2006年04月30日

『障がい』の理解(1)4

b4e359a2.jpg  わたし自身、このブログを通し、『障がい者への差別』が、現在も『しっかり』あることを認識し、それを記事にしてきた。大変多くのコメントが寄せられたことに感謝している。

      障がい者への差別
      障がい者への差別(2)

 次に、下記ブログ記事が、わたしの本日の記事にも深くかかわると思うので、それらも併せ、お読みいただければと思う。

こんな子育てあってもいいじゃん♪〜にしこ家の場合〜 4月22日 地域社会に存在する障がい者の意義
 このブログを通し、さまざまなことを思った。今日、明日は、現在の思いを記事にし、一応のまとめとしたいと思う。

障がい児をもつ保護者の心情に対しては、力不足で申し訳ない思いになった。
こうしたブログ活動を通し、今後も、差別をなくす方向に行くことが期待できそうだと思った。

 一つ、方向性として見えてきたことは、一人で差別に向かっても、なかなか、むずかしい。何かことあるときに、『うちの子には障がいがありますので、〜。』ということですら、障がいのある子をもつ保護者には、様々な思いが渦を巻く。

 しかし、ここは、『無知が偏見を生み、偏見が差別を生む。』(島本恭介氏の本より掲載した。本日より数日、この本の紹介を本ブログサイドバーの最上段に掲示)が言える以上、無知のままであっていいという論理はないわけだ。

 それで、Hideki氏がおっしゃるように、障がいのあることを訴えるのは、免罪符を求めるのではなく、広く障がいへの理解を求めるのだ(本ブログ『障がい者への差別』コメントの24番)という認識にたち、訴え続ける必要があるだろう。

 上記のように一人で、訴え続けるのは、大変きびしいわけで、それなら、横の連携を強め、地道に、しかし、力強く歩み続ける必要があるだろう。
 
 その際、身近にいる第三者(学校教育にかかわる者や、広く社会で障がい者とふれあうなど、ボランティア活動に携わる者)の果たすべき役割は大きいと思う。そして、こうしてブログでアピールすることも、大いに効果を上げるだろう。そうした認識にたち、ささやかながら、わたしも努力したいと思う。


 にしこさんがとり上げた通学の問題については、まったく同様のことが、わたしの学校でもおきた。ちょっと違うのは、障がいのある子(Aさん)は、引っ越してきたばかり、つまり転入直後だったことだ。

 そのせいだろう。当事者の保護者同士の会話はなく、すべて、担任を通すかたちで、にしこさんと同様の問題が起きたのだった。

 その場合も、Bさんの保護者は、障がいを理由にはしていなかった。
「うちの子は、勝手気ままなところがあり、お迎えも、送ることも忘れてしまうことがよくある。また、乱暴でちょっと気に入らないことがあると、すぐ暴力的になるので、心配で。」
とのことだった。

 Aさんの保護者は、
「必ずわたしが送り迎えしますので、どうかお気遣いなく。」
とのことだった。しかし、日がたつにつれ、何が原因だったかは忘れたが、保護者同士で確執が起き、こじれにこじれる結果となった。

 わたしは、担任から頻繁に相談を受けるようになり知ったのだが、わたしが直接双方の保護者と会うこともあった。

 Aさんの保護者は、
「うちの子に障がいがあるので、あのお母さんは、一緒の登下校を嫌がっているのです。現に、〜のようなことを、わたしに言ったのですよ。」
と言うし、Bさんの保護者は保護者で、
「わたしはそんなことは言っていない。ただただ、うちの子のいたらなさで、不安なのです。」
と言うし、収拾は困難に思われた。

 しかし、担任の努力もあり、子ども同士は、問題がないわけではないが、けっこう仲良くなっていった。しばらくともに生活していれば、障がいのあることは、何となく子どもにも分かる。そこに担任の指導もあり、Bさんには、思いやりの心も芽生えつつあった。

 だから、ちょっと遠いのだが、別なCさんと一緒に登下校させると決めたときは、担任もわたしも、少し忸怩たる思いがあった。

 なお、蛇足ながら、この学校は、集団登下校は行っていなかった。ただただ不審者対策の一環で、一緒に登下校する子を決めていたに過ぎない。

 Aさんの保護者は、Cさんが女の子だったこともあっただろう。ちょっと遠いにもかかわらず、だいたい毎日、家まで送り届けてくれた。これには、学校も、Cさんの保護者も感謝した。

 学校としては、やや、戸惑いはあったものの、一応の一件落着を見、ほっとしたのも事実だった。

 しかし、今、にしこさんのブログを読ませていただいて思う。

 Aさんのお母さんも、内心、すごいショックだったのではないか。
『言った』『言わない』は、学校としては、どちらに組するわけにもいかない。
しかし、もっと対応のしようがあったのではないか。少なくとも、もっと学校からはたらきかけ、対話の時間をふやすだけでも、心を癒してもらえることになったかもしれない。

 特に、引っ越した直後だけに、気の毒だったなと思う。申し訳なさでいっぱいになった。

 ただ、担任が、Bさんの変容、つまり、Aさんとふれ合うことによってでてきた思いやりの行動について、Bさんの保護者によく語っていたことはよかったと思う。


 すみません。『横の連携が大切、それには学校の果たす役割は大きい。』と書きながら、この程度のことしか書けなくて。

 話は終わっていないのだが、長くなった。今日はここまでにする。

 
 Hidekiさん。すみません。明日は、Hidekiさんの少年時代の思いについて書かれたブログをとり上げさせてください。
 Hidekiさんは、懺悔と書かれたけれど、わたしは当時の学校教育の責任は大きかったと思うし、しかしながら、それだって、それ以前と比べれば、障がい者理解は進みつつあったと思うし、その辺のところは、明日記事にさせてください。


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    (2)へ続く。


rve83253 at 20:06│Comments(3)TrackBack(0)自己啓発 | 保護者

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この記事へのコメント

1. Posted by にしこ   2006年05月01日 16:49
遅くなってしまいましたが、私のあの様なブログにTBして下さってありがとうございました。
また、今回この様に記事にして下さった事も感謝しています。

私もあれから色々考えました。
そして、まだ考えている途中なのですが、子どもの事を理解してもらう上で、保護者同士が良い関係を築いていくことが重要なポイントであると思っています。

>Aさんの保護者は、Cさんが女の子だったこともあっただろう。ちょっと遠いにもかかわらず、だいたい毎日、家まで送り届けてくれた。

こういう気遣いは大事だなと思います。
そういう事で保護者同士の信頼関係が築かれていくのではないでしょうか。
2. Posted by にしこ   2006年05月01日 16:49
>担任が、Bさんの変容、つまり、Aさんとふれ合うことによってでてきた思いやりの行動について、Bさんの保護者によく語っていた

Hidekiさんもおっしゃっていましたが、やはり障がいのある子どもの保護者が言うだけでは説得力に欠けます。
その欠ける部分を第三者の方に補って頂くことで、周りの方からまた別の見方をして頂けるのではないかと思います。
そういう意味で、こういうお話を保護者にして下さることは有難いと思います。

まだ、色々思いが頭を巡っている途中でして、こんな中途半端な事しか書けずにすみません
3. Posted by toshi   2006年05月03日 12:34
にしこさん

 わたしもいろいろ考えましたが、今のところの結論は、にしこさんもおっしゃるように、_の連携を強めること、そして、第三者も、そうした意味でのアッピールに、努力すること。△錣燭靴燭繊公教育に携わるものの使命の一つは、良好なる人間関係の構築ですから、そうした観点での努力もすること。そう思います。

 第2集もまとめました。ご意見を賜れば、幸いです。

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