2006年02月20日

その子らしさを大切に4

70217ef2.JPG 17日の記事において、まき菱さんから、次のようなコメントをいただいた。

 「『一人になるのが耐えられない。』『(一人でいることによって)惨めな人だと思われたくない。』という強迫観念は、どこから来るのでしょう。〜。どこかで、『一人でいる子は問題がある子。人に好かれていない子。』などのマイナス評価が刷り込まれているのではないでしょうか。」
 「『一人でいられることも大切だ』と、学校でも言っていただきたいです。それで安心する子もいるでしょうから。」

 ほんとうにおっしゃることはよく分かる。


 わたしは、30代後半から、学校が常識としてやっていることのなかに、どうも違う点があるのではないかと、疑いの念を抱くようになった。
 今で言えば、『みんな違ってみんないい。』とか、『世界に一つだけの花』とか、こういう詩や歌がもてはやされるが、実際やっていることは、画一化の教育ではないか。
 そう思うようになった。


 一つの例。この例は1年生担任だったときだ。入学して一月あまり。遠足に出かけるときだ。

 こういうとき、必ずやるのが、グループづくり。
 お昼を食べるときは、グループで。遊ぶのもグループで。一人ぼっちになる子がいてはいけないから。
 しかし、どう見ても、一人でいることを苦にしない子だっているのだ。

 よし。いいではないか。グループなど決めないで、そのときの気持ちで、誰と食べたって。一人で食べたって。また、誰と遊ぼうと、遊ぶ友達が変化しようと、かまわないではないか。

 そうして、グループを決めずに、遠足に出かけた。

 いよいよ、お昼を食べるときになった。
 特に、『先生。誰と食べるの。グループ決めてないよ。』などという声もなく、気の合った同士、あるいは、偶然そばにいた子と一緒というのもあっただろう。三々五々、人数もまちまちの集団で食べ始めた。

 これが、1年生でなければ、3行上のような言葉があったかもしれない。

 しかし、このケースでは、ごく自然に、ことが進んでいったように思う。

 わたしは、お昼を食べながら、観察する。

誰と誰が一緒に食べているか。一人で食べている子はいるか。
一緒に食べてはいるが、特に言葉を交わすこともなく、一人ぼっち同然という子はいるか。
『一緒に食べよう。』などと、さそう子がいるか。
ぁ^貎佑膿べている子は、さびしそうにしているのか、それとも、全然気にしていないのか。

 予想通り、と言うのもあるし、意外なのもある。日ごろの交友関係を知る上で、大変意味のある機会となった。
 予想通りというのでは、仲良しと見えるものが一緒の例。また、わんぱくで、日ごろ、友達に迷惑ばかりかけている子は、当然のように一人で食べている。ただし、この子は、わたしのそばで、やたらとわたしに話しかけてくる。

 意外なものとしては、次のようなものがあった。よく言えばリーダーシップのとれる子、悪く言えばやたらしきろうとする子が、言いなりになる子と一緒に食べている。案の定、前者がやたらにぎやかで、後者はおとなしい。ときどき、一方の『命令(?)』を黙って聞いている。
 そう。これは真の仲良しではない。

 そうしたことの一つ一つをじっくり観察させてもらった。これはいい。これからの、『心の耕し』に、きっと役立つに違いない。そう思った。

 『心の耕し』と言っても、そんなにむずかしいことをするわけではない。

 まずはじっくり観る。次に、

やさしく思いやりのある言動をうんとほめる。
『えばる』『従う』の関係があれば、問題が起きたときに、どうすればよかったかを、学級全体で考えさせる。
乱暴な子に対しては乱暴以外で、おとなしい子はおとなしいこと以外で、その子のよさを見つけるよう努力し、それを良さとしてうんと指摘するようにする。

 次は、こうした担任の働きかけにより生じる、交友関係の変化を観察する。

このようにしてねらうのは、友達一人一人のあるがままの姿を受け入れて、なかよくできる友人関係の構築である。一人ぼっちでいることを好む子も確かにいる。そういう場合は、その子のその子らしさを学級集団が受け入れて、仲良くするのである。
このようにすると、その子のその子らしさも変化していく。

 「先生。Aちゃんね、Bちゃんがぶったのに、全然ぶち返さなかったよ。すごいね。わたし、びっくりしちゃった。」
 「先生。Cちゃんに、やりたいのって聞いたら、『やりたい。』って言ったんだよ。今までだったら、頭をこうやってふるだけだったでしょう。声を出して返事したんだよ。すごいよね。先生。うんとほめてやってね。」

 わたしがあるケースをうんとほめたとき、それと全然関係ない子が、こう言った。
「先生。うれしそうだね。でもさ、これが反対だったら、全然うれしくないでしょう。Dちゃんが、言い返して、Eちゃんが我慢して言い返さなかったら、そんなの、あったりまえだから、うれしくないよね。反対だから、うれしいのでしょう。」
 
 そう。わたしは、内気でおとなしい子が、乱暴な子に言い返すなどということが起き、乱暴な子が我慢したときは、そのままで、2人ともほめたのである。
 
 その言葉を学級全員が聞くわけだから、こういう雰囲気になると、『心の耕し』は、とても簡単なこととなる。
 そして、『安心』。これは絶対的に大切なことだ。

 秋の遠足。もはや一人で食べる子はいなかった。それだけではない。『1年生は、グループで食べていても、一人ぼっちが集まっているだけ』というケースがとかくあるものだが、ほんとうに、深みのある豊かな人間関係が見られた。
 
 どうだろう。まき菱さんへの回答となるが、わたしは、やっぱり、『一人ぼっち』に限らず、その子らしさを大事にしたい。その上で、その子らしさの変容を支援したい。

 ただ、まき菱さんの問いかけに、しっくりくる回答にはなっていないなと感じ、その点は、お詫びしたい。


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rve83253 at 23:43│Comments(13)TrackBack(0)学級経営 | 児童観

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この記事へのコメント

1. Posted by hirarin   2006年02月21日 04:58
『心の耕し』『安心』
心に響きました。

私は今、1年生担任です。クラスの中には、休み時間に一人を好む子がいます。
でもその子も、自然に集団に入っていくこともよくあります。
子ども同士で、自然にかかわりあっているところが子どものすごいところです。

その子たちにとっての『心の居場所』が作れるように支援を続けていきたいと思いました。
2. Posted by 大山虎竜   2006年02月21日 06:25
今回も、TBが上手いかなかったので、コメントさせていただきます。
大山虎竜は、学校は、自尊感情や自己肯定感をふくむ自己価値意識を育む場所だと思っています。
平たく言えば、「自信とやる気を育む場所」ということです。
グループで行動しているから、安心。
これはおかしいですよね。
でも、子どもが見えない教師は、こんな形式的・表面的なことで安心してしまいます。
一人でいてもいいと思いますよ。でも、それが、コミュニケーション能力不足だと、やはり問題です。
いつでも、群れることはできるが、一人の時間も楽しみたい。
これならいいですね。自己価値意識については、教師バカ一代で述べています。
3. Posted by まき菱   2006年02月21日 09:56
「その子らしさを大事にしたい」
低学年からこのような丁寧な指導を受けられた子ども達は、とても幸せだと思います。
 幼児期から児童期にかけては「一人でいることも大切」といた指導はそぐわないと思いますし・・・。
 そして、次の思春期に向けて、自分と他者の違いをどう受け止めるかという課題を持った時に、「その子らしさ」を大切にされてきたかどうかが問われるのだと思います。
「I am OK, You are OK.」
 自分と違う他人がOKだった時、「違うけれど、自分もOKだ」と思うか「違うから自分はOKじゃない」と思うか。後者であった場合、「皆同じ、皆一緒」に安心感を求めることになるでしょう。自分と違う者は自分の安心感を脅かす者として排斥したくなるでしょう。

 子どもの「I am OK.」をどう育てるか。
親にとっても大問題ですね。
4. Posted by Y   2006年02月21日 10:07
 個々の先生の意識は別として、今の学校教育は画一化教育ではない、と思いますよ。習熟度別授業などで伸びる子は伸ばそうとしていますし、少人数授業で今までフォローできなかった子をフォローしようとしていますし、総合教育でグループで1つのものを作り上げる教育もしていますし。(まだ、あまりうまくいっていないようですが)
 『一人でいられることも大切だ』というのは、学校が進めようとしているグループ教育とは相反することなので、先生に言わせるのはどうかな。家庭で言えば十分なこと、だと思いますが。
5. Posted by NANA   2006年02月21日 15:01
先生のこのやり方。以前にも読ませていただいたと思います(HPの方かな?)
とても良いと思います。特に全員で全員を高めあっていこうとするように働きかける点が私は好きです。

ところで。(お気を悪くしないでくださいね。)
『日頃よく見る行動とはちょっと別の顔の片鱗?が出たのを見逃さずに褒める。』(こんな簡単に言い切れるものではないのでしょうが)所に注目すると、『日頃よく見る行動』の方は、どうなのでしょう?『得意な部分』について肯定感を持つ事。と、『得意がそれぞれバラバラだ』についても肯定感を持つ事。の方向については?どうでしょうか?
6. Posted by NANA   2006年02月21日 15:07
今回は一つの例。のお話です。
各自の違いを認め合う事はここでも可能になっているように受け止めていますが、ココからの発展ではなくても結構です。

長所と短所は表裏一体。得意を見つめるとおのずと苦手も見つめさせられるものですが、各自の『得意』を見つめる方向での、経験談も、お持ちでしたら・・・。
気の向いたときで結構です。いづれぜひ!お聞かせください。

いつも注文ばかり!に今気が付きました。すいません。
7. Posted by miyasyun   2006年02月21日 21:34
5 >やっぱり、『一人ぼっち』に限らず、その子らしさを大事にしたい。その上で、その子らしさの変容を支援したい。

変容を支援する、簡単なようで難しい。でも一番大事なことだと思います。
「できないことをできるようにする」
それが学校なんですから!
最初は片手一つの人間性だったけど、
だんだん両手分になり、そして腕を大きく広げたくらいになって、人間味を深めていく。

とても参考になります!!

8. Posted by toshi   2006年02月22日 00:24
hirarin先生
 『心の居場所』本当に大切ですね。これがある子は、心が安定しています。
 あと一つ。トラブルは、心を耕すいいチャンスととらえたいですね。
 お互いにがんばりましょう。
9. Posted by toshi   2006年02月22日 00:31
大山先生
 自己肯定感。これ、今、ほんとうに大事ですね。自信のない子が多いのも、気になるところです。
《子どもが見えない教師は、こんな形式的・表面的なことで安心してしまいます。》
 こういう先生が多いのも現実にあると思います。口で言って聞かせたから、指導はなったと思いがちですね。
10. Posted by toshi   2006年02月22日 00:36
まき菱さん
 実は、先週の金曜日。22歳になる教え子たちが6年生のときの担任と共に、わたしも呼んでくれました。いつも声をかけてくれるのです。
 彼らに共通しているのは、1年生のころをよく覚えていて、心のふるさとのように懐かしんでくれます。集まると、小学生のときの気分に戻るようです。
 おとなしい子も、活発な子も、それぞれが、自分の持ち味を大切にしながらも、仲良しという、そんな姿をたくさん見せてもらいました。
11. Posted by toshi   2006年02月22日 00:42
Y先生
 またまた新説をうかがいました。
 そうですか。そんな意見もあるのですね。
 わたしは記事にもしましたが、一斉学習のなかでこそ、個を大切にした授業は花が咲くと思います。
 あれっ。この前は、個でいられることも大切とおっしゃったのではなかったでしたっけ。
12. Posted by toshi   2006年02月22日 00:46
NANAさん
 おっしゃること、よく分かります。確かにわたし、問題の多い個性しか書きませんでしたね。
 長所、得意とする個性も、やはり伸ばしたいです。そういった点、次回の記事にさせていただこうと思います。
 よろしくお願いします。
13. Posted by toshi   2006年02月22日 00:49
miyasyun先生
 ほんとうにむずかしいですが、子どもは自ら学ぼうとするし、伸びようとするので、そこに信頼をおくことだと思います。
 ああ。その信頼も崩れることは確かにあるのですよね。
 十分見えたつもりでも、新たな個性を発見して、驚くこともありますしね。
 でも、その一つ一つが大切なのだと思います。個性を見ようとする教員は、わたしも、信頼がおけます。

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