2006年05月10日

障がいの理解(3)5

210f39aa.JPG  にしこさんから、新たな問題提起をされた気分である。

 それは、前回、5月3日『障がいの理解(2)共生』のコメント、5番に記載された、
『交流についてですが、私としては交流することで配慮や支援を必要とする部分を知ってもらうことも出来ますが、好きなこと得意なことを知ってもらうこともできるのではないかと考えています。たまにですが息子は算数も交流することがあるのです。』

 わたしの勤務した学校においても、そういうことはあった。それなのに、わたしは、この部分を書き落としてしまっていた。

 『障がいの理解』と題しながら、わたしがこれでは、ほんとうに申し訳ない思いだ。ごめんなさい。

 その1
 校長として着任直後のことで、わたしは、『すごい。』と感動したのだった。
 着任してから、個別支援学級には、よくおじゃましいていた。授業に参加することもたまにはあった。

 話は早くも変わるが、この学校では運動会を春に実施していた。
 だから、着任してすぐ、運動会の練習が始まった。わたしは、その練習風景を校長室から見ていた。
ある日のこと。6年生の団体演技だ。
 さすが6年生。演技の一つ一つが、よくそろっている。取り組むその表情。手足の伸び。どれも申し分ない。
 
 わたしは、ふと気づいた。
『あれっ。このなかには、個別支援級のAさんもいるはずだが。・・・。今日は参加していないのだろうか。』

 そんな思いで、急ぎ、校庭に出て、全体を見渡す。
 『ええっ。これはすごい。』
 なんと、Aちゃんは、目の前。最前列にいるではないか。自信をもって楽しそうに演技している。ふつう級の子が、Aちゃんの演技を見ながら演技しているフシもある。

 わたしが経験したそれまでは、個別支援級の子は、目立つのだ。遅れるし、一人だけ立ってしまっていることはあるし、それらしく動いているだけということもあった。それでも、みんなの見守る目は温かく、大きな拍手が起きたものだ。

 そういうものだという認識だった。だから、上記、Aちゃんの姿は、感動は感動だが、驚きもあったし、『よくぞ、ここまで。』という思いもあった。

 練習が終わって職員室に引き上げてきた先生方に向かって、思わず言った。
「すごいね。Aちゃんは最前列ではないか。しかも、演技は完璧だ。表情もいいね。」
「ええ。Aちゃんは、ああいう、リズムにのって演技することは得意なのです。好きなのですね。もともとリズム感はある子ですから、あのくらいは出来るのではないかと、6年生の先生と話し合って、最前列にもっていきました。」
「そうか。それはありがたい。Aちゃんの自信も、さらに強まるだろう。保護者も喜ぶのではないかな。」
「はい。運動会当日を楽しみにしていらっしゃいます。」

 この子は、実に気持ちのいい子で、わたしと出会うと、いつも満面の笑みをたたえ、挨拶してくれた。

 その2
 わたしの教頭時代のことだが、にしこさんのお子さんのように、算数の得意な子もいた。九九など、ふつう級の子と同時進行的に学習していたし、むしろ先行して学習するようなときもあった。

 しかし、このころは、まだ交流は行われておらず、今、振り返ると、ふつう級にいっていなかったのは、残念な気もする。
 

 にしこさんのコメントには、続きがある。
『それは、息子が算数を好きで、得意であることをクラスのお子さんに知ってもらいたいというわたしの提案を受けて、先生が考えてくださり、1年生の終わりごろから始まりました。
 授業のすすめ方が個別支援級と通常のクラスでは全然違うので、息子が出来そうな内容の時だけですが、こういう交流の仕方を保護者が提案でき、先生方が受け入れてくださる今を考えると、本当にありがたいと思います。』

 わたしはこのコメントを読ませていただいて、わたしがこれまで書いてきた、『第三の民主化』つまり、地域、保護者主権の学校教育を想起する。いや。まだ、そこまではいっていないか。『地域、保護者主権前夜』という感じかもしれない。

 つまり、学校ごとに教育課程があるように、個別支援級には、個別支援計画なるものがある。教育課程が、『本校の6年生の国語は、』というレベルで書かれるのに対し、個別支援計画は、障がいが一人一人異なるのだから、あくまで一人一人の計画である。(本校の個別支援教育はという、学校の教育課程と同レベルでの計画ももちろんあるが、)

 むかしは、学校がたてていたであろう。もちろん保護者の願いなどは、通常の話し合い、情報交換などで分かっているから、それは考慮しただろうが、そんな感じだったと思う。しかし、今は違う。保護者の願い、思いは、この個別支援計画に盛り込まれなければいけない。

 もちろん保護者の言いなりという意味ではない。これは、わたしの言う、学校は学校の思い、願いを保護者に伝え、保護者の理解を得る努力はしなければいけない。そのうえでの計画であるべきだ。
これについては、Hidekiさんから大変参考になるコメントをいただいているので、それも紹介したい。

 4月28日の、『学校、第三の民主化』に寄せられたコメント、2番、3番である。

 個別支援計画は、一人一人の子どもについて、『今年は、ここまでの成長をねらいたい。ここまで育てばすばらしいと思う。そのためには、以下のような学習内容を大事にして、日々の教育に取り組んでいきたい。』そういう計画である。その計画づくりに、保護者も参画するということである。

 にしこさんの上記コメントからは、それがうまく機能していることを感じる。


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rve83253 at 21:07│Comments(5)TrackBack(0)個別(特別)支援教育 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by namiママ   2006年05月11日 22:32
はじめまして。いつものぞいているのですが
コメントは初めてです。(たぶん…)
私は養護学校の高等部に勤めていて育児休業中です。
小2の娘が今年交流学級にあたったので
楽しみにしているところです。
担任の先生が懇談会の時のあいさつで
「なにかしてあげたいという思いやりの気持ちをもってくれれば…」
とおっしゃったことにひっかかり、保護者さんもかけもちして参加されていたので切ない思いをされなかっただろうか…
と心配ながらも、どんな風に交流学級として活動されるのか 一学期間は見守りたいと思っています。
同じくその発言が気になった 同じクラスのお母さんが 自分の子どもに
「○○学級のおともだちと どういうふうにかかわるの?」と聞いたら
「いっしょに 遊びたい」と即答したそうで
子どものほうが わかってるじゃん。
と 思いました。
教員の意識改革のほうが必要なようです。
2. Posted by toshi   2006年05月12日 00:48
namiママさん

 コメント、ありがとうございます。どうぞ、末永くよろしくお願いします。
 ううん。こまったものですね。担任がそういうことだと、子どもも、『〜してあげた。』という育ちになりますよね。
 そうか。後半部分を読むと、大丈夫かな。お母さん方のフォローもあるでしょうしね。

 もっともわたしだって、人のことは言えないのです。
 まだまだ勉強です。

 
3. Posted by にしこ   2006年05月24日 18:05
ご無沙汰して申し訳ありません。
私が書いたコメントをこの様な形で記事にして頂き、ありがたく思います。

> わたしはこのコメントを読ませていただいて、わたしがこれまで書いてきた、『第三の民主化』つまり、地域、保護者主権の学校教育を想起する。いや。まだ、そこまではいっていないか。『地域、保護者主権前夜』という感じかもしれない。

私がここまで先生に提案出来るのは、息子が個別支援学級在籍で、その担任の先生だからではないかと思うのです。
もし、息子が通常学級(普通級)に通っていたら、担任の先生に息子中心になってしまう提案は出来なかったと思います。
個別支援学級の良い所はこういう所でもあると思うのです。
4. Posted by にしこ   2006年05月24日 18:05
ただ、息子の先生にここまでの提案が出来るようになるにはかなりの時間がかかりました。
もし、通常学級の担任として息子の担任の先生と出会っていたら、今のようにご相談したり提案したり出来るような関係になるのは難しかっただろうと思います。
5. Posted by toshi   2006年05月25日 05:45
にしこさん

 そうですね。個別支援学級には、個別支援計画があるのですから、そして、ふつう学級には、そういう計画は、ふつうありませんから、(ただし、授業計画における、一人一人の思考の傾向、内容などを記すものは、ある場合がある。)個人の要望も言いやすいということはあると思います。
 
 でも、ふつう級だって、『在籍人数分の1』の存在であることをわきまえての要望であれば、つまり、そうした謙虚さを持った上での要望であれば、ぼくは、要望を出していっこうにかまわないと思います。(言い方の問題であることが多いでしょうね。)

 『提案に至るまでには、時間がかかった』とのこと。申し訳なく思うと同時に、やはり、日本はまだ、発展途上だなと、またまた、認識させられました。
 
 

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