2006年04月21日

配慮したい子を主軸にすえた学級経営5

1829637d.JPG  今月15日の『先入観だなんて』の記事に対し、せいさんより、選択性かん黙の子どもについてのコメントをいただいた。10番である。

 昨年度、わたしの担当した初任者の学級にも、選択性かん黙の子どもがいた。やはり2年生である。わたし自身は、22年間の学級担任だったが、こういう子を受け持った経験はない。だから、初任者とともに学ぶといった感じのこともあった。

 週1回お邪魔しているわたしが、かん黙児の存在に気づいたのは、5月だった。そのきっかけは、運動会の練習をしていたときの学年主任の言葉だった。
「Hさんは、『ようい、ドン』のとき、ピストルの音をこわがっているね。耳をこうやってふさいでいるものだから、スタートが遅れるのだよね。」

 それから、Hさんのことを、気をつけて見るようになった。

 わたしの、『小学校初任者のホームページ』では、7月から、Hさんのことにふれている。

 それ以前は、基本的には、他の子の野卑で乱暴な言動が目についたため、学級生活のルールづくりなどに意を注がざるを得ず、Hさんの存在は、勢い、放置される結果となっていた。

 学級が落ち着き、よい雰囲気になったところで、学級の新たな目標づくりが必要という感じになったとき、それは、9月のことだったが、わたしの方から、Hさんを主軸にすえた学級経営を提案した。

 初めは、Hさんと担任との言葉の交流、とは言っても、かん黙であるため、一方的な担任からの働きかけになってしまうが、それを大事にし、それを学級全体に聞かせることに努めるようにした。
 とは言っても、話すように働きかけることはしない。ノートとか、絵とか、見ている方向とか、Hさんのよさが発揮されている場面を見つけ、それを指摘し、ほめることに努める。

 10月になって、子どもがHさんにかかわる場面が見られるようになった。今度は、そのかかわりを担任が指摘し、認め、ほめるようにした。
 やさしさ、気をつかっている姿、7月まで野卑で乱暴だった子が、Hさんに思いやりのある行動をとったときは、感動という次元で語って聞かせるようにした。

 そんなときに、保護者から、感動と感謝の連絡帳をいただく。それも担任から見せてもらった。保護者が喜び、感謝しているのを知って、担任はますます自信を深めた。

 このころは、自信を深めるのはいいが、こういうことは、右肩上がりによくなっていくものではなく、一見マイナスかと思うような後退現象だってときには起こるのだから、いちいちがっかりしないことを担任に話した。
 また、学級では話せないものの、家庭においては、ふつうに話していることから、選択性かん黙であることは明確であり、無理しなければ、そのうち、自然に話すようになるだろうと思われた。

 このころから、Hさんは、運動に果敢に挑戦するようになった。それを学級のみんなが驚き、担任に報告し、ますます行動と言葉で応援するようになったことから、学級集団の心も鍛えられるようになった。それが顕著に見られるようになった。

 さらに、お友達がHさんの家に訪ねてきたり、Hさんが友達の家に行ったりすることが、保護者からの連絡帳で分かり、その連絡帳には、わたしも感動させてもらった。

 11月になると、補助板つきながら、逆上がりができるようになり、これは、学級多くの子が、狂喜した。担任も涙ぐんだようだ。保護者からの連絡帳は、ますます頻繁になった。

 2月に、かけざん九九を唱える学習があったが、もうそのとき、Hさんはやっと聞こえる声ながら、担任に向かって、唱えるようになったという。

 ある日、それは金曜日。わたしは、H児のいる教室にいた。
担任がわたしに大きな声で言う。
「toshi先生。学級のみんながわたしの前で順番に九九を言うのですが、時間がかかるので、半分の子は、toshi先生の前で言うようにしていいですか。お願いしたいのですけれど。」
 わたしはその時点では、担任の意図が分からなかった。子どもの前でそう言われてしまった手前、『いや』とは言えないという感じで受ける。
 何と、担任は、H児をわたしの方に並ばせたのだ。

 さりげなさを装うわたし。H児の番になった。わたしは初めてH児の声を聞いた。
『息』の声だった。わたしは自分の耳を、H児の口元に最接近させた。
 すべてしっかり聞けたとは言えない。『あれ。今は、何て言ったんだろう。』そう思うこともあった。やり直しをさせた。しかし、2度3度という訳にもいかない。
それで、『ようし。合格。』と叫んだ。

 放課後、担任に言った。
「『ようし』とは言ったが、ほんとうに言えたのかどうか、正確には分からなかった。だから、機会を見て、先生も、確認してね。」

 最後の懇談会。H児の保護者は、『うちの子の変容は、学級みんなの支えのおかげ。』と涙ながらに、感謝の言葉を述べたそうだ。
 担任は、『そうした面と、逆に、Hさんがこのクラスにいてくれることによって、学級みんなの心が育ったという面もある。だから、お互い様なのです。』と話したという。


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rve83253 at 05:52│Comments(14)TrackBack(0)学級経営 | 児童観

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この記事へのコメント

1. Posted by 大山虎竜   2006年04月22日 05:15
toshi校長先生が言われるとおり、障害がある子どもと障害がない子どもがふれあうことは、お互いの成長にとって、有効な体験だと思います。
我が校でも。障害がある子どもを中心にしたり、十分配慮できている学級は、実に雰囲気があったかいです。
ところで、アメブロと相性が悪いのでしょうか、TBができません。
残念。
2. Posted by toshi   2006年04月23日 09:23
大山虎竜先生

 担任の意識の上のことですが、配慮したい子を学級経営の主軸において、学級全員の子どもの心を鍛えていくのと、学級全員の温かみが、配慮したい子を変容させていくのと、どちらも相互作用と言いますか、双方の視点をもつことが大切なのだと思います。
 TBの件はすみませんが、再度やってみていただけますか。できないことはないと思うのですが・・・。
3. Posted by せい   2006年04月23日 19:21
読ませていただいて、とても勉強になりました。
私のクラスの話になりますが、最初の数日間、新しく一緒のクラスになった子からは「どうしてしゃべらないの?」「しゃべればいいのに」という声もあがりました。
が、今のところ様子を見ていると、学校では話をしないその子の今の姿を、温かく受け入れようという空気ができているようで、ひとまずほっとしています。
4. Posted by せい   2006年04月23日 21:42
つづきです。
その子はよく笑顔を見せるのですが、その子が笑うだけで、周りの空気がぱあっと明るくなります。そのおかげもあるのでしょう、学校では全く話せないのですが、周りにはいつも友達がいます。
いろいろ思いがあってうまくまとまりませんが、とにかく今年1年は、彼女を中心にやっていきたいと思っています。

2年目といえども悪戦苦闘の毎日です。明日からまた、がんばります。
5. Posted by toshi   2006年04月24日 01:10
せいさん

 《最初の数日間、新しく一緒のクラスになった子からは「どうしてしゃべらないの?」「しゃべればいいのに」という声もあがりました。》
 それがいじめにつながるようなものでなく、純な子どもの自然な思いの発露のようなものであれば、言ってかまわないと思います。
 先生は、『それぞれの子にそれぞれのよさがある。Aちゃんは笑顔が
すてき。Aちゃんの笑顔で学級が明るくなる。』繰り返し、そう言ってあげることが大切と思います。
 そうして、『彼女を温かく見守るみんなもすてき』。その双方で、子どもたちの心を育むことが大切なのだと思います。
 
 
6. Posted by キテイ   2006年04月29日 02:23
こんばんは。実は私も選択性かん黙児でした。原因は家庭環境だと思います。私の場合は再婚家庭の異母兄弟、共働きといった環境で育ちました。私自身大人になった今は、全てを受け入れ流すことができるようになりました。ただ、かん黙児に関しての接し方は生半可ではないと思います。周りの空気を完璧に読みます。読みすぎて自分の意見を口にだしてはいけないこともわかっています。
7. Posted by キテイ   2006年04月29日 02:29
私も家庭ではよく話しをしていました。でも、だからといって話をしないと所に原因があると決断をだすのも早いです。私も大人になって初めてあのころの原因がわかりましたから。意見が言えないコも同じです。親の服従で生きるしか方法がないのですから、意見がいえないなどと母親に言ってもいけません。それと反対に悪さをする子は親もわかりますから、振り返るきっかけができますし、それに早く気付けば取り返しがつきますが、かん黙児は要注意です。
8. Posted by キテイ   2006年04月29日 02:33
思いやりの言葉をかけても、それが本心なのかそうでないのかはすべてお見通しです。ただ、今はそれを口にだして親にでさえもいえません。それが、普段悩みを口に出す子供であってもそうです。それさえも言ってはいけないこともすべて分かっています。そのコの全てを受け入れる覚悟があるのなら、接しても良いでしょうが、中途半端な気持ちならそのコの人生をダメにするでしょうね。
9. Posted by toshi   2006年04月29日 17:37
キテイさん

 貴重なコメント、ありがとうございました。
 ただ、よく理解できないところがあるので、もう少し教えてくれませんか。
 
 と言いますのは、キテイさんのようなケースもあるし、それ以外の要因もあるという理解でいいのでしょうか。
 と言いますのは、わたしが経験した初任者の学級のかん黙児の場合、わたしは初任者から聞くだけで、わたし自身が直接保護者に会ったことはないのですが、
ヽ惶蕕馬辰擦魂翹の連続だったときは、家庭で親に当り散らしていたこと。
学級で級友が温かく接してくれるようになると、家庭で鼻歌がでるくらい陽気になったこと。
J貎討浪罎子の変容の状態を涙ぐみ、感謝して、担任や同じ学級の保護者にその喜びを話したりしているのです。
 ただ、わたしもこの子の場合、話せなくなったきっかけなど、不可解で、よく理解できないまま、3月のお別れとなってしまいました。
10. Posted by キテイ   2006年05月17日 21:17
お久しぶりです。仕事が忙しく久しぶりに読ませていただきました。勿論、私以外の要因もあると思います。原因が何にしろ、家族にあたり散らすということは素晴らしいです。それによって、お母様も悩まれているでしょうから、これがきっかけになれば良いことだと思います。私は、両親に当り散らしたのは高校になってからでした。その時も自分が何故このように親に当たっているのかさえ自分自身わかりませんでした。原因がやっと解かったのは、20年後です。ただ、学校がかん黙の原因だとは今の段階ではいえないと思います。その子自身が大人になって、いろんな事を流せるだけ成長したときにだけ、分かると思います。当り散らすということは、認めて欲しい、私を全身で愛して欲しいということなのではないでしょうか。でも、それを学校側が親に言ってしまえば、その子はダメになるでしょうね。親が自分で気付く時期を待つしかないように思います。
11. Posted by toshi   2006年05月18日 00:08
キテイさん

 ご多用中のコメント、ありがとうございました。わたし、少しですが、インターネットで、選択性かん黙について、調べてみました。
 これは、大人になれば、皆ふつうに話すようになると書かれているものがありました。
 そういう含みで、キテイさんのコメントを読ませていただくと、ストンと落ちるものがあります。やはり、何か、精神的な抑圧が関係しているのですね。
 無意識の世界なのでしょうけれど、『言ってはいけない。』という思いが強くはたらいた結果なのですね。
12. Posted by 弥生桜   2006年12月28日 15:22
はじめまして。
私は弥生桜と申します。
私は選択性(場面)緘黙症の経験者です。

こちらでは先生方が場面緘黙症の知識をよく備えていらっしゃり、緘黙児の指導に心を砕いてくださっていることを知り、とても明るい気持ちになれました。

ところが、一方で、場面緘黙症について知識があるのかないのか知りませんが、緘黙児にとっては全く逆効果な自己流の指導を行う、またはほったらかしにするというような教師が大勢いるのも事実です。

緘黙症というのは、高校生までの修学期間に治らなければ、本人にとってはたいへんな後遺症を引きずって社会で生きていかなくてはならなくなります。

13. Posted by 弥生桜   2006年12月28日 15:23
私は、どのような緘黙児も遍く適切な指導を受けられるシステムを日本に構築するために、2006年8月に当事者や保護者の有志とともにボランティア団体を結成しました。

日本ではおそらく緘黙児に対するまともな指導ガイダンスもなく、教師の方々は緘黙児を担任して戸惑われると思います。

ところが、欧米諸国では緘黙症の研究が近年大いに発達し、高い割合で緘黙児を正常な心理状態へ導くことのできる治療法まで確立されているのです。

当会の目的は海外で発達している知識と治療法を日本へ導入して定着させることです。

小学校の教師ならば在任中に平均1〜3人は担任すると推算しています。

ご関心を持っていただけましたら、どうぞ当会のホームページまでお越しください。
http://www.eonet.ne.jp/~preciousshine/
どうぞ宜しくお願いいたします。
14. Posted by toshi   2006年12月31日 09:59
弥生桜さん
 古い記事へのコメント、ありがとうございました。よく見つけてくださったなと感謝しています。
それなのに、コメントが遅くなり、申し訳ありません。遅くなったわけは、今日記事にさせていただきます。
 緘黙児については、わたしもあまり知識はなく、まして、初任者指導という立場から、満足な指導はできなかったのではないかと、内心、忸怩たるものがありました。担任と共に歩むといった感がありました。でも、担任の、『みんな大好き』という姿勢と、気づく心があれば大丈夫という気持ちで、担任は努力したと思います。
 あと、配慮したい子を主軸にすえた学級経営をすれば、学級みんなの心が鍛えられるのですね。けっして配慮したい子だけのために行うのではないということです。これが、大事だと思います。
 貴ホームページで学ばせてください。
 

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