2006年02月27日

真の主権者は?

b4dda530.JPG  今の教育改革の一つ一つの是非はともかくとして、大筋においては好意的に見ている立場から、一言申し述べたい。

 もうすでにご承知いただいていると思うが、わたしは再任用とは言え、一応現職教員である。そのわたしが、教育理念とか、文部行政とか、現在の教育改革とか、そういうことを論述するときは、一定の留保をしたいと思う。
 そのことについては、最後にふれる。


 話はえらく飛躍するが、かつて、明治維新のころ、薩長藩閥政治が行われ、それに異を唱える人々から、自由民権運動が起こった。そのとき、この運動を弾圧した明治政府は何を言ったか。

 えらく意訳するから、文字通り下記のことを言ったわけではないが、こうなるのではないか。
『お前たち、一般国民に政治の何が分かる。お前たちは政治に無知だろう。そんなやからに政治をゆだねては、国の進路を誤る。ここは、政治のプロである俺たちにまかせておけばいいのだ。』

 次は、太平洋戦争直前の軍閥政治だが、こうなるのではないか。
『お前たち、政治家に、戦争の何が分かる。お前たちは戦争のやり方に無知だろう。そんなやからに、戦争の可否を含め、軍費まで決められたのでは、国の進路を誤る。ここは、いくさのプロである俺たち軍人にまかせておけばいいのだ。』

 この反省から、戦後は、シビリアンコントロールがとり入れられた。


 とすれば、戦後の、教育論争はどうか。同じことが言えないか。

 まずは、敗戦直後の国の考え方を想像してみる。
 当時は、教育委員会は地方行政からも独立し、教育委員は地域住民の選挙によって選ばれていた。
 占領軍の政策だった部分が大きいが、国は、それについて、次のように考えた。

『国民に、教育の何が分かる。国民は、教育の素人ではないか。そんな人たちに、教育をゆだねるわけにはいかない。ここは、選挙によって国民の負託を受けた政権にまかせておけばいいのだ。』
 そして、国としての教育水準の維持向上、教育の機会均等などを理由にして、教育委員公選制は廃止された。

 また、組合は、『国民が主権者である。教育も主権者である国民が決定すべきだ。しかし、国民は教育の素人だし、それぞれが仕事を持っているから、教育に専門的にかかわるわけにはいかない。そこで、専門的に従事する我々教員が、国民の立場を代行して、教育にかかわる主権を行使する。』
 しつっこくて恐縮だが、これもわたしの意訳である。

 長い間の文部省対日教組の対立はこうした理念的背景を持ってなされたと思う。
 

 しかし、近年、だいぶ事情が違ってきた。国民が直接的に主張するようになった。

 『いや。わたしたち国民は、教職員組合に、主権を代行することを認めたことはない。教育に対する主権も、わたしたち国民が直接的に行使する。』
 
 これは何も、教育に限ったことではない。
 裁判も、裁判員制度がスタートするように、直接的に国民のものになろうとしている。国政選挙でもマニュフェストなるものが常識化して来た。学校評議員制度もスタートした。地域、市民が直接的に学校運営にかかわるようになりつつある。
 また、内部告発によって、会社、学校、各種団体の不祥事が、青天の下にさらけ出されるのも、こうした世の風潮と無関係ではないだろう。


 さて、こうした時代の専門家(教育なら教員)の仕事は何か。
 それは、主権者である国民へ、説明責任を果たすことではないか。

 たとえてみよう。

 『夏季林間学校へ行こうと思います。目的の候補地は、以下の2箇所です。A地へ行けば、こういうメリット、デメリットがあります。B地はこう。保護者の皆さんの判断材料としてもらうために、このように資料を用意しました。それをご覧になって、お子さんをどちらに行かせたいか、お決めください。』

 近い将来、そうなるのではないか。

 わたしたち教員は、かつて教育に関して主権者のように振舞ってきた。それは、ときの教育行政に反対する立場だったとしても、もろに国に向かっていったのだ。しかし、これからは、真の主権者への説明責任を果たすために主張するということになる。

 今の教育改革の一つ一つについては、わたしも、どうかと思うものもある。それを言う場合も、上記の立場で言うのだという、そういう気持ちである。


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rve83253 at 23:55│Comments(8)TrackBack(0)学校、第三の民主化 | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by NANA   2006年02月28日 09:36
いつも良いお話をありがとうございます。
新しい?制度を活用する場面でも、参加する場面でも、物申す場面でも、またはそれを受け取る場面でも・・・。説明する場面でも・・・。
何につけても大切なのは『何の為にそれをするのか?』を見失ってしまわない事だ。と思うこと度々です。
何につけても構造の複雑化がついてくるのは、発展したからこそなのでしょうが、複雑さに負けて本来の目的を全う出来ない事になってしまうのであれば本末転倒ではないか?と思うのですが・・・。この本来の目的の解釈すら人によって様々なのが実際ですから・・・。
難しいですね。
2. Posted by NANA   2006年02月28日 09:51
私自身を振り返って、いろいろ考えさせていただいています。
せいぜい・・・。
多数決こそ民主主義の真髄。と、いったような多数決信仰?ばかりがはばからないように!
願うばかりです。
いつかは、願うばかりではなく自ら動ける人になりたいものだと思います。
3. Posted by Hideki   2006年03月01日 09:14
数年ほど前に言葉だけが独り歩きした「自己責任」。為政者の都合の良い様に使われるのは困り者ですが、基本的には、私たち自身が強く重く意識しなくてはいけないことに感じています。
ただ、その場合に「説明責任」をきちんと果たしてもらうこととセットになるんですよね。
ビジネスの上で「マーケティング」という言葉があります。ビジネスの世界では、実はお客様に「伝わってなんぼ」なんですよ。どんなに一生懸命、良い・素晴しいと思うモノ・コトを作っても、お客に伝わらなきゃダメなんです。
説明責任を問われる職も、相手に「伝わって」はじめてその責任を全うされるものだと思う。伝わらないのは、伝え方が悪いということになる。
4. Posted by Hideki   2006年03月01日 09:14
あくまでも私見ですが、「先生」と呼ばれる領域は、自分では分からないっと相手に委ねてしまい、自分で考えることをやめてしまいがちに思う。政治・医療・教育。。。
私はだから意識して先生と呼ばないで「さん」で呼ぶようにしています。自分が思考停止しないように、相手と同じ目線で発想できるように。(もちろん、オフィシャルな場では相手の立場も考えて「先生」と呼んでますが)
先般の話題につながりますが、今まで以上は私たちは「丸投げ…思考停止」じゃいけなくなるのだと思っています。だからこそ、「考えられる大人」にならなきゃいけないし、そんなように子どもを育てなきゃいけない。そう感じます。
5. Posted by toshi   2006年03月02日 00:20
NANAさん。
 いつもコメント、ありがとうございます。
 わたしの方はなかなか、おじゃますることができなくて申し訳ありません。せめて休日ぐらいはと思っているのですが、思うばかりで、ごめんなさい。
 後でコメントをいただいている、Hidekiさんがおっしゃっているのですが、なかなか、議論がかみ合わないことを嘆いていらっしゃいました。ほんとうにこれこそ、民主主義の原点ですのにね。
 今、国会の論議も、与党と野党でなかなか議論がかみ合わない実態がありますね。お互いに言い張るだけではなく、論議をかみ合わせる努力が必要なようです。
6. Posted by toshi   2006年03月02日 00:26
 Hidekiさん。いつも、コメント、ありがとうございます。
 またまた学ばせていただきました。ほんとう。『伝わらなければ責任を果たしたことにならない。』
 この言葉、重く受け止めたいと思いました。とかく、わたしも含めて、説明すれば、責任を果たしたと思いがちでした。もちろん、伝わるような工夫、配慮はしたつもりですが、その結果、反響などについては、無頓着だったように思います。
 ありがとうございました。
 ほんとうに、考える学習を推し進めていても、その人自身が、思考停止している姿は、よく見てきました。『心の教育を標榜する者は、自ら心を示すことが大切。』と同じですね。
7. Posted by くるみ   2006年08月06日 12:02
toshi先生、遡って読みきれておらず申し訳ありません。ご紹介いただき、有難うございます。

今まで、何度もコメントさせていただき、本当に丁寧にお答えいただいた理由の一つが見えた気が致しました。

市民自治社会に向かっていることを教育だけでなく全ての面からお考えになり、行動されていたからこそ、一保護者の意見や想いに耳を傾け、対話し、ご理解下さったのですね。そして、温かいお人柄によるもの・・・これは、申し上げるまでもありませんが。

過渡期ですね。
「対話と理解」そして「協働」

私も微力ながら学校や地域などで頑張りたいと想います。

今日も有難うございました。



8. Posted by toshi   2006年08月06日 17:13
くるみさん
 こんなむかしの記事にまで、コメントいただいて、ありがとうございました。
 読み切るなんて、無理なさらないでくださいね。
 でも、いくらたまっても、けっこう以前書いた記事を覚えているものです。折にふれて、過去ものもリンクさせていただきますので、どうぞ、よろしくお願いします。
 ここに書いた記事は、わたしはけっこう以前から思っていました。時代は確実に変わりつつあります。市民からの要望は強いものがありますが、特に最近思うのは、犯罪被害者が声を大きく上げるようになりました。これも、いいことだと思います。
 ただ教育の場合、国の姿勢はどうか、これからも、市民自治社会に向けて努力していくのか、注視していく必要がありそうです。

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