2006年01月14日

人権教育(2) 交流教育

1370a53d.JPG  わたしが担当する初任者のなかに、個別支援学級担任もいるので、わたしは、週1日だけだが、当該学級にも入っている。初任者は、1年生2人の担任だ。どちらも自閉症の子である。

 しかし、初任者は、個別支援教育について学んだというわけではないし、わたしにしても、担任経験はないので、戸惑うことも多い。

 幸い、教頭先生が、個別支援級を中心に担任、研究してきた方なので、ともに、同先生から助言、指導をいただくことが多い。また、個別支援級は、初任者一人で指導するという場面はほとんどないので、先輩の担任の指導をいくらも見ることができる。

 個別支援級の児童は、基本的には同級で学習するが、随時、同学年のふつう級にも出向き、一般児童とともに学習もする。その子の個性に応じ、それが、音楽だったり体育だったり図工だったり、それらが合わさっていたりする。


 昨日、A小学校では、縦割りグループによる活動が一時間行われた。これは、上記同学年の交流とはまた別のものである。

 どのグループにも1〜6年生が所属し、グループごとに活動するものである。もちろん個別支援級の子もそれぞれが各グループに入り、ふつう級の子と一緒に活動することになる。
 個別支援級の1年生2人は、同一のBグループに入った。そして、それぞれ隣には、5年生のふつう級の子がついた。


 以下、そのときの活動はたこ作りであったが、その様子をあるがまま書いてみよう。

 まず、たこの型紙を切り取る。これは、5年生がやってあげていた。次に型紙に合わせて、ビニルにサインペンで線を引く。この段階も、5年生がやってあげていた。個別支援級のCちゃんは、お行儀よく、手をひざに載せ、線を引く様子を見ていた。

 しかし、何もかも5年生がやっている姿を見て、わたしは声をかけた。
「Cちゃん。お姉さんが、書きにくそうだから、その紙を両手で押さえたら。」
Cちゃんは、すなおにわたしの言うことを受け入れ、手を上げて紙を押さえようとした。

 そこでだ。うれしいことが起きた。紙を押さえているCちゃんに、5年生のDちゃんが、
「線、引きたい。」
と聞いたのだ。黙ってうなずくCちゃん。今度は、Dちゃんが紙を押さえてあげる。
そして、ビニルを切る段になると、Dちゃんは、Cちゃんのために、はさみを持ってきた。

 わたしはまた声を出す。
「Cちゃん。よかったね。Dちゃんが、はさみ、もって来てくれた。」
すると、すかさず、Cちゃんは、
「ありがとう。」
と、大きな声でゆっくり言ったのだ。今までのどの場面より、言語明瞭に思えた。

 わたしはまず、この5年生、Dちゃんに心打たれた。

無関心でなく、かかわりを持とうとしていること。
やさしい子なのだろう。自分のを後回しにして、Cちゃんのたこを作ってあげていること。
しかし、何でもやってあげることばかりがすばらしいわけではない。やれること、あるいは、やりたいことはやらせてあげようと考えたこと。


 次に、Cちゃんだ。

 個別支援級で学習しているときは、なかなかこうはいかない。最近でこそ、心穏やかに、あるいは和やかに生活することがふえているが、それでも、初任者の担任にくってかかったり、たまにはけっとばしたりすることもある。
 でも、交流級では、自制心が働くのだろうか。社会性も養われていると思う。

 ここにこそ、交流教育のよさがあるのではないか。


 あとで、Dちゃんを呼んで、話しかけた。
「すばらしかったよ。ありがとうね。最初は、Dちゃんのやさしさを感じた。自分のを後回しにして、Cちゃんのたこ作りをやってあげていたものね。
 でも、そのあとで、『やりたい。』って聞いていたでしょう。あれはもっと素敵だった。どうして、聞こうと思ったの。」
「はい。やりたいのかなって思ったのです。」
「Cちゃんの表情を見たの。」
「ええ。それで、そう思いました。」
「そうか。それがすごくうれしかったよ。いや。Cちゃんもうれしかったに違いない。わたしは、個別支援級でのCちゃんをいつも見ているけれど、あんなに真剣に、線を引いたり切ったりしたことはなかったと思う。Dちゃんのおかげだね。」

 自分の学級なら、全児童の前でこれをやりたい。心がひびいていくと思うからだ。


 
 さて、初任者指導ということで言えば、わたしは基本的には、授業中は一切口をはさまない。初任者のやりたいようにやらせる。そうして、後刻、『あれはよかったよ。』『こうすればもっとよかったね。』などと言うようにしている。

 しかし、この場合初任者は、もう一人の個別支援級の子にかかりっきりだったから、Dちゃんの言動にまったく気づいていない。それで、わたしは、半分は初任者に聞かせる目的でしゃべることにしたのだ。


 さて、初任者に何を学んでほしいか。ただし、以下の 銑は、個別支援級だからそうするわけではない。ふつう級においても同じだということをまず断っておきたい。

,錣燭靴蓮基本的には(例外もあるが)、Dちゃんに、『Cちゃんにもやらせてあげたら。』とか、Cちゃんに、『ありがとうって言おうね。』などとは言わないのだ。
 それを言ってしまえば、その通りやるだろう。(Cちゃんは、やらないことも多いが、でも、それが問題なのではない。)それでは、心の教育とは言えないと思うのだ。そこで、上記のように、仕向けるくらいにとどめる。

∋展けるくらいにとどめると、期待通りにいかないことだって多い。その場合は、これも例外はあるが、基本的にはあきらめる。やらないからと言って、その後で、無理強いしたのでは元も子もないと思う。

しかし、あらゆる場で仕向けるわけだから、心にひびかないわけがない。やがては応える行動が出てくるだろうし、指導者の予測以上にびっくりするようなこともやるようになる。その場合は、もう感動ものなのだ。



 交流教育は、何も、障害児のためにだけあるのではない。ふつう級の児童にとっても、『自他の尊重・自分と異なる者への理解』という意味で、大切な学習となる。

 そして、ここでも、知・徳・体は、絶対必要な要素だ。

 |亮韻鮖たなければ、動きようがない。
 知ったからと言って、行動に移そうという心がないことには、意味をなさない。 心があっても、体力がないと『やってあげられない。』

 そして、徳の部分だが、『やってあげる』という意識でやるのではなく、『やらせていただく』という心で実践するような、そんなこともねらいとしていきたい。

 
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1. 交わり、ふれあい、わかちあい:障害児との交流教育  [ ☆自閉症児マリオくん☆ ]   2006年01月18日 22:36
「普通クラスとの交流」…これは、特殊クラスに通う自閉症児の親なら、おそらく多くの人が抱いたと思います。実際に私自身もそのことを思っていました。詳しくは、過去の記事:【?? s?? まるこ先生。 確かに、お客さんのように、扱われているよね。でも、それでも、「Aちゃん。ここだよ。ここ。」って言って、席を示すような子もいるし、かかわりを持とうとする子はいますね。しょっちゅうというわけではないけれど、まあ、長い目で見る必要はありそうです。

この記事へのコメント

1. Posted by kei   2006年01月15日 00:33
toshi先生の子どもへのまなざしは、まさに「子どもの持つ力を信じること」が前提になっていると感じました。
DちゃんのCちゃんに対する見取りと言葉かけは、自分もその場面にいたら言ったであろうという大切な言葉です。
Dちゃんも先生との「対話」の中で、自分の無意識に行なった行動を価値付けてもらい,どんなにうれしかったことでしょう。
実は、子どもたちの中には、このようなやさしさに包まれた出来事がたくさんありますが、見逃してしまうことが多いのではないでしょうか?もったいないと思います。目立たなくても、こういう場面を確実に支えることが、温かな人間関係を築く基盤になると思っています。
2. Posted by ジウ はなみ   2006年01月15日 13:52
はじめまして。
私は通常学級2年担任しています。
私の学級26人中、ADHD傾向2名、LD傾向2名、精神発達遅滞傾向1名がおり、毎日、自分との戦いです。
いずれの児童も就学指導の段階でフリーパスできているので、特別の支援もなくときどき時間講師の方がTTで入ってくださる程度の支援です。
校長も中学校から来た人で、あまり、理解がありません。
ときどきこのページにおじゃましてご相談したいと思っています。よろしくお願いします。
3. Posted by 奈々氏   2006年01月15日 19:14
私もいろいろ勉強会もして,ご指導も受けてますが,その場での対応はなかなかうまくいきません。自閉傾向の子とLDにみえる子がうちにはいますが,なかなか,その子たちの良さを見取って言葉がけしたり,周囲の子にうまく指導できていないというのが実情です。自分の意識改革(子どもたちはできる,行動には何か理由がある)ができていないのだと思います。
keiさんのブログにも行ってみました。大学でさらに勉強するなんてすごいですね。。。
伊那小学校の研究会は参加予定です。勉強しなきゃあと思う今日この頃です。
4. Posted by POOHママ   2006年01月15日 21:04
現在小学3年生の担任をしております。
過去に、特殊学級で自閉症児の担当もしておりましたので、
交流教育には高い関心を持っています。
>そして、徳の部分だが、
>『やってあげる』という意識でやるのではなく、
>『やらせていただく』という心で実践するような、
>そんなこともねらいとしていきたい。
一番大切なところであり、
一番難しいところでもあり、
最後にたどり着くところでもあると思います。
本当は、交流ではなく、
一緒にいることが当たり前で、
特別な訓練が必要なときだけ
別内容(または別室で)学ぶのが
望ましいと思います。
5. Posted by toshi   2006年01月15日 22:54
kei先生。コメント、ありがとうございました。
《Dちゃんも先生との「対話」の中で、自分の無意識に行なった行動を価値付けてもらい,どんなにうれしかったことでしょう。》
 そうだと思います。子どもはとにかく行動していますから、教員の大切な役割は、それを、意味づけ、価値付け、関係付けだと思います。
《実は、子どもたちの中には、このようなやさしさに包まれた出来事がたくさんありますが、見逃してしまうことが多いのではないでしょうか?もったいないと思います。》
 初任者に指導しているのも、この点が大きいです。見逃してしまうのですね。初任者に限らずだとは思いますが。
 
6. Posted by Hideki   2006年01月15日 22:58
すばらしいですね
> 仕向けるくらいにとどめると、期待通りにいかないことだって多い。
> その場合は、これも例外はあるが、基本的にはあきらめる。
> やらないからと言って、その後で、無理強いしたのでは元も子もないと思う。
このサジ加減が難しいところですねぇ。全くそれを意識せず無関心な指導は問題外ですが、一方で意識しすぎて、「やらせすぎる」のも、結局は型どおりのものになるだけ。
子どもが「自然体」でいられることがもっとも大事なことですからね。
外国人の記事でも述べましたが、ちょっと自分と違う存在には最初は戸惑いますが、「自分と同じ子ども」だと思えばすぐ仲間になれるのが子どもです。
そんな子どもを歪ませるのが周りの大人。むしろ大人の方の教育のほうが、重要なんかもしれないですね。
7. Posted by toshi   2006年01月15日 23:13
ジウ はなみ 先生。
 今は、『ふつう級でも個別支援級でも違和感のない子』がふえているのだそうです。
 わたしの勤務した学校でも、そういう感は深くしました。
 人的な助けがほしいところですが、教育委員会も努力はしてくれているのですが、なかなか現場の悩みは、解消しませんね。
 大いに思いを交換していきましょう。
8. Posted by toshi   2006年01月15日 23:58
奈々氏 先生。
 初任者もわたしも、こうすればこうなるというのが少し分かってきたように思います。また、表情を見るということもするようになりました。
 「いすに座りなさい。」
と言うのではなくて、
「座りたくないのか。じゃあ、座らないでいいから、そのまま朝の会をやろうか。」
そうすると、かえって座るものなのだということも分かってきました。
 でも、基本はやはり試行錯誤なのです。
9. Posted by toshi   2006年01月16日 00:05
POOHママ 先生。
《本当は、交流ではなく、
一緒にいることが当たり前で、
特別な訓練が必要なときだけ
別内容(または別室で)学ぶのが
望ましいと思います。》
 ほんとうにおっしゃる通りですよね。そうすれば、もっともっと、社会性も養われていくでしょうね。
 人的な保障があればいいのですがね。
 『やってあげる』でなくてという部分は、一つ、『ひけらかさない』ことをほめるという観点が必要なのではないでしょうか。どうしても、『やってあげる』という子は、『ぼくが、ぼくが』と言うものです。
10. Posted by toshi   2006年01月16日 00:12
Hidekiさん。
 
 子どもが自然体でいられることが大切。本当にその通りですね。
 あと、教員が何かを言っても、「子どもが自分でやったから」と、思えるような、逆に言えば、「先生に言われたからやった。」という意識にならないような、そんな対応を心がけるということだと思います。
 マリオさんの記録、小学校時代のお話を、読ませていただいています。なかなかコメントが書けなくて申し訳ありません。
11. Posted by まるこ   2006年01月21日 06:01
 私もPOOHママの意見に同感です。交流級の子どもは、個別級の子に対して、どうしてもお客さんという扱いをしているように思います。しかし、それはたまにしかクラスにいないので、子どもたちがそう感じても仕方がないなと私は思います。
 私の個別支援級担当の子は2人とも自閉症傾向にあり、やはり人との付き合いが苦手のようです。だからこそ、出来る限り交流させたいという気持ちが私の中にあります。
 やはり、この子たちにとって個別に学習することももちろん大切ですが、それ以上に学習や生活を通してコミュニケーションのとり方等を、学ぶ場が必要であるなあとつくづく感じます。
 だからこそ、障害を持った子も普通級に入って(逆交流というらしいのですがこの言葉はいまいち…)、支援が必要なときは、個別に対応するという形が望ましいと思いますが(toshi先生ともお話したのですが)、現実問題なかなかむずかしいですよね。(*_*)
12. Posted by toshi   2006年01月21日 17:20
まるこ先生。
 確かに、お客さんのように、扱われているよね。でも、それでも、「Aちゃん。ここだよ。ここ。」って言って、席を示すような子もいるし、かかわりを持とうとする子はいますね。しょっちゅうというわけではないけれど、まあ、長い目で見る必要はありそうです。

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