2006年05月12日

体罰はダメ(1)3

0993e93e.JPG  戸塚ヨットスクールの校長が、刑期を終え、出所したこと。さらに、彼は、死者を出す体罰によって刑を受けたのに、出所したばかりで、またまた体罰教育論をぶったことから、体罰への関心が急激に強まった感がある。

 Hidekiさんもこのことをブログでとり上げられた。ここで、全面的な体罰否定論を述べられていると思う。(そう受け取っていいですよね。)


 わたしもまったくこの意見に賛意を表する。体罰は人権問題そのものだというのが、わたしの見解だ。どんなに、教育的な効用を述べたとしても、弱者が強者にということが考えられない以上、否定されなければならない。

 我が地域の教育委員会は、体罰根絶をうたっている。体罰は立派に処分の対象となる。しかし、そういうこととは関係なく、純粋な教育論でもって、体罰を否定したいと思う。


 しかし、そんなわたしだが、若いときは、体罰を行っていた。今、反省と謝罪の意味を込めて、このブログを書きたいと思う。

 
 わたしが教員として就職したのは、昭和45年だが、そのころは、保護者が体罰を容認していた。
「先生。うちの子、悪いでしょう。ちっとも親の言うことを聞かないのですよ。学校でも、そういうことがあったら、もう、どんどんひっぱたいてください。」
 
 わたし自身も、よく親に殴られた。ある時期は、殴られながら育ったと言ってもいいくらいだ。

 その双方が原因となったと思うが、若いときは、何のためらいもなく、体罰を行っていた。掃除をさぼったと言っては体罰。友達をいじめたといっては体罰。
男の子だけ殴ったのでは、ずるいと言われそうだから、女子も殴った。十人以上も殴ると、こっちもだいぶ手が痛くなる。それで、痛みを軽くする方法も覚えた。

 殴る方は、抑止効果があるものと考える。しかし、現実は、なかなかそうはいかない。殴られることに慣れてしまうのだろうか。だんだん、殴らないと言うことを聞かなくなる。

 そうなると、殴る方も、だんだん罪の意識にさいなまれるようになった。効果があってこそ、教育は成り立つはずだが、そうはならないことを自覚させられるので、教育は行き詰まる。 
 
 何より、殴ることによって、信頼関係にひびが入ることを自覚させられるようになった。

 殴っても信頼関係は崩れないという経験はあったが、殴ることによって信頼関係の構築に役立ったという経験は皆無だ。

 ここに最大の体罰否定論が成り立つと思う。


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1. 高校野球と体罰  [ 或る国語講師Aの視点 ]   2006年06月08日 12:34
高校野球の指導者、6割が体罰容認 本社アンケート(→asahi.com)  朝日新聞社は各都道府県高校野球連盟に加盟する硬式野球部の指導者を対象に、指導上の留意点や体罰の有無などの意識を尋ねるアンケートを実施した。全国の4214校が対象で、回答数は2528(回答率...

この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2006年05月14日 00:57
拙い記事をとりあげていただいてありがとうございます。

そうですね、私は基本的に体罰全否定の立場をとってます。ただ、この戸塚氏をはじめ体罰も教育のうちとする立場の人には、自分の信念のようなものによってたっている人が多いようで、あまり他人の意見に耳をかたむけるように思えません。

だから、彼らに体罰を止めさせるというより、体罰をふるう前に考えてもらいたいと思い記事にした次第なんです。

仮に体罰をふるうとしても、思慮深く思いをめぐらせてからにして欲しい。障害(自閉症)の可能性と理解をきちんとしてからにして欲しい。個々の子どものこまかな状況を、ちゃんと見つめた上での行動としてほしい。

っと
2. Posted by Hideki   2006年05月14日 01:02
私自身は、「殴らないと分からないことがある」「殴らないと分からない子どもがいる」ということは、とりもなおさず、教える側がきちんと分かっていないからこその「暴力と脅しによる強要」をしていることの現われにすぎないと思っています。

あとは、Toshiさんもご指摘のように、自分が親や教師など周りの大人からうけた仕打ちが、今度は自分の子どもに映し出されてるということもいえます。「おれはこうやって育ってきた」という理屈ですね。

ただ、たまたまその人は体罰をうけても平気だったかもしれないが、体罰により深い心の傷を負う子もいるという点をどこまで慮ることができるかということが問題に思う。
3. Posted by Hideki   2006年05月14日 01:12
いっぽうで、細かくみると、「体罰」といっても、「体」に何らかの痛みや苦痛をあたえるものがまずいのか、「罰」をあたえることがまずいのか?という点も考える必要がありそうです。

体に苦しみをあたえることがまずかったら、鍛錬・訓練との違いは何か?が一番の争点になる。体育会系の練習は、こんなののオンパレードです。

いっぽうで罰が悪いとしたら、「問題行動の矯正・更生」との違いが一番議論になりそうです。

逆にいえば、「鍛錬」という名目で、あるいは「矯正・更生」という名目で、行われる「勘違い」行動が実は一番問題なんだと思うのです。

ひとことでいえば、「調教」

鍛錬という名前をかりた調教
矯正・更生という大義名分の調教

しかもやっかいなのは、体罰ふるう本人は、「これは訓練だ」「これは更生教育だ」と信じきってることなんじゃないかなぁ
4. Posted by hirarin   2006年05月14日 05:35
私も体罰教育を受けてきた世代です。
なので、教職に就いたとき、
「体罰は絶対にいけない」
と様々な方々から言われ、不思議な気持ちになりました。「今はだめなのか・・・」
(学生時代、格闘技をやっていたせいもあったのでしょう)
様々な問題が起きたときに、どうやって対応していけばいいのか、自分なりのスタイルを身につけるまでにはかなり時間がかかりましたね。

教職について10年以上経ち、今では
「体罰では、子どもは変わらない」
ということは十分に理解できるようになりました。

5. Posted by hirarin   2006年05月14日 05:35
子どもを指導するとき、正直なところ、時には体罰をしたい気持ちに駆られるときがあります。
そんな時私はは両手を後ろに組みます。
そして子どもにとことんまで将来を語らせ、悟らせるような指導をするようにしました。

保護者から、体罰容認の声を聞くこともあります。そんな時は、
「私よりも怖いものが子どもにはあるんですよ。それは仲間からはずされることと、自分の未来を閉ざされることです」
と返すようにしています。

ToshiさんやHidekiさんの記事参考にまりました。今後の指導に生かしていきたいと思います。
6. Posted by toshi   2006年05月14日 12:43
Hidekiさん
 よく分かりました。あくまで、戸塚さんのような、確信的な人に対しての、コメントだったのですよね。
 わたしは、体罰を受けても平気だった部類に入るでしょうが、今にして思えば、自分自身がそれを克服するという過程においては、かなり、エネルギーが必要だったように思います。
 そういう意味では、体罰を当然として教育して来た者が、体罰なしの教育に移行する過程は、ただ単に考えを変えれば済むというものではなく、ことは実践的なのですから、生き方、人生観、教育観まで一変させていく努力が必要だったと思います。
 いまだに体罰で処分される教員がいるのは、多分その辺がうまくいかないで、子どもを生意気にしてしまい、たとえば、『体罰してみろ。教育委員会に言ってやる。』などと子どもに言わせてしまっているのではないか。そう思います。
7. Posted by toshi   2006年05月14日 13:37
肉体的な苦痛と罰の面からの分析は、これまであまり考えたことがありませんでした。またまた、いい視点をいただきました。
 今ちょっと考えると、やはり、苦痛を与えることがいけないのだろうと思います。訓練、鍛錬は、基本的には、目的意識があるでしょうし、意欲もあるでしょうから、その点は体罰とは違うと思いました。
 ただ、公教育に携わる者としては、学校教育の目的は、自ら学ぼうとする意欲や心の豊かさをねらうわけですから、体罰どころか、子どもに恐怖心を感じさせてしまうやり方は、すべて否定されるべきと思います。強制も否定されるべきと考えていいケースは多いと思います。
 この辺は、これから記事にしますね。
8. Posted by toshi   2006年05月14日 13:44
hirarinさん

 そう。やはり、体罰を当然の行為としてきた者は、それが禁止されると、自分で指導法を身に付けるまでは、けっこう大変なのですよね。
 わたしもそうでした。それこそ、自己改革、意識改革を要請されます。
 保護者については、わたしの地域では、体罰容認の声は、最近聞くことはなくなりました。それどころか、体罰でない罰まで、問題にされることがあります。
 もっとも、わたしは、Hidekiさんへのコメントでも書かせてもらったように、罰は全面的に反対ですけれどね。
9. Posted by Hideki   2006年05月15日 09:26
こんにちは

基本的に体罰は良くない、という結論を出したとして、次はどこをもってNGな行為とするかという線引きの話が問題になると思うのです。

例えば、聞き分けの無い子・約束をやぶった子に対して(もちろん事前にそう宣言をしておいたとして)

1.ムチや竹刀で(顔以外を)なぐる
2.平手で顔をはたく
3.昼食を食べさせない
4.運動場を5周走らせる
5.教室の後ろで立たせる(授業は聞かせる)
6.クラスの子どもたち全員から非難させる
7.大声で叱責する

10. Posted by Hideki   2006年05月15日 09:26
いっぽうで、その場では行為をはたらかず

8.放課後に居残りさせて教室やトイレ掃除をさせる
9.後日禅寺につれていき、座禅をくませる

また、失敗にたいする体への罰としては

10.バント練習に失敗したら、グランド1週ダッシュさせる

という体育会系の特訓は、体罰と同じ構図になるがどうなのか

すべてNGとするのか、あるいはそうでないのか?
その理由は?、NGだとして、じゃあどうするか?
等々という点が、とても悩ましいことになると思うのです
11. Posted by toshi   2006年05月17日 21:09
Hidekiさん

 コメントが遅くなり、申し訳ありません。
 いろいろ考えさせていただきました。
 そして、わたしの場合の結論は、結局、『線引きなど、ないなあ。』ということです。前に、修行時代と書きましたが、それ以降は、罰そのものを考えていません。
 ただし、Hidekiさんがあげられたものの中で、7だけはやっていました。でも、これは罰と言えるのかどうか。
 何度言っても無視しているとき、教室中が騒々しいとき、そんなときですね。
 そうか。罰としての大声と言うのは、確かにないですね。
 
12. Posted by toshi   2006年05月17日 21:09
さて、それでは、一般的にはどうか。我が地域の教育委員会は、やはり、すべて、体罰としていると思います。
 それと、体罰以前の問題として、人権ということですが、
,錣兇汎団蠅了劼世瓜慳召靴覆ぁ
∨困貶調べ、一人勉強をやった子などを、表にして掲示するのも禁止です。
 これはやはり、子どもの権利条約以降、そういう取組になったと思います。
13. Posted by Hideki   2006年05月18日 13:03
分かりにくい例をあげて混乱させちゃったかもしれません。

実は私は上で挙げたのは「体罰」とは思えないようなものも交えてます。

7の大声で叱るというのは罰ではなく、本気度を示す「剣幕」ならいいのですが、一歩間違うと「脅し」につながる、いってみれば「強権示威」の要素があったから。

体罰のもつ、強制力の側面をとりあげたかったのです。

で、私自身の考え・価値観でいうと、6番まではNG。7番以降は、やり方次第な面もあるけど、許容というものなんです。

体罰は全否定としておきながら、なぜ7番以降は許容するのか?

14. Posted by Hideki   2006年05月18日 13:03
それは、まず一番大事にしたいと思っている&体罰の一番まずい部分と思っているのが、「子どもに対する人としての尊厳」をないがしろにしてるかどうか?の部分なんです。

もちろん7番以降も、やり方によって、子どもによっては、この尊厳を傷つけますので、全面的にOKというわけじゃないです。

ただ、そこを大切にした上で、また相手に対する「心からの愛情」があるのなら、修行・修練という意味での罰はアリなのかなと思うのです(このあたりも線引きは曖昧なんですが)

大声での恫喝は、恐喝になったらまずい。だけど、冷静さをとりもどさせ、考えさせるためのきっかけとしてはOKなのかと思う。つまり大声でどなって強制・思考停止させる(自ら考えることをさせない)のではなく、考えさせる転換点にするのなら良いと思うのです。

15. Posted by Hideki   2006年05月18日 13:04
あぁ、でもこうなると、やはり個々人の教育観・価値観になってきますね。きっと異論・反論がある方も多いと思う。

だから、「体罰の是非」についての論議が延々と続くのでしょうね。

私自身も、もういちど良く考えて、思いをまとめてみたいと思っています
16. Posted by toshi   2006年05月18日 22:27
Hidekiさん

 おっしゃること、よく分かりました。
 よく分かりましたが、ちょっと見解を異にする部分もあるようですので、Hidekiさんの見解を踏まえ、わたしの思うことを述べてみたいと思います。
 8と9だけなのですが、
 8はこれは体罰だと思います。一番まずいのは、掃除を罰にしてしまうことです。掃除は立派な教育活動なので、罰にすれば、罰を受けていない子に、掃除への意欲をなくさせてしまうように思うのです。
 トイレ清掃は、子どもの手には負えないという意味で、子どもの当番活動からは除外しています。したがって、これは、完全に体罰になると思います。
 もっともどうなのでしょう。子どもの当番活動から除外というのは、全国的にそうなのでしょうか。それはちょっと分からないので、その点の留保はつきます。
17. Posted by toshi   2006年05月18日 22:39
9と10は、小学校としては、わたし自身考えたこともなく、はやりの言葉で言えば、完全に想定外でした。意表をつかれた感がしました。
 Hidekiさんも、小学校段階として書かれているのではないだろうと、勝手に想像しました。
 そして、中学生以上ならば、これは体罰ではないかなという気もしています。

 大声での叱責は、わたし、苦い思い出があります。罰ではないのではないかと、先日はコメントしましたが、そして、確かに、それはその通りとも思うのですが、かかわりのない子にとっては、急な大声ですから、びっくりしてしまうのですね。それで、そういう子に対し、恐怖心を与えると、保護者から指摘され、わたしも反省したことがありました。それ以降、第三者の存在に留意し、行うようになりました。
18. Posted by kumama   2006年05月19日 00:11
toshiさんへ
お久しぶりです。
学校や教育委員会との戦い(?)が一段落しました。とはいえ、子供が進む道にはまだまだ困難がありそうです。
 担任の先生のご配慮で何とかクラスの中ではふつうに過ごすことができるようになり、そこにいる限りは安心しているのですが、いじめた子達がきちんとした謝罪をいまだにしてくれないので、廊下や昇降口で遭うたびに恐怖し、いじめのフラッシュバックに苦しんで、翌日は登校できないこともしばしばです。
toshiさんの最近の記事を読ませていただき、どれもこれもいじめと無関係なものはないなあといろいろ考えています。
 子供は障碍ではありませんが、今現在心療内科に通っており、強いストレスによってパニックを引き起こすことがありますが、そのことで理解のない昨年度の担任からは酷い差別的な発言をされました。
19. Posted by kumama   2006年05月19日 00:19
それは障碍の在るお子さんへの差別的発言と同じです。

 体罰、と言うか、罰についてもHidekiさんとtoshiさんのやり取りにとても考えさせられました。

 子供の学校では、以前toshiさんがコメントに書かれていた
「いじめなど、学級の子が何人も見ている事実であれば、学級の子全員を相手にして、やった事実を言わせればいいと思うのです。」
と言うことさえ、罰になるので、そんな事は決してさせられないと言います。
 いじめの中心の子供は、学年でも中心的な子供で、クラス委員をやったり、生活委員をやったりと常にリーダーシップをとりたがり、取り巻きを従えている子達です。以前も書きましたが、弱い子達からの証言もあるのにやってないと言い張り、いまだに謝罪がありません。
20. Posted by kumama   2006年05月19日 00:27
せめて、先生方も認めているのなら、子供たちの前できちんと話をさせて、できたら謝罪をさせて欲しいといってもそれは罰になるのでと、取り合ってもらえません。
それさえ罰になるのなら、本人が嘘をついたたそのままで、何の指導もなく時が過ぎるのを待つしかなくなります。苦しむのはいじめられた子供だけです。いじめた子の親からもあまりしつこい追求は人権侵害だとクレームがつき、できなくなっています。
何処までが指導で、何が罰なのか、よくわかりません。

21. Posted by Hideki   2006年05月19日 01:15
返信ありがとうございます。

正直にいって、私のあげた9の禅での精神修行というのは実は仮想であって、実際に実行されている方は稀だろうと思っています。

ただ、これを挙げたのは10の体育会系の練習との対比からなんです。これって、結構よくある風景だと思うのですよ。

バント練習を失敗したら鉄拳…これは、さすがにまずいだろうと思う。でもバント練習を失敗したらダッシュ3本…これを否定できない自分がいます。

22. Posted by Hideki   2006年05月19日 01:16
座禅を組んで精神統一をする。心が乱れたら、後ろから「活!」が飛んでくる。これも体罰の構図といえばそう。…でも私はこれも全くの否定はできない。

掃除を罰(…というかトイレ掃除って私らの頃は普通にやってましたので)にするデメリットは、おっしゃる部分、納得できました。

ただ、これも上記練習といっしょで、ダッシュ3本は本来なら自分の体力作りに役立つものですよね。本人にプラスになるものを、罰という形で与えるということを、私は完全には否定できなかったのです。
23. Posted by toshi   2006年05月20日 07:55
kumamaさん

 学校へ行きたいと言う、お子さんの願いがかなって、とりあえずはよかったですね。
 何とか、ストレスとか、フラッシュバックとか、そういうかわいそうな事態がなくなることを願いますが、・・・、
 これには、学校のまじめで真摯な対応が欠かせないのに、読ませていただくかぎり、ほんとうに、申し訳ない事態だなと思います。
 我が地域でも、こういう事態は起こりうるかもしれません。しかし、その場合は、教育委員会の強力な指導が入ります。kumamaさんのところでは、それもないようですね。
 
24. Posted by toshi   2006年05月20日 08:38
いじめたとされる子の保護者の気持ちは理解できるのです。『何を今さら。』という思いなのでしょう。
 kumamaさんのお子さんの事態には当てはまらないと思うのですが、一般的には、何日も前のことは、子どもは忘れてしまったり、記憶がおぼろげになってしまったりするのですから、日がたてばたつほど、まずい事態になると思うのです。
 ですから、そういう意味でも、学校の早期対応が、不可欠になってくるのだと思います。
 いろいろな意味で、学校の対応には愕然としますし、申し訳なく思います。
 
25. Posted by toshi   2006年05月20日 08:56
Hidekiさん
 体育系の話の件ですが、要は、罰として行うことがまずいのであって、ほんとうに、体力をつけるという意味で意味があるなら、全員がやるシステムにすればいいのではないでしょうか。
 バント失敗でなら、バントの練習をすべきなのでしょう。
 あと、あらかじめ、約束事として、みんなが納得しているのかという問題もあると思います。

 座禅は、わたし、むかし、1年間の会社勤めのとき、社員教育の一つとして、参加したことがあります。社員教育とは言え、自ら主体的に参加しようと思ったものですから、座禅は、いい経験でした。後からの『ビシッ』も、多分加減していたのだと思いますが、心地よかったのを覚えています。
 ただし、これも罰としてやられるとなると、かなり違った印象になったように思うのです。
26. Posted by Hideki   2006年05月20日 11:33
お話を伺っていて、私も論点がはっきりしてきました。要は、体罰はダメというのは同じ。ただ、私は「罰そのものは良い。ただ体に与えるような罰…子どもの尊厳を損なうような罰はダメだから」という立ち位置なのに対し、Toshiさんは「罰はダメだから」というものなんですよね

要は、「罰の是非」

なぜ罰を与えるのか?というと、
・おこした罪・過ちに対する反省を促すため
  −ことの大きさを理解するため
  −普段とは違う環境に追い込み、気持ちの切り替えを図るため
  −2度としないという誓いをたてるため
・被害、迷惑を被った人への償い
 (本来は罰と償いは違うと思うけど)

役割としては「叱責」「諭し」と同じ
つまり、叱責だけで上記がはかれれば良い。

27. Posted by Hideki   2006年05月20日 11:34
ただ、一般社会と違い、子ども社会においては、実は「普段と違う環境におく」という、言ってみれば「精神論」の要素が大きいのだと思うのです。「たるんどる!」という奴ですね。その点において、叱責という言葉によるものだけでない、罰の存在意義がありそうに感じたのです。

もちろん、「罰が怖いから罪をおこさない」という条件反射的発想がけっして望ましいわけではないです。

この延長には、「罰せられなければ何をしても良い」という発想が生まれるから。

あ、冒頭にも述べましたが、人としての尊厳を損なう罰は、どんな理由があるにせよNGです
28. Posted by Hideki   2006年05月20日 11:48
kumama さん、横入り失礼します

お話を伺っていると、信じられないというか、学校は何か勘違いをしているような感がぬぐえないです。

謝罪というのは、罰ではない。償いのはずです。

もちろん、「クラス全員の中でその子を吊るし上げる」ような形をとれば問題だと思いますが、kumamaさんはそれを求めているのではないですよね

当人同士だけで、ごめんなさいという言葉があれば良いはず

ただ、お話をみると、やったことすら認めていない。認めていないから謝罪もない。

罰だどうだという前に、事実の究明をできていない。問題の解決ができていない。

そこに学校の問題があると思うのです。
29. Posted by toshi   2006年05月20日 23:08
Hidekiさん

 わたしは、修行時代以降は、小学校教育において、罰は必要ないこと、教育の目的と両立しないことを述べてきました。過ちの反省を促すことも、ことの大きさを理解させることも、叱責やさとしで可能と思います。
 また、罰を与えることは、こうしたらこうするとある程度ルール化する必要がでてくるでしょうし、それは、暗黙の了解ということもあるでしょうが、そうなると、Hidekiさんがおっしゃる『二度としないという誓い』『気持ちの切り替え』にもならなくなる可能性が強いと思います。いわゆる、『慣れ』『惰性』ですね。
 わたしは、叱責のなかでも、ほめる要素がないかさがします。『正直に自分のいけないことを言えた』『反省、悔いの表情をしている。』など、そういう態度が見えたときは、その態度をほめるということです。
 この辺、今度新しく姉妹ブログとして開設した、『小学校初任者のブログ』で記事にしてみますね。
30. Posted by toshi   2006年05月20日 23:41
kumamaさん、Hidekiさん
 わたし、Hidekiさんがkumamaさんに寄せた記事を読ませていただいて、自分のkumamaさんへのコメントはおざなりだったなと、強く反省しています。すみませんでした。
  愕惶藾完を相手にしてやった事実を言わせる。』がどうして罰になるのでしょう。事実を言わせた後何かをすれば、それが罰になるのでしょう。
 事実を認めたら、やったことはいけないと叱責するとしても、正直という観点でほめることができるではないですか。
 弱い子の証言もあるのに、ないことにしてしまう学校の姿勢は、いじめを再生産させているようで、こわいなあと思います。
 
31. Posted by toshi   2006年05月20日 23:51
◆惻婪瓠戮蓮Hidekiさんもおっしゃるように、罰ではない。いけないことをしたら謝るという、きわめて自然な営みです。さらに、わたしなら、誠心誠意謝罪すれば、わたしはその姿に対しては、うんとほめます。心の豊かさを願うならば、これも教育者としては、きわめて自然で当然なことと思うのです。
 いじめた子だって、このままでは不幸です。また違う子にやるでしょう。
 kumamaさんに対しては、申し訳ない言い方になりますが、今となっては、時間がかかり過ぎました。
 学校の不誠実な対応によって、証言も含め、子どもたちの記憶は不確かなものになってしまったと思います。そういう意味では、何度も追及というのは、確かに、いじめた側の保護者の言い分も分かります。
 
32. Posted by toshi   2006年05月20日 23:52
 そこでです。今度、また他の子に『いじめ』をやったときこそ、学校は本気になって素早く対応してほしい。そして、それを、それこそ、正直だったらその態度まで含めて、kumamaさんのお子さんに報告できるようになれば、お子さんのフラッシュバックも、少しはいい方向に向かうのではないかと、今は、それが切に望まれます。
 わたしは、校長経験者として、そんなことを考えました。
 不誠実な対応をしてしまったことは、校長として、kumamaさんに心から謝罪します。そして、再発させないようにベストを尽くしますが、不幸にして起きた場合は、上記のように対応することを誓うことだと思います。
33. Posted by kumama   2006年05月21日 02:42
Hidekiさん、toshiさん、ありがとうございます。
正直に言ってしまえば、最初のtoshiさんのコメントを読んですぐにでも反論を書こうと思っていました。けれど、その前にもう一度、自分の立ち位置を考えてみようと思い直しました。被害者意識だけでものを言ってないか、わたしはなんと言ってもらえば満足だったのだろうかと。
 そうしたら、Hidekiさんからわたしの心の中を解って下さったコメントを寄せていただき、それに対してtoshiさんからも温かい言葉をいただきました。お二人の気持ちが本当にうれしく感じました。
この言葉をtoshiさんからではなく、子供の学校の校長先生から聞くことができればいいのですが…。
でも、わたしはそれほど悲観もしていません。今度の担任の先生は、toshiさんと同じようなお考えを持ってくださっているからです。
34. Posted by kumama   2006年05月21日 03:06
子供も担任の先生を心から信頼し、安心しているのでそれが少しずつ周りに広がっていくと思っています。実は、クラスの中にも昨年のいじめの仲間が居るのですが、担任の先生のが変わるだけで、なぜこんなに違うのかと思うくらい顔つきが変わって、子供とも仲直りがすぐにできました。こんな風に皆と仲直りできること、それが子供の一番望んでいることですし、だからこそ、転校もしないで頑張っています。それを一人の先生に頼らなければいけないことが残念です。きちんと『学校』として取り組んでいただけないのは、やっぱり校長先生や、地域を含めた学校としての体質なのでしょう。toshiさんも最新記事でそこに触れてくださっていましたね。あの一文を読んでほっとしました。
こうして皆さんに支えられて、また一歩進んでいけるような気がします。ありがとうございました。
35. Posted by みるく   2006年06月09日 23:31
ブログ拝見していて「いじめ」に目が止まりました。
私は小学校五・六年とクラス全体からいじめにあいました。とある日の学級会で許せない出来事がありました!!それは担任が私がいる所で「(みるく)さん嫌いな人手を挙げて」と聞いたんです。信じられませんよね、普通!!でも事実です。全員に手をあげられとても傷付きました。自分にはいじめられる理由が分からなかったからよけいでした。
36. Posted by みるく   2006年06月09日 23:40
続き:グループ組めばはじかれるし、物は毎日のように隠されるし酷かったです。
大人になった今でもペアを組んだりするときに「私相手いないかも!」と怖くなり、いつも一緒に居る仲間の腕にしがみついてしまいます。親しい人にはその過去を告げて、組むときは一緒に居てくださいとお願いしています。
体罰もよくないですがこう言う心理的虐待の方がよくないと思います。トラウマ治したいといつも思います
37. Posted by toshi   2006年06月10日 07:24
みるくさん
 ほんとうにこういう話は、いっぱい出てきます。公教育に携わるものが、いじめに荷担しているとしか言いようがありません。
 そのたびに、同じく公教育に携わっていたものとして、謝罪の気持ちでいっぱいになります。
 本来、いじめられている者に寄り添い、いじめをなくすことに全力を尽くさなければいけないのに、
残念でたまりません。
 わたしにも、たいしたことではありませんでしたが、子ども時代のことでのトラウマはありました。しつっこいものでしたが、いつの間にか消えていました。
 それは、まったく異なる環境に浸りきることでしかないのですね。そういう環境に恵まれることを祈らずにはいられない気持ちです。
38. Posted by ぴ   2011年03月29日 17:58
体罰についてのまとめ、拝見しました。
私も、いろいろ考えさせられています。


この記事にある「戸塚校長」を最近映画の試写会後のトークセッションで拝見しました。

「平成ジレンマ」というドキュメンタリー映画で
出所後に「戸塚ヨットスクール」を再開し、その中での出来事を描いていました。

何故あれだけ世間に叩かれたのに、もう一度ヨットスクールを続けているのかと聞かれ、
「愛国心」からだと答えていらっしゃいました。

トークセッションでは、

現役の公立小の校長、
人権派の敏腕弁護士、
そして戸塚校長、

の3人の討論、
会場を交えての意見のぶつかり合い、

熱い時間、考える時間をいただきました。

今現在、戸塚ヨットスクールに入学希望してくる子は、
40歳ちかいニートの人、
引きこもりなどの人、
そんな子が多いそうです。

30年前に、体罰を全面的に否定されたために、
こんな子がどんどん増えたとおっしゃっていました。


39. Posted by toshi   2011年03月31日 07:51
びさん
 わたしには、『30年前に、体罰を全面的に否定されたために、こんな子がどんどん増えた。』は理解できません。ものすごい飛躍があると思います。
 この方は、おそらく、子どもの心を受容することと甘やかしたり放任したりすることとを混同しているのではないでしょうか。
 きびしさは必要です。でも、そのきびしさは、指導する側が有無も言わせず一方的に与えるものではありません。子ども自らがきびしく自分自身を律するようになるよう支援するという、そういう教育こそが大切だと思います。
 今の教育(家庭教育を含む。)にいろいろ問題があるのは事実ですが、だから、体罰というのではなく、子どもの心を受容し、子どもの自己実現を図るためにどのような教育であるべきか。そういう方向で、教育を考えるべきなのではないでしょうか。
 なにより、体罰のほとんどは、人間の尊厳を奪いますし連鎖します。今とかく問題となる児童虐待もこれと無関係ではないと思います。
なお、『甘やかしと受容は違うのよ。』なる過去記事があります。本コメントのtoshi欄にそのURLを貼りつけましたので、よろしかったらご覧ください。
 
40. Posted by 文月   2011年04月23日 20:15
toshi先生は、暴力教師にしては良心をお持ちのようですから、お伝えします。
個人的にはtoshi先生には、恨みはありませんので、どうか誤解なきようにお願いいたします。
暴力教師に対しては、通り魔への怒りよりもはるかに激しい怒りを感じるのです。
私の母校にいた某教師も少しは反省していてくれればいいのですが・・。
たとえ一度でも、子どもに暴力をふるった教師(暴力教師)は辞職すべきだと思います。
toshi先生は子どもに暴力をふるっておきながら何故辞職されないのでしょうか?

子どもに対する暴力犯罪を犯しておきながら教師を続けるなど、いかなる理由があろうと決して許せません。
一日も早い辞職を求めます。それだけ教師による暴力(体罰)は大罪であることを知って下さい。
もし本当に反省しているなら、辞職くらいはできるはずです。それが罪の償いにもなると思うのです。
41. Posted by toshi   2011年04月24日 20:21
文月さん
 わたしは、30年40年前の、20代30代のときの体罰のことが、心の傷になっています。そのため、ブログを始めて半年たったころ、それは今から5年前のことですが、そのころの反省と謝罪の気持ちを込めて、本記事をまとめました。
 他方、体罰以上に、日々、子どもとよく遊びましたし、心と心を通わせる目的で交換日記もすべての子どもとやっていましたし、(『交換日記からメールへ』を参照してください。)
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1556061.html
 それ以外にもいろいろな積み重ねがあって、同窓会を契機に我が娘の結婚式の司会を教え子がやってくれるなどということもありましたし、(『金八先生とともに、』を参照してください。)http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1610687.html
 したがって、わたしの教え子(当時の子は、もう50歳くらいになっています。)とは、今でも深いきずなで結ばれていると思っています。
 文月さんは、わたしを暴力教師と呼び、退職勧告をなさるくらいですから、必ず、上記2つの記事は読んでくださいね。
 恨みはないでしょう。それは認めます。
 しかしながら、暴力教師と断定したり(こんなことを言われたのは、40年教職についていて初めてです。)辞職勧告をなさったりするのですから、あえて申し上げます。
 ご自分の経験だけで、物事を判断しないでください。決めつけないでください。
 文月さんの言葉による暴力は、体罰以上だろうとおっしゃる方もいました。わたしも同感です。 
42. Posted by 文月   2011年04月26日 01:43
toshi先生、あなたは私の意図を誤解されています。悲しいことです。
あなたに辞職を求めたのは、被害者・子どもたちのためだけではありません。
toshi先生のためでもあるのです。私は、あなたを救ってあげたいのです。
(上記コメントの「それが罪の償いにもなると思うのです。」というところから私の意図を読み取っていただきたかった。)
私が怒りを表現したのは、あなたを恨んでいるからではなくて
まずは、辞職するレベルにいたる「罪の意識」をしっかりと持っていただきたかったからです。
自分の経験だけで、物事を判断しているのではないのです。決めつけているわけでもないのです。

さらに誤解を解くために、最初に言葉の定義について説明いたします。
一度でも「子どもに暴力をふるった教師」は「暴力教師」と定義されます。
toshi先生は子どもに暴力をふるいましたので、まぎれもなくあなたは「暴力教師」なのです。
まずは、あなたが暴力教師であることを心からしっかりと認識されることです。
そこから、あなたにとっての本当の意味での反省と償いがはじまると思うからです。
誤解を与えてしまい申し訳ありませんでした。あなたを救ってあげたかったのです。
43. Posted by 文月   2011年04月26日 01:48
つづきです。
>こんなことを言われたのは、40年教職についていて初めてです。
正直、驚いていますし、とても残念なことだと思っています。
40年もだれもあなたに忠告してあげないとは、あなたは、その意味で周囲の人に恵まれなかったと考えられます。
もっと早く忠告してあげる人がいれば、あなたももっと早く、しっかりと反省でき償いもできただろうと思います。
今からあなたがされるべきと思うことを申し上げます。

第一に、辞職をされることです。本来は40年前(最初の暴力のとき)に辞職されておくべきだったのですが、
今からでもおそくないと思うのです。
辞職しなければ、「子どもに暴力をふるったのにずっと辞職しなかったこと」を一生後悔されて
苦しまれると思うのです。あなたの心の傷も深くなるかもしれません。
今、辞職なされば、少なくとも上記の後悔、苦しみを感じることはなくなると思うのです。
今、辞職さされば、心の傷も軽くなることはあっても、より深くはならないでしょう。
toshi先生、あなたはある意味で、憐れな人であり、私は、あなたを救ってあげたい。
だからこそ、あなたには「暴力教師」であることから逃げずに、
それをしっかりと自覚し、罪の償いとして辞職をすることをおすすめしたいと思うのです。
44. Posted by 文月   2011年04月26日 01:58
第二に、辞職後に、あなたによる暴力犯罪被害者の方々一人一人に、辞職したことを告げ、
土下座して誠心誠意、心から謝罪されることです。
涙を流して謝罪する貴方の真摯な態度が被害者の心の傷を癒すことになるでしょう。

被害者の方の中には、あなたがコメントで紹介されたようなあなたを恨んでいない人がいる一方で、
あなたを心底恨んでいる方もいるかもしれませんが、
あなたが、せめてもの償いとして辞職したことを告げ、土下座して頭を下げ、謝罪すれば、
その方の恨み、苦しみも少しは和らげることができるでしょう。あなたも償いができるわけです。
あなたも被害者の方も、双方とも、心の傷がより癒されると思うのです。
45. Posted by 文月   2011年04月26日 02:02
toshi先生、これからは本当の意味での反省と償いの人生を送っていってほしいと思います。
それがあなたと被害者の方たちの心の癒し、幸せにつながり、
ひいては学校からの暴力の根絶へとつながっていくことでしょう。
あなたが教師になって40年という月日が経ってしまいましたが、決しておそくはないと思うのです。
私が今回のメッセージをあなたにお伝えできたことについて、
これも神のお導きだと確信しています。

ご紹介の記事、拝見しました。
金八先生のような少しでも暴力(体罰)を容認する教師をいかにして更生させるかが私たちの課題です。
暴力を容認する教師たちの邪悪な考えを浄化して救ってあげるのも神の使命だと思っています。
金八先生も含めて少しでも暴力を容認する教師たちには、邪悪な考え、悪の道から抜け出してほしいですね。

toshi先生も今では暴力(体罰)に反対されていますし、いつか協力しあえる日がくることを願っています。
どうか私の思いが伝わりますように。
46. Posted by toshi   2011年04月26日 09:03
文月さん
 今回のあなたのコメントは、とても分かりやすかったです。以前の記事に寄せられたような同じ主張の繰り返しがなくなっていますし、あなたの主張に宗教的な背景があることもよく理解することができました。
 でも、残念ながら、学級経営全体を書いているのにそれをみようとせず、また、体罰について反省と謝罪の気持ちを書いていても、辞職しない限りは不十分であると決めつけ、さらには、体罰のみに焦点を当てて、『たった一回でも体罰を振るえば、暴力教師です。』と定義付けする、
 そういう、あなたの主張にはとてもついていけません。
 金八先生を例に出されました。あなたは、金八先生を更生させる対象とされました。『金八先生を含めて』という表記であるにせよ、邪悪な考え、悪の道を歩むものとされました。
 わたしも金八先生の体罰による教育には反対です。そのことについては、上記リンク先記事に書かせていただいた通りです。
 さらには、金八先生は、今も体罰容認のように感じられます。
47. Posted by toshi   2011年04月26日 09:03
 しかしながら、だからといって、金八先生を更生させるとか、邪悪とか言う人は、おそらくこの世の中に皆無に近いと言っていいでしょう。
 それは、金八先生の子どもたちへの限りない愛、情熱、実行力、そういったものを心から信じ、認めることができるからだと思います。
 ところが、あなたにはそれが理解できない。
 あなたは、わたしが、『こんなことを言われたのは、40年教職についていて初めてです。』といったことに対し、『正直、驚いていますし、とても残念なことだと思っています。』と書かれました。それも、これと軌を一にするものかなと思っています。
 わたしに言わせれば、人をそのようにしか見ることができないあなたこそ、不幸な人と言わざるをえません。
 あなたが特定の宗教を信じていらっしゃるのかどうかそれは分かりませんが、あなたの信念の背景にあるものは分かりましたから、それでいくら主張されても、それはわたしにとって意味のないことです。
 体罰根絶を願う気持ちはあなたと共通するものがあります。しかし、そこに至る手法について、それがいろいろあるだろうことを理解できないのであれば、
 もう、これ以上、拙ブログにコメントされないよう希望します。申し訳ありませんが、入れられた場合は削除させてください。
48. Posted by 文月   2011年04月26日 18:30
色々な点で誤解があるようです。誤解されたままでは悲しいので・・。
>そこに至る手法について、それがいろいろあるだろうことを理解できないのであれば〜
どうか誤解しないで下さい。理解はしています。
どの手法が教師の暴力根絶に一番効果的なのかを考えていただけたらと思います。
そうすれば私の考えもご納得していただけるかと思うのです。

私は、どの手法が教師の暴力根絶に一番効果的か長年ずっと考えてまいりました。
教師の暴力の根絶に一番効果的なのは、暴力をふるった教師に対する徹底した「厳罰」ではないでしょうか。
私は、法律を改正し、日本の未来においては暴力をふるった教師は、全員懲戒免職にすべきだと考えています。
裁判所の判決で示されたように氏名の公表等はもちろんのこと、暴力をふるえば、懲戒免職になる法が制定されれば、教師の暴力を激減させることができると考えられます。
暴力根絶に一番効果的な手法だと思われませんか?
もちろん他の手法も総合的に用いていく必要があることは私も理解していますのでご安心ください。
他に暴力根絶に効果的な手法があるならご提示していただけるとありがたいです。

また、法改正までの期間においては、現在学校にいる子どもに暴力をふるった教師には、
自主的に退職していただけるように、退職勧告を行う必要もあると思います。
仮に退職勧告に応じなくても、数十年もすれば現在の教師たちは一人残らず定年退職しますから、
そのころには新法の効果で「子どもに暴力をふるった教師が一人も存在しない学校」が自動的にできあがるというわけです。
49. Posted by 文月   2011年04月26日 18:34
未来に、ごくまれに暴力を振るう教師がどこかの学校に出現しても、暴力を振るった教師は即、懲戒免職になるのですから、
すぐに「子どもに暴力をふるった教師が一人も存在しない学校」が自動的にできあがります。
このシステムを導入すれば、未来の学校においては、教師の暴力は現代より格段に減少していること間違いなしです。
そんな素晴らしい日本の学校をぜひ実現していきたいと思われませんか?
日本の学校は「子どもに暴力をふるった教師が一人も存在しない学校」である。
と世界に誇れる日本の学校にしていきたいと思われませんか?

>金八先生の子どもたちへの限りない愛、情熱、実行力、そういったものを心から信じ、
認めることができるからだと思います。ところが、あなたにはそれが理解できない。

これも誤解です。誤解されて本当に悲しいです。
金八先生の限りない愛、情熱、実行力等については私も認識しています。
しかし、暴力を愛のムチとして容認する金八先生は「愛」を冒涜しています。
「愛」とムチ「暴力」とは無縁です。愛と暴力はまったく相容れないものです。

金八先生の愛には、「暴力」が混じっているのです。その意味で、金八先生の愛は、純粋な愛ではありません。
暴力と愛とを結びつけて、愛をけがしている金八先生に愛を語ってもらいたくないのが正直なところです。
50. Posted by 文月   2011年04月26日 18:37
私は愛と正義を大切に思うからこそ、暴力を容認する金八先生を決して許せないのです。
金八先生の暴力容認の考えは、愛と正義に反しています。
生徒への暴力「犯罪行為」を容認しているのが、金八先生が邪悪な考えを持ってしまっている
何よりの証だと思うのです。
彼に邪悪な考えがないなら、生徒への暴力「犯罪行為」を決して容認しないはずです。
だからこそ私は、金八先生の考えの中の、「邪悪な部分」を浄化しなければならないと思うのです。
生徒への暴力容認の考えは「邪悪な考え」であることは明白です。

金八先生は暴力を容認していますから教員採用試験は不合格になります。
つまり、暴力容認の金八先生は教師の資格のない教師です。
金八先生が、教師であるためには、
彼の中の暴力容認という邪悪な考えの部分を何としてもなくす必要があると思うのです。
金八先生が良い考えもお持ちなのは百も承知しています。
そういえば、教員採用試験の時には、暴力を容認する人々は採用されないにもかかわらず、
教員採用後は、暴力を容認している教師たちが、懲戒免職されないのは何故でしょうか?
おかしな話だと感じています。toshi先生もそう思われませんか?

私は金八先生の良さも認識しています。
また、toshi先生の良さも認識しています。どうか誤解しないで下さい。
私は、教師の暴力・体罰問題に関しては、とことん気合が入ってしまうようです。
日本の学校を「子どもに暴力をふるった教師が一人も存在しない学校」にするという目標に
共感していただけるでしょうか?
51. Posted by 文月   2011年04月26日 18:39
もし伝わりにくい点がございましたら、何なりと質問していただければありがたいです。
ちなみに暴力教師というのは、私としては、「暴力をふるった教師」という意味で使っている次第です。
単に「暴力をふるった教師」の短縮形として使っています。
toshi先生の考えていらっしゃる暴力教師の意味合いとはどうやら違っていたようです。
ですので、toshi先生におかれては、かなり反発されて、
私の考えを勘違いなされたのではないかと想像しております。どうかご容赦ください。
同じ言葉でも人それぞれに意味合いが違う場合があることがお互いの意思疎通の障害になると実感しました。

これからも疑問点などが出てきたときには、
toshi先生と私とで、しっかりと話し合いを重ねて、一つ一つ誤解を解いていけたらと考えています。
話し合えれば色々な意味で誤解は解けると思うのです。
toshi先生を素晴らしい人だと思うからこそ、より素晴らしい人になって頂きたくて、
批判をしてしまっていますが、暴力などを除いては、素晴らしいものがあると思っております。
こんなtoshi先生に辞職を申し上げるなど、正直私にもつらいものがありました。
心に重い痛みを抱えながら辞職勧告を申しあげました。私も心が痛んでいました。
未来の日本の学校を「子ども(児童・生徒)に暴力をふるった教師が一人も存在しない学校」にするためにも私はここで情に流されるわけにはいかず、
toshi先生に辞職を勧告せざるを得ないところがつらいところです。
また、特定の宗教を信仰していることはありませんので、これも誤解なきようお願いいたします。
52. Posted by 文月   2011年04月26日 18:41
私の文章を解釈するにあたり、
どうか善意に解釈していただけるとありがたいです。
そうすればお互いに理解しあえるところは多いと思うのです。
私も貴ブログの文章を善意に解釈していけたらと思っています。誤解は解けましたでしょうか?
53. Posted by フルタ_1   2011年04月27日 13:27
昨日の朝、文月さんとtoshi先生のやりとりを読んでから、私の気持ちをここに書き込むことで、どういう成り行きになるのかが予想できず、不安に思い迷っていました。
でも、文月さんの昨日の夕方の書き込みを見て、書いていいかなと思い、書き込むことにしました。

私は、toshi先生の教育への思いをたくさんの若い先生に広めていってくださるために、ずっとずっと初任者指導を続けていっていただきたいなと心から願っています。
初任者に愛情を持って親身に寛容にご指導なさっている様子が、ブログから伝わってきます。そうして指導を受けた新しい先生方が、今度は子ども達を愛情を持って親身に寛容に育てておられることは、容易に想像できます。授業の様子を描かれている記事からも、子ども達の良い成長ぶりはよく分かります。
54. Posted by フルタ_2   2011年04月27日 13:28
私も、体罰には反対です。でも、文月さんがどのように考えておられようと、私はtoshi先生にずっと教育の現場にいていただきたいし、その様子をブログで伝えほしいです。小学生の子を持つ保護者の私にとっても、子どもの行動を理解する上でもヒントになるし、子どもに自分が対応する際に気を付けるべきこと、また、親の思いを学校にどのように伝えていけばいいかも学ぶことができます。私自身至らないことが多く、toshi先生の思いを理解しきれず上手く活かしていないように思うこともありますが、先生のブログを読みはじめてから、子ども達にとって、それまでよりは良い家庭環境で育っているのではと感じています。

toshi先生、すみません。私が口出しすることではないと思ったのですが、もし文月さんに私の気持ちをわかっていただけるようであればと思って書きました。
文月さんのコメントが増え、対処にお困りになるようであれば、一緒に削除してくだい。先生がここで時間を費やされ足踏みされておられるのも悲しいので。
今の子ども達の素敵な育ちにとって、適切で必要な公教育環境のヒントを提供してくださる方にどうぞ専念なさってください。
55. Posted by toshi   2011年04月28日 07:30
フルタさん
 いろいろ気をもませてしまったようで、ごめんなさい。また、これからのわたしの生き方に関する、ほんとうにすてきなコメントをいただいたなと思っております。いくら感謝してもしつくせない想いです。ほんとうにありがとうございました。

 以下、ちょっと話の論点がずれてしまうと思いますが、すみません。
 わたしが一番大切にしたいのは、『多様性』の理解です。そして、『人の多様性』を認めることです。
 『これが唯一。絶対正しい。誰もがそうすべきだ。』
 そうなったら、この世の中はとても息苦しくなることでしょう。

 でも、むずかしいですね。そんなことを言うわたしにしても、『多様性を認めない考え方、行動』や、『子どもの人格を大事にしない考え方、行動』を許すわけにはいきません。そこまで寛容ではありません。
 相手が子どもなら、受容し、変容を願って対応しますが、そして、それはわたしの仕事と思っていますが、大人のそれには、敢然として立ち向かいます。
 文月さんの最初のコメントは、『体罰以上の言葉による暴力』と受け止めました。しかし、最新のコメントに対しては、そのような受け止め方をしていません。それで削除はしないことにさせていただきました。
 フルタさん。今後ともどうぞ、よろしくお願いします。
56. Posted by 文月   2011年04月28日 21:48
toshi先生、暴力根絶のためとはいえ、批判せざるを得ず心苦しい限りでした。
事情を、先生のコメントのお言葉を借りて書かせていただければ、
私もちょっと話の論点がずれてしまうと思いますが、すみません。
私も『多様性』の理解、『人の多様性』を大切にしています。
これまでに何度も、子どもたちの多様性を認めない教師たちへの抗議活動も行ってきました。
今回の件では、昔のtoshi先生が、子どもの『多様性を認めない考え方、行動』
『子どもの人格を大事にしない考え方、行動』をとられたと判断して、
私は許すわけにはいかず、辞職を申し上げたと言えるでしょう。
私も、相手が子どもなら辞職を求めたりはせず、受容し、変容を願って対応していたでしょう。
しかし、相手が大人である教師なので、私は敢然として立ち向かったわけです。
私の最初のコメントを『体罰以上の言葉による暴力』と言われて、
そのtoshi先生のコメントこそが私への『言葉による暴力』だと受け止めました。
しかし、現在のtoshi先生は多様性を認めておられますし、子どもの人格を大事にされていると思うのです。
ですから、私とも多くの部分でわかりあえることができると思っております。
暴力(体罰)問題では、批判いたしましたが、toshi先生の良さを私も感じております。
57. Posted by 文月   2011年04月28日 21:51
私は子どもの多様な考えを大切にしていますし、
子どもに一度たりとも暴力をふるったことはありません。
子どもの心身の安全・人格・人権を心から大切に考えています。
ですので、私には敢然と立ち向かわれる必要はありませんので、どうかご安心ください。
辞職を求めてはいますが、本来なら仲良くなりたいタイプのお方です。
辞職を申し上げなくてはならず大変心苦しく思っています。
最終判断は、toshi先生の自由であります。私には何の権限もありませんのでご安心のほどを。

しかし私もとんでもない星の下に生まれたものだなと思っています。
フルタさんのように、toshi先生を応援できる立場でありたかったですが・・。
先生と敵対関係になってしまったとは。う〜ん、本当は仲良くしたいんですけど、それも難しいかも。
運命とは非情だなと感じております。考え方が違うばかりに、お互いつらいですよね・・。
58. Posted by 卒業生   2013年01月12日 11:10
はじめまして。いじめ 叱責 体罰についてなのですが、学校ではいじめはいけないと生徒に注意するでしょうが先生の叱責 体罰は誰が注意するでしょうが高くするのでしょうか?学校側が高く評価している先生がそれを行っていた場合、されている生徒は校長先生からはどう見えているのでしょうか?
59. Posted by toshi   2013年01月14日 08:23
卒業生さん
 またまた大変な体罰事件がありましたね。今もこのような事件が起きるのかと思うと、暗澹たる気持ちになります。ほんとうに情けないし、申し訳ないことです。
 《学校側が高く評価している先生がそれを行っていた場合、されている生徒は校長先生からはどう見えているのでしょうか?》
とのお尋ねです。しかし、わたしからみれば、このような教員が高く評価されるということはあり得ないことです。当然ながら懲戒の対象となるとしか言いようがありません。またそれ以前に、校長として当該教員に対し強力なる指導をすべきというのも、これまた当然のことです。
 とは言っても、この地域ではありうることのようですね。そこで想像ですが、『体罰はいけない。かわいそうだが、強いチームを作るためなら仕方ない。これも期待の表れだ。がんばってほしい。』といったところでしょうか。
 もちろん繰り返しになりますが、このような考えは到底許されるものではありません。
60. Posted by 卒業生   2013年01月18日 15:16
お答え下さってありがとうございます。親御さんは経済的に許されるなら我が子への教育費は惜しみません。学問にしろ運動にしろ駆り立てるように。得体の知れない未来の為に。かっては経済成長のため今は自己実現のため。噴き出したアドレナリン。大事なことなどそれほどない気がするのですが。

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