2006年02月19日

育つ初任者 スーホの白い馬4

f81c6700.JPG 3日前のことだ。出勤札を返すと、いきなり、校長先生に呼び止められた。

 「いやあ。昨日の初任研で、Aさん(初任の2年生担任)はすばらしい授業をやってね。参観した者は皆感動したのですよ。
多くの子どもが発表して、いい話し合いになっていたし、子どもたちだけで学習を深めている。その真剣さ、まじめさ、ひたむきさ、ときにはかわいらしさに、みんな心打たれました。

 発言を聞いていて、子どもたちは、語彙が豊富だなとも思いましたよ。

 A先生は子どもの発言を聞きながら、『あっ。そうか。』『なるほどね。』など、ほとんどは、そう言っているだけなのですよ。『よくあそこまで子どもを育てたな。』みんな、そういう思いでした。
 そして、講師(他校の校長先生)の先生も、『初任者がよくここまで育ったものだ。これも、toshi先生のご指導の賜物だろう。』とおっしゃっていました。いやあ。わたしも、まったく同感ですよ。ほんとうにありがとうございました。」

 ああ。ありがたい。もう、それだけで、胸が熱くなるのを覚えた。
「そんな。・・・。A先生本人の努力の賜物ですよ。最近は特にですけれど、子どもの話をよく聞いて、的確に対応できるようになりました。」

 
 ここでことわりが必要だろう。

 わたしは初任研担当指導教員なのだが、この研究授業の日は、もう一つの学校に指導にいっていた。

 わたしの職務は、日ごろの授業を指導するのであり、上記のように、学校が行う初任者研修は、学校の責任で行う。したがって、表向きわたしは直接タッチしない。
 
 しかし、そうは言っても、日ごろの授業の充実ぶり、もっと言えば学級の雰囲気が研究授業にも反映するのだし、また、研究授業の成果が、日ごろの授業によい影響となって返っていく。

 また、校内初任研ではあっても、指導案検討など、請われれば、かかわらないわけにもいかないから、そういうときは、指導もする。

 今回は、2年生国語、『スーホの白い馬』。モンゴルの馬頭琴にまつわる物語である。


 初任者とは、職員室での席が隣同士。着席すると、すぐ声をかけた。

 「いやあ。昨日はご苦労様。よかったそうじゃないか。校長先生がすごくほめていたよ。」
 「ええ。そうなんです。子どもたち、ほんとうにがんばりました。わたし、『今日の研究授業は、先生方が、みんなのがんばる姿を見に来るのだからね。』と言っただけだったのですが、ほんとうに、予想以上にがんばってくれて、気がついたら、もうほとんど全員に近い子が発表しました。
 わたし、授業が終わったら、感激してしまって、泣きそうになったくらいなんです。」
「そうか。それはすごいよ。授業者がそう思えるということは、すごい自信になったことだろう。」
 発言できなかった子は、3人。でも、全員が友達の発言をしっかり聞き、ノートにはいずれもすばらしい感想を書いたとのことだったから、全員が、授業に積極的にかかわったということになる。
 

 たとえば、この担任から聞いた話だが、

ー業の導入段階で、学習問題の確認をしたそうだ。
 「これまでのみんなの発言では、『白馬は、殺されてしまってかわいそう。』と、『でも、スーホに会えたのだから、その点はよかった。』という意見とがあったわね。」
 もうそれだけで、子どもから、
「殺されたっていうのは、かわいそうだよ。言い方がひどいよ。死んだって教科書にも書いてあるし、それがいい。」
「『命を落とした』の方がもっといい。」
そんなやりとりの後、子どもたちの総意で、『命を落とした』という表現がいいということになり、担任はそう板書した。

語彙が豊富ということに関してだが、前時までに、子どもから、
「とのさまは、スーホにとっては、うっとうしい存在だ。」
というのが出ていた。どちらかと言えば、『中』に位置づくと思われる子の発言だけに、うれしさはひとしおだった。本時も、この種の発言も多かったのだろうと想像できた。

 まあ、『うっとうしい』というのは、この場合、『当たらずと言えども遠からず』で、しっくり来る言葉ではない。もっととの様には、強烈な抵抗意識をもったはずで、だから、正す必要はありそうだが、しかし、こういう言葉が出てくるのを、すばらしいと思った。

「あっ。Bちゃん。発表できそうかな。できそうだったら言ってごらん。」
「うん。今はまだちょっと無理。」
「そう。分かった。じゃあ、言えそうになったら手を上げてね。」
「大丈夫。もう言える。」
 そう言って意見を言った子もいたのだと言う。

 ああ。これなどは、ふだんわたしがやっていたことと同一だ。初任者が自然にこういう態度を身につけたとすれば、とてもうれしい。
「こんなふうにした場面もあったのですけれど、そうしたら、もう全員に近い子が発言していたことに気づいたのです。」
とのことだった。

い泙拭▲痢璽箸忙廚い鮟颪時間が十分とれなかったのだそうだ。でも、子どもたちは、
「いいよ。時間延ばしても。・・・。書きたいことがいっぱいあるから。」
と言ったとのこと。まあ、時間延長は無理な話だったのだが、これなども、子どもの意欲を示していた。

 
 まあ、初任者のクラスがすべていいわけでもない。課題もある。たとえば、教室環境のこと。それから、ふだんだと、軽い調子で悪ふざけしたり、担任への甘えからだろう、担任に反発する態度も、気になることはある。

 でも、この時期、初任者が、一人だちできそうという予感がもてることを、とてもうれしく思う。


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この記事へのコメント

1. Posted by まき菱   2006年02月19日 14:15
ステキなお話ですね。
どの職場でも、最初にどんな指導を受けたかで社会人としての一生が決まると思います。
Toshi先生にめぐり会えたA先生は、とても幸運だったと思います。
そして、A先生もステキです。
反射的に子どもの心に添えるというのは、才能なのか訓練によるものかわかりませんが、それって先生に無くてはならない能力だと思います。
2. Posted by toshi   2006年02月19日 16:56
まき菱さん。
 『才能なのか、訓練によるものか』
 わたしは両方あると思います。自我が強い人で、教え込みをされた経験しかなかった人は、かなりの訓練が必要でしょう。そして、訓練しても、反発されて、残念な結果になることもあります。
 子どもは未熟な存在だから、教え込まないと一人前の大人になれないと思って、善意で、子どもの心にそうことを考えない人もいます。
 こういう人でも、やさしさ、思いやりはありますから、『授業はつまらない。楽しいわけがない。』そう決め付けて、休み時間などは、それを取り返す意味で、よく子どもと遊ぶなどという先生もいます。こういう人は、『ああ、こんな楽しくて充実した授業もあるのか。』と知れば、自己改革し、がんばっていくでしょう。
 わたし、今の仕事をしていて思うことは、『子ども大好き(子どもへの愛情)の思いと心の柔軟さ』があればいいのかなということです。
 
3. Posted by miyasyun   2006年02月19日 17:36
5 すごいなぁ
本当にすばらしい授業だったんですね。
私は二年目ですが、独り立ちできるかどうか・・・。

「がんばらなきゃだな」
そう思わされる記事でした!!
4. Posted by NANA   2006年02月19日 20:03
>日ごろの授業の充実ぶり、もっと言えば学級の雰囲気が研究授業にも反映するのだし、また、研究授業の成果が、日ごろの授業によい影響となって返っていく。

これは、素人にも良くわかる。
健康な研究授業の姿。ですね。
以前にも同じような事を書きましたが、toshi先生のご指導との出会いは、間違いなくこの初任者の先生方にとって、大いなる財産となっているのでしょう。
ですが、ご本人や子どもたち+toshi先生の頑張り。だけでは、コウはならないでしょう。やはり背景には、学校全体とそれを取り巻く人達の健康な人間関係を含めた、教育に向かっていくだけの土台のようなもの。が、備わっての事ではないか?
と、感じました。
5. Posted by NANA   2006年02月19日 20:04
toshi先生の現役時代からの先生方の積み上げてきたものが、今初任者の先生方を通しても子どもたちに返されていく。
コウでなければいけませんね。

先生の自治体では、他地域に対して発信するべく方向の取り組みは?何か?ありますでしょうか?

ぜひ!広がりを期待してやみません。

今年度もあとわずか。次年度もぜひ”ご活躍ください。
6. Posted by toshi   2006年02月19日 23:49
miyasyun先生
 ありがとうございます。今月、ブログを開設されたのですね。おめでとうございます。末永くよろしくお願いしますね。
 4月からは、わたしは、また別な学校で、新しい初任者の指導ということになりますので、今の初任者とはお別れの時期が近いです。
 なんとか、一人だちしてほしいと、また、一人だちできるのではという思いとが、交錯します。
 先生は、6年生の担任なのですね。もうすぐ卒業式で、いろいろ大変だと思いますが、がんばってください。
7. Posted by toshi   2006年02月20日 00:00
NANAさん。
 おっしゃる通りですね。この学校は、素直に、初任者の成長を皆で喜ぶ雰囲気があります。実は、研究授業の翌日、初任者の授業の事で、わたしに話しかけてきたのは、校長先生だけではありませんでした。若い先生も、その感動を話してくれたのです。
 若い先生は、5人くらいいますが、皆、気さくに話しかけてくれる先生ばかりです。それもすごくうれしいですね。
 広がりは、このブログもそのねらいなのですが、まあ、公的には、研究授業の全国大会などというものもあります。わたしも現職のときは、3度ほど、そういう催しにかかわりました。
 一度は、授業者としてでした。いい授業は、けっこう覚えているものです。
 
8. Posted by toshi   2006年02月20日 00:01
松江、大垣市の授業などは、もう20年以上も前ですが、また、この前紹介した富山市の堀川小学校などとともに、よく覚えています。
 ただ、こういうのはたぶんにお祭り的で、交流の日常化というのには、程遠いですね。
 ないわけではないが、薄いものでしかないようです。せいぜい、このブログでがんばりたいと思います。
9. Posted by キテイ   2006年02月20日 13:21
ああ、素晴らしい!!toshi先生のブログはとても心にしみてきます。もう、感謝の心で一杯です。
私も思い出しました。小学一年の時です。毎朝、とても大切にしていたお人形のことが心配で心配でたまらず学校でもずっと気にしていた私に、先生がお人形と一緒に学校にきてもよいといってくれました。翌日、クラスのみんなもそのお人形をかわいがってくれ、授業中は後ろの棚の上においていたのですが、そのお人形が私を見守ってくれているようで、とても安心して授業を聞くことができたのを覚えています。私はその年、先生の誕生日に、おもちゃの機織機で一生懸命編んだマフラーを先生にプレゼントしました。すると先生は毎日そのマフラーをして学校にきてくださいました。
10. Posted by toshi   2006年02月20日 23:59
キテイさん
 
 うわあ、それこそ、心にしみる、温かな思い出ではないですか。素敵な先生でしたね。
 わたし、教育の場では、こうした心の温かさが、絶対的に必要だと思います。これがないと、いくら教育論をぶつけても、むなしいだけだと思うのです。
 これからも、よろしくお願いしますね。
11. Posted by AMA   2006年02月22日 16:33
私も同様の思いがありましたので、
勝手にTBさせて頂きました。
12. Posted by 中村文夫   2006年03月20日 13:57
先日、TVドラマ「女王の教室」を大変面白く視聴いたしました。いろいろとかんがえさせられつつも教育のあるべき姿「無償の愛」について考えさせられました。私の精神分析の先生は家庭教育において、親たるものいつもニコニコ、感情的な怒るは厳禁、1.危険なとき、2.端に迷惑をかけたときのみ叱る、と教えていらっしゃいます。福澤諭吉の家庭教育と一致したお考えです。詳しくは、父(諭吉の曾孫)の著書「聞き書き福澤諭吉の思い出」(近代文芸社刊)をご参照願います。
13. Posted by toshi   2006年03月21日 09:02
中村文夫さま
 すみません。わたしはそのドラマ、見ていません。わたしも、学級経営のとき、怒ることは、3つと決めていました。
 ヾ躙韻聞坩扠⊃邑△飽っかかるような言動3惺珊垰など、期限があって気付くまで待てないケース 
 その3つです。
 わたしは、校長の際も、教職員の指導では、3つと決めていました。これは、いずれ、記事にしましょう。

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