2006年02月22日

『長所、得意』を伸ばす4

19623c43.JPG 昨日の記事についてのコメントを読ませていただいて、なんか、悩ましい思いになった。理解がむずかしく、わたしの受け取り方が合っているのかどうかは分からないが、

『学校なんて、そんな何もかもやるようなところじゃないでしょう。おのずと、やるべき領分が決まっているのだから、無理のないように。』
そうおっしゃっているのだろうか。

 もし、わたしの受け取り方が合っているとすれば、その返事のコメントは次のようになる。


 わたしは、学校教育のはんちゅうを超えて、何もかもやっているつもりはないのだ。
 そうすることが子どもを育むことになると思うから、やっているだけである。また、やれる範囲で最善を尽くそうと思っているに過ぎない。そう。最善を尽くしたという自負はある。

 しかし、『子どもの個性のうちの見えない部分』といったものは当然あるだろう。『何もかも見ていますか。』と言われれば、それはもう、自信もないし、自負心もない。

 だから、何度も言うように、試行錯誤は多いし、失敗もあるのだ。



 さて、今日は、お約束のNANAさんの問いかけに対する回答だ。いや、回答になるかどうか。わたしとしては、そのつもりで書くが。

 子どもがもつ長所や、得意なものについては、確かに、前回ふれていなかった。しかし、長所や得意なものをさらに伸ばすということについては、あまりに例がありすぎて、当たり前と思う感覚もあり、特にふれなかっただけで他意はない。
 
 しかし、お尋ねでもあるので、ここでは、2例、特に印象に残ったことを書いてみたい。そう。『特に』だから、こんな次元の話がいつもあるなどと言っているわけではない。



 このとき、わたしの学校は、図工の指導法の研究をしていた。わたしは1年生の担任だった。

 授業研究会のなかで、わたしは、講師の先生の目の前に、Aちゃんの入学直後の絵と半年ちょっとたった絵の2枚を置き、こう言った。

「もう今は、入学直後とは別人と思われるくらい、しっかりと、いきいきとした絵を描くようになりました。ダイナミックですよね。」

そうしたら、講師の先生は、こうおっしゃった。

「ほんとうですね。おっしゃるように別な子の絵のようです。

 ところで、この絵を2枚とも、学級の皆に見せたらどうですか。そうすれば、Aちゃんの伸びが一目瞭然となるでしょう。

 他の子の絵と比べるのはよくないけれど、当人の絵の今とむかしですから、どの子もきっと、『Aちゃんはすごく伸びた。』と実感できると思いますよ。」


 その通りだと思い、わたしは、翌日、講師の先生の受け売りをしながら、Aちゃんのすばらしさをほめた。『ほんとうだ。Aちゃん、すごいね。』『よくこんなに上手に描けるようになったね。』などという声を予想していたのだが、

 とんでもなかった。そんな声は皆無。


 確かに、Aちゃんをたたえるような笑顔はあったが、多くの子はとまどいの表情だ。そして、肝心のAちゃんは特にうれしそうでもなく、無表情だった。


 そんなときだ。Bちゃんが、怒ったように口を開いた。

「先生。そんなの、Aちゃんがかわいそうだよ。今の絵がすばらしいのなら、今の絵だけ見せて、ほめてあげればいいじゃん。そんな、むかしの絵まで見せることはないのに。」


 Bちゃんは、心やさしい子だった。お友達がこまっていると、そっと近づき、さりげなく手助けしてやるような子だった。その子の言葉だけに、わたしは、当初、戸惑いを覚えた。しかし、すぐ、Bちゃんのすばらしさと、むかしの絵まで見せた自分の指導のいたらなさとを恥じた。

 「ほんとうだ。Bちゃんの言う通りだ。先生、悪かったね。今の絵だけ見せてほめればよかったね。Aちゃん。ごめんね。・・・。そして、Bちゃん。ありがとう。そうか。先生。Aちゃんにかわいそうなことをしちゃったんだな。Aちゃんのおかげだ。それに気付かせてもらった。」

 Bちゃんは、いつもの柔和な表情に戻った。Aちゃんは、とまどいの表情。やはり、これは、わたしのミスだった。

 講師の先生は、他校の校長先生。わたしのクラスの子どもたちの心の状態を知っているわけではない。だから、一般論として言ったに過ぎないと思われる。


 わたしは自己嫌悪もあったけれど、それ以上に、Bちゃんの『やさしさ、人を思いやる心』の成長を感じていた。そして、二枚の絵を見せたときの多くの子のとまどいの表情も、これは後になってからではあるが、Bちゃんと同じ種類の心の成長を感じた。そのこと自体は、大変うれしいことだった。



 もう一つは、お読みいただく前に、わたしのホームページ『コラム集2・個別支援級 生き物を飼う 1年生』の後半部、『生き物を飼う』に目を通していただけたらと思う。この続編というかたちになるからだ。

 もともと生き物大好きだった、Cちゃん。生き物でいっぱいの教室で、世話好き、こまめ、リーダーシップといった面をふんだんに発揮していたなかの一人だった。

 そして、話は運動会の日のこととなる。
 午後の部となって、ひとりだけそろわない。出番はすぐやってくるのに、どうしたことだ。そうしたら、何と、ビニル袋に、こおろぎを入れてやってきた。

 後で分かったのだが、わたしのクラスの子何人かは、運動会の日まで、生活科をやっていた。

 昼休み食事が終わると、すぐプールの裏へ行き、虫さがしをしていたのだった。そして、他学年の演技中も、応援中も、大事そうに虫を入れた袋を抱え持っていた。いよいよ、自分の出番が来ると、すぐ後にいる母親に袋をわたして、集合場所に走っていった。

 この日は、特にそのことにふれる時間はなかったが、翌日、
「さすがは虫博士だ。お母さんからもうかがったが、虫の飼い方など、すごくくわしいって、もう感心していらした。

 そして、運動会も立派に、参加できた。もう感心しちゃったよ。」

そう言ってほめた。



 結論として言えること。得意なこと、長所を伸ばす努力は、変容を期待するのと違い、そんなにむずかしくはない。そして、楽しくなることが多い。

 ただ、これにも留意点はある。

ヾ躙韻鯣爾Δ海箸蓮△修豼蟇の配慮をしないといけない。ただ意欲に任せていたら、失敗することもある。

∧冤討里覆には、一見マイナス的変容に見えることでも、『心が開いた』という意味で、よいのではないかと思える事例もある。

3惺擦琶僂錣譴弌家でも変わる。子どもは双方を使い分けるほど器用ではないからだ。多くの場合、親は喜んでくれるが、ときには、保護者と連携の上でやった方がいいケースもある。

 それらについては、また後日。


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rve83253 at 23:57│Comments(17)TrackBack(0)児童観 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by はちみつ   2006年02月23日 03:52
初めて投稿させてもらいます。

私も児童の長所を伸ばす、という考えには大賛成です。

しかし、最近はやたらと「長所を伸ばす、個性を伸ばす」と言った言葉が飛び交い、ただその文字図柄だけを採って子どもと接する大人が多い結果、「根拠のない自己肯定感」を持った子どもが多いのではないでしょうか。

しかし、もし「根拠のない自己肯定感」というものが子どもたちに根付くとなれば、それは社会と接触する時に大きな負の衝撃をもたらすでしょうし、またもし社会が「根拠のない自己肯定感」を持っていても当然受け入れるようになればもはや日本に成長はないように思います。

先生のご指導がそのような結果に繋がっているのでは、ということでは決してありません。世間の一部においてそのような傾向が見られるのではないか、という非常に漠然とした危惧です。

それでは長々と失礼しました。
2. Posted by NANA   2006年02月23日 09:52
こんなに早い回答をいただきありがとうございます。

>あまりに例がありすぎて、当たり前と思う感覚もあり、特にふれなかっただけで他意はない。

はい。承知しておりました。だからこそあえてお伺いしなければ聞くことが出来ないかもしれないと思い、わがままを申しました。お応えくださり本当に感謝です。

自分の得意をあたりまえに伸ばしていく力を持っているお子さんばかりでは・・・。と言う気持ちが私にはありました。そこを教育の力でどうサポートしていくべきか?実際の現場では、どのような状況なのだろう?
特に、先生のお話は子どもたち自身が集団の中で自分たちを高めあっていこうとさせるところが印象的でしたので、『個』ではなく『集団の中の個』としての得意というものを、互いに高めあう集団では、どう捉えている様子なのか?を・・・
私も他意なく、ただお聞きしてみたかったのでした。
3. Posted by NANA   2006年02月23日 10:15
このblogとHPとを並行して、長く読ませていただけば、所々にそれについても読み取れるものがあると思います。今後もつづきを期待して、楽しみに読ませていただきます。
本当にありがとうございました。
4. Posted by NANA   2006年02月23日 10:21
もう一点。

>学校教育のはんちゅう

が何であるのか?私は存じ上げないのですが、学校は組織化された大きな集団であり『子ども社会』を形成する事ができる場所。この部分でこそ家庭の力だけでは、到底太刀打ちできない『学びの場』を提供してくれる場所。と受け止めています。
『集団である事』=『人間関係を育める場所である事』と捉えています。ですので・・・
5. Posted by NANA   2006年02月23日 10:21
>試行錯誤は多いし、失敗もあるのだ。

このお言葉。当然かと思います。
試行錯誤なしに人間関係を育めるはずはないところは、大人であっても同様。
先生が如何に子どもたちの目線に立とうとされていらっしゃるのか?良くわかるお言葉だったと感じました。
人は、どんなに成長しようとどんなに有能であろうと『完全』にはならない。だからこそ魅力的であり、教師も教育もその中にあるはずだ。と・・・。

私は教師ではありませんが、この『試行錯誤』こそが教職の魅力では?と思われる言葉が先生のところにはたくさんあって快いです。
6. Posted by toshi   2006年02月24日 00:03
はちみつさん
 なかなかむずかしいですね。現状をどう見るかということです。
 わたしたち、現場の人間は、「今の子は自己肯定感がない。自分なんかつまらない人間と思っているし、何をやってもダメと思っているし、もっと自信をもたせたいわね。」などという話が多いです。
 
 でも、はちみつさんがおっしゃることもよく分かるのです。何なのだろうと少し考えました。

 こういうことではないでしょうか。まじめさ、真剣さを嫌う風潮がありますね。不真面目なのがかっこういいというような感じです。

 やっぱり違うかな。
7. Posted by toshi   2006年02月24日 00:10
NANAさん
 なんか、わたしの言いたいことをとてもよく理解してくださっていて、ありがたく思いました。
 そう。集団の中でこそ、個は鍛えられる。ほんとうにそのように思います。
 試行錯誤と書きましたが、完璧はありえないにしても、限りなくそれに近づく努力はすべきなのですね。そんな感じです。
 学校教育のはんちゅうについては、わたしなどは、『全人格形成』を考えるのですが、『知識・技能』の習得ととらえる方が多くいらっしゃるのではないかと、でも、これは、わたしの勝手な解釈なのですが。
8. Posted by NANA   2006年02月24日 08:44
知識・技能の習得は、発達・成長過程において『人格形成』に大きな影響を与えますよね。どちらか一方だけを取って考えるのは厳しいでしょうし、一方だけしか見ていない教員も少ない?または?いらっしゃらない?
かしら?と思っていますが。

日本の学校教育を、私などが語れるはずもありませんが。私こんな事をふと思いました。
学校は国民性の形成に大きく影響している。世間で言う所の一般常識と言う概念に学校、特に公立小・中学校及び義務教育課程の機関の姿勢というものが関係している?これはおそらく多くの人に否定されない解釈ではないだろうか?と・・・。
コレがあっていたとして、これまで学校が育んできた国民性?が、この頃やっと学校の方へ影響を与えるようになってきたのでは?戦後教育から始って育てたものが循環していく構図が生まれ始めたのは?やっとこの頃になってからなのではないでしょうか?
9. Posted by NANA   2006年02月24日 09:20
これまで、ある意味の『一貫性』が特徴的だった日本の社会では『協調性』が重んじられてきました。が、昨今になって『多様性』を認められなければ『個人の尊重』はありえないから、社会的にもこの2点は重要といった意識が浸透してきた背景には、学校教育は大きく関わっていると思います。一昔前なら、ともすれば全て自分勝手な『わがまま』と切り捨てられてきたモノの内、何がわがままで?何が個の尊重なのか?を、社会全体で真剣に考えるようになり、学校教育の現場でもそれに伴う変容に対応しようとしている。

取り留めのない話になってしまいましたが・・・
10. Posted by NANA   2006年02月24日 09:21
つまるところ言いたかったのは?
学校の先生も『いろいろ』であって良い背景は揃っている。先生だって先生のお考えだって『みんな違ってみんな良い』わけです。
ただ、他者との『違い』に対して・・・
『交わらないでおこう!』と言った風潮も!学校の内部にこそ根強いのではないか?特に職員室社会では、この手の『不可侵の原則』を脅かさない事が大人の社会関係である。
かのような社会関係があるのではないでしょうか?

コレもまた、いずれ循環して社会的概念となり、国民性に影響し、また学校に帰ってきているのではないしょうか?学校と保護者の『不可侵』の関係も今すでに『ない』とは言い切れないでしょう?
11. Posted by NANA   2006年02月24日 09:31
長々と語ってしまいましたが、かなり話が外れてきてしまって申し訳ありません。

私は、『多様性』に対して、前向きであればこそ!
この『不可侵の原則』と『空気を読め』的発想はいかがなものか?と考えています。
不可侵の状態では交わる事ができず、集団でありながら社会を形成する事はできませんし、空気は読むものではなく作るものだと考えます。
将来より一層変容していくだろう?社会に活きねばならない子どもたちだからこそ、この2点は重要であり、大人はコレを育んでやらねばならないのではないか?
と感じています。

toshi先生のお話の中には、この考えを具体化したものがたくさんあり、頼もしい限りです。
(やっとまとまりました?ホっ)
12. Posted by NANA   2006年02月24日 09:39
しつこいですが、もう一点。スイマセン。

>根拠のない自己肯定感

ドキッとする言葉でした。良くわかります。
我が家の娘はまさにコレではないか?と思わされていました。
何かと比較する事でしか物事を捉えられないことが原因ではないか?と・・・。考えてきていましたが、はちみちさんに良いヒントをもらいました。

『根拠』
なるほど・・・。
私自身の課題とも重なりそうです。
気長にやろう!と思っております。

長々と、失礼いたしました。
13. Posted by toshi   2006年02月25日 05:59
NANAさん
 『知識・技能の習得』と、『人格形成』は、対立し合う概念ではなくて、つまりどちらか一方という関係ではなくて、『人格形成』は『知識・技能の習得』を含んでいるという関係なのではないかと思うのです。
 したがって、わたしなどは、『人格形成』は、家庭だけでなく、学校教育でも、目的となると考えるのですが、せまく『知識・技能の習得』しか、学校教育の目的としない人は、わたしのようなものを、『やり過ぎ。』『何もかも学校がやろうとすると、本来の仕事が疎かに』というようになるのだと思うのです。
14. Posted by toshi   2006年02月25日 06:09
学校教育と、国民性は、おっしゃるように、係わると思います。お互いに影響し合い、あるいは、影響を受け、現在に至ったという見方は、賛成です。
 ただ、むかしは、学校教育と言っても、それは国の姿勢だったので、一方通行だったのに対し、今は、民主主義社会ですから、相互作用のようになっているのだと思います。
 これからの教育の目的は何か。『個の尊重』は、決してわがままを助長するものではないし、ぎゃくに、自分を押さえつけて何も主張しないということでもない。そういった意味で、『協調性』とは矛盾しない。むしろ、『個を尊重した上での正しい協調性』というものが大切になっていくのではないでしょうか。
 そうすると、今の社会不安の基になっている、『すぐきれる』とか『人を差別する』とかいうことも、解消されると思うのですが、いかがでしょう。
15. Posted by toshi   2006年02月25日 06:20
NANAさんのおっしゃる『不可侵の原則』は、だんだん薄れつつあると思います。むかしは、『学級王国』という言葉もあったように、職員室内部でも、これは互いにありました。でも、今、これだけ、学校がたたかれる時代になると、不可侵ではやっていけなくなりました。また、学校と保護者の関係でも、同じ理由で、不可侵は薄れているのではないでしょうか。でも、NANAさんはじめ、多くの保護者の方のコメントを読ませていただくと、まだまだかなという思いもありますけれど。
 少なくとも、これからの学校は、地域・保護者との協調、理解し合える部分がないと、やっていけなくなると思います。情報公開、説明責任の時代ですから。
 そして、わたしは、これは正しい方向と思っているのです。
 
16. Posted by toshi   2006年02月25日 06:21
 『空気を読め』は、程度問題だと思います。あまりこれを強調し過ぎると、個の尊重と矛盾し合いますが、でも、まったく読めないのも、こまります。
 でも、教育現場では、後者も個性として認めるところから、指導がスタートすると思います。こういうのって、『空気を読みなさい。』と言って読めるようになるものではないし、あくまでも、自分自身で獲得するようになるのを支援します。
17. Posted by NANA   2006年02月26日 08:14
先生。ご丁寧な返信をいただき本当にありがとうございます。おっしゃる事良くわかりますし、その通りと思います。

お気づきかと思いますが、私は自分自身が例の『空気』関係を察知する事は少々苦手です。いい大人が困ったものです。

>まったく読めないのも、こまります。

コレは『思いやり』につながる概念の範囲内ですよね?
『自分が』心地よい空気。ではなく『自分たち』が心地よい空気を『創り出す』事。幼い子どもたちにとっては、後者の方がより居心地が良い。と、感じられる経験から始るのかもしれませんね。

>学校は、地域・保護者との協調、理解し合える部分
子どもたちの個を見つめながら、大人はコレを『見せてやる』事。あきらめてはいけないな!と、思っています。

ありがとうございました。

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