2006年04月03日

健全な競争心


fc6e0ce3.JPG  はやく、いじめの問題(2)にいきたいのだが、風雲急を告げ、緊急に掲載したい内容が続く。

 今日は、はなはなマロンさんから、『健全な競争をさせる学校ってどういう学校なのでしょう。』と問いかけられているので、その辺りにふれたい。

 わたしは、『健全な競争』をこう考える。

 子どもに限らず、競争心というのは、人間の本能ではないか。学校が、これを避けていたら、また、抑えていたら、子どもは競争することを悪、あるいは後ろめたいことととらえるようになるだろう。

 そうではなくて、これを学校が取り込み、豊かな人間性を育む上で役立つものとして、積極的に受け止めたいと思う。


 まずは、5・6年生と担任した、そのときの卒業文集から、一人の子の作文を掲載したい。

『学級の仲のよさ    A

 わたしは、4年生まで男の子と話したことがありませんでした。たまに話しても、それは、必ず口げんかでした。

 5年生になって気持ちが変わりました。わたしのまわりの男の子が、とてもやさしかったのです。わたしが気持ち悪いとき、「平気かよ。」「ぼく、ランドセル持っていってやるよ。」とか言ってくれて、気をつかってくれました。わたしは心の中で、『ありがとう。』と言いました。
 その次の日から、学校へ行くのが楽しみになりました。

 (社会科の体験学習で)大八車を引いたときも、「A。がんばれ。」と言って、みんなが少し力を入れて、押してくれました。上まで上ったら、「A。すごい。」とか言ってくれました。

 こんなふうで、一組は、6年になっても、いつも男女仲良しです。

 
 6年の夏休みの水泳では、平泳ぎがとても好きでした。わたしは、女の子のなかでは、一番速かったです。

 ある日、男女一緒になって泳ぐことになりました。わたしの隣は、B君でした。最初は、B君がものすごいトップで、わたしは2位でした。わたしは負けたくなくて、なるべくずっと顔を水の中に入れて、手を大きく回しました。わたしは、B君をぬかして、1位になりました。最高記録だったので、とてもうれしかったです。

 でも、二回目は、B君に負けてしまいました。とてもいい思い出になりました。

 
 B君と競争したことが、こんなに思い出に残るのも、男女がとても仲がいいからだと思います。そんなところがとてもうれしいです。わたしはこのクラスが大好きです。」

 
 4年生までの人間関係だったら、男子と競争する気は起きなかったに違いない。また、教員が無理にやらそうとしたら、このAが1位になることはなかったに違いない。

 人間関係の豊かなことが競争心を支え、その喜びがさらに豊かな人間関係の構築につながる。このAは、1位になったこともうれしいが、そういう競争のできた、男女の心のつながりがもっとうれしかったに違いない。


 二番目は、これはひそかに思っていたことで、誤解されそうだから、あまり口にしたことはないのだが、笛でも、運動でも、何でもいい。

 学級の子誰もが、『あの子は、あれは無理だよ。できないよ。』と思っている、その子が、意欲的に学ぶ心になるよう、ひそかに情熱を燃やしたことがあった。

 無理やりやらせても、それこそ、無理である。もともと、自信がないし、意欲など起きようがない。それをやる気にさせるのは、『すごい。音がでるようになったよ。』『すごい。跳び箱に乗れるようになったじゃない。』などと、ほめたり励ましたりするしかない。

 そして、これが功を奏すると、その子より少しだけ実力のある子たちがあわてるのだ。

 誤解されないようにお断りだが、もとより、できない子をバカにするとか、優越感や劣等感におそわれるとか、そういう心理状態は、まったくないと言っていいだろう。それどころか、できない子を励ます雰囲気がある。

 そして、その子たちもひそかに学習するようになり、そして、みんなができるようになったとき、学級を盛り上げた最大の功労者として、その子を絶賛するのである。


 三番目は、実はもうこのブログに掲載した

 直接競争心に係わるものではないが、受験しない子が、受験する子の成功を願うみんなの気持ちにふれた。もっとも、きっかけは、逆のようにも受け取れる記事である。


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rve83253 at 23:49│Comments(18)TrackBack(0)学級経営 | 児童観

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この記事へのコメント

1. Posted by kumama   2006年04月04日 00:56
toshiさんへ
最初は、いじめによる不登校についてのご相談をしていたはずなのに、いつの間にか、今の学校について、応援をする立場に立とうとしているいる自分にわたし自身、少し戸惑っています。けれども、最初から申し上げたように、わたしは今の学校について、教員の皆さんのこと、システムのことも、すべて否定も、肯定もしません。今回の『健全な競争』について、子供の経験を少しお話させてください。
2. Posted by kumama   2006年04月04日 01:23
子供の学校は、障害のある子供もその学年のクラスに籍を起きます。子供のクラスのAちゃんは、学習の遅れはありましたが、いつもニコニコとおとなしい子でした。子供も担任も、Aちゃんをあたりまえに受け入れていました。担任の先生はクラスの班で漢字や小テストの競争をされていました。子供は、Aちゃんと縁があり、よく同じ班になっていました。「Aちゃんと同じ班だと皆に負けちゃうんだ」ある日、子供が報告してきました。「Aちゃんと同じ班はいやなの?」と尋ねると、「違うの。みんなでAちゃんの分がんばろうって決めたから、次は、満点採ろうねって約束した。」
3. Posted by kumama   2006年04月04日 01:31
競争があっても、それを自身の努力に変えることができる。
人のためにも頑張ることができる。低学年のときでしたから、そんな難しいことは考えていなかったと思いますが、担任の先生は競争の中からAちゃんを排除することをせず、それでも子供たちがAちゃんを仲間はずれにしないようとても上手く見守ってくださっていたと思います。
でも、次の学年の担任は、競争から、完全にAちゃんを仲間はずれにしてしまいました。とても教育熱心だと父兄でも評判だったその先生のクラスの競争相手はほかのクラスでした。
4. Posted by kumama   2006年04月04日 01:44
そのときは同じクラスではなく、後でお母様から「うちのクラスの子ではない」みたいないわれ方を担任がしたと聞かされ、とてもショックを受けました。その担任にとって競争は「勝つため」だけのものであり、子供たちにもそれを強制していました。
toshiさんの仰る「健全な競争」のお話と少しずれてしまった様で申し訳ありません。競争と聞くといつもこの二人の先生が思い出されるのです。
5. Posted by にしこ   2006年04月04日 07:38
toshi先生のお話を読んで(これは今回の記事にか関わらずです)、『子どもの考える力』を養う為には「健全な競争」も必要かなと思わされます。
例えば、ある子が先生の意表を突く質問や答えを言ったとして、それを先生が褒めたり細かく取り上げたりすることで、他の子どもは「自分も先生が褒めてくれるような事を言いたいな」「もっと面白い答えはないかな」と考えると思うのです。
これは「健全な競争心」からなる『子どもの考える力』だと思います。
逆に、子どもの意表を突く質問や答えをバカにしたり、抑えてしまえば、子どもは自然と「そういう発言は控えなければならない」と思い、心の中で思うことがあっても発言することがなくなってしまって、「健全な競争」が少なくなってしまうように思うのです。
6. Posted by にしこ   2006年04月04日 07:39
実は、私自身が他の子の発言の内容を先生が褒めているのを見て、「自分も褒められるような発言をしたい!」と思う子どもだったのです。
だから、そう思うのかもしれません。
実際、それによって褒められる発言が出来た事は少なかったと思いますが、それでも先生に褒められたくて頭の中では色々考えていたと思います。
でも、これは、あくまで私自身が小学生の頃を思い返しての考えなので、当たっていないかもしれません。
7. Posted by toshi   2006年04月04日 21:03
kumamaさん
 ほんとうに、こんなことになってしまって、申し訳なく思います。わたしがお詫びするのも変なこととは思うのですが、わたしのブログ上の出来事ですから、・・・、ときどき、公教育の申し訳ない事態をお詫びしているのと同じような心境なのです。
 すばらしい事例をありがとうございました。そのように競争を、思いやり、やさしさを育むことに結びつける教員は、すばらしいと思います。それに比べ、後の担任はひどいですね。これ、人権問題です。
8. Posted by toshi   2006年04月04日 21:09
とんでもない。全然ずれてないじゃないですか。ここまで客観的に、公教育の実態をみてくださるkumamaさんの姿勢に、今こういう事態だからこそ、感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございます。
 学校が、家庭が、ではないと思います。問われるべきは、人間そのものなのではないでしょうか。
9. Posted by toshi   2006年04月04日 21:16
にしこさん
 ありがとうございます。ほんとうに心が癒されます。またやろうという気持ちになっています。
 ほめるのもむずかしい。子どもの心にマッチしていなければなりません。それがずれることもあるのです。ずれると、ほめることがあまやかしになったり、むなしくなったりすることもあります。
 『先生にほめられたい。』これは自然な感情で、それが意欲を喚起するのですが、気持ちにずれがあると、・・・、すみません。また、記事にしますね。
10. Posted by にしこ   2006年04月05日 06:13
>ほめるのもむずかしい。
何となく分かります。
私は自閉症という障害を持った息子と健常児の娘、性質(性格)の全く違う二人を育てているので、たまにこの『褒めること』で悩むのです。
息子に対して褒める時は本当に「すごい!!」と思った時が多いのです。息子は元々出来ない事が多いので、出来ないと思っていた事が出来ると心から驚いてしまうのですね。
ところが、娘に対しては『褒めること』でこの先も頑張ってくれればという思いや、良い行いを沢山してくれるようになればという期待もあって褒める事もあるのです。(『褒めること』で見返りを期待しているのかもしれません)
11. Posted by にしこ   2006年04月05日 06:13
そうなると
>ほめることがあまやかしになったり、むなしくなったりする
ということがあります。
toshi先生のおっしゃりたいこととはずれているかもしれませんが、私自身はそういう事があるのです。
toshi先生はご自身のブログを「子育てブログかもしれない」とおっしゃっていましたよね。
私もそう思っているのです。
もちろん、「教育」に携わっていらっしゃるからこそのお話が多いですが、子育ての中でも役立つお話は多いです。
これからも、toshi先生のお話を楽しみにしています。
12. Posted by toshi   2006年04月06日 01:20
にしこさん
 おっしゃる通りです。
 初任研をやっていて思うことなのですが、ほめる実態がないのに、ほめているということがあるのですね。たぶん、ほめることによって、その方向に仕向けようという気持ちなのだと思うのですが、これは、逆効果になることが多いと思いました。
 つまり、『ああ。この程度やっていればいいのか。』となりがちでした。
 親だと、実態がないのにほめるということはないと思いますが、見返りを求めている自分に気付かされるというのは、わたしもそうでした。本当に感動してほめているのか、それは子どもに伝わりますよね。
13. Posted by toshi   2006年04月06日 01:29
 たぶんなさっているのだろうと思いますが、お嬢さんが、息子さんに示すであろう兄弟愛と言いますか、そういうことでは、心から感動することってあるのではありませんか。
 学校でも、交流級とのふれあいで、よく体験することです。
 そうした観点でお嬢さんをほめるということは、すごく大切なような気がします。
14. Posted by Hideki   2006年04月06日 17:33
一連の話で感じることは、「競争そのもの」が悪い・問題なのではなく、「競争のさせ方」が悪い・問題なのだということです。
これは、意外と良く陥りがちな判断なんですが、あまりに手酷い結果に見舞われると、実はそのやり方が悪かったのに、そのもの全部を全否定してしまう…でも、そのあたりは冷静にみないといけないんですよね。
いつだかもコメントしたような気がしますが、問題なのは勝った・負けたという「結果だけ」に執着しちゃうことに思います。
15. Posted by Hideki   2006年04月06日 17:34
そうじゃない
本当は、その場合の「勝ち方」「負け方」を教えることが大切なんだと思う。具体的には、勝ったとき、負けたときの「心の持ちよう」「心の持っていき方」です。
勝った人は、奢らない、蔑まない、憐れまないこと…選民意識を持たないこと
負けた人は、卑しめない、屈しない、諦めない…自己を否定しないこと
学校で競争を回避しても、この先、何度も、イヤでも競争というものに直面します。
その場合の、この勝ち方・負け方…その心の持ちようを、子どもの頃から身につけていないことこそ、一番の問題なんだと思う。
16. Posted by Hideki   2006年04月06日 17:35
でも、それもこれも、「導き方」次第なんですよね。そこの部分に果たす先生の役割って、実はすごく大きいんです。
その導き方をよく習得されないままに、「競争は必要なんだ!」「序列化も必要だ!」っと、まずは大上段に構えられるような先生には、申し訳ないけど「競争の教育」には手を出していただかないで欲しい。
きつい言い方で申し訳ないのですが、心よりそう思う次第です。
17. Posted by toshi   2006年04月07日 05:43
 《これは、意外と良く陥りがちな判断なんですが、あまりに手酷い結果に見舞われると、実はそのやり方が悪かったのに、そのもの全部を全否定してしまう…でも、そのあたりは冷静にみないといけないんですよね。》
 こうした例はほんとうに多いですよね。このブログでも、そうしたやりとりにうんざりさせられます。
 そうではなく、真正面から議論で来たときは、すごい、快感におそわれることもあります。
 
18. Posted by toshi   2006年04月07日 05:51
わたし、『あるがまま』の個性を大切にとよくいうのですが、それは、『あるがまま』でいいと言っているのではないのですね。
 あるがまま放置すれば、子どもは、勝ち負けに執着するし、優越感、劣等感は必ず育ってしまいます。
 そうではなく、子ども自らが、あるがままの自分を鍛えよう、あるがままの自分を育てようという気持ちになるように、教員は、そういう学級経営を心がけるべきなのではないかと思うのです。
 ほんとうに、Hidekiさんのおっしゃるように競争は必要です。そして、競争することが子どもの心を鍛えるチャンスととらえたいですね。

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