2006年03月09日

育つ初任者(3) わたしの初任者指導4

f1c67549.JPG  今日は、初任者の姿ではなく、わたしがどんな方針で初任者指導に臨んできたか、その点に焦点を当てて書いてみたい。

 4月彼らと出会ったとき、こう宣言した。
「『基本的には、』という意味で申し上げるが、わたしは、初めから『ああしなさい。こうしなさい。』ということは言わない。先生のやりたいようにやってもらう。それでけっこうだ。ただし、先生のやっていることを見て、放課後、子どもを帰してから、『あの点はよかったよ。』とか、『もっとこうすればよかったね。』とか言うから、そこで、翌日からの実践にそれを生かしてほしい。」

 かつて、どなたかのブログを読ませていただいたとき、『初任者は指導教員の言う通りにやらなければならないので、自分の思いと違うことが多々あり、それがきびしい。』という意味の論述があったが、わたしの担当する初任者はその点では、大きく異なるだろう。

 子どもの見方とか、子どもへの対応とか、授業のすすめ方とか、いろいろな点でその方針を貫いてきた。

 しかし、これも例外はあるので、
いじめなどがあった場合は、ほおっておいて後で初任者に指導というわけにはいかない。
学年で同一歩調をとる必要がある場合も即時即場的に対応しなければいけないことがある。
期日を切られていて、もう待つことができない場合も同様だ。
こういうときは、子どもの前であっても、わたしが口をはさむときはあった。

 もう一つ。わたしの初任者のなかに個別支援級担任が一人いるので、その場合は、後ろで黙って見ていればいいとはいかないケースもあった。初任者が、教室をとび出す子どもを追いかけるときは、わたしも一緒に追いかける。また、初任者が、一人の子どもの対応に追われているときは、わたしはもう一人の子どもに対応せざるを得ないこともあった。

 そんなわけで例外はあるものの、基本的には、上記方針を貫いたわけで、これはよかったと思っている。


 わたしがこういうスタンスをとったのは、初任者指導も、学級経営も、はたまた、校長としての学校経営も、基本的にはまったく同じと考えていたからだ。要は、信頼関係の構築か。

 わたしは、信頼関係の構築をこう見る。

 人間である以上、だれもが何らかの活動はしている。
 まして、相手が教員なら、給料をもらって仕事をしているのだし、みんな、よかれと思うことを積極的にやっているはずだ。そこに信頼をおく。

 あとは、各人の活動の様子を見守り、よいことはよい。問題のことがあれば、こうすればよいのではないかと言うことで、成果は実っていく。そう思うのだ。

 ただし、これには、断りがいる。『それでは、指導性が何もないではないか。』そう思われるかもしれない。

 しかし、わたしはそうは考えないのだ。『よいことはよい。問題のことがあれば、こうすればよい。』は、まさにわたし自身の価値観であり、教育観であり、人間観でもあると言っていい。そこにはおのずと一定の評価観もあり、そこにこそ、わたしの指導性が現れる。そう思うのだ。

 そして、何より、育つとすれば、それは、その本人の努力が一番大きいのだと考える。わたしは、支援に撤することとなる。


 ここからは、今日のテーマから外れる。すみません。

 ああ。今、我が子の子育ても、このようにできればよかったのだなと、痛感する。

 多くの方からコメントをいただいた。ありがたかった。
 教える立場にあっても、迷いと不安定な感情と理性との相克のなかにあったことを強く感じる。

 教職としての修行時代は、家庭での子育てでも、修行時代であった。


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rve83253 at 02:25│Comments(2)TrackBack(0)指導観 | 初任者指導

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この記事へのコメント

1. Posted by こだま   2006年03月09日 22:12
こんばんは!
今回の内容は、私も肝に銘じておかなくてはいけないことです。子ども相手も同じ事ですね。こちらの方法を押しつけるのではなく、とりあえず子どもの主体性に任せてやらせてみることは非常に大切なことだと思います。仮に失敗しても、そのことはより切実感を持って大きな意味を持つことになりますので、長い目で考えればかえって、その子にとってよいことになるのではないか。そんな風に最近ますます思ってきました。ただこちらは、はらはらどきどきで見守ることになるわけですが。
2. Posted by toshi   2006年03月10日 21:33
こだま先生
 こうした観点で言えることは、学校はけっこう楽なんです。担任の見ようとする目さえあれば、多くは1学級30人以上はいますので、誰かが担任のねらいとするところをやってくれます。その子をその観点でほめればいい。そうすれば、その輪が広がります。
 ただ、この通りいかないのは、校長として、教頭を指導する場合です。これは、どちらも1人ずつしかいないので、『誰かが気付く』のを待つというわけにはいきません。自然、言わずにはいられないケースが増えます。
 でも、基本は信頼。こだま先生もおっしゃっていましたけれど、『子どもは自ら伸びようとする存在』ということへの信頼だと思います。この思いのもてる人は、強いと思います。

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