2006年01月02日

教員生活35年


71b3d051.JPG わたしは、昭和45年、『〜の学習院』と呼び名も高い小学校に採用された。公立でありながら、中学受験と水泳指導に力を入れることで有名だった。
 わたしが採用になったとき、『受験教育は、公立小学校のあるべき姿ではない。』ということで、校長先生はじめ、それを打破しようとする教員が、数名配属された。
 
 ところが、この道は苦難の道だったようだ。地域、保護者がこの学校を誇りにしていたから、校長もけっこう遠慮気味だったらしい。

 そのような学校に採用になったのにもかかわらず、新採用というのは、こわいものなしだ。ずうずうしくも、受験反対を保護者、子供に対して口にし、物議をかもすこともあった。

 当時のわたしは、イソップ童話の、まさに『北風』だったと思う。
「Aさんのような優秀なお子さんが受験してしまって地域の公立中学校を避けるから、地域の中学校はいつまでもよくならないのですよ。」
などと保護者に言っていた。今、穴があったら入りたい。保護者が、『地域の公立中学校をよくしよう。』などという観点で、我が子の進路を選択するわけがないではないか。

 保護者のなかには、『toshi先生は、果たして、報告書を書いてくれるのだろうか。』と本気になって心配した方もいたらしい。後になって聞いた。申し訳なかったと、今思う。
 

 ただ、子どもとはよく遊んだ。そういう学校だったから、中休み、昼休みの校庭はがらがらだ。思う存分遊べた。土曜日の午後は、校庭や、近くの公園で、子どもとともに、ソフトボールに興じた。

 
 卒業直前の最後の父母懇談会で、お母さん方のおっしゃった言葉が忘れられない。

 「親としては、いろいろ悩みました。これでいいのかな。遊んでばかりではないかと危惧する思いもありました。けっきょくうちは公立を選んだのですが、そうしてよかったと将来思えるように、努力したいと思います。」

 「わたしも悩んだ時期がありました。ただ、親にとって救いだったのは、子どもが受け持ちの先生を大好きでいてくれたことでした。最後の最後は、そこに信頼をおいて、結論を出せたのだと思います。ありがとうございました。」

 「toshi先生も、やがては結婚なさって、お子さんもおできになるでしょう。そのお子さんが6年生になったとき、先生がお子さんを中学受験させるかさせないか、見届けたいと思っています。」

 この学校は社会科の研究をしていた。しかし、
学習問題を子どもが作れるわけはない。それは教師が与えるべきだ。そのなかで活発に意見の言える子どもを育てるようにしたい。』
 やっぱり受験推進校の考え方だと思った。

 ほんとうの社会科を実践できる学校に異動したい。自分が子どもだったころの授業を、わたしもやってみたい。そういう思いになった。

 願いがかない、社会科の研究校へ異動することになった。世は、つめ込み教育の時代だったが、ここで、真の『子どもが主人公の学校』作りに取り組んだ。

 
 しかし、ここで、学級経営につっとってしまう。人間いつまでも若くはない。そうそう、子どもと遊んでばかりもいられない。研究で忙しくもなった。
子どもの方を向いていないわけではなかった。子どもと遊ぶことは少なくなったが、子どもの思考の筋道、授業でどう子どもを生かすか、そういうことはがんばったつもりだ。
 しかし、修行中は試行錯誤も多かった。子どもがなんかはなれてしまったような気がした。

 速球派のピッチャーだって、いつかは技巧派に転向しなければならなくなるように、ここで、学級経営、児童理解のあり方を研究するようになった。幸い、尊敬できる先輩との出会いもあった。
 おかげで、30代後半からの学級経営は、とても楽しく充実したものになった。授業力をつけ、豊かな心を育む学級経営を心がけるようになった。『北風』から、『太陽』になったと思う。

 そのおかげで、管理職になってからも、子ども第一の姿勢は崩さなかった。充実した学校経営ができたと思う。

ブログランキング・にほんブログ村へ

 いつもありがとうございます。今日も、1日1クリックをお願い。

人気blogランキングへ
 
 こちらも1クリックをお願いします。

『小学校初任者のホームページ』も開設しています。
よろしかったら、左上リンク欄の該当項目をクリックしてください。




rve83253 at 22:12│Comments(7)TrackBack(2)エッセイ | むかし

トラックバックURL

この記事へのトラックバック

1. 栴檀は双葉より芳し、優秀な教師は新採時から違う  [ 教師バカ一代 ]   2006年01月03日 12:08
今回もtoshi校長先生のブログにTBさせて戴いた。まさに「栴檀は双葉より芳し、優秀な教師は新採時から違う」と思った。教員時代は、子ども中心に頑張ってこられる方が管理職のなると、学校づくりの夢も語らす、子どもが主人公の学校づくりとはほど遠くなる。toshi... NANAさん。コメント、ありがとうございます。 はい。先ほどまで、孫3人、娘2人、その旦那2人。ほんとうににぎやかでした。今は皆帰ってしまい、妻と2人、さびしくなってしまいました。  NANAさんは、マンモス校から山間部の小さな学校への転校とは、幼心に、かなりのギャップを経験されたのですね。こういうのって、そのときの気持ちは、かなり覚えていらっしゃるでしょうね。 最近思います。誰もが、自分の人生を語ると、それは一大ドラマになるだろうということです。 また、コメント、ください。
2. 黎明  [ 森の生活・リュザルシュ通信 ]   2006年01月04日 06:48
 今、ぼくは小学六年生の勉強をしている。 朝六時半、娘や女房を送り出すと、まず彼女達が食べ散らかした食器や脱ぎ散らかした衣類などを片付けても、秋分が過ぎ昼と夜の長さ〈 NANAさん。コメント、ありがとうございます。 はい。先ほどまで、孫3人、娘2人、その旦那2人。ほんとうににぎやかでした。今は皆帰ってしまい、妻と2人、さびしくなってしまいました。  NANAさんは、マンモス校から山間部の小さな学校への転校とは、幼心に、かなりのギャップを経験されたのですね。こういうのって、そのときの気持ちは、かなり覚えていらっしゃるでしょうね。 最近思います。誰もが、自分の人生を語ると、それは一大ドラマになるだろうということです。 また、コメント、ください。

この記事へのコメント

1. Posted by hirarin   2006年01月03日 04:30
toshi先生、あけましておめでとうございます。
教員生活の出発点でのジレンマと信念が伝わってきて、感動しながら読ませていただきました。
「子ども主人公の学級」を今年も目指していこうと再確認できました。
今年もよろしくお願いします。
2. Posted by toshi   2006年01月04日 04:22
hirarin先生。おめでとうございます。コメント、ありがとうございました。
 今、ふり返ると、初任時代と40代のときの教え子が、一番クラス会などで、会う機会が多いように思います。
 試行錯誤だったときの教え子には、申し訳なかったかなと思う気持ちがあります。
 今は、立場が違っていますから、初任者とともにがんばっていきたいと思います。
 このブログの方も、末永く、よろしくお願いしますね。
3. Posted by 大山虎竜   2006年01月04日 06:43
toshi校長先生からは、いろいろなことを学ばせていただいています。
教頭時代につながるようにしていただきありがとうございます。
こちらの不具合と思いますが、上手くつながりません。
HPを見ながら勉強させて戴きます。
更新を楽しみしています。
ランキングも上位で、toshi校長先生のような中身のあるブログが上位になって嬉しいです。
これからも応援させて戴きます。
4. Posted by toshi   2006年01月04日 07:51
大山教頭先生。こちらが間違えたようです。申し訳ありませんでした。
 小学校初任者のホームページのトップにつながるようにしました。コラム集2の『個別支援級』が、教頭時代の記事です。
 あと、当ブログでも、12月6日付『子どもと管理職と』に教頭時代、および、12月23日付『心の教育(3)』に、教務主任時代の記事』があります。
 ふり返ると、苦い思い出が多いようです。
5. Posted by NANA   2006年01月04日 11:24
遅ればせながら…。
あけましておめでとうございます。
昨年より、いきなりたいそうなお世話をいただいております。
私が就学したのは?昭和50年代の初め頃。1年生では、定年間際のベテラン女性教師にたいそうかわいがっていただきました。マンモス校だったので、2年生に上がる時に新設校との分離があり、友達とも先生とも同時の別れでした。
2年生は、同じ年頃の子どもを持つお母さん先生。またもやたいそうかわいがっていただきました。私はやんちゃ放題だったので、目に付く児童だった事でしょう。。。
6. Posted by NANA   2006年01月04日 11:24
その後家が転居して山間部の小さな学校へ…。転校先は?新採用ぞろいで入れ替わりの激しい若い教員集団の学校でした。
6年生の時の担任にとって、自分たちが最初の卒業生である事におかしな誇りを持ったりもするような小学生時代でした。
toshi先生もお孫さんとにぎやかなお正月を過ごされたでしょうか?HP巻頭のお写真に愛情を感じました。
今年もよろしくお付き合いお願い申し上げます。
7. Posted by toshi   2006年01月04日 20:30
NANAさん。コメント、ありがとうございます。
 はい。先ほどまで、孫3人、娘2人、その旦那2人。ほんとうににぎやかでした。今は皆帰ってしまい、妻と2人、さびしくなってしまいました。
 
 NANAさんは、マンモス校から山間部の小さな学校への転校とは、幼心に、かなりのギャップを経験されたのですね。こういうのって、そのときの気持ちは、かなり覚えていらっしゃるでしょうね。
 最近思います。誰もが、自分の人生を語ると、それは一大ドラマになるだろうということです。
 また、コメント、ください。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字