2006年05月11日

人権教育(6) 交流教育3

ec8d0bb0.jpg どのようにして、このような、すばらしい子ども同士の交流ができるようになったのか、正確には分からない。わたしはこの学校に、この子たちが6年生になるとき着任したのだが、もう彼らは、低学年のころから温かな人間関係がみられたという。

 いつも、その個別支援級の子、Aちゃんは、数人の交流級の子の温かなまなざしに包まれていた。数人というのは、決して固定していない。Aちゃんは、女の子なので、その数人というのも女の子なのだが、男子にしたところで、われ関せずだったわけではない。遠慮しながらも、遠巻きに見守っているという感じだった。

 だから、彼女ら女子がいないときは、そっと手を差し伸べることもあった。

 わたしはその温かな人間関係の構築について、それまでどんな教育があったのか、知りたくて何度も尋ねたが、個別支援級の担任も、交流級の担任も、的確に答えてくれたことはなかった。どうも、自然にこうなったのであって、特に印象に残るエピソードなどはないようであった。


 一泊で行われた修学旅行。Aちゃんの周りには常に交流級の子がいた。彼女たちが、かいがいしく面倒を見ている。わたしは気になるのでずっと見ていたが、Aちゃんがやれることは、Aちゃんにやらせてじっと見守る。できないことはそっと手を差し伸べる。いけないことをしていると、きびしく叱る。それらは、きわめて自然体であった。決してやってあげるとか、ひけらかすとかいう感じではない。

 見た感じ、これらの行為に感激しているのは、わたしだけだった。引率の教員にしても、
『別にどうということではない。ごくふつうの日常生活の一こま一こまに過ぎない。』
といった感じで、それらの行為をほめるわけでもないし、特別、見守るという感じでもなかった。


 わたしは帰りの電車のなかで、かなり不適切なことを、教員に言ってしまった。

「Aちゃんが行くから、先生方は大変だなと思ったけれど、みんな交流級の子たちがいろいろやってくれたね。先生方は楽できたなあ。」

 これに対しても、
『校長先生。別に、そんな大変だなと思うことはないじゃないですか。わたしたちは、これまで、そういう交流教育をしてきたのですよ。』
と言いたげに、ただ笑っているだけだった。
 わたしは、またまた、何ていうことを言ってしまったのだと、自責の念におそわれた。


 わたしが、さらにこの子たちに敬服したのは、秋の全校遠足のときだった。

 公園に行ったのだが、動物を抱くことができるコーナーで、Aちゃんはパニックを起こしてしまった。

 ここは人工的に岩をあちらこちらに配置しているので、でこぼこしている。そこで、『わあ。わあ。』言って、何度も転んだり、足をばたつかせたり、一人で暴れているものだから、わたしも、パニックになってしまった。

「押さえつけないと、大怪我するぞ。」

多分そんなふうにわめいたと思う。しかし、交流級の子たちは、5人くらいいたと思うが、余裕ある態度で、あわてる気配はまったくない。

「校長先生。大丈夫ですよ。Aちゃんはちゃんとどこで転んだら怪我するか分かっていますから。」

 それで、我に返ったわたし。じっと見守ると、ほんとうに、彼女達の言う通りだった。転げまわるにしても、岩のところはしっかりよけていた。

 もうわたしは、彼女達に対し、尊敬の念がわきあがった。
『すごい。みんなはAちゃんのこと、そこまで分かっているのか。』


 このAちゃん、あと数ヶ月で卒業というときに、遠くへ転校することになった。

 その学級で行われたお別れ会は、実に感動的だったと言う。

 わたしは、ぜひ参加したかったが、どうしようもない出張が組まれていて、残念だった。ほんとうに感動的で、保護者も招待されていたが、もう、涙、涙のお別れ会だったと言う。学級の子全員が、Aちゃんへのお別れの言葉を述べたそうだ。

 この学級の子たちは、すばらしい心の育みをしたのだと思った。

 思い出は単なる思い出では終わらない。6年近く、実践を通して育んだ、みんなの心は、おそらく一生ものだろう。


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   交流教育の次に続く。


rve83253 at 23:30│Comments(6)TrackBack(0)交流教育 | 人権教育

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この記事へのコメント

1. Posted by namiママ   2006年05月12日 07:54
こちらこそ よろしくおねがいします(^^)

一緒に過ごす時間が長ければ長いほど
障害がある、特別に何かしてあげなければならないお友達ではなく、 
そういうところがあるお友達(障害があるなしにかかわらず、一緒に過ごすとお互いそういうところがあるのかあ…とわかっていきますよね)に
移り変わっていくと思うのです。
そして そのことを認め合っていくクラスの雰囲気(クラス全員のことを認め合っていく雰囲気)に
自然になっていくような密なる交流教育をのぞみます。
2. Posted by namiママ   2006年05月12日 07:54
うちの高等部は肢体不自由の養護学校ですが
障害種を問わずに生徒を受け入れる養護学校づくり…というお上のお達しをうけ
それこそ 肢体不自由のある生徒はもちろん、障害のない生徒、知的障害、重度重複のある生徒まで様々ですが
そういうところのある友人として、障害にとらわれない人間関係ができてます。
すべての社会がうちの学校のような雰囲気だったら…とよく思います。
その雰囲気を作るためには やっぱりたくさんの時間を
共有することしかないんですよね。
小学校の交流教育はそういう社会の基礎であってほしいと切に思います。
3. Posted by Hideki   2006年05月12日 09:54
すばらしい、学校ですね。どこでも、こんな学校が当たり前と呼べるような世の中になったら、いいなぁ。

マリオと一緒に小学校−中学校とみてきましたが、学校によって様々…というよりも、その時々の長の考え方によって、本当に大きく変わっちゃうように感じてます。

それまで、とても良い感じで進んでいたのに、校長が代わり、その校長が職員の配置を変えると、それまでの雰囲気があたかも夢・幻であったかのように一変してしまう。もちろん、そのまったく逆もあります。
4. Posted by Hideki   2006年05月12日 09:55

そうはいっても、私は平準化のためにと校長の権限を無くし、中央集権化することには賛成していません。現場の長の適宜の判断による、最適化はいまの日本には重要なことだと思う。校長は「権限」をもって良いと思う。

だけど、その分、校長先生が、様々なものごとをきちんと理解し、慮ってくれる、…そう、校長先生がしっかりしてもらう必要があると思ってます。

まあ、そうはいっても様々な価値観や考え方をもつ校長先生がいらっしゃいますから、保護者・子どもの側に「学校選択の権利」も必要になってくるかもしれません。

たぶん、このあたりはセットになってくる話なんですよね。「中央集権−平準化−専一性」か、「分権−自由裁量−選択性」か。
5. Posted by toshi   2006年05月13日 06:39
namiママさん

 障害のない生徒も養護学校に通っているのですか。すごいですね。
 前に学校も社会の縮図で、いろいろな子どもがいていいし、そこにこそ、自然体での交流が行われるのだと書いたことがあります。そうなると、もはや、交流という言葉すらいらなくなるのですけれどね。人間関係の構築イコール交流ですものね。
 そのことを思い出しました。
6. Posted by toshi   2006年05月13日 06:49
Hidekiさん
 『校長が代わると学校は変わる。』その通りと思います。
 でも、これ、何だってそうですね。企業もプロ野球の球団も、ものすごく、そういう話は聞きます。
 Hidekiさんがおっしゃる『セット』の、後者であれば、それでいいのではないか。わたしもそう思います。
 それでこそ、『特色ある学校』、保護者の立場からすれば、『選びがいのある学校』ができていくのではないでしょうか。
 でも、むずかしい側面もありそうです。戸塚ヨットスクールのような学校でも、一定の保護者の信頼はありそうだからです。
 わたしはこれは許せないのですが、自由主義国家で、第三の民主化と言っているわたしが、どうそれを理論構成するか、今、考えているところです。

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