2006年02月23日

他流試合(?)4

6931c23d.JPG これまで現職として、あるいは今も、初任研担当指導教員として学校現場にいるが、我が地域のなかで、教員同士で話していたり、研修したりしていると、大体どんな内容の話か想像がつく。『勝手知ったるなんとやら』で、変に緊張することもないし、気心が知れているというのは、ある意味、楽だなと思う。

 よいところは、互いに切磋琢磨し、真理に近づくことができるということだろう。よくないところは、もし馴れ合いのようになった場合、楽は楽だが、充実感もなく、物足りなさも覚えてしまうだろう。

 2ヶ月前にブログを始めてから、それとはまったく違う緊張感を覚えるようになった。これまで聞いたこともないような論調に出会うし、いろいろな人の本音が見えたりもする。

 これは新鮮だ。ありがたい。視野が広がりそうだ。塾の先生とも仲良くなれた。
 ただ、理解困難で、悩んだり何度も読み返したりすることもある。


 今日は、昨日のわたしの記事に対するコメントのなかで、Y先生のお考えに回答したいと思う。もっとも、Y先生は、別に回答を求められているわけではないので、ご迷惑なことかもしれない。
その点はお詫び申し上げます。
 まあ、同業者の方のようなので、ご了解いただきたいと思う。


 《「その子らしさを大切に」というのはわたしも同感なんですよ。ただ、学校で先生がそれをやりきれないと思います。》

 これはもう、おっしゃる通り。わたしにしたところで、やり切っているなどという自信はない。ただ、常に、ベストを尽くす、やれる範囲で最善を尽くすという姿勢があれば、それでいいと思う。そうでないと、無理が来る。

 逆に、心に余裕をもてば、『あっ。Aちゃんのすてきな部分が発見できた。』『ああ、Bちゃんにはあんな意外な部分もあるのか。驚きだ。』など、楽しむ心境で、個を見取ることができる。その方が、教える側の精神衛生上もいいのではないかと思う。

 わたしは、以前、『通知表は、担任の作品です。』と書いた。
 そう。その子の真の姿を書き尽くしているとはとても言えない。あくまで担任が見た、一人一人の児童の姿に過ぎない。ただ、そのなかで、担任はどこまでその子の姿を見取ったか、それが問われるし、ひいては、保護者との信頼関係にも係わってくると思われる。

 《なんか『大事だと思う事を何もかも学校で』やろうとして、それはそれで保護者には歓迎されることでしょうけど、それだと先生の本来の仕事が疎かになり、親は子供のことが見えにくくなるように思います。》

 これについては、わたしとしては、『何もかも学校で』という気持ちはない。必要だし、大事だと思うからやっているに過ぎない。
 「その子らしさを大切に」というのは、学校は、さほど重視しなくていいとお考えなのだろう。でも、何度も言うようだが、国だって、『生きる力』と言っているのだ。これは学校の本務でなくてなんであろう。当然、『先生本来の仕事』のはんちゅうに入ると思っている。

 わたしは、『好きこそものの上手なれ』の精神でということもすでに述べた。『その子らしさ』を大切にすること、子どもの興味・関心・意欲・態度を重視するということは、子ども自らが伸びようとする力を支えることになるし、育った子どもが自ら獲得した学力は、すばらしいものがあるのだ。

 『先生本来の仕事』を、多くの(?)先生は、テストの点数を上げることと捉えていると思うが、わたしは、子どもを伸ばすことは、すべてこのはんちゅうに入ると思っている。

 ただ、『親は子供のことが見えにくくなるように思います。』は、わたし、心当たりがある。

 こんなことがあった。個人面談で、親から言われた。何が原因でそうなったかは忘れてしまったが、
「わたしが、子どもにあることで叱ったら、子どもから言われてしまったのです。『toshi先生だったら、こんなことでは怒らないよ。それなのに、お母さんは、何で怒るの。』わたし、ちょっと困ってしまいました。でも、『それとこれとは違うでしょう。』って言ったのですけれどね。」
 そう。よく、理解し合うことが大切だと思った。

 《学校にいる時間というのは限られた時間ですので、その間のお作法がいろいろあると思います。お嬢さんの『変なこと言うなって思われそう。』だから言わなかったというのと、不思議だと思った事を親に話すというのは、まったくもって正しい行動だと思います。》 
 わたしは、この、『作法』のけっこう多くは、大人の都合であるように思えてならない。つい先日、『学校が常識としてやっていることを疑いの目で見るようになった。』と述べたのは、この部分が多い。

 ここでは一例だけ。

 給食を給食室に取りにいくとき、多くの学校では、当番に、大声で、『いただきまあす。』と言わせてないだろうか。これをやると、子どもは言わなければならない。言わない子がいたら、叱ったりやり直しをさせたりすることも多いのではないか。
 わたしは言わせない。黙っている。そして、誰がこれを言うかを見る。声なんかそろわなくったっていい。その代わり、言った子を終わりの会などでほめる。すると、言う子の輪が広がる。そして、言う場合は、自然体だから、
「(調理員の)Aさん。わたし、今日の給食、大好きなの。だから、楽しみなんだ。」
「あったかあい。(調理員さん。)まだできたばかりなの(?)。」
『いただきまあす。』とともに、そういう言葉かけもするようになる。心のふれあいにうれしくなる瞬間だ。そして、そういう会話ができることも、後でほめる。
 (ただし、配食が終わり、いよいよ食べるというときは、これは、言いますよ。)


 娘が、『変なことを言うなって思われそう。』って言ったことは、心を開くことができない状態と、わたしはとらえた。


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rve83253 at 23:46│Comments(20)TrackBack(0)学級経営 | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2006年02月24日 09:02
うまく言えないのですが、「役割分担」意識が強くでるとすれ違うような気がします。それは先生の役目、これは親の役目…それもこれも先生の役目、という。

「先生に全てをやってもらう」という発想も、「先生は勉強を教えていれば良い」という発想も、実は役割分担意識の強さという点では同じなんですよね。

確かに、複数の生徒を見るわけだから、何かと目が届かないこともあって当然だけど、他の皆がいるから見えることもある。

2. Posted by Hideki   2006年02月24日 09:03
戦前の発想で、右傾的なサイトがとりあげてるから、誤解そうでイヤなんですが、教育は「智」「体」「志」「情」「徳」の五つを育てるものだというのがあります。

この考え方そのものは、私は賛成です。智育だけが教育ではない。そして、個々人の良さを引き出すのは、この五つのポイント全てにいえる。

私は、学びという点では、全て繋がっていると思うし、学校という場では先生が、家庭という場では親が教えるものだと思ってます。そして、お互いに連携と刺激をしあってやるもので、お互いに委ねてしまうものではないと思うのです。

子どもって、家庭と学校では違う顔を見せるものですしね。
3. Posted by スモッカ   2006年02月24日 09:55
はじめまして。スモッカと申します。
いつも拝見させていただいています。

そういう交流を持つばがあるのですね。
現場の方々のご苦労が伺えます。

また私のブログもご覧になってください!
よろしくお願い致します。
4. Posted by miyasyun   2006年02月24日 20:35
こんばんわ。miyasyunです。

通知表について「通知表は作品だ」というお考えはとても賛成です。
特に「ここが伸びたな」とか「ここがすばらしかったな」という点について、書くようにしています。記録をつけて、念入りに・・・とまでできていませんが、子どもの顔、行動を思い浮かべながら、必死に書いています。
しかし、保護者からクレームが来ない反面
「保護者欄」のコメントもあまりありません。
ただ「よろしくお願いします」といったものがほとんどです。
これもクレーム同様なものなのでしょうか?
地域性としては、3世代同居が多く、両親共働きが多いです。
家庭訪問にいくと6割強が祖母が対応します。
と外部に要因を求めているような感じですが
どのようにとらえたらよいのでしょうか・・・?
5. Posted by まき菱   2006年02月24日 22:52
こんにちは。

>この、『作法』のけっこう多くは、大人の都合であるように思えてならない。

今日は、この↑部分にひっかかってしまいました。
職場等大人の社会には、企業風土とかローカル・ルールとか、いろいろな『作法』が当たり前のようにあるものです。だから、学校にも『作法』があるというのは当然でしょう。
でも、学校の『作法』だけ、どうも特殊な気がします。それは、他の『作法』とは比べ物にならないほど拘束力が強く、その影響が長く続くからです。
学校に『作法』があるのは当然です。あっていいんです。でも、one of them であるべきで、それだけが強大になってしまうと他がひずみます。

学校のせいじゃないですよね。親の力が落ちたということなのでしょう。
6. Posted by toshi   2006年02月25日 07:29
Hidekiさん
 わたしも、学校か家庭かというような論議は、だんだん意味をなさなくなってきていると思います。たとえば、しつけは家庭でとよく言いますが、集団だからこそできるしつけというのもあると思います。それは学校がやらざるを得ません。
 それと、家庭と言ったって始まらない現状が、今はあります。もう20年以上も前ですが、いつも登場してもらっている後の養護学校長の先輩は、担任時代、いつも学校で、朝食をとらせている子がいました。お母さんが、朝、起きないからです。
 こういう現状は、恐ろしい早さで広がっています。(ごめんなさい。これは、論点ではないですね。)
 
7. Posted by toshi   2006年02月25日 07:35
もうHidekiさんのおっしゃる通りです。お互いに、連携、補完し合う関係であるべきです。
 そのようにできれば、子どもが幸せですし、教える側も、充実した思いで過ごせるというものです。
8. Posted by toshi   2006年02月25日 07:41
スモッカさん
 コメント、ありがとうございます。いつも、ありがとうございます。
 スモッカさんのブログものぞかせてもらいました。楽しいブログですね。
9. Posted by toshi   2006年02月25日 07:47
miyasyun先生。
 《これもクレーム同様なものなのでしょうか?》
 そんなことはないと思いますよ。『よろしくお願いします。』も書いてあるわけだし。
 わたしは、先生への、信頼感の現われだと思います。安心しているのではないでしょうか。こういう現状だと授業参観、懇談会なども、出席は少ないのでしょうか。
 こういうのって、地域による違いもありますね。下町っぽいところなのかな。
10. Posted by toshi   2006年02月25日 07:57
まき菱さん
 ちょっと、あっさり書き過ぎましたね。すみませんでした。
 学校教育での作法の現状を書いたのであって、わたしとて、作法を否定しているわけではありません。現にやっているものもあります。それは記事に書いた通り。
 まき菱さんがおっしゃるように、学校教育でのそれは、特殊です。『子どもと共に作る作法』『なぜそれが必要かを納得した上で行う作法』そういう要素も考えるべきだと思います。
 スポーツ選手までが、子どもを相手にするとき、『声が小さい。元気がない。もう一度やり直し。』などと怒鳴っているのを見ると、『ああ。学校教育のいやらしい部分があらわれているな。』と思ってしまいます。
11. Posted by miyasyun   2006年02月25日 22:51
早速の返答ありがとうございます。
「よろしくお願いします」でも肯定的にとらえることができると聞き、少しほっとしています。

参観はだいたい半数くらいです。
うちのクラスは38人なので20人前後でしょうか。
しかし懇談会になると、7,8人に減ります。
よく思い出すとPTA全体会も基本的に
少ないですね(私は初任校なので相場はわかりませんが、同僚の先生はそういってます)。
3分の1いないくらいでしょうか・・・。

なるほどやはり地域性あるんですよね。
私のいる地域は、のんびりしています。
祖父母が農家で、同居の息子夫婦が共働き。
学校にどなりこんでくる、苦情の電話をしてくる
といった保護者はあまりいませんね。
12. Posted by キテイ   2006年02月26日 00:43
子供は空気を読める読めないタイプに関わらず、これだけの長時間、毎日授業を受けていれば、自分の考えが自然と先生が望んでいる発言であるのか、そうでないのかぐらいはわかります。これも、教師側が生徒の考えを聞くという姿勢ではなく、教えよう、指導しなければと常に考えてしまうからではないでしょうか。子供に教わろうと教師が思えば大分違ってくるのだと思います。
13. Posted by キテイ   2006年02月26日 00:48
いつも常に子供がどのように考えているか?に教師側が興味をもつだけでよいような気がします。間違った答えでも、どうして、そう思ったの?なるほど!と言葉を添えてあげるというのは、とても大切だと思います。これができれば、子供は間違うことが怖くなくなりますから。親子も、そこからが始まりなんだなあと子供に勉強させられます。
14. Posted by toshi   2006年02月26日 15:39
miyasyun先生
 よく理解できました。わたしが前回コメントさせていただいたことで、だいたいは合っているようです。
 のんびりした雰囲気とのこと。古い日本の風土を残している地域とお見受けしました。
 こういうところは、学校に注文をつけるなどということは、あまりありません。『子どものことは学校にお任せします。』ということでしょう。それが、風土ですから、個々の先生への信頼とは、また、違った側面をもつということです。
 地域差はもう、かなりのものがあります。
15. Posted by miyasyun   2006年02月26日 17:28
レスありがとうございます。

>古い日本の風土を残している地域とお見受けしました。こういうところは、学校に注文をつけるなどということは、あまりありません。『子どものことは学校にお任せします。』ということでしょう。

おっしゃる通りです。
人懐っこくてよい子ばかりですが、
高学年なのに「ここから言わなくてはならないのか」と思うことがよくあります。
ともかく風土にかまけてしまうのはよくないですけどね。
常にみられているんだなという意識は大切ですよね。

>個々の先生への信頼とは、また、違った側面をもつということです。

とはそういうことですよね。
16. Posted by toshi   2006年02月26日 23:50
キテイさん
 コメントが遅くなり申し訳ありません。投稿したつもりでおりました。ごめんなさい。
 キテイさんのおっしゃることで、わたし、若いころの楽しいエピソードを思い出しました。
 今度、記事にさせてもらいますね。
 ありがとうございました。すみません。ここでは、内緒です。
17. Posted by toshi   2006年02月26日 23:52
miyasyun先生
 ごめんなさいね。生意気なコメントを書いてしまいました。
 今度、先生のコメントにかかわった内容で、『小学校初任者のホームページ』のコラム集に載せたいと思います。
 また、よろしくお願いしますね。
18. Posted by miyasyun   2006年02月27日 22:42
返答ありがとうございました。
とても納得できる内容でした!!

さて、toshi先生とのやりとりの後でのタイミングでこんなことがありました。

今日、空き時間に校長に呼ばれました。
話は教育委員会にうちの学校の保護者から投書が
あったという。内容は
「持ち上がりの高学年の若い男性教諭の家庭科の授業は準備されているのか?ミシンの糸かけやアイロンのかけ方はわかっていないのでは?」
というものでした。

19. Posted by miyasyun   2006年02月27日 22:42
私は、事前に作ってみるし、やってみるし、
わからないことは学年主任(家庭科が得意)に聞くし、学年主任も気をつけることや気づいたことを遠慮なく言ってくれるんです。
家庭科を公開したことはないので、子どもの証言をもとに投書したのでしょう。

校長は「先生がすこし自信がないときがあってそれが子どもに伝わったのかな。今回のことをプラスにとらえて、またがんばっていこう」と
言ってくれました。
少しずつ気分転換をしていこうとは思いますが
やはりショックでした。

toshi先生と風土のやりとりをさせてもらった後でしたが、やはり「厳しいな」と思いました。
長文すみませんでした。
20. Posted by toshi   2006年02月28日 07:06
miyasyun先生
 いやあ、驚きました。そのようなことはまずない学校と想像していました。
 それにしても、不可解だし、miyasyun先生としては、納得できないですよね。
 こういうのって、こまるのは、先生と保護者との間に、校長先生と、子どもが入っていることですね。申し開きしたくても、どこまで可能かが、むずかしいケースもあるので、理解が深まるのを祈るのみです。
 もう残り少ないのですが、少しずつ、信頼関係が築けるよう、祈念しています。

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