2006年04月27日

『民営化』の言葉がよくなかったか。


897b2e6c.JPG  ブログを始めて5ヶ月近く。その間の多くの人とのコメントのやりとりが、自分にとっていかに生きがいとなるものか、また、いかに自分を成長させてくれるものか、今、あらためて実感している。ほんとうに感謝している。

 実際にお会いしたことはなくても、皆さんの多様なお考えをうかがうことができるのは、不思議な感じもするし、好奇心に駆られ楽しくもあるが、同時にこわさも感じる。

 ときどきは、まったくびっくりするようなコメントをいただき、何でこんな誤解を招くのだろうと、あぜんとすることもあるからだ。

 今回もまさにそれであった。24日の記事である。そこで、そのときの思いを記事にすることにした。

 まさか、自分の考えを、JR西日本の悲惨な事故になぞらえて、語られるとは思ってもみなかった。

 
 『民営化』の言葉が、いけなかったか。
 小泉首相が、5年前、さっそうと登場したころは、『民営化』は大変なプラスイメージとして支持を受けたはずだ。しかし、今は、マイナスイメージを持たれているのであろうか。なにやら、『ゆとり教育』と同じ運命をたどっているようだ。

 しかし、ようく考えてほしい。日本はもともと資本主義の国。人間の活動の大部分は、まさに、『民営』ではないか。民営の基本は、『善』とされているはずである。でなければ、とっくのむかしに、共産主義国になっていたであろう。

 ただし、人間のやることだから、完全無欠はあり得ない。そこで、行き過ぎたり、足りなかったり、矛盾を抱えたりして、いろいろな問題が起きる。しかし、間違えて、基本まで否定してしまうようでは、道を誤ると思わざるを得ない。


 さて、教育問題にふれよう。先のコメントでも書かせていただいたが、わたしのいう『民営化』は、公立学校を私立学校にするものではない。

 地域・保護者の声に耳を傾けての学校経営、地域・保護者が主体性を持って学校運営に参画する学校経営。そのようなものをさしている。そして、これは、わたしが考えているだけでなく、現状、進行しているさいちゅうである。

 でも、それなら、『民営化などという言葉を使わなければよいではないか。教育改革と言っていれば、誤解は起きない。』と言われそうだ。

 しかし、わたしの思いで言わせてもらえれば、『教育改革』という言葉では、方向性が見えてこない。
また、わたしの地域の学校管理職は、わたしの退職数年前から、『民間度チェック』なるものも行ってきた。『いかに外に向かって開かれているか』の観点からのチェック』と言ったらいいかもしれない。

 だから、『民営化』の言葉に違和感はなかった。

 でも、誤解を招くなら、今後この言葉は使いたくない。そこで、こまった。方向性を示し、誤解もされないようないい言葉はないか。広く、皆さんにおうかがいしたい気持ちになっている。

 もっとも、これまでも、けっこう、『?』マークつきにしたり、『民営化』のように、『  』付きにしたりはしていたのだけれどね。


 最後に、上記記事にまつわるエピソードを2つ紹介しよう。

 一つ目は、わたしが現職のとき、わたしの学校には、学校評議員の一人として、地域の郵便局長さんもいた。その方に話したことがある。

 「今、郵政民営化がもっぱらの話題ですけれど、郵政がすんだら、次は学校がねらわれるのだと思いますよ。もっともわたしは、大筋、賛成ですけれどね。」

 二つ目は、教え子との同窓会での一こま。この教え子たちは、そのとき、だいたい、小学生の保護者世代になっていた。

「toshi先生。ちょっとうかがっていいですか。」
「なんだい。急にあらたまって。・・・。いいよ。どうぞ。」
「わたしたち、どうして子どもの通う小学校を選べないんですか。」
「そう。そうよね。学校だっていろいろあるのだから、選びたいですよ。」
「だって、幼稚園は、学区などないから、自由に選べたのですよ。」

 当時はまだ、教育改革の話題などなく、学校選択制など、現実にはあり得ないことのように思われた。

 わたしは、たぶんこう答えた。
「いや。そういう保護者の声が強まれば、やがて、そういう時代がくると思うよ。」
「そうですよ。そうならなきゃおかしいですよ。お昼に何を食べるかは自分で決めて、お店を選べるけれど、子どものことは、そんなのに比べれば、もっともっと大事なことじゃないですか。一生を決めちゃうかもしれない。それなのに、親が選べないなんて、おかしいですよ。」

 わたしは、大変革の時代の幕開けを感じた。

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rve83253 at 04:13│Comments(9)TrackBack(0)学校、第三の民主化 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2006年04月27日 09:38
こんにちは
今回の記事に関しては、私もチャチャ入れさせてもらいます。
Toshiさん、「民営」と「民主」はちょっと意味が違うと思うのですよ。「営」という以上は、営み続けなければいけない。端的にいえば、経営です。経営という以上は、「やりたい」「こうあるべき」という視点だけでは回りません。
大事なのは継続できること=きちんと回ること、ですので、その場合には銭勘定による経営的視点による判断がともないます。非効率・不採算なものを、十分に配慮しながらもカットしていくということが要求されます。
民営化といった時点で、この点を考察にいれないというのは、おかしいと思うのです。
2. Posted by Hideki   2006年04月27日 09:38
Toshiさんのおっしゃるのは、「学校の民営化」ではなく「学校の民主化」ではないでしょうか?
こういうと、今の学校は民主的でない≒専制的というザラりとした違和感が残るかもしれません。
それでも、民営化の良いところばかりとりあげ、その裏にあるまずいところをみないことよりも良いと思うのです。
いまの小泉首相は言葉のマジックで、まずいところを覆い隠し、良いところばかりだけを強調する。それを鵜呑みにしないためにも、きちんと言葉のもつ意味をおさえていかないとまずいと思います。
(ただ、JRの事故が民営化のせいとするのは、ちょっと論理の飛躍があるのでは?とは思っています)
3. Posted by Hideki   2006年04月27日 09:51
もし学校の民営化を推すのなら、その副産物である、不採算学校の見直し・切捨て、特定少数の手間がかかる生徒(障害児含む)への負荷責任の明確化といった、問題をもきちんと考察しなければいけないと思う。
ちなみに郵政の民営化については、郵貯という財源の使途明確化、まあ端的にいえば無駄・不明瞭な運営構造があったからこそ、それを改革するために意義があったと思っています。
もちろん、民業でそれに対抗しうる事業が成り立ちつつあり、公営でおこなう意義が薄れてきたという面もあります。
つまりそれら背景が、郵政と教育はまったく異なると思うのですよ。
4. Posted by 漢字は苦手   2006年04月27日 11:12
学校選択制について、、、
私の住む地域は学校選択制を取り入れています。
娘が6年の2学期の終わり頃、涙をこぼしました。
「みんなで同じ中学校へ行きたかった」と。
クラスの何人かは私立へ、それ以外の子は地域の2つの公立を選びました。以前は学区があり、私立以外は皆同じ公立に進んでいました。
学校を選ぶことに何のメリットがあるのか。
特色ある学校作りに何のメリットがあるのか。
地域で子供を育てるのであるのならばこそ、皆一緒に地域の学校に進むのが本来の姿でしょう。
アイツ嫌いとか、部活がどうとか、学校の選択の基準なんてせいぜいそれくらいです。
それよりも子供たち自身はこの選択制をどう受け止めているのか、考えてほしいのです。
嫌いの気持ちの裏返しに仲良くしたい気持ちが、ひょっとしたらあるのではないですか。
5. Posted by toshi   2006年04月28日 05:15
Hidekiさん
 いやあ。もう、ありがとうございます。自分の論理の未熟さをつくづく感じました。論点が明確になりました。やっぱり、『民営化』はまずかったですね。
 本記事を書いたあとで、思い出したことがあります。
 『民営化?』と称して最初に記事にしたのは、12月8日でした。このころは、ブログを始めて、まだほんの数日。なんとか、読んでくれる人をふやそうとして、必死でした。そのためには、できるだけ、タイトルを工夫し、『あれっ。何だ。何を言いたいのだ。』と思ってもらえるようなものにしようと思っていました。奇をてらう傾向がありました。
 
6. Posted by toshi   2006年04月28日 05:25
それが、最近は、おかげさまで、皆様のご支援、ご支持を得て、ランキングの1,2位を争うようになったのですから、表記に気をつけなければいけませんね。
 なお、Hidekiさんのおっしゃる、『民営化』の観点で考えていないこともないので、もし、記事にできるくらいまとまれば、記事にしたいと思いますが、さて、どうなりますか。今のところは自信がありません。
 いずれにしても、ありがとうございました。
7. Posted by toshi   2006年04月28日 05:39
漢字は苦手さん
 おっしゃることはよく分かります。現在の学校選択制は、漢字は苦手さんのおっしゃるように、まだまだ未熟だと思います。どうでしょう。地域住民の意向を反映した形ではなく、いきなり上からの指示で、始まったのではないでしょうか。
 わたしは現行のそれは、順序が違うのではないかと思っています。選択制をとり入れるのなら、その必然性、切実性をもたせてからと思うのです。
 わたし、お嬢さんの学級は、すばらしかったのではないかと思います。ちょっと、学校選択制の論点とは違うのですが、かつて記事にしたことがありますので、お読みいただければ幸いです。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/2005-12.html#20051213
8. Posted by こだま   2006年04月28日 10:09
おはようございます。
>わたしは、大変革の時代の幕開けを感じた。
私も感じています。そのためには、学校だけでなく私たち保護者側も意識を変えていかなくてはいけないように思います。
子どもにとって良い学校が今後ますます増えていくことを切に願っています。またそのことが将来の日本の方向性を決定づけてくれるでしょうから。
9. Posted by toshi   2006年04月29日 06:49
こだま先生
 国民主権とは言っても、現状はまだまだ、学校が説明責任を果たしていなかったり、地域、保護者の要望、願いとは関係のないところで、学校経営をしていたりするのではないでしょうか。
 こういうのは、地域差がかなりあるのではないかと思います。
 また、国民主権とは、国民の自己責任もますということですので、こだま先生のおっしゃるように、保護者も意識を変えていかざるを得なくなりますね。
 さらに、塾と学校も、連携し合う時代になっていくのだろうと思います。

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