2006年03月01日

担任の思いを読める子4

 23日の記事に、空気を読むのも程度問題と書いた。

 それに対し、キテイさんが、以下のコメントをお寄せくださった。わたしは、このことに関し、ほろ苦い思い出があるので、読ませていただきながら、そのことを記事にしたいと思った。

 まずは、キテイさんのコメントから。

 「子供は空気を読める読めないタイプに関わらず、これだけの長時間、毎日授業を受けていれば、自分の考えが自然と先生が望んでいる発言であるのか、そうでないのかぐらいはわかります。これも、教師側が生徒の考えを聞くという姿勢ではなく、教えよう、指導しなければと常に考えてしまうからではないでしょうか。子供に教わろうと教師が思えば大分違ってくるのだと思います。
いつも常に子供がどのように考えているか?に教師側が興味をもつだけでよいような気がします。間違った答えでも、どうして、そう思ったの?なるほど!と言葉を添えてあげるというのは、とても大切だと思います。これができれば、子どもは間違うことが怖くなくなりますから。親子も、そこからが始まりなんだなあと子供に勉強させられます。」

 先に、わたしには、修行中の時期があったことを述べたが、まさにその時期のことだ。
 子どもは5年生。社会科の授業である。しかし、どんな内容の授業だったかは忘れてしまったので、教科を書いてもあまり意味はない。

 一人の子を指名すると、その子は突然こう言い出した。
「toshi先生は、ぼくたちにこう言ってほしいと思っているようなのだけれど、ぼくはそう思わないのであって、〜。」
 そう言って、自分の意見を発表し出した。

 これは研究授業だった。だから、多くの先生が見ていた。
 もう、先生方は大笑いだ。あとで、一人の先輩から皮肉られた。
「toshiさんは、すごい子どもを育てているな。先生の心を見抜き、さらには、先生に対して反対意見を堂々と述べている。」

 これはまさに修行中であることを証明している。

担任した時点で、子どもたちはかなり育っていた。このクラスの前の担任は、わたしより2年先輩、後の養護学校長、そして、わたしに対し、『ダメな父親だな。』と言ったその人である。わたしは、このとき、子どもに追いまくられていた。活気あり、どんどん自分の思いを言う子どもたちについていくのがやっとだった。

わたしは、この子たちに育ててもらったと言える。子どもの発言を整理して、何が争点なのかを明確にすること、さらには、それらができたとしても、どう切り返したら学習を深められるかということ、そうしたことの一つ一つについて、担任としてのわたしの力量を子どもが高めてくれたと言える。
このころ子どもに言われたことがある。
「toshi先生は、ぼくたちががんばるから、いつもどきどきしているみたいだね。」
子どもがそう見ていることは、自分でもよく分かった。ほんとうに子どもから学んだのである。

このときは、大学の先生も、学生を連れて、わたしの授業を見てくれていた。そして、この発言のとき、とても楽しそうに笑いながら、ご覧になっていた姿が忘れられない。そう。子どもが主体的に学習していると、思いもしない発言に担任が面食らうことはよくある。どう対応していいか、瞬時には判断がつかないのだ。大学の先生は、それを喜んでいた。まあ、子どもが生き生きしていることを喜んでくれるのだが、大人である担任が戸惑うほど、子どもが育っているということは、全面的に認めてくれていた。

上記発言を分析してみよう。わたし自身は、子どもの発言を大事にしているつもりだが、子どもの思考の流れにうまく自分の思いをのせることができない。そのため、わたしの引っ張ろうとする意識が子どもに見えていたことが分かる。


それが見えていながらも、子どもは自分の思いを曲げない。決して先生の意図に合わせようとはしない。これは、『空気が読めない』のとは違う。空気を読んだ上で、妥協することなく自説を展開しているのだ。

だんだんわたしも、この子たちを相手にして、うまく学習を深めていくことができるようになった。6年生になって、国語で、壺井栄さんの『石うすの歌』を学習したときだ。最後の、石うすを回せなくなったおばあさんの心情に迫っていたとき、一人の子は、おばあさんの心情を語りながら、涙声になってしまった。
そう言えば、この授業、子どもは例によって活発に意見を出し合っていたのだが、誰一人、元気いっぱい張り切った声での発表はなかった。みんな、ボツボツ、しみじみと語りかけるような調子だったことを覚えている。

 最後にキテイさんのコメントで思うこと。
《これができれば、子どもは間違うことが怖くなくなりますから。》は、ほんとうにその通りと思う。よく、『教室はまちがうところだ。』の詩を掲げている教室があるが、担任が、教え込み、一問一答式の授業をしていたのでは、これは望むべくもない。


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rve83253 at 23:58│Comments(13)TrackBack(0)学級経営 | 児童観

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この記事へのコメント

1. Posted by Mr. Hot Cake   2006年03月02日 16:40
今日のキテイさんのご発言、そしてtoshi先生の記事。拝見してまたもや自分の小5,小6の恩師T先生を思い出してしまいました。
T先生に私たちの尊敬と敬愛の念が深まれば深まるほど、先生のおっしゃることを信じやすく、同調しやすくなりました。先生が何かを尋ねられると、私たちは当然に普段先生がおっしゃっていることやその行動から「先生が気に入りそうな解答」を読めます。そして気に入られそうな解答を言うと、「どうしてそう思うの?」と必ず聞き返すのです。
〈つづく〉
2. Posted by Mr. Hot Cake   2006年03月02日 16:41
理由が言えないと、悲しそうな顔。反論するとうれしそうな顔。「世の中にはいろいろな見方がある。どんなことでもまず疑おう。理由に納得がいって同調するならそれもよし。でも理由もなしに賛成するのは相手に失礼だ。理由ありの反対意見ならもっと素晴らしい。だって、とことん相手の主張を考えたから反対意見が言えるんだろう!」
T先生はいつもこうでした。一人一人が、考えたことをのびのびと言えました。大きく脱線したときだけ、方向修正される先生でした。そして必要なとき以外は無理に結論をまとめようとはしませんでした。このような先生が増えて欲しいです。
3. Posted by だまた   2006年03月02日 18:21
毎日記事を読ませていただいております。今日は、初めてコメントさせていただきます。ドキドキしております。私は3人の母親、未だ上の子が13歳ですから、何年もの間子供たちを見続けていらしゃった先生にコメントを差し上げるのは緊張いたしマス。さて、昨日の小4娘の「今日は男子2人がうるさくて、先生が授業やめてしまったわ。」私はここ数年、娘の学年の授業がストップする事件を何度か聞いておりましたので、(又か)と、思い娘には笑い飛ばしております。しかし、明らかに子供達を包み込む事が出来ない先生が増えているということと、それでも、脳の活性化を推し進めようとする学校側(学校長)の姿勢に不安を感じております。本題とは、ずれましたが。子供には是非心に残る先生(toshi先生のような)に出会って欲しいと願います。
4. Posted by kei   2006年03月03日 00:19
いつも読むたびに大事なことを教えていただいています。この1年間、子どもの側からたくさんの授業を見せていただきました。そして今までの自分の授業のあり方を反省したのです。心優しい子どもたちは自分に合わせてくれていたということが分かったからです。担任が熱心であればあるほど、先生が求めている答えを出さなくては。」と子どもたちは考えてくれていたように思います。なんて申し訳ないことをしていたのだろうと反省するばかりです。
 子どもが自分の思いをありのままに語ることができるクラスに。仲間の発言を聴きあえるクラスに。「どの子の発言も価値がある」という信念を持って、クラスのみんなで自分たちの発言を織物のように紡いでいく授業を目指していきたいと思っています。
5. Posted by nissy   2006年03月03日 00:20
私は今、児童会館の職員で、4月からは小学校教員です。あと1ヶ月経つと、私は一教師として子どもと過ごすことになります。そしてその子どもは今、どこかで学校生活を送っていると思うと不安と希望で胸が高まります。児童会館では子どもはまさに羽を伸ばしています。子どもに「児童会館は厳しいけどおもしろいっ!!」といわれました。やりたいことが出来る、いいたいことも言える。その代わり、求められることも多くなる。そこに子どもは一種の充実感を感じているようです。また私はいつも子どもに「大人気ない」と言われます。これは負けず嫌い、子ども相手にいつでも本気で負けそうになると大人の権力でルールを変更しようとする私を見ての発言です。そんな私に対して、懸命に理屈を通そうとする子どもは本当に可愛らしく、愛しいです。子ども達のらしさを引き出せる、そんな教師を目指していきます。支離滅裂な文章、お許し下さい。
6. Posted by toshi   2006年03月03日 04:16
Mr. Hot Cake先生
 子どもを大事にする先生は、子どもにとって永遠の先生なのでしょう。Mr. Hot Cake先生が、そのように具体的に記憶されているということは、単なる記憶ではないと思います。
 先生のそういう真摯な態度は、Mr. Hot Cake先生の現在の生き方、考え方に、影響を与えているのではないでしょうか。教員冥利に尽きると思います。
 
 
7. Posted by toshi   2006年03月03日 04:23
だまたさん
 そんな、どきどきだなんて。かえって恐縮してしまいます。どうぞ、気楽にコメントいただけたらと思います。よろしくお願いしますね。
 記事を拝見して思ったことは、わたしも、修行以前は、そういうことをしたなということでした。
 でも、何とか早期に解決するように、意を尽くしました。たとえば、10分後に教室に戻り、静かだったらほめてやり授業を再開するとか、でも、当時の子どもは、代表が、職員室まで来て謝るなどということもありましたから、それを機に、授業を再開するとかししておりました。
 いずれにしても、感心するやり方ではありません。今、思い出しても恥ずかしいです。
8. Posted by toshi   2006年03月03日 04:34
kei先生
 すばらしい真摯なコメントで、感動いたしました。少し、先生のブログを読ませていただきましたが、『うわあ。よく努力されているな。』と、思いました。近いうち、コメントさせてくださいね。《「どの子の発言も価値がある」》
 これは、ほんとうに大切なことですね。でも、このように書ける先生は、もうそれを実践されているのではないかと思いました。
9. Posted by toshi   2006年03月03日 04:41
nissyさん
 希望に燃えていらっしゃる様子が伝わってきます。どうぞ、4月から、夢と希望を実現をめざし、精進されることを祈っています。
 わたしのホームページもどうぞ、お読みいただければ幸いです。もう、すでにお読みいただけているのかな。どうぞ、よろしくお願いします。
 子どもってほんとうに、自ら伸びようとする存在ですから、そして、もしそうでない子がいたら、それは何らかのトラウマがあると思われますから、どうぞ、それを見つめ、育む教員であってほしいと思います。
 きっとがんばってくださることでしょう。
10. Posted by まき菱   2006年03月03日 15:21
先生にもいろいろなお考えの方がいらっしゃういますので、それこそ相手を見て、自分の考えを言った方がいいのか先生の予測に従って動いた方がいいのか、雰囲気を読むことが大切なのですね(^^;)。
子どもは先生を選べません。「ぼくはtoshi先生みたいな、ぼくの考えを褒めてくれる先生がいいなぁ〜」って、言えませんもの。言えるなら、言いたい。
11. Posted by せい   2006年03月03日 22:43
toshi先生、ごぶさたしております。
うちはまさしく、「教師の気持ちを読める」子どもに
してしまったのだなあという状況です(^^;)
まだまだ修行が足りません。
でも近頃、自由なつぶやきが聞こえる教室になってきました。
以前と比較すると、ではありますが…。
当初は声の大きい子(物理的な意味だけでなく)の発言まかせで
全てが進んでいってしまう子どもたちだっただけに、
お互いのつぶやきを大切にできるようになってきたことが、
大きいのかなと思います。
ただ、そのつぶやきに対してどう整理し、切り返していくかは
難しくて頭を悩ませています。
今年度もあとわずか、この空気を大切にしていきたいです。
12. Posted by toshi   2006年03月04日 06:31
まき菱さん
 ただただ苦笑いです。『先生にもいろいろな考えの方がいらっしゃる』は、まさにその通りでしょうが、教員にとって研修は、義務であり、権利なのでして、子どもの見方、授業のすすめ方は、ほんとうはいろいろあってはいけないと思うのです。
 もちろん、修行中の試行錯誤は、これは、受容してほしいのですが、研修を積み重ねる教員であってほしいという願いは切なるものがあります。
 ただ一つ。わたしは、空気を読むことを子どもに求めてはいないつもりですが。(程度問題とは言いましたがね。)
 どうも、文章の吟味が足りなかったようで、申し訳ありません。
13. Posted by toshi   2006年03月04日 06:44
せい先生
《当初は声の大きい子(物理的な意味だけでなく)の発言まかせで全てが進んでいってしまう子どもたちだっただけに、お互いのつぶやきを大切にできるようになってきたことが、大きいのかなと思います。》
 これってすばらしいですよ。『声の大きい子』に思いやりの心が出てきたのだと思いますし、『声の小さい子』は積極的で生き生きとしてきたのだと思います。
 これは現在、一番大切なことだと思います。せい先生は、『人としての生き方』を実践的に育んでいるのだと思います。
 子どものつぶやきをどう整理していくか、どう切り返し学習を深めるかは、わたしも日々反省でした。
 『もうこれでいい。完璧に拾える。』そういうことはありえません。限りなくそうなるように努力するということでしかありません。永遠の努力という気がします。それだけに、やりがいがありますね。

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