2006年04月19日

教科差別だ!3

e3fd0ab0.JPG  昨日の記事で思い出したことを書く。
 ここに登場する教頭は、昨日のチョークを投げられた方の人と同一の方である。その方は、わたしの校長時代の、我が校の教頭だった。

 ある日のこと。教育委員会から届いた人権教育研修のための資料をめぐって、その教頭が、怒っていた。

 その資料には、次のようなことが書かれていた。

 『小学校5年生のクラスに、何かと言うと担任にたてつく子がいた。
 その日も、担任の一言、一言に対し、『そんなことないよ。』『何でそんなことを言うのだよ。』『うるせえんだよ。』などと声が返ってきた。最初は、『静かにしなさい。』といった感じで落ち着いて対応していた担任だったが、あまりの言葉にきれてしまい、その子の肩を軽くこづいてしまった。
その子は、『あっ。体罰だ。体罰だ。』と叫んだ。』というもの。

 すみません。ほんとうの文例は、もっといろいろなことが書かれていて、『子どもも子どもなら、担任も担任』とも思える内容になっていた。それを通し、教員のとるべき態度を考えさせる内容になっていた。

 そのなかに、『体育教師』という言葉が書かれていて、それが、彼を怒らせたのだった。

『何も体育教師などと、文例に書くことはないじゃないですか。この文例で、担任が体育教師でなければならない必然性など何もありません。
 ここには、『体育教師なら、こんなこともしかねない。』という、偏見がありますよ。教科差別だ。』

 ほんとうにその通りと、わたしも思った。

 教育委員会が出す文書。それも、よりによって人権研修のための資料で、こういう問題(?)を起こす。

 人権問題の容易ならざる事態を、痛感させられた。人間は無意識に差別をしているいい例だと思った。

 わたしたちは何気なく、言う必要のないことまで、わざわざ言ってしまっていることはないか。そこには、作為的ではないものの、心の深層にすくった偏見がある。

 わたしも、このブログを書くにあたり、気を付けているつもりだが、ほんとうに大丈夫かと言われると自信がない。

たとえば、男女などふれる必要がないのに、『男の子が、女の子が』と言っていることはないか。
 職業などふれる必要がないのに、さりげなく書いてしまっていることはないか。
 
 それも、差別につながらないのならまだいいが、性による役割固定、職業偏見につながるようなことが書かれていないか。

 それが、人の心を傷つける。気を付けたいと思う。


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rve83253 at 23:33│Comments(11)TrackBack(0)自己啓発 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by カズキ   2006年04月20日 06:48
5 差別を訴える人ほど差別をしているというのはよくありますね。アメリカで差別を訴える黒人に数多くあいましたが、彼らの大半は他の人種を差別していますね。結局差別は一生この世から消えないのでは?と思えてしまいます。
2. Posted by NANA   2006年04月20日 10:36
>人の心を傷つける。気を付けたいと思う。

思うところがあったので、改めたいと思い、記事を一つ書きました。
特になにか?内容の濃いものというわけではないのですが、先生のこの記事のおかげでちょっと姿勢を正そうと思わせていただきましたので、お礼の気持ちでTBさせていただきます。

いつも考えさせていただいて、ありがとうございます。
3. Posted by Hideki   2006年04月20日 10:56
差別行為者にも2つのタイプがあると思う。ひとつは意図して行うもの。もうひとつは意図せず行うもの。一方で、差別を受ける側が、差別と受け止めるかどうか?で、その行為が差別かどうかが決まる。

Toshiさんが挙げられた例は、多分教育委員会側はそんなことは微塵も意図していないだろうと思います。ただ、受け止め方により「差別を生む」「偏見を生む」可能性がある。難しいのは受け止める側の過剰反応という場合もあり、単純ではないのですが、まずは配慮が足りなかったのでしょうね。

大原則は、
「相手への配慮」をどこまでできるか?
「相手がどう思うか」ということをどこまでイメージできるか?
ここがまずは出発点ですね



4. Posted by Hideki   2006年04月20日 11:02
いっぽうで、過剰反応ではないか?もっというなら「言いがかり」ではないか?と感じさせる例もあったりします。

たとえば、「外人」は差別用語だ!と主張する人もいます。
その真偽は別にしても、そこに対して激怒する相手に対して、「そこまで思わなくても」という感情を抱く人も少なくないと思う。

いや、下手したら、被害者意識が強すぎる!と逆に反感を生む可能性すらある。

基本的には、自分の発した言葉で、相手が(意図せずとも)不快に思ったら、その点は素直に反省しなければいけないのですけどね。

このあたりの線引きは、実際はとても難しい。

5. Posted by Hideki   2006年04月20日 11:08
逆に、差別を受ける側が気がつかない差別というものがあります。こっちはこっちで根が深い。差別をする側が、意図して、だけど気がつかれないように隠して行うものだから。

例えば、隠語などは、その典型例です。

「池沼」という言葉をご存知でしょうか?

これは最近のネット(主に2チャン)で使われる、「知障」の代わりに使われるものです(知障と直接表現するとダメだから)。

まあ、最近ではその本来の意味が薄らぎつつありますが、「こいつ、池沼か!?」という感じで相手を侮蔑するときに使われています。

意図して行われている時点で、もっとも悪質です。
6. Posted by toshi   2006年04月20日 21:05
カズキさん

 たしかにおっしゃることはありうるとは思いますが、でも、それは、差別されてきた歴史を思い浮かべないといけないと思います。
 それと、起こったことで判断することが大事で、黒人がとか、わたしの記事ですが、体育教師がとか、くくってしまうと、それは、差別に結びつくのではないでしょうか。
7. Posted by toshi   2006年04月20日 21:07
NANAさん。
 
 TB、ありがとうございます。
 ただ、ごめんなさい。とても読ませていただく時間がなさそうです。土日に読ませていただきますね。
 申し訳ありません。
8. Posted by toshi   2006年04月20日 21:12
Hidekiさん

 『わたしは、差別などしていないと言う人がいたら、それはうそだ。そういう思いで、学ぶ姿勢がないと、差別はなくならない。』
 ほかならぬ教育委員会の言葉です。でも、教育委員会も謙虚さはもっていますから、責める気はありません。
 そう。わたしだって、教頭の言葉がなかったら気づいていたかどうか。でも、気づかなければいけないのだと反省したのです。
9. Posted by toshi   2006年04月20日 21:19
おっしゃること、よくわかります。言葉自体が問題ということもありますが、それよりも、その言葉をつかう人の心が見えたとき、それが、人の心を傷つけるのだと思います。わたしがつかう『障害のある人』だって、差別語となるケースはいっぱいあるだろうと思うのです。
 『外人』と言ったって、全然差別ではないケースだっていっぱいあるということですね。
 お互いにそういう気持ちで、ふれあいたいですね。差別はもちろん許せないことが前提ですが。
 『池沼』は、以前のHidekiさんのコメントで知りました。調べると、ひどいことだなと思いました。許せないですね。
 それと、受け取る側が差別を感じたら、それは差別ということに全面的に賛成です。発信する側は、それを常に心にとめていなければならないと思います。
10. Posted by NANA   2006年04月21日 00:08
あわあわ・・・。
どうぞお気遣いなく!
だってだって、またまたものすごい長いですよ。あのダラダラ感には、我ながら嫌気がさしすほどです。

じゃあTBなどしなければ良いのに!と、今思いました。
もう!ほんとにお気遣いなく!
11. Posted by toshi   2006年04月23日 09:29
NANAさん
 わたしの方こそ、すみません。なかなか時間がなくて。今日、NANAさんのブログの方に、コメントさせていただきますね。

 これにこりず、どんどんTBしてください。

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