2006年04月04日

子ども一人一人の基礎・基本(2)

c1301597.JPG 2日に、本シリーズ(1)を記事にしたところ、卯月先生から、いろいろひらめくようなコメントをいただいた。


『目標を定めること・狙いを持つことは、とても大切なことだと思います。』

 ほんとうにその通り。これを見失うと、子どもの思いに振り回されることになる。『不撓不屈をとらえた』『勇気としてとらえた』の意味を見失わず、意味づけたり価値づけたりすることができるのも、しっかりねらいをもっているからだ。

『でも、それに縛られすぎてしまって大切なことを見失ってしまう危険性があることを、わたしたち教員は意識しておかなければならないと思います。』

 ねらいにしばられると、『勇気』は、『ねらいに到達していない』としかとらえられなくなる。すると、正しい価値(?)の『不撓不屈』を教え込まなければならない。しかし、そういうのって、ストンと落ちる知識としてその子の心に定着するか。


『こちらが予測し得なかったことが、子どもから出てきたとき、それをどう返していくのか、その切り返しが当事者の子どもだけでなく、周りの子どもに与える影響は大きいと思うのです。』

 話は変わるが、わたしはほんの少し囲碁をやるのだが、『定石は覚えて忘れろ』という『教訓』がある。
 定石は覚えなければいけない。しかし、それにとらわれるのはもっといけない。なぜなら、それは、最良の手の応酬なのだが、必ずしも相手が定石どおり打ってくれるとは限らないからだ。
 定石にしばられると、相手が定石通り打っていなくても、『自分だけの定石』を打つ。そうなると、最良の手も、最悪の手になり兼ねないのだ。
 定石が最良の手である以上、相手が最良の手を外したのだから、ほんとうは、チャンスのはず。

 授業は戦いではないが、ねらいとは違っても、せっかく価値あることを子どもが言っているのに、その価値すら否定してしまい、最悪の結果となり兼ねない。
 

 『「伝えたかったことはまた次回に回そう。」くらいの余裕があってもいいと思います。』

 これについて、わたしの実践を述べよう。

 1年生の体育だ。

 マットを2列に離して敷き、これを川岸に見立てる。マットとマットの間の露出した床は、川となる。
「さあ、川にドボンとはまらないようにして、向こう岸に跳んでみよう。」

 子どもたちは大張り切りだ。元気に跳び越す。次は反対に跳ぶ。

 しかし、そのうち、『川』を、お団子のように丸くなって、行き来する子が現れた。

「何やっているの。川にはまりっぱなしじゃないか。」

 すると、子どもが、

「先生。ぼく、船になったのだよ。みんなは船の上を跳んでいるのだよ。」

 それを聞いていた何人もの子が、『ぼくも、わたしも。』と言って急に船になりだした。

 川跳びの子たちは、さらに大きく跳ぶ。

 そうしたら、『ぼく、橋になるよ。』

 自分でマットを寄せ合い、見事にブリッジをしだした。

 そうしたら、大感激だ。ブリッジの子は、クラスでも小さな子。それに対し、船になる子のなかには、クラスでもっとも背の高い子がいる。ブリッジの子は、大きな船を通そうとして、手足はピンピンに伸ばす。それに対し、船の子は、お団子状態をもっと小さくしようと、身を縮めながら通る。

 思いやり、やさしさの心が、運動にも良い効果を上げる。

 
 しかし、しかしだ。『本時のねらいは完全に吹っ飛んだ。』

 いいではないか。子どもたちは、こんなにも真剣に、必死に、見事に、運動を身のあるものにしている。

 ただ、担任としては、これをしっかり覚えておく必要がある。子どもの意欲によって、ねらいとは違った学習になったのだから、それをしっかり覚えておかないと、『何かの運動は、繰り返しやったが、何かの運動は抜け落ちた。』となり兼ねないからだ。

 卯月先生の言葉で言わせてもらえれば、次回に回したことをしっかり覚えておく。


『ただそれが許されないくらい、時間に追われている現実もあるのですが。』

 時間は気にしなくてもいいのではないか。

子どもが本気になればなるほど、そう思える。今、子どもが食いついていること。それを大事にしてやりたくなる。

 また、繰り返すが、『好きこそものの上手なれ』だ。

 漢字の学習もあろう。計算もだ。

 しかし、上記のような食いつきがあればあるほど、驚くような早さで、それらも身に付けて行くのだ。

 ああ。Hidekiさんもおっしゃっていたが、『道草学習』のこだま先生と、同じことを言っているなあ。


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rve83253 at 23:11│Comments(6)TrackBack(0)教育観 | 体育科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by kumama   2006年04月05日 12:48
toshiさんの実践とは、ちょっと違うかもしれませんが、お隣の市立図書館の館長さんから聞いたお話をひとつ報告します。
 光村の2年生の教科書には『スーホの白い馬』わたしの子供の頃から載っています。時々自分の図書館で読み聞かせの会を開かれる館長さんは教科書では赤羽さんの絵のスケール感が伝わらないと思われ、時期を見て子供たちに読み聞かせをされていました。
ある回、『スーホ』を読み終わった後、一人の女の子がやってきて「わたしスーホが嫌いなの。皮を剥ぐなんて、馬がかわいそう」と訴えたそうです。
2. Posted by kumama   2006年04月05日 12:56
たぶん、この子の意見は、学習のねらいからは外れているのでしょう。だから、学校では言い出せず、館長さんに言って見たかったのかもしれません。館長さんは、「そうだね、おじさんももう一度スーホの気持ちを考えてみるよ。」と答えたそうです。
何年か後、また、その子が『スーホ』の読み聞かせにきて「わたし、前よりスーホが嫌いじゃなくなった。スーホの気持ちも解るの。」と伝えてくれたそうです。
3. Posted by kumama   2006年04月05日 13:13
先生方の『目標を定めること・狙いを持つこと』の方針は、とても大切だと思います。けれどその結果をすぐに求めなくてもいいのではないかと思います。伝えたい事を『種として、子供の心にしっかり埋めてやる。』事こそが大切だと思うのです。
館長さんが、子供の気持ちを否定せず、「もう一度考えるよ」と言ったので、その子も、ずっと考えていたのでしょう。
先生方が確かな気持ちで埋めてくれた種は、きっと必ず芽を出すと思います。
4. Posted by 卯月   2006年04月05日 19:34
toshiさん、
わたしのコメントを取り上げていただいて、ありがとうございます。何だか申し訳ないような気持ちです。
kumamaさんがコメントされていますが、読んでいて「そうだよなあ」と思いました。
こちらが投げかけたことが、結果としてすぐには表れないことがたくさんある…教育ってそういう側面があるとわたしは思っています。長いスパンで考えることの大切さを再確認できました。
でもそのためには、確かな気持ちで種を植えることが必要なんだということも忘れないでやっていきたいと思います。
5. Posted by toshi   2006年04月06日 00:34
kumamaさん
 わたしも、似た体験を持っています。主題をしっかり読み取ることは、国語学習に欠かせないことでしょうが、
,修了劼覆蠅隆霑叩基本として、担任が満足できるのであれば、それでよしとする。もちろんこれは、『その時点での』という注釈がつくのです。
△海kumamaさんのコメントは、たぶんその子は、お話はしっかり読み取っているのだと思います。読み取った上で、あるいは、読み取ったからこそ、そのお話のテーマに対して、疑問や、批判を持ったということではないでしょうか。
さらに言えば、この疑問や批判は、日本のような農耕民族と、モンゴルのような狩猟民族との国民性の違いから生まれたと言ってもいいかもしれません。
 ああ、このテーマで、基礎・基本編(3)を書きたくなりました。
 ありがとうございました。
6. Posted by toshi   2006年04月06日 00:43
卯月先生
 こちらこそ、無断で借用させていただき、申し訳ありませんでした。
 申し忘れたことがありました。『定石は覚えて忘れろ』のところで、先生は、『〜。その切り返しが当事者の子どもだけでなく、周りの子どもに与える影響は大きいと思うのです。』とおっしゃっています。
 これ、一斉学習の良さでもありますよね。『ああ。ぼくたちの先生は、何でも、子どもの意見を大切にしてくれる。』多くの子がこう思ってくれることの効果は、はかり知れないですよね。

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