2006年05月14日

体罰はダメ(2)

0b6b2c45.JPG  若いころ、体罰を当然のようにやっていたことは、ほんとうに申し訳なかったと思う。

 申し訳ないと思う理由は、もう一つある。

 またまた、同窓会のことで恐縮だが、わたしが殴っていたころの教え子は、現在46歳と44歳か。

 それより下は、記憶にないが、多分、まだやっていたと思う。

 そして、同窓会の席で、そんな話題となると、彼らの大部分は、体罰容認派となっていることが分かるのだ。

「toshi先生。そんな謝ることはないじゃないですか。・・・。いやですよ。いけないのは、ぼくたち子どもだったのですから。」
「先生に殴ってもらったおかげで、今、ぼくたちは、一応、ちゃんとした大人になっているのではないですか。」

 そんな調子なのだ。

 ああ。もしわたしが体罰などしていなかったら、当時から体罰はいけないこととされていたら、彼らは、今、このように言うだろうか。


 こんな調子なので、なぜ、謝罪するのかまで話さなければならなくなる。

 その内容は、ちょっとあとに譲る。そのまえに、まだふれておかなければいけないことがある。

 それは、体罰していた以上当然とも言えるが、わたしは、娘二人を育てていた過程で、娘にも体罰をふるっていた。特に長女に対しては、妹を泣かすケースもあるから、殴る回数は多くなったと思う。

 長女夫婦に長男(孫)が誕生してからというもの、体罰の子育てが連鎖しないよう、いつかは娘に詫びなければいけないなと思っていた。

 孫が一歳の誕生日を迎えたころ、そんな折がおとずれた。そのときは、長女の夫君もいたから、ちょうどよかった。話が娘の小学生時代の思い出になったので、切り出した。

「お父さんな。『体罰はいけない。体罰は、子どもに恐怖心を与えるから、だめだ。』という話をしたいのだけれど、お父さんにそんなことを言う資格はないなあ。」

 そして、謝ったのだが、娘には、先ほどの教え子同様のことを言われてしまった。

「お父さん。なんで、そんなに、謝るの。わたし、ぜんぜん、気にしていないよ。もちろん、うらんでもいない。
だって、お父さんに殴られるときは、絶対わたしがいけないときだったもの。納得していたよ。反省もしたし。だって、子どもを育てていたら、言っても分からないことってあると思うんだ。」

 ご夫君も、
「うわあ。そんなに、体罰はいけないですか。」
と、ほんの少しうめくような調子で言った。

『ありゃあ。こりゃあ、だめだ。間違いなく、孫へ連鎖するな。』

 そう思わざるを得なくなった。

 それから、
恐怖心、
たいした思慮もないことが多く、くせになること、
子どもも自分より弱いものに暴力をふるうようになるであろうこと、
子どもの暴力を叱るのに、親が殴っていたのでは矛盾であること、
 そんな話をした。

「でもさあ。『三つ子の魂、百までも、』って言うでしょう。今、Aちゃん(孫の名)は、1歳になったところだけれど、3歳くらいまではやっていいこと、いけないことは、口で言ったって分からないと思うんだ。それでも、ぶっちゃあいけないの。お尻、ペンペンもダメ?」

 さあ、こまった。

「うううん。お父さんは、小学生段階はいろいろ言えるけれど、幼児はちょっと分からないなあ。でも、お尻ペンペンくらいはいいか。少なくとも顔はダメだ。・・・。ああ。お父さんは、B(娘の名)の顔を殴っていたのだよなあ。ほんとうに申し訳なかった。」

 そう言って逃げた。



 どなたか、乳幼児の子育てについて、このあたり、どう答えたらよかったか、ヒントでも、教訓でもよいので、教えてください。

 娘二人の子育ての参考にもなると思います。


 もっとも、長女の息子は、もう、3歳になっている。

 毎月のように、長女、次女は、ご夫君や孫と一緒にたずねてくるが、基本的には、いい子育てをしているなと思う。

 孫は現在3人(あと1歳が2人)。いずれものびのびと育っているし、やさしさ、いじわるが混在している。このままでいいのではないかと思う。

 もう一つ。

 次女夫婦には、まだこの話はしていない。・・・。ま、いいか。長女夫婦も、次女夫婦も、このブログを読んでくれている。・・・。それで、お詫びにかえてもらおう・・・か。


 さて、次回は、『公教育と体罰』というテーマで書かせていただこうと思う。


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    (3)へ続く。

rve83253 at 15:12│Comments(29)TrackBack(0)自己啓発 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by hirarin   2006年05月15日 03:44
3歳の子どもたちに、おしりペンペンをしているだめな父親です。
「三つ子の魂百までも」を肝に銘じ、やってはいけないことをわからせようとしている毎日です。

3歳の子どもたちに「悟らせる教育」は私には正直できません。目と目を合わせて、「全身全霊でパパは怒っているんだ!」と伝えても、3歩歩けば子どもたちは忘れているような状態です。

まあ、怒る内容のほとんどが兄弟げんかなんですけどね。(仁義なき戦いが毎日繰り広げられています)
2. Posted by aoisora33   2006年05月15日 20:38
ダメなものはダメ、を親として子どもに教えること、伝えることは必要だと思いますが、その方法として小さい子どもに「手をあげ」ることには、虚しいものを感じています。特に、3歳未満の子どもに、手を上げてでも教えなければならないことって例えばどういうことなのか、が私にはわかりません。
私には、一度だけ父親に手を上げられた記憶があります。幼稚園くらいの時です。そして私は(自分は悪い子なんだ)(だからお父さんは私のこと嫌いなんだ)(だから叩かれたんだ)(悲しい)(お父さんが怖い)というような思いを持ってしまい、その後、自分から近づくことが、不安でできなくなってしまいました。父親に拒否されるのが怖くて、できなかったのです。
3. Posted by aoisora   2006年05月15日 20:39
続きです。
なので、もし親がしつけのためにと手を上げても、お子さんが親御さんに近づいて来れているうちに、出来るなら、手を上げることをやめて欲しいと思います。お子さんの心が、不安を感じてしまう前に、手を上げる以外の方法を考えて欲しいと思うのです。
勝手なことばかり申し上げて、すみません。お許し下さい。
4. Posted by kumahachi   2006年05月16日 00:04
toshi先生へ
先日は始めたばかりのブログへご訪問ありがとうございました。こちらにコメントを寄せられる方の真面目な記事を日ごろ読まれている先生にはどう映ったかと思うと申し訳なくて。

体罰は、わたしも反対ですが、やはり学校で体罰を受けて過ごした世代ですので、自分が受けたそれを完全に否定もできません。いまの子供たちが学校で体罰を受ける事は絶対に否定ができるのにおかしなものです。
今、確かに体罰について沢山の方が考えています。その中で、次の一文が気になりました。

「体罰を受けて育った子は、体罰で人間関係を作るようになってしまう。体罰を受けて育った子は、体罰で教育されるまで、自分が悪いことをしたことに気づかなくなってしまう。だから、教師は「教育」できず、体罰を受けて育った子の行為はエスカレートする。」
5. Posted by kumahachi   2006年05月16日 00:07
ある、教師向けの講習で語られた言葉です。

たたかれないと、悪いことに気付けない子供を作ってしまう事は子供にとって最大の不幸だと思います。
言葉を持った子供には、言葉で理解できる指導をぜひ、先生方にも、親御さんにもしていただきたいと思います。
6. Posted by toshi   2006年05月16日 05:04
皆様。コメント、ありがとうございます。
 わたし、当記事に対するコメントを、もっともっといただければと、ずうずうしいことを考えています。ごめんなさい。でも、どうぞ、よろしく。
 
 そこで、わたし自身のコメントは、今しばらく猶予をお願いしたく存じます。
7. Posted by Haru17   2006年05月16日 11:24
はじめまして。小1と1歳の子どもの母です。私も戸塚の件以来、体罰について考えているところです。私は反対派です。夫は、「体罰は教育」を全否定できないと言います。それはやはり夫が「しかるべき時にしかるべき処分(体罰)を受けてきた」と思っているからです。でも私は違います。私がもし、体罰を受けた恩師から「すまなかった。」と言われたら、「先生、ありがとう。」と答えると思います。体罰を受けた後は、皆さんが書かれている通りで、「恐怖心」「萎縮」しか残っていません。
8. Posted by Haru17   2006年05月16日 11:24
夫は「悪いことをしたから仕方がない」と受け入れていたと言いますが、私はできませんでした。「叩かれるほどのことはしていない。」「みんなの前であんな目にあうのはごめんだ。」と思い、とにかく大人から怒られないよう努めました。だから先生との信頼関係が作れていなかったと思います。逆に、まったく体罰のなかった(でもきちんと叱ってくれた)先生には、本音で話ができたし今でも信頼しています。
9. Posted by Haru17   2006年05月16日 11:34
また、幼児の場合、叩くほどのことをしていることは、冷静に考えると皆無だと思います。気を紛らわしたり、こうすればこんないいことがある、とプラス思考で導いてやれば、子どもは切り替えが上手にできるようになると思います。幼児教育の専門家ではありませんが、自分の子育てや周りの方のやり方を見ていてそう思います。ある小児科の先生が「三歳までは叱る必要はまったくない。何でも(買い与えるのは別です)言うことを聞いてやることで、自分には価値があるんだと体感する。」と言われていました。体罰より、こっちのほうがずっと大人の忍耐力が必要ですよね。
長々とすみません。私も皆さんと考えて生きたいと思っています。またおじゃまさせて下さい。
10. Posted by lunar_cat   2006年05月17日 00:21
少し参加させてください。

相手が幼児であっても,体罰を使ってまでしつけなくてはならないことは,私はほとんどないと思います。
命の危険があるときは,緊急避難的に体罰でしか対応できない場合もあるかもしれませんけど…。

Haru17さんも書かれていますが,幼児の場合,叩いてまで止めなくてはいけないことは,ほとんどないと思います。子どもがしてはいけない事ではなくて,大人がされたら嫌なことを,子どもがしてはいけないこととして,しつけているように思います。

環境を整えれば,幼児に体罰をふるってまでしつける事など,ほとんどなくなると思っています。

ただ,そう思っているだけで,現実の親としては,時たま手が出てしまうことはあります。情けない(^^;) その後,子どもをぎゅっと抱きしめて謝ってはいますけど…。
 理想と現実は,かくも違います。
でも,そう思うことが,先ず大事ですよね。
11. Posted by toshi   2006年05月17日 21:16
hirarinさん

 コメントしづらいことを、ありがとうございました。長女夫婦には、3歳児と1歳児がいるのですが、やはり、兄弟の争いは、けっこうあるようです。でも、今のところは、口で言って聞かせているといった感じです。同じことでも、何度も何度も繰り返し言うといった感じです。
 お尻ペンペンはやっているのかどうか、それはちょっと分かりませんけどね。
12. Posted by toshi   2006年05月17日 21:29
aoisora33さん

 ご意見をお寄せいただき、ありがとうございました。
 わたしも同感です。ただ一点、『たとえばどういうことなのかが、分かりません。』の部分については、hirarinさん同様に兄弟げんかなのですが、それだって、やはり、手をあげるのはだめというのが、今のわたしの見解です。
 わたしも、父親がずっと怖かったです。ふだんもきびしい顔しかしていなかったし、父親と心が結ばれたと実感したのは、かなり後です。それについては、いずれまた、記事にしますね。
 そう。そう。これは弁解ですが、わたしは2人の娘に手を上げた時代も、会話は豊富にもったつもりだし、努めて明るく振舞ったつもりではいるのです。すみません。ほんとう。言い訳ですね。
13. Posted by toshi   2006年05月17日 21:39
kumahachiさん

 ご意見をお寄せいただき、ありがとうございました。
 kumahachiさんのコメントで、ちょっと、不可解な点が理解できたような気がします。
 と言いますのは、今の保護者で、体罰を肯定する人はほとんどいないと思います。それなのに、同窓会で、保護者世代となっている教え子は、なぜああ言うのか。その点が分かったような気がしたのです。やはり、体罰を受けた世代は複雑な思いなのですね。あらためて、また、申し訳ない思いがつのってきました。
 紹介していただいた、学者さんの意見も、よく理解できます。
14. Posted by toshi   2006年05月17日 21:50
Haru17さん

 専門的な方のご意見も交え、コメントをいただき、ありがとうございました。
《とにかく大人から怒られないよう努めました。》
は、こたえました。
 そういう子もいたのですね。わたしは、当時は、反抗してくる子への対応で、いっぱいいっぱいでした。
 話は変わりますが、最近、まちで、大泣きしている幼児とそれに対応している親の姿が、気になって仕方なくなっています。いろいろな親の姿が見られますね。辛抱強く、温かく対応している親を見ると、『ああ。これだ。』と思って、心情的にだけですが、その親をほめてやりたくなります。 
15. Posted by toshi   2006年05月17日 21:56
lunar catさん

 本音の部分のコメントまでいただき、ありがとうございました。

 ちょっと体罰とは違う話題で恐縮なのですが、今、わたしは、初任者に対し、『叱ったり注意したりすれば、すぐ子どもは直すだろう。そうしたら、間髪いれず、ほめてやりなさい。叱ることとほめることは一体だ。』と、よく言っています。
 まあ、ほめると言っても、『おっ。すぐ言うことが聞けたね。』『あっ。自分でいけなかったと気づいたのだね。』というくらいのことなのですが。
16. Posted by staff@crn   2006年05月18日 18:35
こんにちは。子どもの研究所サイトのスタッフをしています。

親(先生)が子どもに体罰をしたことと、その子どもが体罰を容認することとの因果関係はあまりないと思います。

乳幼児期から児童期にかけては、まだ言語能力も認知能力も発達過程にあり、いろんな刺激を受け、日々成長していきます。

一般に、習慣化(頻繁化)したり、非常に強い恐怖を感じるような状況でなければ、思考や性格に影響を与えるとは考えにくいです。
 *だから体罰OKという意味ではないです

ところで、「しつけ」と「体罰」の定義づけってあるんでしょうか? それぞれが個々の経験(体験)のなかで用いやすい言葉なので、なかなか共通見解のもとに建設的な議論がしにくい、難しいテーマだと日ごろ感じています。
17. Posted by toshi   2006年05月18日 22:47
staff@crnさん

 いつもお世話になります。専門的な立場からのコメント、ありがとうございました。
 体罰の定義づけは、一応あると思います。ただ、それが一般化されていないのですね。
 
 肉体的な苦痛だけでなく、精神的な苦痛も含みます。たとえば、わざと特定な子だけ指名しないなどというのはだめですね。

 やはり、Hidekiさんもおっしゃっていましたが、子どもに対しても、人としての尊厳を傷つけることはしてはいけないということだと思います。
18. Posted by くるみ   2006年05月28日 08:28
 toshi先生や皆様のコメントを拝読して改めて自らを振り返っています。
 特にtoshi先生の投稿中に「連鎖」とありますが、私は、自分自身の「連鎖」に苦しみ、その負のスパイラルに子どもを巻き込んではいけない、と気づいてからというもの、本当に苦しくて苦しくて自己否定することでなんとか持ちこたえた気がします。
 その連鎖は、体罰という同じ形で起こるものでもないと思うのです。toshi先生も仰っている通り「体罰というのは、肉体的な苦痛に加えて精神的苦痛が伴う」ものですよね。
→続く
 
19. Posted by くるみ   2006年05月28日 08:29
→続き
 私の両親もその連鎖を気づかずに子育てをしてしまったのでしょう。彼らを許し、そろそろ私も自責の念から自分自身を解放して、きっとその連鎖は断ち切れると光に向かって歩いて行きたい、・・・。そんな気もちになってきました
20. Posted by toshi   2006年05月29日 03:02
くるみさん
 この記事を連載して、体罰の連鎖に苦しむ保護者の方は、ほんとうに多くいらっしゃるのだなと、あらためて感じています。
 そのことによって、体罰は、学校現場の問題だけではないことも、再確認しました。
 また、虐待などという問題もあり、ことは深刻だなと思う面もあります。

 《彼らを許し、そろそろ私も自責の念から自分自身を解放して、きっとその連鎖は断ち切れると光に向かって歩いて行きたい、・・・。》

 連鎖させれば、我が子もやがて、これと同じ気持ちをもつに違いない。そう思うことが、連鎖を絶つ力となるでしょう。
21. Posted by みるく   2006年06月04日 01:34
私も中学時代音楽の教師から三年間毎週のように、連帯責任みたいな形で『お尻叩き』されました。 音楽会で伴奏者をしていたので、朝練をさぼるクラスメートがいると指揮者と私が呼び出され「あなたたちがちゃんとまとめないからでしょ!」と納得行かない理由で叩かれました。その他は、小テストで満点じゃないときも「ピアノ習ってて何で出来てないの!」とみんなの前で棒で見せしめみたいに叩かれました。
22. Posted by みるく   2006年06月04日 01:44
続き
期末テストでも木管楽器に間違えて木琴と書いてしまい、クラスメートがいる前で思い切り手でお尻ペンペンをされショックで泣きました!
それ以降先生とかが後ろに来るだけで『お尻ペンペンされる』と思い込み怯えるようになりました。今は大人になり友人と「良くお尻ペンペン」されたねって話すだけで恨んではいません。
23. Posted by toshi   2006年06月04日 13:36
みるくさん
 連帯責任というのは、おかしいですね。今は、それでお尻ペンペンなどというのはないと思います。
 それに、指導者が自分ですべき指導を、子どもになすりつけているという感じがします。
 いずれにしても、恐怖心を植えつけて、目的を達しようとするのは、子どもの心をマイナスに育ててしまうのではないでしょうか。
 今はうらんではいないとのこと。体罰にまさる愛を感じていたのなら、せめてもの慰めなのですが。
24. Posted by みるく   2006年06月04日 15:40
返事ありがとうございます。
その先生は「今の親は自分の子供のお尻を叩く事すらしなくなってるから、私が代わりに叩いてあげているのよ!感謝しなさい」と良く授業で言っていました。忘れ物は自分がいけないので仕方ありませんから耐えましたが、数が回数に応じて増やされていくことと、黒板に手をつかせて力一杯棒で叩かれたので物凄く痛くて、家に帰ってお風呂の鏡で見るとお尻に棒の跡がある日もありました。
25. Posted by みるく   2006年06月04日 15:47
続き
それはさすがに度が過ぎていると感じました!
酷いときは小テストで全員壁に向かって立たせ、答えられなかったり間違えたらその場でお尻叩きでした。恐怖の何物でもありませんでした! 私も音大へ進み教職を取り「懲戒は可だけど体罰は不可」と習いました。教育実習の時言ってやりたかったです。 もう10年前です
26. Posted by toshi   2006年06月05日 04:44
みるくさん
 それは。それは。何ともすくいようがなくなりました。
 百歩譲っても、愛のむちとは言えないですね。音楽は、音を楽しむと書くわけですが、そんな感じではないですね。
 音楽って、他教科に比べると、どうしても、訓練的要素が強まる傾向があるようです。
 子どもの意欲、興味関心を培う教科でありたいものだと思います。
 ただただ、体罰の連鎖に踏み込まないよう、みるくさんには、まことに申し訳ない言い方になりますが、そんな思いになりました。
 うまく書けなくて、ごめんなさいね。
27. Posted by 百合子   2008年06月28日 23:57
5 はじめましてtoshi先生。私も体罰は断固反対です!

私が中学生だった頃(80年代)は、体罰が容認されていた時代だったため、教師の大半がビンタ・拳骨・正座・竹刀や木の棒とかでお尻叩き等の体罰を日常的に行っていました。

中でも特にひどかったのが体育の中年男教師(しかもブサイク)で、「授業に遅れてきた」「ジャージを穿いてきた(真冬でもブルマ強制でした)」「列からはみ出た」「走るのが遅い」「返事が小さい」「気合が足りない」等の理由でしょっちゅう、長さ2m近く位の“竹の棒”で思いっきりお尻を叩かれていました。
両手を前に突き出して両足を肩幅まで広げて前屈みになり、体育教師に向けてお尻を大きく突き出す姿勢で・・・。
多い時には40発とか50発も叩かれて、ブルマの上からなのに、お尻に太い蚯蚓腫れが何本も出来てしまいました(涙)。
28. Posted by 百合子   2008年06月29日 00:02
続き

おまけに、この体育教師は“素手”で私たちのお尻を思いっきり叩いてきた事まであったのです。
信じられますか?年頃の女生徒のお尻を男の教師が素手で叩くなんて・・・。
痛さは、竹の棒で叩かれる方が遙かに上でしたけど、素手で叩かれるのは、好きでもない男にお尻を触られたようで最悪でした(怒)。
29. Posted by toshi   2008年06月29日 15:33
百合子さん
 百合子さんの中学生当時の例は、いくら体罰容認の時代だったとはいえ、ちょっとわたしの想像を超えるものですね。それはもうやり過ぎというもの。
 そこまでいかなくても、やはり体罰は容認できるものではありません。
 体罰は、個人の問題でもありますが、それを容認する度合いというのは、地域風土の問題でもあるのでしょうね。

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