2006年03月31日

いじめの問題(1)

b2602e47.JPG  17日の記事、『保健室登校(3)』で、我が娘の保健室登校傾向にふれたところ、コメントは、40を超えるに至り、現在は、いじめ問題に焦点が当てられるようになってきた。

 そこで、緊急にこの問題に焦点を当て、記事にすることとした。

 この一年、初任者指導に携わったなかでも、その芽がなかったわけではない。なかったわけではないが、いずれも、早期に発見できたし、芽のうちに摘み取ることができたと思っている。
 
 それについては、わたしの『小学校初任者のホームページ』でも、ふれている。

    学級経営・児童理解編7思いやりのある学級へ(7月)

 次に、いじめをしない、させない教育は、『心豊かな人間性を育む教育』と、軌を一にするものである。そこで、そうした観点から、同じく『小学校初任者のホームページ』をご覧いただけたら幸いである。

    コラム集1 コンパス事件 5年生 『Aさんは悪くない』
    コラム集3 悲しい涙が  5年生 
 これらの実践を通し、わたしが一番言いたいところは、いじめを許さない学級の雰囲気作りである。

 
 ところが、現実は、なかなかそうもいかないようだ。

 かつて、このブログにも、『その子らしさを大切に』
     (1)(2月20日)
     (2)(2月21日))と書いたら、

 ある先生が、コメント(2月21日の3番)で、
「『その子らしさを大切に』というのは分かるが、学校はそれをやりきれないだろう。大事だと思うことを何もかも学校でやろうとすれば、それは保護者は歓迎するかもしれないが、それだと、学校本来の仕事がおろそかになり、親は、子どものことが見えにくくなるのではないか。学校にいる時間は限られているのだから、その間教えるべきことはいろいろある。お嬢さん(これはわたしの長女)の、『変なことを言うなって思われそう』は、まったくもって正しい。」
と書かれた。

 わたしは、このコメントを以下のように受け取った。

「学校がやることは知識の習得であり、心を育むなど、それは家庭でやるべきことではないか。学校があれもこれもと請け負っていたら、過重負担になり、結局虻蜂取らずになる。」

 簡単に言ってしまえば、『学校は、勉強を教えていればいいのだ。心を育むなどというのは、家庭がやるべきこと。』となるのではないか。

 また、『変なことを言うなと思われそう。』というのは、学習がまさに画一化に向かう要因になるのではないか。だから、こういう心情をふくらましてしまう教育を認めたくない。
  
 はっきり言おう。こういう考え方をしていれば、『心を育む』は、ないがしろにされる。あるいは軽んじられる。画一化に沿わない子を排除しようとする心を養ってしまう。
 
 まさに、いじめが起きやすい土壌が養われてしまうのではないか。

 
 今日はこのくらいにしておこう。賛成、反対意見をどうぞ。
 
 
 すみません。『うそ、ごまかしがあっても、ばれなければいい。』という心情については、明日以降にふれます。ちょっとまどろっこしかったかもしれませんが、今日のところは、『いじめの背景にあるもの』ということで、お許しください。


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rve83253 at 22:51│Comments(97)TrackBack(0)教育観 | いじめ

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この記事へのコメント

1. Posted by kumama   2006年04月01日 00:50
toshiさんへ
不登校、そしていじめの問題に親身になってお答えくださり、また新たにいじめの問題に焦点を当て、考えて下さったことにお礼を申し上げます。
《画一化に沿わない子を排除しようとする心を養ってしまう。》
 子供の学校が、先生が、まさにそれでした。道徳の時間「いろんな意見があっても良いんだよ。それを認めることが大切だよ。」って先生は言うけれど、話し合いのときに皆と違う意見を言うと、「お前は、場の空気を読んで発言しろ」って怒られるんだ。と子供は不満を口にしていました。そんな雰囲気が子供たちにも、保護者にも伝わり、いじめが始まりました。そんな学校が現実にあるのです。これを読んでいらっしゃる先生方のご意見をぜひお聞かせ願いたいと思います。
2. Posted by 大山虎竜   2006年04月01日 06:11
大山虎竜は、学力を大きな意味で社会参加力だと考えています。知識の習得や技能の熟達はそのひとつの条件だと思います。
学校の役割を考えると、知識を蓄積するだけだとすると、あまりにも寂しい。
確かな学力(狭義のに学力)の形成と豊かな人間性の育成は社会参加力を育むための車の両輪だと思います。
学校教育における教師の影響は甚大です。ある意味で、教師は最大の人的教育環境だと思います。
3. Posted by venus_san   2006年04月01日 15:06
こんにちは、新シリーズ
期待しています。
ノウハウが生かせるといいですね。
僕はと言うと、この問題に関しては
先ず家庭ありき...の考えで
次に学校です。
家庭と学校はマサに「教育の両輪」
ですよね。
4. Posted by はなはなマロン   2006年04月01日 22:23
toshiさまへ
不登校の問題を学校の問題として捉えて下さりどうもありがとうございます。そしていじめを許さないと頑張っている学校や先生がいることもわかるのです。しかし、現実は小学校などでいくら人間性の良い先生当たりいじめが起きないような学校や子に育てたとしても中学生になったらすぐにいじめをやるような子になってしまうのです。
私はそれはどうも社会における学校のシステムに問題があるように思えるのです。社会では競争社会だからと学校でも競争で子どもたちを勉強させていますよね。そういう社会に合わせて競争させ学校自体が序列社会を作っているような学校ではやはり足の引っ張り合いのいじめはなくならないような気がします。
そういう学校のシステムから変える必要があるのではないのでしょうか?
5. Posted by はなはなマロン   2006年04月01日 22:36
そして私が思うのはすぐにでも入試をなくすことです。だいたい序列化された高校や大学があること自体へんですよね。どうして車の免許みたいに、高校卒業の資格を取った人が専門学校には誰でも入れるのに、大学にすんなり入れないのでしょうか?
大学は来年から全入時代に入ってきます。大学を選ばなければ子どもたちは誰でも大学に入れるのです。高校だって欧米ではすでに義務教育になっています。何故、まだ日本はただ学びたいって言っている人に学ばせないのでしょう?大学はどこの大学に行っても本当は同じ資格のはずですよね。でも何故大学の縦列があるのでしょう?そういう縦列された学校がある限り縦列社会はなくならないんだと思うのです。そういう社会を是正するためにも入試制度をやめればいいんだと思うのです。
そういう矛盾をなくさない限りいじめはなくならないし逆にますます増えて不登校も決して減ることはないと私は思いますよ。
6. Posted by はなはなマロン   2006年04月01日 22:51
>でも何故大学の縦列があるのでしょう?そういう縦列された学校がある限り縦列社会はなくならないんだと思うのです。
ごめんなさい、訂正です。
縦列→序列化
私はそういう学校の序列化にいじめの問題があると思っています。
また私は、学校で躾や思いやりなんて本当はおかしなことなんだろうと思うのです。学校はあくまでも勉強を教えるところです。それを学校で人間性や社会性をつけるなんてことを言い出すからまた変なことになってしまうのだと思うのです。
本当は学校で勉強をしたくない子は学校に来なくてもいいのに義務教育の意味を取り違えて子どもが学校に行く義務があると多くの人が思っているから問題が大きくなってくるんだと思うのですよ。
7. Posted by はなはなマロン   2006年04月01日 22:51
私の娘みたいにみんなが学校には行きたいときにだけ行けばいじめも起こらないし、それで不登校が問題なんて言わなくなるでしょう?
そこの学校が嫌なら行かなければいい!ただそれだけのことを自由にやれるシステムにすれば、いじめもないし、いじめにあって不登校で苦しむことなんてないんだろうと思うのですよ。
「学校は何をするところか?」をもう一度しっかりみんなが考えなければいけないのではないのでしょうか?
8. Posted by はなはなマロン   2006年04月01日 23:01
>高校だって欧米ではすでに義務教育になっています。
誤解のないように付け加えますが、この義務教育の義務はあくまでも国の義務なのです。学びたいって人を学ばせる学校を作る義務なのです。あくまでも子どもの義務ではないのです。子どもは権利だけなのです。そこを誤解している人が多いから学校に子どもは行かなければならないところになっていじめが起きるんだと思うのです。そういうところもはっきりと教える義務が先生方にはあるんだと思いますよ。
9. Posted by toshi   2006年04月02日 06:17
kumamaさん
 おっしゃること、よく分かります。『いろいろな意見があっていい。』とか、『教室はまちがうところだ。』とか言っても、それが単なるスローガンに過ぎないのですね。
 『場の空気を読め』は、それに関する記事を3月1日に載せています。もしまだお読みいただけてなかったら、どうぞ、ご覧ください。
 わたしは、これは、子どもに要求することではなく、教員が、子どもの話を整理してやればいいだけのことと思います。子ども主体の学習を保障したいものだと思います。
 今日は、これを記事にしますね。
10. Posted by toshi   2006年04月02日 06:25
大山虎竜先生
 その通りだと思います。『車の両輪』論ですが、心の教育の成果が、確かな学力に結びつくのだと思います。以前、2月8日に、『好きこそものの上手なれという精神で』と書きましたが、学級のみんながなかよしで、ともにがんばろうとする機運が培われるほど、学力も確かなものになるのですね。
 いえ。そういう機運そのものも学力の一つなのですね。
 そして、そう。教員が、まさに、親に次いでの人的環境でしょうね。
11. Posted by toshi   2006年04月02日 06:31
venus_sanさん
 NANAさんもおっしゃっていますが、家庭だ学校だということではなく、相互に信頼し合える教育環境が大事だということですね。
 学校が信頼に足る存在であるようになっていないといけないと思います。
12. Posted by toshi   2006年04月02日 06:48
はなはなマロンさん
 ごめんなさいね。
 わたしは、『いじめ』は、学校の問題ととらえていますが、不登校すべてを即、学校の問題ととらえているわけではないのです。
 不登校は、(再度、ごめんなさい。)いろいろな要因があり、いじめ以外の要因もあります。ただし、それについてはふれないとお約束しましたので、これくらいにしますね。
 いじめっ子は、どのクラスにもいる。それは、いじめはどの学校でも起こりうるということを意味します。
 いじめっ子は、なぜ生まれるか。それは、身近な大人の愛に恵まれないからでしょう。それは、親の場合も、学校の場合もあると思います。 でも、学校が要因になることがあってはならないという思いには、切なるものがあります。
 もう、今、いじめ問題に真正面から立ち向かわない限り、学校存立の意味はないくらいに思っています。
13. Posted by toshi   2006年04月02日 07:10
もう少し、このことにふれます。
 3月17日『保健室登校(3)』のコメント、41番の、はなはなマロンさんの、次の部分に、全面的に賛成です。
『学校がみんなと信頼関係を持て十分に人間的に成長出来る場でありさえすれば、子どもは家庭の問題を決して学校に持ってくるはずはありません。
 むしろそういう子ほど学校に来たがり癒される場になるはずなのです。』
 家庭の問題を抱えている子ほど、
癒される場に学校がなるように、また、学校自体がいじめっ子をつくってしまわないように、そうした意味で、学校は再生されなければなりません。
14. Posted by toshi   2006年04月02日 08:27
さて、中学校の問題ですが、これは、中学生になると、急に不登校がふえることからも、かなり言えると思います。
 でも、即、競争社会の反映とするのには、疑問を感じます。
 今の入試のシステムは、わたしも反対したいと思いますが、でも、正しく、健全な競争は、あって然るべきと思います。
 この辺は近いうち記事にしますね。
 学校のシステムのせいにはしたくありません。それはもちろんより良いものにしていく必要があるでしょうが、わたしの立場としては、現在のシステムのなかでも、学校、教員がやるべきものは多々あると思っています。
 現に中学校の先生でも、『大村はま先生』のように、子どもの思いを大切にし、育み育てた先生もいらっしゃいます。
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/292.htm
 子どもが学びに対し、充実感、満足感をもてれば、いじめなど起きないと思うのです。
15. Posted by Hideki   2006年04月02日 10:33
こんにちは
私は、学校は勉強だけ…というと誤解があるので、もっと言及して「知育」だけ教えていれば良い、とは決して思いません。
もし「知育」だけを目指すなら、学校なんてのは、あえていらないよね。
一方で、いじめの問題…心の教育は学校だけの問題とも思いません。ご指摘のとおり、家での、親の役割も大きいです。
わたしは、いじめは、
・自分と異なる存在を認めること
・相手の気持ちを慮ること
・自分の気持ちをただ押し付けることをしないこと
それができないことから始まると思っています。つまり、人と人との関係がうまくできない場合に起きる。
これは、家庭に問題がある子(というとイヤな表現ですが)に限らない、ごくごく普通の子にも起きる。
16. Posted by Hideki   2006年04月02日 10:34
そして、それは家庭とは異なる「人との関係」が一番最初におきる学校空間だけに特有に発生することも多いように感じます。
たぶんね、仮に受験制度がなくなっても、いじめの問題は無くならないと思う。誘引の一つに、競争社会のストレスのはけ口というものがあるのかもしれないが、子どものストレスはそれだけじゃない。
子どもの手本は大人なんです。子どものまわりにいる大人の一番最初は「親」。そして次いで、「学校の先生」なんだと思うのです。
学校での先生の所作が、子供の行動や価値観に影響をおよぼすのは間違いない。だからこそ、学校では知育の教育だけをしていれば良いというわけでは決してないと思う。とくに先生の影響が大きい、小中学校では。
いじめに対する唯一の解決策が学校に「行かなくなること」だけというのことでは、いけないと思う。
17. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 10:37
>今の入試のシステムは、わたしも反対したいと思いますが、でも正しく、健全な競争は、あって然るべきと思います。
今の入試システムが正しいとは言えないし、また健全な競争でもありませんよね。
健全な競争をさせる学校ってどういう学校なのでしょう?私が長男を転校させる時の条件にまず、荒れていない学校を探しました、それから不登校の子が少ない学校を探しました、そしたらそういう学校というのは勉強での競争がない学校でした。
18. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 10:38
その学校は以前とても荒れていてその荒れを収めるために健全な競争をさせようと思ったそうです。その結果が、それぞれが好きな分野で思いっきり競争する部活を活発にすることに至ったそうで、その学校は部活でもっている学校になっています。
もちろんここでは勉強での部活はありませんので、勉強面ではいい高校というのは望めませんでしたが、それぞれが部活で高校に入り活躍していました。そういう学校でしたので、学級でのいじめはまずありませんでした。
19. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 10:38
でも競争を煽っている部活にはしっかりいじめがありました。
競争を意識したところには必ずいじめが発生すると思いますよ。
いじめがないにしろ競争させると確かに上位の子はもっと上位になりますが、下位の子はやる気を失います。
学校の本当の目的は個人の能力を高めるところですよね。
でもどんなに健全な競争でも競争させるとそこにはやる気のない子も発生してくると思うのです。
それをなくすためには、学校は競争で能力を高めさせるのではなく本当は協力で高められるような学校にすることだと私は思っています。
そのために学校のシステム自体を変える必要が出てくると思うのです。
20. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 10:54
ちなみに、学校に行かないと社会性がつかないと思い込む人が多いようですが、ホームスクーリングが多いアメリカでは逆の結果が出ています、学校に通っていた子よりホームスクーリングで育った子のほうが社会性があるという結果です。
勉強面ではもちろんそれぞれの家庭の教育力の差が出てくるのだと思いますが、学校に好きな時にだけ行っている私の子どももそうですが、ホームスクーリングで育った子は特殊な学校社会で育ってなくて直接社会で育っているようなものですから社会性が高いのは当たり前なんですよね。
21. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 10:54
ですので、学校では勉強だけ教えて欲しいと思うのです。もちろん勉強といってもそれぞれが今、学びたいと思っている勉強です。それには部活も含まれます。みななを画一的に勉強させようとするからそこにはストレスも発生してくるし、勉強嫌いになる子も増えてくるんだと思うのです。
それを協力的にそれぞれが学ぶことが出来たらそういう学校には誰でも行きたがるようになるのではないでしょうか?
22. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 11:27
また社会性が高いというのはHideki さまがおっしゃるような
>・自分と異なる存在を認めること
・相手の気持ちを慮ること
・自分の気持ちをただ押し付けることをしないこと
なんだろうと思うのです。学校という特殊な社会の中で画一なことをさせ競争さている中では決してこの違いを認める考えには及ばないだろうと思うのです。
ですから学校社会をそういう画一社会にしないようなシステムにしないといけないんだと私は思うのです。
23. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 11:36
>学校での先生の所作が、子供の行動や価値観に影響をおよぼすのは間違いない。だからこそ、学校では知育の教育だけをしていれば良いというわけでは決してないと思う。とくに先生の影響が大きい、小中学校では。
人は人の言っていることよりやっていることを真実だと見ます。
先生や親が口先だけでいくら言ったところで駄目なのは当たり前なんですよね。
大人はそういう当たり前のことがわかっていないからなんだろうと思うのです。まず先生として人間性が高い人を雇うのは当たり前なんですが、それがなされていないことが良くないんだと思いますよ。
24. Posted by venus_san   2006年04月02日 12:44
こんにちは、15・16の Hidekiさん
の発言に1票です。
この発言にヒントが隠されている
様な気がします。
学校・社会のシステムをさらに良く
しようと努力・改善は勿論ですが
だからと言ってシステム自体が悪いと考える大人が多くなってしまうと
批判ばかりで何事も前進しませんよね。
25. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 14:49
何故学校のシステムを変えなければいけないのかと言うと、学校自体が工業化社会を推し進めるために作られた代物だからです。
時代に合わなくなった学校自体も本当は解体されるべきなのかもしれません。ですから最低システムを変えなければいけないのは当然で未だにこれが学校のあり方なんだという議論は本当はおかしな話なのです。
学校という場が集団性を求められてきたのは、そういう工業化社会においてそれぞれが好き勝手に動かれては困るからです。
しかし、今や日本も工業化社会は終わりそれぞれの能力を発揮しなければならない時代に入ってきました。
そういう社会のシステムの変化についていけない学生が今や社会に出てもニートになったりしているんです。
そういう意味でシステムの革命は絶対しなければならない時期にきていると私は思います。
26. Posted by kumama   2006年04月02日 14:58
皆様のご意見、とても大切に読ませていただきました。
不登校にもいじめにも、それぞれの理由があり、それは子ども自身の問題だったり、親だったり、学校だったりすると思います。私自身、親として間違っていた部分があることを感じていますし、子供にも、何の問題もなかったとは思っていません。けれど、学校が、先生が、加害者になることだけは無くなって欲しいと思っています。
hidekiさんの
・自分と異なる存在を認めること
・相手の気持ちを慮ること
・自分の気持ちをただ押し付けることをしないこと
と言う言葉が心に残ります。
まず、学校と、教員の方々がそれをぜひ、実践していただきたいと思います。私も今の学校のシステムをすべて否定するつもりはありません。受験も、競争もあって良いと思っています。すべては、その中でかかわっている大人たちの対応ひとつで良くも、悪くもなっていくのだと思います。
27. Posted by kumama   2006年04月02日 15:24
子ども自身、一番苦しんだのは、自分の存在を認めてもらえなくなり、仲間はずれが始まり、担任の先生までがそれに同調して、学校の中に居場所がなくなったからです。
学校には行きたい。友達もいる。先生だってみんな嫌いなわけじゃない。でも、クラスに、担任に受け入れてもらえないのか。学校の外で話をすると仲良くしてくれるのに、学校では話しかけてくれない。それは、《自分と異なる存在を認めること》の出来ない担任と、クラスが作り上げてしまった雰囲気のせいです。そこから始まったいじめに今でも苦しんでいます。
28. Posted by venus_san   2006年04月02日 15:45
すみません。
はなはなマロンさんの言われている、
>学校自体が工業化社会を推し進める>ために作られた代物だからです
とされた根拠が解りませんでした。
一応調べてみたのですが.....
他の概略は理解できるのですが
でもそれ以上に親が家庭でする事って他にもあると思うのです。
それを、社会・学校に全て責任転嫁
している様な気がしてなりません。
29. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 16:46
>・・・わが国では、この問題にあまりにも無頓着なまま、学級を共
同体として理解し、人間関係をはぐくむ場として楽観的にとらえ、
その結果、きわめて長期にわたり学級生活を、青少年に強いている
こととなってしまった。この無理が、青少年にどのような負荷を与
え、無力化、いじめ、不登校の要因となっているのか、今後慎重な
る研究が進めれるべきである。そしてこのことを通じて、青少年を
学級制の中にどれだけ組み込むことが可能なのか、その期間の検討
が必要である。・・・<学級>の歴史学より
この本には学校の歴史が書かれてあります。
30. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 16:46
>でもそれ以上に親が家庭でする事って他にもあると思うのです。
それを、社会・学校に全て責任転嫁
している様な気がしてなりません。
はい結局はそのとうりなのです。日本の学校は親が何でも学校に依存しすぎた結果、おかしくなってきたのだと思いますよ。だから学校は何をするところかのかを今はっきりしなくていけないんだと思うのです。
31. Posted by venus_san   2006年04月02日 18:36
はなはなマロン さん。
ソースの紹介有難う御座いました。
ご面倒かけましたね。
多分、こう有りたい。こうすべきが
前面に出たのですね。
すみません、他の地域とか学校に
よって差異があるのだなと
言う事は理解できました。
さらに言えば根底に...学校現場で
配慮の足らない教師が悪循環を引き起こしているのも確かですね。
32. Posted by Hideki   2006年04月02日 18:47
Toshi さんのブログの場で議論とすることをお許しください
> はなはなマロンさん
確かに学校以外でも「社会」を学ぶ機会はあると思います。
なぜなら、社会とは「人が複数集まる場」すべてをさすと思うから。
学校社会、会社社会、地域社会…それぞれに特有の関係性です
ただ、「家庭」だけはちょっと違うかもね。
そこで大事なのは、学校も「多くの人」が集まる場なんだということ
自分以外の子どもと関わる場なんだということ
そんな「社会」において、知育だけを教えていれば良いというのは私は間違いだと思う。
恐らく初めて出会う人が集まる場なのだから、まして「学び」の場であるからなおのこと、社会性というものを教えないといけない。
そう思うのです。
33. Posted by Hideki   2006年04月02日 18:50
人を追い詰めるのは、孤独であり、裏切られたという思いです。
友に理解してもらえず、先生に分かってもらえず、最後の砦となる親にすら認められない。
そんな思いを子どもにさせないためにも、親も先生も「子どもの心」を意識しなければいけないと思うよ。
「子どもの心」を育てられないで、子どもの気持ちを慮ることができなくて、
何が先生ですか!
どこが教師ですか!
もし、学校がそれができないようなら、
それこそ、そんな学校なぞ必要ない。
極論に聞こえるかもしれませんが、私はそう思う
34. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 20:09
Hidekiさまのおっしゃりたいことはよーくわかるのです。
もちろん学校では教師が子どもの心の気持ちに沿って考えなければいけないことは当たり前のことなんです。そうでなければ子どもが学校に行く本当の目的である勉強だって出来るようになるはずはありませんからね。
ただ、学校という場所は同じ年齢で同調を強要されやりたくない勉強で競争までさせられる理不尽な場所です。
そういう場所ではどんなにいい先生の下でもいじめが起きたり同調出来ない子が不登校になったりするのも仕方のないことなんだろうと思うわけなのです。
それを家庭の躾のせいだとか、大人の愛が足りないだとか先生が悪いと言ってもお互いに責任の擦り付け合いになってしまうだけになってしまうような気がします。
何故そうなってしまうかと言えばやはりシステムに問題があるからだと私は思うのですよね。
35. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 20:17
例えば、福沢諭吉などは14歳から初めて読み書きを教えてくれる塾に行きました。それまで彼は家にずっといたわけですが、近所の子と遊んでいたかと言えばそれもなかったわけです。兄弟と家族だけです。そういう彼でも社会性は十分にあり、「学問のススメ」の本を出すぐらいに学問の重要性も言っています。
私が目ざす学校とはそういう学校です。一生涯学ぶことが楽しいと思えるような学校のシステムです。
年齢は関係なく、誰でも学びたい時に学びたいものが学べる学校。そういう学校に出来れば、hidekiさまがおっしゃる
>・自分と異なる存在を認めること
・相手の気持ちを慮ること
・自分の気持ちをただ押し付けることをしないこと
そういう社会性を学べるような気がしますよ。
36. Posted by venus_san   2006年04月02日 21:03
はなはなマロンさん。
>私が目ざす学校とはそういう
>学校です
具体的な文例で、よく解りました。
が、価値感の相違も有りますが
現実性を考えた場合に
やや説得性に欠ける気がしました。
いざ、お考えの事を実行した場合に
能力格差はさらに増すのでは....
何故なら標準化出来ないから
です。この辺は如何ですか??
37. Posted by toshi   2006年04月02日 21:27
Hidekiさん
 おっしゃる通りと思います。
・自分と異なる存在を認めること
・相手の気持ちを慮ること
・自分の気持ちをただ押し付けることをしないこと
 ほんとうに大切なことですね。わたし、これまでも上記の観点から、ホームページもブログも書いてきたつもりです。教える側がこれをお題目だけでなく、日々の実践がこのようになっていなければなりません。
 わたしが、ホームページやブログをやる意味も、まさに、その点を分かってほしいという一点に尽きるように思います。
38. Posted by toshi   2006年04月02日 21:35
もし仮に、
「学校は知育だけやっていればいい。心を育むことは無用。」
と言われたとしても、
「そんな見事に分けられるものではないですよ。双方は混然と溶け合って、互いに不可分なものです。そして、心を鍛えてこそ、知育もしっかりと身につくのです。」
と答えたい。
 はなはなマロンさん流に言えば、『学校に行きたいから行く。』で、不登校なしとなる学校づくりを目指して来たのです。
39. Posted by kumama   2006年04月02日 21:49
皆さんのご意見はとても良くわかります。わたしは、今の学校をすべて肯定するつもりはありません。でも、すべて否定もしません。
大事なのは、その中にいる私たちPTAや、教員だと思うからです。どんなシステムでも、すべての子供に適することは難しいでしょう。また、今のシステムの中でも
・自分と異なる存在を認めること
・相手の気持ちを慮ること
・自分の気持ちをただ押し付けることをしないこと
を子供たちに教えることは不可能ではないと思うからです。
それがきちんと教職員の中にも、子供の中にも浸透したとき、そこに何らかの競争があっても、システムに不備があっても、いじめにいは発展しないような気がします。どんな時代でも、どんなシステムの中でも、学校は、教職員は、決して加害者にだけにはなってって欲しくない。それだけを私は望んでいます。
40. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 21:51
>何故なら標準化出来ないから
学校教育は、難易度に応じて段階的に知識の習得を進め、継続的に学ぶことを前提とした制度です。確かにそれに頼るような学習法では子どもがやる気になってからではなくても学年齢になれば学校に通わなくてはいけないし、そういう細切れなカリキュラムに沿って学習する必要もあるでしょう。もちろんそういう教育法は特定の子にとっては有効でしょう。しかしこ特定の子の有効性だけを根拠うに、現時点でこの方法が、最も効果的であるかのように、教育行政家たちが正当化するのはまったくもって馬鹿げていると私は思います。
41. Posted by はなはなマロン   2006年04月02日 21:52
私の長女は学校には半分ぐらいしか通っていませんでしたが、自分からしっかり勉強しいつも優秀な子です。それは彼女が家でせかられることなく、マイペースで自分のやり方で勉強できたからです。
学校がそういうやり方でせかさず、比べず自分のペースでやれるような学校であれば私はやってもいいなぁ〜って思います。能力格差はむしろ今の学校のやり方についていけない子がつくのだと私は思っています。
標準化するのならもっと学校のシステムやり方を変えるべきだと私は思っています。
42. Posted by toshi   2006年04月02日 21:56
はなはなマロンさん
 「健全な競争をさせる学校ってどういう学校なのでしょう。」とお尋ねですから、明日記事にしましょう。ただ、『させる』と言うのはちょっと違います。『子ども自らが内面にもつ競争意識を、子ども同士の連帯感を強める方向で引き出す。』と言ったらいいでしょうか。あるときは、応援しようとする意識と言ってもいいかもしれません。
43. Posted by venus_san   2006年04月02日 22:10
はなはなマロンさん
了解しました。又別記事で
お聞きするかも知れませんが
宜しくお願いします。
44. Posted by toshi   2006年04月02日 22:15
部活とホームスクーリングのお話は、ごめんなさい。よく理解できないのです。
 『好きな分野で思いっきり競争する部活と競争を煽る部活』で、いじめの実態がまるっきり違うというのがいまいち理解できません。また、 ホームスクーリングも、社会性は身につくというのは分かります。『〜の方が』というのと、『直接社会で育っている』が、イメージできません。
 わたしとしては、わたしが記事にしている内容で、評価してくださいとしか言いようがありません。
 そのうえで、システムの問題か、現実の学校の問題かを論評していただきたく思います。
45. Posted by toshi   2006年04月02日 22:26
それと、部活は、いわば、学校の副業でしょう。メーンはあくまで授業です。その授業が、子どもに生きる張りを持たせるものでなければ、わたしとしては、学校の存立意義を問われても致し方ないと思います。
 学校イコール画一とおっしゃっていますが、わたしは、画一に反対する記事を書いているわけで、それでも、そう書かれるということは、残念な気がします。
 わたしが実践したような、また、今もそういう趣旨で初任者指導に携わっているわけですが、このような例は特殊とお考えなのかな。でも、決して特殊じゃないですよ。また、残念ながら、現実の学校の中には、いじめ構造を助長するようなケースもあるので、こうしてブログを書いて、理解してもらおうとしているのです。
46. Posted by toshi   2006年04月02日 22:34
工業化社会については、わたしも思うところがあるので、いずれ記事にしましょう。
 ただ、これについては、学校の問題というよりも、広く社会全般、いまだ受験は盛んですし、進学塾、入試制度、国の教育政策、そうした問題の方が大きいと思います。
 それで、先ほどの、競争意識の話ですが、広く世論としては、『今の学校は、競争を避けている。』の論調の方が多いように思いますが、いかがでしょう。
47. Posted by toshi   2006年04月02日 22:52
『学級の歴史学』は、申し訳ありません。わたしは読んでいませんが、どうなのでしょう。わたしが、12月17日、19日、22日、25日に、『社会科学習への誤解』と題して記事にした、戦後日本の教育改革にはふれているのでしょうか。軍国主義から、民主主義の世となり、学級の性格は大きく変わったのですが、それはどう扱われていますか。すみません。買って読めばいいのに。
48. Posted by toshi   2006年04月02日 23:06
venus_sanさん
 繰り返しで恐縮ですが、不登校はいろいろな理由で起きています。学校が行かなくても行ってもいい場となれば、何もせず、ブラブラしてしまう子もかなりの多数に上るでしょう。子どもは本来自ら伸びようとする存在ですが、現実の日本は、子どもにとって最大の教育環境である大人にいろいろ問題があるので、本来の子どもでなくなっている部分が、かなりあるのです。
 わたしは、はなはなマロンさんのおっしゃることと逆なのか、おっしゃっている通りなのか、よく分からないのですが、それだけに学校の使命は強まっていると思います。今こそ、真に子どもの心を育む教育を学校がしないと、とんでもないことになるというのが、実感です。
49. Posted by toshi   2006年04月02日 23:17
kumamaさん
 おっしゃる通りと思います。すべて大人の問題なのですね。ただ、そのなかで、『学校だけは、加害者にならないように。』は、学校教育に携わるもの全てが、深く肝に銘じなければいけないと思いました。
 わたしは、今、思います。『いじめ』は、まさに人の問題、教育観の問題、子ども観の問題だと思います。正しい『観』それは、多くの人が納得してくれる『観』という意味ですが、それをもてるように、わたしは自らの実践を通し、がんばっていきたいと思います。
 皆さんのお子さんが、少しでも早く、幸せな人生観を持てるように祈りますし、わたし自身もがんばります。
50. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 08:43
>そのうえで、システムの問題か、現実の学校の問題かを論評していただきたく思います。
私がシステムの問題だと言い切ってしまうのは、先進国の世界中でもこの問題(いじめや不登校)が起きているからです。
「義務教育という病」イギリスからの警告(クリス・シュート)という本がありますが、ホームスクーリングが盛んになっている欧米ではこの学校のシステムの対する疑問を持った親たちが自分の子どもはこの学校のシステムの犠牲者にならないように用心深く自分の手で育てようと決心した人たちなのです。
こういう学校制度を大革命した国があります。今学力が高いと有名になっているフィンランドです。しかしそのフィンランドでも不登校児は増えているそうですから、やはり本当の理想の教育は学校がなかった時代のように家で親がやることなんだろうと思うのです。
51. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 08:56
>繰り返しで恐縮ですが、不登校はいろいろな理由で起きています。学校が行かなくても行ってもいい場となれば、何もせず、ブラブラしてしまう子もかなりの多数に上るでしょう。子どもは本来自ら伸びようとする存在ですが、現実の日本は、子どもにとって最大の教育環境である大人にいろいろ問題があるので、本来の子どもでなくなっている部分が、かなりあるのです。
不登校の子や親たちが苦しんでいる理由は実はここにあります。学校の先生たちが子どもたちが学校に来ないと成長出来ないと言っている点なのです。私の子どもは自由登校(好きな時にだけ行っています)していますが、私に対して先生方は誰一人として私の子どもが成長できないなどとは誰も何も言ってきません。何故だと思われますか?
52. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 08:57
不登校の子の親子は先生方から子どもがいじめにあって辛い目にあっているのに、それでも学校に来ないと社会性がつかなかったり、勉強ができなかったりすると脅かされるのです。
つまりダブルバインドで言われるのです。
欧米などでは確かに不登校はありますが、「学校に行けない」とこんなに苦しんでいるのは日本の子どもたちだけです。
親も学校に行かせないと子どもが成長できないと脅かされ子どもをやりたくても子どもは怖がって行けない。つまりあなたは駄目な親だから学校にやらないと子どもが駄目になると堂々と先生が言っているわけです。
親も子もそれを素直に納得してしまうので苦しんでしまうわけなのです。
私は先生方に「そういうことは全くありません!」って言っているので、誰も何も言ってこないわけなんです。
53. Posted by Hideki   2006年04月03日 09:41
はなはなマロンさんの言わんとする趣旨がやっとわかりました(ごめんなさい、理解不足で)。
私も自閉症児という障害児の親として、学校に期待をしつつも、一方で最悪は行かなくても構わないという覚悟を心底に秘めてあたりました。
少なくとも学校側に受け入れるだけの体制や仕組み、環境、何よりも人材と姿勢が整っていないのに、とにかく学校に来させようとするのは本末転倒です。
> 先生方から子どもがいじめにあって辛い目にあっているのに、
> それでも学校に来ないと社会性がつかなかったり、
> 勉強ができなかったりすると脅かされるのです
そんな言い分は、いじめや不登校は学校には責任はなく、大半が家庭に問題があるのだ、という発想に根付いたものですね。そういう学校や教師が存在するとしたら、全くもって腹立たしいこと、この上ない。
形だけ、取り繕うというのは、何ら問題解決になっていない。
54. Posted by Hideki   2006年04月03日 09:41
「それだったら、きちんと学校が社会性を育み、勉強ができるような体制にまずしてください。学校としての責務をまず果たしてください。話はそれからだ!」
そう学校に主張できれば良いのですけどね。。。
> 親も子もそれを素直に納得してしまうので苦しんでしまうわけなのです。
学校のいうことは、先生のいうことは、まずもってすべて正しい…そう刷り込まれている人ほど、苦しんでしまうのかもしれません。
55. Posted by Hideki   2006年04月03日 09:42
それでもね、マロンさん。私はだからこそ、学校はきちんと社会性を育む・子どもの心を育むということを自分たちの責務として感じ、それができているかどうか?を判定・判別されるべきだと思うよ。
それができてこそ、初めて先生といえる。
フリースクールというのも良いのですが、残念ながら品質のばらつきやコスト、手間の問題が大きい。
実際に私の長男は今度義務教育を離れ、高校に行くわけですが、長男のような自閉症が行く「学校」はこの地域にはありません。
そこで、NPOが営む学園に行くことにしたのですが、学校として認められていないため、費用も手間もかなりかかります。
56. Posted by Hideki   2006年04月03日 09:42
個人の意向を尊重することは、個人の負担も覚悟することと表裏一体な部分もあると思うわけですよ。
それよりも、義務教育として国が定める教育の場が「まとも」になることのほうが全然良いと思う。
もちろん、「まとも」じゃなかったら、そこには行く必要はない。それは個人の我侭ではなく、果たすべき責務を果たしていない学校の問題だから、と堂々と言えるようなシステムが一番の形だと思うのです。
57. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 10:30
>それでもね、マロンさん。私はだからこそ、学校はきちんと社会性を育む・子どもの心を育むということを自分たちの責務として感じ、それができているかどうか?を判定・判別されるべきだと思うよ。
う〜んそれはどうなのでしょう?欧米では学校の目的は学問の習得だとはっきりしています。だから不登校になっても誰も苦しまず引きこもりなどの現象にはなりませんが、日本で社会性やましてや子どもの心を育むとまでやってしまうと、学校に行っていない子は社会性だけならず、心までもが育まれていない!ってことになりますます不登校児は苦しみ引きこもってしまうのではないのでしょうか?
欧米の学校でももちろんいじめは盛んにあります。「義務教育という病い」という本でもイギリスでは4人に一人はいじめにあったことがあると書かれてありました。
58. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 10:30
しかし、日本と違い他の国では学校の目的は学問の習得になっていますので、いじめに遭った時になどは学校カウンセラーがいてその対処法として、戦うか、転校するか、我慢するのか、を選ばせるだけです。
誰もいじめられる子が問題だとか学校に来させないと親を責めたりはしません。
私はまず子どもたちが学校生活が長いことが良くないんだろうと思うのです。
学校は託児所ではありません。学校が社会性や心の教育まで踏み込んでしまうとそれこそ親は託児所に預けてしまえばいいと子どもの心からも離れていくのではないのでしょうか?
学校の役割と親の役割をはっきりしないことが、親としての自覚のない大人をますます多くしているような気がします。つまり悪循環なんですよね。
59. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 10:40
福沢諭吉の時代は学校(塾)に行きたい人だけが行っていました。もちろんあの時代であっても親が行かせたいって親が多かったので子どもの気持ちなど尊重せずに子どもがまだ学びたくないのに学ばせていたようですが、福沢諭吉の親は違いました。諭吉が学びたいって時まで待ったのです。
私は、そういう学校がいいと思っています例え同じ年齢でなくても学びたいって子が学びたいって時に学ぶのが本当の学び舎「学校」のあり方だと思っています。
心はそういう学びたいって子が集まれば自然にそういう中で作られていくものなのではないのでしょうか?
心の教育って人がするものではないんだろうと思うのです。心はあくまでも感じるものであって、もし、そういう教育をしようとしているのならそれは洗脳に近いものではないのでしょうか?
60. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 10:43
>もちろん、「まとも」じゃなかったら、そこには行く必要はない。それは個人の我侭ではなく、果たすべき責務を果たしていない学校の問題だから、と堂々と言えるようなシステムが一番の形だと思うのです。
私もそう思います。そういうまともな学校でなかったら行かない!またまともな学校にするように要望出来る!そういうシステムに早急にすべきですよね。
61. Posted by kumama   2006年04月03日 10:53
はなはなマロンさん
Hidekiさんへ
わたしたちは不登校で学校側から脅され、それで苦しむことはありませんでした。やはり、不登校の悩みは千差万別なんだと思います。
フィンランドの教育に関する資料も友人に薦められて読みました。どんなに良いと言われているシステムでも、すべての子供がそれに対応できるとは限らないと思います。
「それだったら、きちんと学校が社会性を育み、きちんと勉強ができるような体制にまずしてください。学校としての義務をまず果たしてください。」
わたしが学校に言い続けてきたのはまさにこの言葉です。
62. Posted by kumama   2006年04月03日 11:18
いま、いじめがあるのは、学校だけではないと聞いています。職場でも、果ては職員室でもいじめがあると聞いたことがあります。
それは、《自分と異なる存在を認めること》のできない人が増えているからだと思うのです。確かに心の教育は学校にだけ任せるべきものではないと思います。けれど、学校がある程度の数の人が集まる場所であり、そこに教員がいる限り、せめて、先生方そして、学校として、そこだけは抑えていて欲しいのです。
ハードをいくら変えても、中のソフトが同じなら、結局は同じでしょう。まず、学校の中の教職員が子供たちにとって何が一番大切なのかを考え、実践されたとき、おのずとシステムは変わっていくと思います。その方法をtoshiさんは考えてくださっていると思います。4月2日からのブログでの記事を期待しています。
63. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 12:40
まず、いじめが起こるメカニズムを考えていかなければならないと思うのです。いじめが起きる時には必ずストレスがあると私は思っています。確かにそのストレスは家庭かもしれませんし、学校かもしれません。
そのストレスとはやりたくない時にやらせられるまたやれないというストレスがまあると思います。
もし、みんなが何でもやりたい時にだけやりたいことを行動できていれば、そこには相手に同調を強要することもないしお互いに自由に生きれることでお互いの存在を認め合うことが出来るんだと思うのです。
64. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 12:41
もちろんハードを変えてもソフトを変えないと一緒なことはよくわかるのですが、先生方も学校という場所ではこうこうしなければならないというハード的な規制がかなりかかってしまっていることだと思うのです。
ですので、そのハードの規制を取っ払うという意味で、「義務教育という病」という本では「学校をがっこうらしくしないようにするために・・・」と表紙に書かれてあります・
そういう学校のシステム自体を変えていかなければいけないんだと私は思っています。
65. Posted by Hideki   2006年04月03日 13:16
逆の論説で考えて見ますね(お気を悪くさせたらごめんなさい)
「学校は社会性や心の教育まで踏み込まなくてもよい」
「学校は学問を教えればそれで良い

こうなると、学校空間という中でのいざこざや関係といったものに、学校は先生は関与しないということになりますよね
実際には学校空間・学校社会の出来事に対して、現場として親が関わるのは不可能です。当たり前ですよね。四六時中に学校にいられないわけだから。
そうなると今以上に子どもたちの「自己裁量」に委ねられ、今以上にストレスに苛まれる危険性が高くなると思う。うまく切り抜けられる子どもは良い。だけど、全員が全員それができるとは限らない。
66. Posted by Hideki   2006年04月03日 13:18
図らずもうちの場合は、学校空間に同席してきましたが、その場での裁量・指導の程度差、人による差がひどい。
この差は、先生は学問を教える存在としちゃえば不問事項となってしまいます。だけど、それじゃダメだと思うんですよ。
そして、それら学校で起きたことは、家庭にいる親には全く分からない。学校を信用しないというわけではないですが、信用できる学校たりうるためにも、そこは責務として明らかにしていく必要があると思うのです。
学校の先生みんなが、Toshiさんみたいな先生で、あるいはToshiさんに指導された先生であれば理想です。
そうなるためには、「そうしていく」という決めが大事なんです
67. Posted by Hideki   2006年04月03日 13:22
ちなみに
> 学校の役割と親の役割をはっきりしないことが
私も問題だと思う。
だけど、それは学校は学問、社会性は家庭、という線引きじゃない。
学校社会・学校空間において、社会性や「心を育む」というテーマでの教育をするのは学校。
家庭・地域社会という時間・空間において社会性や「心を育む」のは家庭。
つまり線引きは、内容ではなく、時間・空間だと思うのですよ。
あと、心を育むというのは、洗脳ではありません。これについて語るとまた長くなってしまいますが、今までにToshiさんが何度もとりあげられています。ぜひご参照なさってください
68. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 14:00
>実際には学校空間・学校社会の出来事に対して、現場として親が関わるのは不可能です。当たり前ですよね。四六時中に学校にいられないわけだから。
そうですよね。だからこそ、
>・・・わが国では、この問題にあまりにも無頓着なまま、学級を共同体として理解し、人間関係をはぐくむ場として楽観的にとらえ、その結果、きわめて長期にわたり学級生活を、青少年に強いていることとなってしまった。この無理が、青少年にどのような負荷を与え、無力化、いじめ、不登校の要因となっているのか、今後慎重なる研究が進めれるべきである。そしてこのことを通じ、青少年を学級制の中にどれだけ組み込むことが可能なのか、その期間の検討が必要である。・・・<学級>の歴史学より
とこの著者である柳氏も言っているのです。
69. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 14:01
例えば、子どもたちが学校が終わって通っている塾だと人間性の悪い先生やそういう雰囲気のある塾には行かなければ良いだけです。
ただそれだけのことを何故学校という場ではできない雰囲気になっているのか?
私はそうさせているけど、やはり親だけでは育たないと思っていらっしゃる方が多いからなんだろうと思うのですよ。
ここままじゃ本当に学校が託児所になってしまう。社会も実際に親の仕事のために託児所を用意することばかり考えているでしょう?そういう社会になってしまうことが本当にいいことなのか?そう思ってしまうのです。
70. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 14:01
もし、働いている親たちのために学校が必要なら、子どもが学校にいる時間を制限して後はそれぞれが自由に活動できる空間を作ればいいだけだと思うのです。
もちろんその学級も先生が教えると言う様な学級ではなく、子どもたちがそれぞれに学び合うような協力的な雰囲気の学校にすることが望ましいし、それでも自分に合わない場所であれば、どんどん塾みたいにどんどん移動可能なシステムにすればいいんだと思うのです。
システムというのは、学校や親のためにあるのではなく、あくまでも子どものために子どもが自由に学習でき活動できるシステムなんです。
そういうシステムになればもっと自由に子どもたちが成長できると思うのです。
71. Posted by kumama   2006年04月03日 14:21
わたしからも一言だけ言わせてください。
 人が、集まって暮らす集団の中で、今わたしたちは生きています。
その中で《みんなが何でもやりたい時にだけやりたいことを行動でき》る環境が得られないことは当然出てくると思います。
 けれど、其の場合でも
《相手に同調を強要することもないしお互いの存在を認め合う》ことが出来なくてはならないと思います。
《みんなが何でもやりたい時にだけやりたいことを行動でき》ないストレスをいじめでしか解消できないことは間違っているからです。
72. Posted by kumama   2006年04月03日 14:22
子供たちが最初に所属する社会である学校はそれを学ぶ場所であって欲しいと思います。けれども、残念ながらHidekiさんのおっしゃるように
>その場での裁量・指導の程度差、人による差がひどい。
ことが現実です。すべての学校と教員がまず《相手に同調を強要することもないしお互いの存在を認め合う》ことができ、それを指導する能力を持つこと。
toshiさんもそれを目指して若い先生を育てていかれようとしていてくださっていると思います。
 
73. Posted by Hideki   2006年04月03日 17:31
> はなはなマロンさん
先にも書きましたが、わが子を守る為なら、本当にどうしようもなかったら、学校に行かせない、そういう覚悟を奥底に私はもっていますよ。
でもね、学校もまんざら捨てたものじゃないと思う(Toshi さん、ごめんなさい。こんな言い方ってひどいなとは自分でも思ってます)。
「裁量・指導の程度差、人による差がひどい」としましたが、確かにごくごく一部に問題だと思われる教師がいるのは確か。
でも多くの先生はきちんとやってくれました。
そして、このブログのToshi さんのような存在が、指導者として存在している。
学校を見限るのは尚早だと思うのです。
74. Posted by Hideki   2006年04月03日 17:31
ちなみに、託児所にせよ、新たに作った自由空間にせよ、人が複数集まれば「社会」となります。
結局は、そこで社会性・人間性…ひいては心の育みが求められてきます。
現行の託児所では、そんなものを教えてくれませんよね?
自己裁量で自治ができる高校生くらい、あるいはごく一部の優秀な生徒だけなら、大人が不介入でも回るケースもあるかもしれない。
だけど、大事なのは、その一部の子どもだけではない、そこから「外れた」子どもたちについて、どうするか?ということなんだと思う。
75. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 18:36
>学校を見限るのは尚早だと思うのです
学校を見限るというより、今の学校の制度では到底無理でしょう〜って感じなんです。
私は娘の小学校に入り担任の先生と家庭科を教えたことがありますがこれを一人でやれと言われたらまずもって無理!だとしか言いようがありませんでした。
教えるだけでも大変なのに、これで一人ひとりの感情や個性を尊重していたら授業なんてやってられませんよね。
別に今、教えて欲しいって思ってもいない子を相手に授業をするということはそういうことなんだろうと思うのです。
当然そこでは授業中であれいじめが行われていました。わからないようにやるんです。
私はそういう子どもたちを相手に何をどう言っていいのかもわかりませんでしたよ。なにせ見つかってもいくらでも言い訳が出来るようにわざとやっているのですから始末におえません。
だから先生方に期待はしてはいけないなぁ〜って思っているだけなんです。
76. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 18:45
>現行の託児所では、そんなものを教えてくれませんよね?
託児所だって、どこの託児所に入るか、入らないかぐらいは選択できるでしょう?教えてはくれないかもしれないけど、そういう協力的な雰囲気の託児所を選ぶことは出来ます。
私の子どもたちは幼稚園にも保育園にも行っていません。でも週に1.2回だけみんなで遊べる親も参加型のプレイスクールにやっていました。
そういうここち良い空間の中で子どもたちは心地よい空間を作ることの大切さを学ぶことが出来ました。
でも、それはとても自由な空間でした。何をやって遊ぶかも子どもたちの自由なんです。
もちろん喧嘩も時々ありますが、すぐに大人が仲裁に入ってお互いの自由を最大限に発揮できるように話し合いをさせます。
そういう環境を今の学校に求められるかというとまずもって無理でしょう!ってことなのです。
だからシステムを変えなければって思うわけなのです。
77. Posted by はなはなマロン   2006年04月03日 19:56
ちなみに私が授業のお手伝いをした時に授業中にいじめが堂々と行われていたなんてことはその担任は全く知りませんでした。感性が鈍っているというか、忙しすぎて担任も何がいじめで何がいじめでないかもわからなくなってしまっているんですよ。
だから生徒たちもスレスレのところでいじめを楽しむことが出来るんです。
でも、いじめをやっている子を責めることも出来ないんですよね。先生がいつも忙しくてイライラして生徒たちに当たってしまっているから生徒たちもイライラしてしまっているんです。先生もかわいそうだし、生徒たちもかわいそうだし。。。そういう学校にはやりたくないだけです。
78. Posted by toshi   2006年04月03日 21:15
はなはなマロンさん
 やっぱりわたしの記事には、何もふれてくださらないのですね。質問にも答えていただけません。残念ですが、仕方ありません。
 ですから、わたしの勝手な想像になりますが、『toshiが、何を言っても無駄よ。システムを変えない限り、どうしようもない。』そうおっしゃっているのですね。
 わたしは、そういう意見は意見として受け止め、自分の信じる道をがんばるとしか言いようがなくなりました。
 はなはなマロンさんが、無理だとおっしゃる『学級のすばらしさ』を今日も書きましょう。そして、こういう学級が日本にまだまだたくさんあること、いえ、ますますふえるであろうことを、お伝えしたいと思います。
 システムで、はなはなマロンさんがいいとする欧米が、日本以上にいいとは、わたしには思えないのです。
79. Posted by toshi   2006年04月03日 21:30
Hidekiさん、kumamaさん
 どうもありがとうございます。まだまだ学校は見捨てたものではないですよ。
 いじめ、不登校、本当に申し訳ない事態と思いますし、現行のシステムのまま推移すれば、はなはなマロンさんのおっしゃるホームスクーリングも含めて、子どもの居場所はなくなってしまいます。まだはなはなマロンさんはいい。選べるからです。
 ほんとうに自由化されたとしたら、そんなこともできない不登校の子、いじめにあう子は、ほんとうにどうなってしまうのでしょう。・・・、そう考えると、申し訳なさでいっぱいになります。学校は本当にがんばらなければいけません。
80. Posted by はなはなマロン   2006年04月04日 10:28
toshiさまへ
>ですから、わたしの勝手な想像になりますが、『toshiが、何を言っても無駄よ。システムを変えない限り、どうしようもない。』そうおっしゃっているのですね。
ごめんなさい。正直そのとうりなんです。最近では公立の学校の先生がご自分のご子息を私立の学校に入れているのはざらです。私の地域では学校の先生と言われる方のほとんどが私立に入れています。
公立の先生だって本当は自分の子どもを公立に入れたいんだと思うのです。しかし現場をいやというほど知っている公立の先生は公立の学校では子どもの学力をあげるのも人間性を上げるのももう無理だとわかっているみたいです。
私の次女の中学校の先生にここの中学校はどうですか?ってお聞きしたら、やはりここの中学校は駄目中だとおっしゃっていました。
先生からさじを投げているそういう学校にやりたくはないだけなんです。
81. Posted by はなはなマロン   2006年04月04日 10:40
また、公立の学校が荒れているのは日本だけではありません。欧米ではそういう現象になっています。やはり貧富の差が激しいところではどうしてもそうなってしまうようです。
学校格差が貧富の差をまた生み出すという悪循環をしているのです。
そういう悪循環を断ち切るためにも、社会における学校の権威自体も考え直さなければいけない時代に入ってきたのではないのでしょうか?
82. Posted by はなはなマロン   2006年04月04日 11:23
また、娘の中学校の先生に「みんなが公立を捨てて私立に行ったらどうします?」ってお聞きしたら、「そうなることを歓迎しています。そうやって生徒が減れば一人ひとりにじっくり時間をかけられるから」っておっしゃっていらっしゃいましたよ。つまり先生方でもいろんな子が集まる公立の学校では今の人数じゃとてもまともな教育は出来ないとおっしゃっているんです。
そういうところからもしっかり改革していかないと貧富の差はますます広がるのではないのでしょうか?
83. Posted by natumi   2006年04月04日 22:55
はじめておじゃまします。
はなはなマロンさんへ
ずい分大変な地域に、又荒れた学校だったのですね。あらためて地域差を感じました。でもマロンさんは強いじゃあありませんか。子供のためにいろいろ考えて行動してお子さんは自由にのびのびと立派に育ちつつあるのでしょう。
ひとつ感じたことは、自分が正しいと思うあまり、主張し過ぎているのではないでしょうか。
84. Posted by natumi   2006年04月04日 23:15

始めから、ご自分の書かれたことを読み返したらいかがでしょう。それこそ「自分と異なった存在を認めない」では通らないのでは?
tosi先生、いつも拝見しています。いきなり飛び込んですみません。私も小学生の子供が2人おりますので参考にさせていただいてます。これからもよい記事を期待いています。
85. Posted by natumi   2006年04月04日 23:47

私も子供のことでまったく心配がないわけではないないのです。毎日学校でもいろんなことが起こりますから。でもいつも、この子達が(1年生と5年生)成長してこの子なりに社会に出て行けるか、家族ができたときにそれなりに家庭が築けていけるか、そんな将来を見て子供とつきあっています。又これからいろんな困難にも負けないでいけるだろうか、そんな事を思ってしまいます。
86. Posted by はなはなマロン   2006年04月05日 09:29
このブログを拝見させて頂いた時に私と toshi さまとは本当に同じ考えだと思っていました。だからこそ、今の学校のシステムのままでは toshi さまが思っていらっしゃるような先生や学級子どもたちにはならないと思いそれを変えていかなければならないと私は思いました。
toshi さまは、先生たちを良き教師に出来ればそれが実現すると思っていらっしゃるようですが、私も確かにそういう良い教師と何度も出会ってきましたが、そういう良い教師ほど学校のシステムを変えて欲しいと切望なさっていらっしゃいました。
toshi さまも賛同なさって下さるかと期待していましたが、どうも違ったようで残念です。
87. Posted by natumi   2006年04月05日 10:39
toshi先生
私が行ったあるヨーロッパのある国は大学が1つしかなくて、よほど勉強しなくては入れないそうです。その代わり学費は無料ということでした。子供たちは何回かの試験に合格しなくてはいけないので勉強はとても大変だそうです。それから妹がアメリカにホームステイしていた家は、お子さんが2人いて長女は私立次女は公立と子供の様子に合わせて選択していたようだと話していました。ただ学校には協力的でよく行事とかには参加していたようです。
いじめの話からはだいぶそれてしまい申し訳ありませんでした。どちらも私が聞いた狭い範囲での話ですので聞き流してください。
88. Posted by kumama   2006年04月05日 14:09
わたしの子供は、先にも書いたとおり、いじめで1年近く不登校です。立場的には、はなはなマロンさんと同じです。公教育に苦しめられている被害者です。マロンさんの様に子供を救おうと、NPOの支援センターに行ったり、民間のフリースクールにも相談に行きました。けれどわたしの子供はそこに通うことを嫌がりました。「友達もいる。先生だってみんな嫌いなわけじゃない。学校に行きたい。認めて欲しい。自分を受け入れて欲しい。」それが子供の望みです。そのためにはtoshiさんのような先生の協力が必要なのです。
89. Posted by kumama   2006年04月05日 14:18
toshiさんも今の公教育について、全面的に賛成なさっているわけではないと思います。マロンさんの様にシステム自体を変えなければならない部分もあることを考えられていると思います。それは今までの記事でも触れられていると思います。
ただ、toshiさんは今のシステムの中でもより良い方向へ進ませることが出来ると考え、それを出来る限り実践しようと考えられているのだと思います。今の学校に子供が戻りたいと希望しているわたしの子供にとってそれが何よりの望みなのです。
90. Posted by kumama   2006年04月05日 14:24
わたしの住む学区の中学校は、とても荒れていました。いじめ、不良行為なんでもありで、噂はまだ子供が小さかったわたしの耳にも届き、とても通わせることは出来ないと思い、引っ越すか、私立か真剣に悩みました。もちろん学校もPTAも努力をしていましたが、なかなか効果は現れていませんでした。
そこに赴任されてきたのが、toshiさんのような校長先生でした。その校長先生が来られてから、学校は、どんどん変わって行ったそうです。信念を持って生徒に接する校長に教員もPTAも協力し、数年でかなり落ち着いてきました。
91. Posted by kumama   2006年04月05日 14:37
それでも、やっぱり小さないじめの芽は時々顔を出しました。これは、マロンさんの仰る「システムを変えなければだめよ」と言うご意見のとおりかもしれません。
校長先をはじめとする教職員の方々も悩まれていました。
そのとき、立ち上がったのは、子供たちでした。「自分の友達は自分たちで守ろう」と、生徒会が中心になっていじめを無くそうと立ちあがる子が出てきたのです。
いじめられた子供はそこから出て行って心地よい空間の中で過ごすことができればよい。それもひとつの選択でしょう。
92. Posted by kumama   2006年04月05日 14:47
けれど、そうやっていじめられた子供が、公教育から去っていってしまって、それで良しとしてしまったら、この中学のように立ち上がる生徒も現れなかったかもしれません。
いじめは何としても無くして貰わなければなりません。そのために公教育がすべきことは、教職員がそれをきちんと理解をし、実践していくことだと思います。そうすれば、子供たちにもその気持ちは必ず伝わると思います。
この中学の場合は、とてもうまく状況が推移した、稀有な例かもしれません。それでもそんなことが出来る先生方を目の当たりにしているので、わたしは公教育の場を見捨てる気にはなりませんし、toshiさんを応援したいのです。
93. Posted by kumama   2006年04月05日 14:56
そんな中学でも、今年の新入生は1クラス以上の子供が私学や他地域の公立に流れたそうです。
入学する子供が確定したとき、校長先生は、「こんないい学校なのに、みんなに選ばれないことが残念でしょうがない」と悲しんでいられたそうです。
校長先生のように、教職員が胸を張って『いい学校』と言える公立の学校が増えることを、わたしは望んでいます。それが公教育の本来のありようだと思います。
94. Posted by toshi   2006年04月06日 01:40
natumiさん
 コメントをありがとうございました。世の中、いろいろな考え方があるのだなという点では、確かにブログを始めて良かった。勉強になると思うことは多々あります。
 natumiさんがおっしゃるように、日本の入試制度は確かにおかしい。入るのが大変で、入ってしまえば、遊びほうけたりアルバイトに精を出したりというのは、中学、高校の学習のあり方をかなりゆがめているような気がしてなりません。
 なんか、記事にしたいことがたくさんで、こまってしまいます。いつになるか分かりませんが、ご期待いただければと思います。
95. Posted by toshi   2006年04月06日 02:00
kumamaさん
 ほんとうにありがとうございます。natumiさんもそうですが、kumamaさんから、大変な激励をいただきました。
 教育現場には、すばらしい先生が、大勢います。このブログでも、多くの先生方が、コメントをくださいますが、あらためて、そのことを痛感します。
 でも、見るに耐えない、聞くに耐えない現場があることも事実。
 それは、『人』の問題なのです。『システムを変えれば良くなる』。それは確かにあります。いえ、やはりそれが根幹なのかもしれません。 でも、教育現場に身を置くわたしとしては、第一はやはり現場。それがわたしの職務と思っています。
 そして、あらためて再確認させられたのですが、このブログの性格も、そこに足場を置くことを忘れないようにしたい。そう思いました。
 本当にありがとうございました。
96. Posted by toshi   2006年04月06日 02:07
kumamaさんに、どう、わたしの思いを伝えたらよいか、わたし、うまく言えなくて、ほんとうに申し訳ありません。
 お子さんの転校をおすすめしましたが、やはり、それはあり得ないのかなという思いを強くしました。
 教育委員会にご相談されるのが一番とも思いましたが、それも、なさったのですよね。
 我が地域なら、そういう訴えがあれば、教委が学校と連絡をとり合い、現場の何が改善点なのかを明確にしようと努力し、現場に改善を迫ったりしているのですが、どうも、kumamaさんの地域では、それもないようですね。
 すみません。ほんとうに、うまい提案ができずにいます。なお、考えてみます。
97. Posted by toshi   2006年04月06日 02:19
わたしの現職最終校の卒業生が進学する中学校も同じ問題をかつて抱えていました。
 一人の校長が学校を見事に再建させました。その記事を、このブログにのせています。
 2月1日『中学校長から学ぶ(1)』です。もしお読みいただけてなかったら、どうぞ、ご覧ください。
 やはり、人の問題も大きいのだと実感させられます。
 そうですよね。むかしから、『教育は人なり』と言いますものね。

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