
 でも、相手を傷つけやすいわけですから、やはりね。・・・。こまりました。
 失敗したら謝罪するということが、誠意をもってできればいいということでしょうか。
 まあ、失敗はつきものというのも、人だったら、当然ありますよね。
 すみません。はっきりしないコメントで。
21. Posted by キテイ   2006年02月19日 11:04
toshi先生、私が言葉足らずですね。すみません。
無意識のうちに相手を傷つけてしまうことっていっぱい
私もあります。そのあと、あの時は申し訳ないことをしたなあとか、振り返って学習していくことも人として
大切ですよね。そうやって、年を積み重ねるごとに人間ってまるくなっていくのかなあ。なんて思うのです。
だから、人の心を傷つけないように。。。と常に思いやりで接しようとすることはとても大切だと思います。

22. Posted by toshi   2006年02月19日 12:43
今度はよく分かります。ストンと落ちるものがありました。ごめんなさいね。理解力不足で。
 
 わたしなぞも、若いころは、自分では気付かずに、相手を傷つけているということがよくありました。記事にしたようなことも含め、だんだん、経験を積み重ねて、今のわたしがあると、思います。

 ああ。また、記事にしたいことがいっぱい浮かんできました。ありがとうございます。 
23. Posted by まき菱   2006年02月19日 14:02
すみません、話がそれてしまいますが・・・。
この「一人になるのが耐えられない」「惨めな人だと思われたくない」という強迫観念は、どこから来るのでしょう。
子ども(学生)だけでなく、大人になってまでも「ママ友仲間に入れない」と悩む方が多いというのは、どういうことなのでしょうね。
どこかで「一人でいる子は問題がある子。人に好かれていない子。」等のマイナス評価が刷り込まれているのではないでしょうか。

「ひとりでいられることも大切だ」と、学校でも言っていただきたいです。それで安心する子もいるでしょうから。
24. Posted by toshi   2006年02月19日 17:22
まき菱さん
 すみません。確定的なことは言えませんが、
_板蹐盂惺擦癲◆慷達100人できるかな』の精神がけっこう強いと思います。わたしもかつてはそうでした。友達がいないのは、協調性がないからとか、性格が明るくないからとか、決め付けるところがありました。
日本人共通かと思いますが、画一化教育、みんなと一緒なら安心、そういうところがあると思います。どこの学校も、『個性豊かな』をうたい文句にしていますが、実質はなかなかそうはいかないようです。
 子ども主体の学習は、そういう意味で、『個性』を認めますから、他と違っても安心して生活できる雰囲気を養えます。
25. Posted by toshi   2006年02月19日 17:23
マスコミの論調。これも関係ありますね。マスコミの論調が原因とは言いませんが、画一化の雰囲気作りには貢献していると思います。
 ホリエモンを評価しているときは、みんな評価する。いったん逮捕されると、みんなが非難する。手のひらを返したようです。なんで、こうなるのでしょう。英雄だったときに問題視したり、逮捕された後に擁護すると言ったマスコミはあるのでしょうか。
 教育についてもそうですね。つめ込み教育の弊害を言っていたかと思うと、今は、ゆとり教育の非難を一斉にしています。
 まだまだあると思います。わたしも考えてみます。
 
26. Posted by キテイ   2006年02月20日 00:39
私自身、やはり先生のブログを拝見していて、去年空へいってしまった自分の父と重ねあわせているのでしょうね。父はいつも、自分の苦しみは表に出さず、いつも
常に人の苦しみを軽くしようと心がける人間でした。
そこが、不器用だったのかもしれませんけれど。
どうして、歩けない体なのに、モルヒネで幻覚がでているのに、いつも自分より他人の心を。。。を!
そういう行動ができるのか?人間としての生き方を学びました。私は父に感謝しています。
27. Posted by キテイ   2006年02月20日 01:01
家族中が絶賛している父でも、昔はそんな完璧な人間ではなっかたんです。うちは、再婚家庭でしたし、ちゃぶ台を父がひっくり返すなんてこともありました。
でも、父は義理堅い人間で、結婚の失敗もし、事業の上でも、失敗を繰り返しながら、一番大切なのは人の心だと学んだ人間なんだと思うのです。だからこそ、せめて
成人するまでの間は、せめて、よそのお子さんを批判することのないよう。。。それが、その子の人生に大きな負担を与えることにならないよう。。。と。私は声を大にして叫びたい。
28. Posted by キテイ   2006年02月20日 01:19
私自身、批判されて育った立場の子供ではなかったかも
しれません。でも、感受性が強すぎた子供だったのでしょうね。今でも、言動ではなく、言葉は交わさなくても表情や行動パターンで見破ってしまうのです。
主人にも、どうして解かるの?と。子供の表情でも、
学校から帰ったときいつもと違うとすぐにわかってしまうのです。
29. Posted by キテイ   2006年02月20日 08:18
でも、それでも自分の子へは、なかなか冷静に接せらない、客観的にみつめられない。
大好きな分だけ、お互いに気持ちをぶつけてしまう。
あー。私って、馬鹿だなあといつも思います。
だから、toshi先生のブログを拝見していると、自分の父に諭されているような暖かい気持ちになれます。
これからも、勉強させてください。楽しみにしています。
30. Posted by toshi   2006年02月21日 00:08
キテイさん
 すてきなお父さんでしたね。
 以前、『大人は変わらない。』という記事を書いたことがあるのですが、それだけに、大人になってから、我が心を鍛えると言うのは、すてきです。『鉄は熱いうちに打て』ということわざがあるように、子どものうちは、それが教育の目的になったりします。
 教職はやりがいのある仕事と、つくづく思います。
 感受性の豊かさ、これも、大切だと思います。自分自身を客観視できるので、人の心も分かるのだと思います。
 わたしなど、まだまだです。失敗もけっこうあるのですよ。わたしこそ、こうしてコメントをいただくことにより、多くを学ばせてもらっています。
31. Posted by toshi   2006年02月21日 00:18
キテイさん
 本稿の14番のキテイさんのコメントで思うことですが、担任が、『みんな違ってみんないい』を実践すると、保護者の方も変わってくださいます。
 子どもの変容を通して、保護者も心が広くなってくれるように思います。
 保護者が、我が子のクラスの子を愛してくれるようになると、学級経営は、ほんとうに楽しく充実したものになりますね。
32. Posted by POOHママ   2006年03月04日 15:58
toshi先生、
16のコメントありがとうございます。
レスがおそくてすみません。

多分、長男本人は日常生活に
不便も悩みもないと思われます。
個人的な趣味や将来の夢に集中してますので、
もしかしたら友人関係はじゃまかもしれません。
だから、
「友達を作れ」とはいいません。

ただ、学校行事などで
グループ行動しなければ
ならないときに、
グループが決まらない、
一人だけになってしまう。
小学生のころは、
人数合せに女の中に男が一人でも平気でした。
中学生になると、周りがうるさいですね。
「おかまか?」「つらくない?」と。
そういったところが難しいですね。
33. Posted by toshi   2006年03月05日 16:36
POOHママさん
 それは確かに、つらい状況でしょうね。中学生になると、思春期でもあるでしょうから、こういうグループ編成は、よくないと思うのです。
 多分、『好きなもの同士』という決め方なのではないでしょうか。これ、我が地域でも、小学校でよくやっていて、中学校の先生から批判されたことがあります。
「あれはやめてほしい。好きな者同士が当然のようにして中学校へ入ってくるのですけれど、あれは、嫌いな子は排除するやり方でもありますよね。絶対よくないですよ。」
 わたしも大いに反省しました。もし、貴地域でそれを当然のようにしてやっているのでしたら、学校にもの申してもいいのではないでしょうか。

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