2006年03月29日

思い出の離任式


b0233690.JPG  昨日の記事について、全国各地からコメントをいただき、あらためて、離任式の多様性を感じさせてもらった。それについては、また、機会を見て記述する。

 今日は、わたしが経験した思い出深い離任式にふれたい。

 最初は、わたしが教頭に昇任したときの、前教頭の離任式である。この先生は、保護者、子どもからの信頼抜群だった。

 とにかく、保護者や子どもの名前をよく覚えた。そして、保護者から電話が入ると、用件を済ませた後、
「ああ。Aちゃんのお母さんですね。Aちゃんはこの前、〜のようなことがあって、とても立派だなと思いましたよ。」
などと付け加えるのだ。(ごめんなさい。知っているような書き方をしましたが、もちろん、これは、着任校の教務主任から聞いた話です。)

 わたしも、その学校の校長先生からご指導をいただき、誠心誠意仕事をさせてもらったつもりだが、名前を覚えることだけは苦手だった。覚えたつもりでも、担任のように毎日顔をあわせているわけではないので、すぐ、『あれ、この前覚えたのに、もう分からなくなっちゃった。』となってしまう。

 この教頭は、個別支援級とのかかわりも深いものをもっていた。
それで、離任式では、個別支援級の子が花束を贈ることになった。しかし、その子、Bちゃんは、教頭先生と別れるのがつらかったようだ。花束を持つには持ったが、いざ贈る段になると、泣きながら、その花束を投げ出してしまった。結局担任と一緒にわたすことになったが、ずっと泣いていた。
 それがかえって感動を誘ったのだった。


 さあ、次は、その翌日。自分の前任校の離任式だ。

 このころは、今とは時代が違うと言っていいだろう。一般職員と管理職の離任式を、別な日に行っていた。それで、その日は、わたしが教頭に昇任、もう一人は、教頭から校長に昇任ということで、2人の離任式となった。

 その校長に昇任した先生から言われた。

「toshiさんはいいよなあ。学級担任だったのだから、みんなが名残を惜しんでくれるだろう。わたしなど、そんな思いで送ってくれる人はいないよなあ。」

 でも、これはご謙遜。そんなことはないのだった。

 わたしにとって最後になった学級は、1年生。わずか22人の学級だった。男子は、たった7人。女子が15人。この日、保護者が写真を撮ってくれたが、まるで、『24の瞳』をみるようだ。

 保護者は、大勢来てくれた。みんな泣いていた。

「toshi先生は2年生に持ち上がってくれると思っていたのに。・・・。でも、ご昇任ですから、おめでとうございますって言わなければいけませんね。」

「うちの主人がくれぐれもよろしくと言っていました。主人は、toshi先生の学級だよりをいつも楽しみにしていて、この前も、2年生用と言ってファイルを買ってきたのですけど、『ああ。このファイル、無駄になっちゃったなあ。』と、がっかりしていました。」

 PTA学級委員のお母さんが、いそいで作ったのだろう。子ども一人一人の写真の入ったアルバム兼親子ともに書いてくれたおたより帳をくださった。
 
 今も手元にあるが、上記のような言葉とともに、

「わたしたち親も、toshi級の子どもだったような感じがしています。」

「わたし自身を振り返っても出会ったことのないようなすばらしい先生でした。」

「ご栄転おめでとうございます。でも、わたしたちにとっては、もう一年受け持っていただけると思っていただけに、ものすごいショックでした。」

「toshi先生の毎週の学級だよりは、わたしたちにとって、生きた育児書でした。」

「こうなると分かっていたのなら、もっと学ばせてもらうのでした。いい加減な母親だったなと後悔しています。」

「わたしは子ども時代、先生というと緊張してしまって、言いたいことは何も言えない子どもでした。でも、娘は、天真爛漫、はつらつとして、何の遠慮もなくtoshi先生に話しているようで、親としては驚きの連続でした。」

 そして、次のお母さんは、後になって、綴じこまれたのかな。離任式当日のことが書かれている。

「離任式のとき、門のところで、toshi先生がだんだん近づくにつれ、この一年間のことが走馬灯のようによみがえり、自分自身の卒業式のときも泣かないのが自慢だったわたしが、胸がいっぱいになって涙を流してしまいました。 
 覚えていらっしゃいますか。子どもと一緒に成長していきたいと思いますと言ったわたし。子どもは少しずつでも確実に成長しているのに、わたしと言えば相変わらずですが、toshi先生の子どもに対する思い入れ、やさしさから、学ばせていただいたことを忘れずに、がんばりたいと思います。ありがとうございました。」

 式では何を言ったのだろう。大部分は忘れてしまったが、一つだけ強烈に覚えていることがある。

 わたしは、この年、一年間だけの教務主任だった。それで、こんなことを言った。

「〜。最後にね。皆さんにお願いがあるのです。・・・。この一年間、朝会や運動会などの行事のたびに、『まえへ、ならえ!』って、号令をかけてきたよね。今、みんな、どのクラスもしっかり並べている。だから、ほんとうは号令をかける必要はないのだが、わたしの思い出のために、号令をかけさせてください。・・・。『まえへ、ならえ!!』・・・。『なおれ!!』すばらしい。ありがとう。」

 このときの、朝礼台の上から見た、子どもたちの一途で真剣な、『まえへならえ。』は、今もこのまぶたに焼きついている。
 
 そして、彼らは、今、21歳。今も親子一緒の同窓会を開いてくれる。


ブログランキング・にほんブログ村へ
 
 今日も、1クリック、お願いできれば、うれしく思います。


人気blogランキングへ
 
こちらも、1クリック、お願いできますか。




rve83253 at 16:34│Comments(4)TrackBack(0)学級経営 | むかし

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 大山虎竜   2006年03月29日 21:58
春休みの教頭職は、多忙です。
なかなか自分のブログの更新はできませんが、toshi校長先生のブログは楽しみにしています。
優れた教師の多くが素敵な学級通信を発行していますね。
素敵な教師ではありませんが、大山虎竜も子どもに「お嫁に行くときも先生の学級通信ももっていくからね。」と言ってもらったり、保護者の方から「子どもだけでなく、親も通信を読んで励まされました。」とお礼を言われたことがあります。
教師冥利につきます。
2. Posted by toshi   2006年03月30日 06:09
大山虎竜先生
 ほんとう。わたしの感じでも、教頭は、2月から5月までは、多忙だったように思います。
 大山先生も、学級通信を出されていましたか。これは、先生にとっても思い出深いでしょう。わたし、いずれ、これをネタにブログも書いてみようかな。
 昭和60年代でしたが、学級だよりをワープロにしたら、『先生の手書きの方が、心がこもっていていい。』などと言われ、手書きに戻したことがありました。なつかしい思い出です。
3. Posted by hirarin   2006年03月31日 03:52
素敵な離任式ですね。保護者が来てくれる離任式には今まで参加したことはありません。地域性でしょうか。所変われば、ですね。
そのかわり、保護者からのお手紙が来ました。
私も今年1年生担任だったのでそのまま2年生に持ち上がることを疑っていない保護者が多数いたようです。ありがたい感謝の言葉が書かれていてうれしかったです。
学級通信は新卒のころは200号以上出していたのですが、今年はゼロでした。200号出した時は、製本してクラス全員に配布し、保護者からたくさんのお礼の言葉をいただきました。
現任校では学年で歩調をあわせることが多いので、それに甘えて出さなくなってしまいました。また学級担任をする時は、頑張ってみようかと思います。
4. Posted by toshi   2006年03月31日 23:38
hirarin先生
 保護者は来ないのですか。それはまた、なぜなのでしょう。先生にお手紙を出した方々は、ほんとうは来たかったのではないでしょうか。
 学級だよりを出す出さないは、担任の自由意志でいいのではないでしょうか。
 要は、学級経営をトータルとして見て、保護者の信頼を得、子どもを育むことができていれば、十分なのだと思います。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字