2005年12月11日

学校民営化?(2)

3513039a.JPG 今日のブログは、8日の『学校民営化?』にかかわる。わたしは、先のブログで、『民営化』と名づけたが、一般的には、『教育改革』と言われることが多い。

 今日の話は、民営化などまったくその気配もなかったころの、わたしが教頭になってすぐのころの、話である。

 教頭会で、ある校長の講演を聞いた。だいたい以下のような内容だった。

 「今、校長にいったいどんな権限があるのでしょうか。何にもないと言っていいかもしれません。
 人事権はありません。人事異動は、『希望と承諾の原則』がありますから、異動を希望しない職員を動かすことはできませんよね。異動を希望しても承諾しなければいいという権限はあるかもしれませんが、実質それを行使している校長はいないでしょう。事実上できないのですよね。

 職員の給与を決定する権限もありません。夏目漱石のころはね、校長にあったのですよ。『ぼっちゃん』にそれはでてきます。でも、今は、職員の給与は、年功序列、一律です。働きがよくても悪くても、給与は変わらないのですよね。
 ただ一つ、校長に権限があると思われるのは、年度末に行う次年度の学年学級組織作りです。しかし、その権限にしても、教職員の手にある学校が、つい最近まであったのですよね。

 ことほどさように、校長には何の権限もないのです。それでいて、教職員を指導しなければなりません。学校経営の責任は校長にあるのですから、問題のある議決については、リーダーシップを発揮し、正さなければならないのです。
 これは大いなる矛盾ですね。責任をとらせるなら、権限も与えなければいけません。
 
 そこで、いつも思うのですが、今の学校管理職は、『魔法』が使えなければいけません。その矛盾した状況のなかでも、教職員を動かすことのできる『魔法』です。

 さあ、『魔法』とは何でしょう。
 それは、権限がなくても、校長としてのリーダーシップが発揮できる力ですね。
〜。」

 話はまだまだ続いたのだが、いったんここで打ち切ろう。 

 さて、今はどうか。8日の『民営化?』でも少し書いたが、校長の権限は強化された。わたしの地域では、給与の決定権までは今のところないが、人事異動については、よりよい学校経営を行うという観点から、校長の判断でできるようになった。そのほか、細かい点では色々あるがここでは割愛する。

 つまり、比較論だが、以前に比べれば、『魔法』はいらなくなったのである。

 さあ、『魔法』とは何でしょう。

 それは、識見、信頼、人望、真のリーダーシップ、そういうことではないだろうか。

 ということは、以前の『魔法』を必要とした時代の方がよかったのかな。『魔法』によって人を動かせた時代の方がよかったのかな。やりがいがあったのかな。

 倒錯した論理だが、そんなことを感じる昨今である。

 わたしは、ちょうど過渡期の校長だった。

 いや、『民営化?』ないし、『教育改革』は、これからも続くだろう。どこまで行くか。人事考課と教職員の給与査定、管理職の降格、市民の学校経営参画、・・・?

 そう。そう。我が地域では、モデル校においてだが、『地域・保護者』は、『おらが学校』の教員人事についての要望も、教育委員会に出せるようになったのだ。

 過渡期はまだまだ続く。


rve83253 at 21:15│Comments(5)TrackBack(0)学校、第三の民主化 | 学校管理職

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この記事へのコメント

1. Posted by Hideki   2005年12月12日 20:46
校長の場合と同じじゃないと思いますが、「人を動かす」ということについて、「魔法」が必要だというのは、とても共感します。
いやね、会社社会でも「考課・査定」をふりかざしたマネージメントはうまくいかないんですよ。面と向かってふりかざすのは論外にしても、暗黙のうちに圧力としてる場合もダメですね。結局は、「平目(上ばかりをみてる人)」を生むだけです。
ただ、権限が増えるということは、それだけ大きな効果を生み出すことができるというわけで、魔法が使える校長が生み出す成果も増えることになりますよね。そう思うと、権限が増えた今のほうが、やりがいは大きくなるとも言えるのではないでしょうか?
権限を権力と勘違いした校長が増えるのは勘弁ですけどね。
2. Posted by toshi   2005年12月12日 21:02
 なるほど。すごく勉強になりました。有難うございます。確かに、ふりかざしてはいけないでしょう。
 Hidekiさんがおっしゃるように、権限が増えても、魔法を使える校長の方が、いい経営ができるのですね。言われてみればその通り。やはり魔法はいるのだ。確信を持つことができました。
3. Posted by 石田剛   2008年12月07日 06:45
toshi先生
石田は、この「ある校長」のおっしゃる「責任をとらせるなら、権限も与えなければいけません」に同意しているということになりますね。この方のおっしゃるとおり、権限と責任が不均衡であることは、望ましくないと考えています。

けど同時に、 Hidekiさん のおっしゃる『「考課・査定」をふりかざしたマネージメントはうまくいかない』にも、強く同意します。
上司が部下を評価するのは、明確に業務の一部になっています。これがあまりに明確なために、実は部下も上司を評価しているということを、忘れてしまった管理者をときどき見かけます。
もちろん、部下は上司に対して 考課, 査定 といった強権は持っていませんが、だからといって部下が上司に対して無力なわけではありません。

部下は、転属を願い出たり、上司の上司に相談したり、しまいには退職してしまうこともできたりします。
多くの営利企業では、有能な部下を退職させてしまった上司は、非常に低い評価を受けるようです。
4. Posted by 石田剛   2008年12月07日 06:46
toshi先生 が上で挙げられた『魔法』は、どれも好ましい『魔法』だと、石田は考えます。いかに強権を与えられた上司でも、やはり組織の効用を最大化するには、これらの『魔法』が重要になると、石田は考えます。

あと、魔法もぜんぶオッケーだとは、石田は考えていないことを明示するために、ダメな魔法の例をいくつか挙げておきます。
これらは普通効かないし、下位者から上位者への信頼を損なうので、害あって益なしです。
(1) 「はだかの王さま」の権威
(2) 「俺の方が年上だから」を根拠にして自説を主張
(3) 恫喝(例:俺に逆らって後でどうなるか...)
(4) 暴言(例:手が出ねぇだけありがたいと思え)
(5) 暴力(論外ですね。最寄の交番までご一緒願います。)

「はだかの王さま」の権威に関する、石田の意見は詳しくはこちらに書いてあります。もし、ご興味がありましたらご参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20080831/1220176102
5. Posted by toshi   2008年12月08日 00:33
石田剛さん
《いかに強権を与えられた上司でも、やはり組織の効用を最大化するには、これらの『魔法』が重要になると、石田は考えます。》
 ほんとうにその通りだと思います。記事では、『権限がないから魔法が使えないと、〜。』となっていますが、たとえ権限があっても、魔法は大切と、わたしも認識を新たにさせていただきました。
 これは部下に限らないですね。わたしのような仕事だと、対子ども、対保護者、対地域、すべてに言えることだと思います。
 貴ブログ、拝読しました。コメントも入れさせていただきました。よろしくお願いします。

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