2006年05月03日

『障がい』の理解(2) 共生4

  今日の記事は、前回、4月30日の続きである。
また、本記事は、下記、☆自閉症児マリオくん☆の記事と対話するような気持ちで書かせてほしいので、お読みでない方は、それを先に読んでいただけたらありがたい。

              4月30日   『障がい』の理解
☆自閉症児マリオくん☆   4月27日   願い(懺悔もこめて)
 
Hideki氏は、ご自分が子どものときの、つらい思い出を記事にされた。
勇気ある記事だと思う。


 子どものやることは、基本的には、子どもに接している、まわりの大人の責任である。子どもは健康にすくすく育つ権利を持っているのであって、それが侵害されている以上、大人の責任は免れない。

 まずは当時の学校教育の責任が大きいと言わざるを得ない。わたしも多分そのころは、教員になっていたと思うので、当時を振り返ると、申し訳ない思いになる。

 次に社会の責任もあるだろう。当時、人々の人権意識は、まだまだ未熟だった。

 しかし、そうは言っても、当時という時代を考えると、それでもなお、人権意識を確かなものにする方向性は持っており、そうした意味では、発展途上だったとも言えよう。

 今後、障がいのある人との共生を考えるとき、楽観視できる部分と、心配な点との双方を感じる。

 今日は、そうした論旨で、書きすすめたい。


 今回、Hideki氏の上記ブログ記事を読ませていただいて、個別支援学級のあゆみを、調べてみたくなった。というのは、わたしが初任だったころの個別支援学級は、今と比べれば、けっこう閉鎖的で、交流などしていなかったのではないかと思えたからだ。

 しかし、限られた時間のなかでは、よく分からなかった。そこで、今回は、わたしの記憶のなかで、また、わたしが住んでいる地域のことで、たどってみることにする。

 ただ一点、わかったことは、個別支援学級は、50年の歴史をもつということであった。

 わたしが子ども時代、個別支援学級はまだなかったと思っていた。しかし、今回、そのころに、個別支援学級は発足したということが分かった。

 ということは、この時代は、『障がいのある人』は、社会から隔離されていたか、ふつう級に在籍していたかのいずれかだったのだろう。社会には、まだまだ、差別、偏見意識が大きく、『社会にだしてはかわいそうだ。』あるいは、『恥ずかしい。』ということで、家庭が隔離していたように思う。

 そういう記憶は、わたしにもある。一種、言うに言われぬ、聞くに聞かれぬ、もやもやとした感じがあった。わたしはまだ子どもだったから、『ふつうではない、なんか、おかしな人がいるらしい。』と言うような認識だったと思う。
 
 そして、このころは、教員が差別に加担することも、残念ながら、まだあった。そのことは、かつてこのブログでもふれた。


 さて、個別支援級の設置状況をふり返る。わたしが教員になったのは昭和45年だが、そのとき、わたしが勤務する学校に、個別支援級はなかった。『障がいのある子』は、近隣の個別支援級の設置されている学校に通学していた。
 その後も、設置校はふえたが、わたしが校長になってからも、わたしが勤務した学校では、1校が開設されていただけで、1校はないままであり、1校は開設したという状況だった。
 わたしの地域で、すべての学校に、個別支援学級が開設されたのは、つい数年前のことである。

 交流の状況はどうだったか。わたしの勤務した学校で、はっきり交流教育が行われていたと言えるのは、わたしが教頭だったときからだ。それ以前は、給食とか、運動会前の練習とか、限られた場でしか行われていなかった。
 ふり返れば、わたし自身、自分の担任時代に、個別支援学級の子どもが、ある授業だけ、自分のクラスに来て、ともに学習したという経験はもっていないのだ。

 わたしが校長になってから、これは、教育委員会の指示で始まったのだが、自分の学校の学区に居住し、養護学校に通学している児童との交流が始まった。

 これも、初年は、運動会に参加するという程度でしかなかった。次の年からは、給食での交流が始まった。

 つまり学校教育の場で、共生の教育が行われるようになったのは、まだまだ最近のことだ。


 こうしたながれを振り返れば、Hideki氏の少年時代は、社会に、『障がいのある子は、隔離しなければ。』という意識が、徐々に薄れていった時代ではないかと思う。つまり、偏見、差別が、薄れていったということだ。薄れていったということは、まだあったということでもある。

 わたしたち教員も、障がいのある子の教育をいかにしたらよいかという問題意識は、ほとんどなかった。第一、そういう児童がどのくらいいるのか把握できていなかったし、問題意識がなかったから、知ろうともしなかった。学区にそういう児童がいないから、個別支援学級がないのだろうと、そう思っていたと思う。

 わたしが初任者からベテランになろうかというころ、わたしのクラスに、今考えれば、『個別支援学級に在籍しても、ふつう級に在籍しても、違和感のない子』(Aさんとしよう。)はいた。

 そのころのわたしは、担任として、どう対応したか。あるいはできたか。

 子ども同士で、明らかな差別的言動があれば、それは、心の琴線にふれた指導をしたと思う。しかし、Hideki氏がおっしゃるような、『自分らと同じ存在としてではなく、距離をおいたからかいの対象として、〜』というような、もやもやとした学級の雰囲気においては、わたし自身、指導観も、教育観も未熟だったため、指導し切れなかったし、そのまま、ほおっておくような感じになっていたと思う。

 今になっては、ほんとうに申し訳なかったと思う。

 この学級の同窓会が何回もあった。そして、たった1回だけだが、このAさんのことが話題になった。
「もう何回も同窓会をやっているけれど、Aさんは一回も来たことがないなあ。」
「そう言えば、来ないな。」
「そりゃあ、来られないだろう。おれたち、ちょっと彼に対して、距離をおいていたよな。態度がよくなかったと思う。」
「そうだな。無視するような態度があったな。今となれば、申し訳なかったな。」

 そのとき、彼らの話を聞いていて思ったのは、全員が、自分たちの問題としてとらえ、けっして、学校教育とか、担任だったわたしを責めるような感じではなかったことだ。

 そう言えば、Hideki氏も同様で、上記ブログにおいて、子ども時代を思い出す部分においては、自分たち子どもの問題というとらえで書かれていると思う。

 わたしは、同窓会の席上では、当時の自分の指導の至らなさとして反省しているし、それをかてとして、その後、努力したことを語った。

 冒頭述べたように、学級の雰囲気をそのようにしてしまうのは、それは断じて子どもの責任ではない。何度も言うように、わたしの指導力不足とも言えるし、当時の学校教育の実態はこの程度だったとも言えよう。

 しかし、しかしだ。それ以前と比べれば、少なくとも、『障がいのある人を隔離して当然』という教員はいなかったし、自分の学級に、『障がいのある子』が在籍すれば、良心をもって対応したと思う。


 さて、話題を未来への展望に移そう。

 先にもふれたように、今の小学生の保護者が子どものころ、交流教育は、この日本にはまだなかった。(と思う。)

 それが今は、日常当たり前のように行われている。そのなかで、ふつう級の児童は、障がいのある児童とどうふれ合っていったらよいかを、日常の生活の中で自然に学んでいる。全員とは言えないが、成長しながら、大いにふれ合っているのだ。

 だから、彼らが大人になったとき、『共生社会』は、さらに進んでいると思う。

 障がいのある人と共生できるためのまちの施設は、今よりもっともっと充実したものになっているだろう。

 Hideki氏がおっしゃるように、障がいのある人も、市民生活のなかに、当たり前に存在する社会になっているのではないか。

 一般市民には、小さいときからの、障がいのある人とのふれ合い体験があるわけだから、障がいへの理解は、さらに進んだものになっているだろうと思う。


 しかし、これとは逆な推測も成り立つ。それは、人権意識の二極化構造がますます強まるのではないかと思われる点だ。

 現在の『簡単に人を殺してしまう社会』について、宮台真司氏は、これを、『人を殺すことについての敷居が低くなった社会』と言っているが、こうした傾向は、今後もますます強まることが予測される。

 二極化のなかの一極において、人を差別する心は、ますます強まるのではという懸念がある。

 そのなかで、現在の学校教育がどうなっていくべきか。

 教育雑誌で読んだことであり、ことの真偽は定かではないと思っているが、『小学生による学校での殺害事件が起きた地域では、異質な子たちを分離する方向で教育が行われている。』とあった。
 もしこれが事実なら、由々しいことと思わざるを得ない。交流、共生とは反対だからだ。そうなると、国の施策としての、少人数編成、習熟度別授業も、気になって仕方がない。

 学校教育は、交流をさらに強力に押し進めるとともに、『人の命、人の心』を真正面から見つめ、そのかけがえのないことについて、もっともっと大事に指導していかなければならないと思う。


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rve83253 at 09:03│Comments(12)TrackBack(0)個別(特別)支援教育 | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by ヵヮィィ☆ブログランキング   2006年05月03日 11:55
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2. Posted by ja12c   2006年05月03日 12:56
自閉症って分かりにくい障害だと思います。
端的に言えば、
知らない人には問題行動として映る。
知ってる人にとってはコレのことねと分かる。

この違いはなんでしょう。この人は何が言いたいんだろう?したいのだろう?と洞察するかその一点です。

何が正しくて、間違っていて、どのような概念が理想か?ルールだけの思考では人の活力を奪うばかりだと思います。

生活の中に在る真理を実験で体感させる先生とある出版記念会で出会い、感動したことが印象にのこっています(10分間の証明、授業でした)。

人間が廃れてきたという話でよし!やってやるという人で私はありたい。レベルが低かろうとなんだろうと。
3. Posted by Hideki   2006年05月03日 20:34
こんにちは、トラックバックありがとうございました。

さすがに記事にできませんでしたが、振り返ってみれば、子どもの頃からの親の偏見・視点が染み付いていました。子どもが、まわりの大人を範にする、というのは間違いないと思います。

個別支援クラスって、子どもの頃の記憶にないのは、本当になかったか、それとも意識がなかったのか、ただ「交流」というよりも、ただ一緒に授業をうけたという感じでした。だからか、障害者をフォローした子と、私のように距離をおいた子と、いろいろでした。

そのときよりは、今のほうが、より組織的・システム的に「交流」がおこなわれているように感じます
4. Posted by Hideki   2006年05月03日 20:35
> 障がいのある人との共生を考えるとき、楽観視できる部分と、心配な点との双方を感じる。

仰るように、私も双方を感じます。たしかに昔より良くなってきたと思う。だけど、この先も良くなるか?というとけして楽観視できないです。

とくに自己責任、自立という言葉で、巧みにふくめられ、そのままでは社会的に弱い立場、不利な人を切り捨てられていく世の中に、現政府が誘導しているのが、気がかりです。

このあたり、また考えをまとめてみたいと思ってます。
5. Posted by まき菱   2006年05月03日 22:10
うわぁ〜、また難しい問題ですね。
「交流教育」について、私のいる地域では今まさに賛否が分かれていまして・・・。

交流が極めて少ない特殊学級も人気があるんです。そこは「限られた時間で生徒を教育するには、ただ座っているだけの時間がもったいない。その時間で出来るようになることがあるのに。」という考えから、確信的に交流をしていないんですね。それを保護者が支持しているんです。先生方の熱意も教育力もすごいんです。そこの学級に入れば出来なかったことがメキメキ出来るようになるし、卒業生の就労実績も良好だし。(続く)
6. Posted by まき菱   2006年05月03日 22:11
(続き)
同じ地域に「交流教育をします。個別の教科指導もします。」という特殊学級もあるんです。でも生徒がそこで何を学び何が出来るようになって卒業するかというと、結果はあまり出せていないようです。

交流教育を理想的な形で実現している学校もあるんです。でもそこは倍率が5倍を超える私立です。

子どもにとって良い教育とは何か。親も悩んでいます。選んで決めなきゃいけませんから。
7. Posted by toshi   2006年05月04日 11:41
ja12cさん

 洞察する力をどのように養うかが、学校現場の課題なのです。
 そのためには、交流は不可欠だと思います。しかし、交流をしていれば、OKとはいきません。
 ことは、知識を押さえればよしという問題ではありません。
 子どもとともに伸びようとする教員が、子どもにそういう心を育むのだと思います。
 
8. Posted by toshi   2006年05月04日 12:00
Hidekiさん

 人々の心は、確実に、人権意識を豊かにする方向性をもって、変化してきていると思います。でも、これ、50年単位の話なんですよね。遅々とした歩みだと思います。
 このブログを通しても、実にさまざまな考え方、感じ方があるものだと、痛感させられますが、根気強く書き続けていこうと思います。

 自己責任、自立の部分については、わたしは基本的には、これに賛成なのです。しかし、Hidekiさんがおっしゃるように、社会的に弱い立場にある人については、そういう社会であればあるほど、きめこまかな配慮をしなければなりません。
 国民はそういう人を選んでいくのではないでしょうか。
9. Posted by toshi   2006年05月05日 22:56
まき菱さん

 『それぞれが、それぞれの考え方で、教育実践をしていて、それで、成果があがり、保護者の信頼もあれば、それでいい。』

 確かにそうも思います。今、わたしが盛んに言っている、地域、保護者によって、学校が支えられるという、『学校の第三の民主化』という趣旨でも、それでいいと言えそうです。

 しかし、そういう場合でも、学校は、『教育にとって何が大切かを、地域、保護者に分かってもらう努力をすることは大切』ですので、そういう趣旨から、言わせてもらいますね。
 
 それは、『交流をしないで、それで、『共生』の姿勢が身につくのか。』ということです。
 それぞれの個性を大切にすること、友のあるがままを受け入れて、それでいて誰とでもなかよくできるという、これからの社会になくてはならない資質が育つのか。
 ただ単に、知識や技能を身につけた人間が、その知識や技能を悪い方向につかってしまう危惧はないのか。
 実は、交流は、障がいのある人のため、というより、ふつう級の子どもに、より大切なことではないのか。
 
 交流は、すればいいというものでないことは、ご指摘の通り。我がブログの1月14日の『人権教育(2) 交流教育』をご覧いただければと思います。教える側の子どもを見る目が大切になると思います。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/2006-01.html#20060114
10. Posted by にしこ   2006年05月06日 07:41
私は今回、自分のブログで書いたり、toshi先生のブログを読んだりして感じたことは、障がいのある人を理解しよう、受け入れようとして下さる方々はたくさんいらっしゃるのだということです。
私はそれを忘れてはいけないですね。
嘆くことは簡単ですが、それだけでは何も生まれない。
片側だけを見るのではなく、全体を見てその先に広がっていく可能性を見つめていきたいと思います。
11. Posted by にしこ   2006年05月06日 07:42
交流についてですが、私としては交流することで配慮や支援を必要とする部分を知ってもらうことも出来ますが、好きなこと得意なことを知ってもらうことも出来るのではないかと考えています。
たまにですが息子は算数も交流することがあるのです。
それは、息子が算数を好きで、得意であることをクラスのお子さんに知ってもらいたいという私の提案を受けて、先生が考えて下さり、1年生の終わり頃から始まりました。
授業の進め方が個別支援級と通常のクラスでは全然違うので、息子が出来そうな内容の時だけですが、こういう交流の仕方を保護者が提案でき、先生方が受け入れて下さる今を考えると、本当にありがたいと思います。
12. Posted by toshi   2006年05月06日 09:44
にしこさん

 そうだ。ほんとうだ。おっしゃる通りですね。なにも配慮や支援を必要とする部分を知ってもらうためだけではない。好きなことや得意なことを知ってもらうためにも、交流は必要なのですね。それで初めて、真の他者理解になっていくのですね。

 これ、わたし、実践の上では知っていながら、そして、そのような理解をめざしたこともあったのに、今回、ブログにする段階ではうっかりしました。教えていただき、ありがとうございました。

 今回の記事で一応の区切りとするつもりだったのですが、また、書きたいことが浮かんできました。

 そういう意味でも、ありがとうございました。

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