2005年12月09日

心の教育(1)

hana 教育ブログの数々をのぞいてみる。今、子どもをねらった凶悪な事件もあり、『心の教育』についての論述が多い。

 それらの多くを読んで思うことは、こうした事件の多発により、心の教育の必要性を説くと思いきや、意外と、その弊害を説くものが多いということだ。そして、こうした事件の多発により、心の教育が強く叫ばれるようになる風潮を、憂える傾向がある。

 そして、それらの論調に一貫しているのは、大人がもつ規範を子どもに押し付けることの恐ろしさ、もっと言えば、国がもつ規範を子どもに押し付ける怖さにふれているものが多い。
 
 そして、それが、『心の教育』の概念として、かなり一般的に定着している感がある。また、学校教育とはそういうものだ。押し付ける場だとしているものも目に付く。

 わたしは、今春、教育現場を退いたものではあるが、こうした論調を憂えるものである。『心の教育』は、時代の要請としても、絶対必要だ。しかも、それは急務だと言いたい。その役割を保護者、地域にも要請したいが、中核はやはり学校が負うべきだろう。

 

 そこで、以下、学校教育がすべき、心の教育について、私見を述べたい。

 わたしが述べる心の教育は、大人がもつ規範を子どもに押し付けるといったものではない。いや。それもあるが、それは、最小にとどめたい。

 わたしがいる教育現場で、今日起きたことを例として、述べてみたい。それは些細な、小さな小さな出来事。
 小学2年生である。

 昼の給食配膳時、用もなく立ち歩いているAが当番のBとぶつかり、スープをかなりこぼした。Bが、「あっ。」と声を出したが、二人ともなすすべなく立ちすくんでしまった。

 そんな折、すぐそばに座っていたCが、さっと立ち上がり、廊下へ出た。しばらくすると、トイレットペーパーを持ってきて、こぼれたスープをすくい取った。きわめて自然な動きで、自分のやっていることをひけらかす気配はみじんもない。

 このときは、Aは所在なげにあっち行ったりこっち行ったり、Bは当番の仕事を続けていた。しかし、Cのそうした行動を見て、Aはさっとかけより、すくい取るCのもとにしゃがみこみ、その手元を見守り始めた。そして、なにやら、『ごめんなさい。』とか、『ありがとう。』とか、言っているように見えた。

 この場合、こぼすにいたった状況を客観的に見れば、Aの行動には問題があると言わざるを得ない。給食配膳時は、席に着いて静かに配膳終了を待つという、学級の約束がある。それに反しているからだ。また、こぼした後、さっと拭くべきは、この子であった。
 
 しかし、わたしは思う。日ごろ、かなり内気で、自分の思いをなかなか表明できない子であることを、わたしは知っている。こぼしたことでびっくりし、その後、どう行動したらよいか判断がつかず、ただうろうろしてしまったというのが、正直なところだろう。
 その子が、Cのすくい取る行動を見たとき、もはやどうしたらいいか分からないという状況を脱し、Cのところへ駆け寄ったと思える。

 あとで聞くと、駆け寄ったものの、そして、じっとCの手元を見ていたものの、『ごめんなさい。』とか、『ありがとう』とかの言葉かけはできず、黙って見守っていたということのようだ。

 ああ。遅くなってしまった。初任者の担任はこのときどうしていたか。実は、給食当番と一緒に配膳におわれ、この出来事に全く気づいていない。それは致し方ないと思う。何度も言うが、ありふれた小さな小さな出来事なのだ。

 後で、担任にこの件を話し、対応策について話し合った。そして、終わりの会で、Cはもちろんのことだが、Aもほめてもらった。
 Cさんの行動に感謝の言葉を言ったあと、付け加えた。「Cちゃんのところへかけつけたんだってね。ごめんなさいとかありがとうとかは言えなかったようだけれど、あの時さっと駆けつけ、しゃがみこんでCさんの手元をじっと見つめていたのね。先生は遠くから見ていたよ。それは、もう、すばらしいこと。ごめんなさいって言ったのと同じよ。だから、とってもうれしかった。Cさんもうれしかったでしょう。あれが知らん振りだったら、ぜんぜんうれしくない。」

 わたしの主張したい、心の教育とはこういうことだ。

^貎涌貎佑亮詑屬鳳じたほめ方、叱り方ができるようにする。

△匹了劼發曚瓩襪茲Δ砲垢襪砲蓮一人一人の個性、性格を把握したうえで、対応することだ。活発な子に対しては、こんなことでほめる必要はない。

心の教育を標榜する者は、子どもとともに歩む姿勢を持つことだ。大人だって、失敗、ミスはつきもの。そういう場合は、子どもとともに反省し、よりよい明日に向けて、ともに伸びようとする姿勢があればいい。

  (2)へ続く。


rve83253 at 23:02│Comments(9)TrackBack(2)児童観 | 給食指導

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1. 心の教育について少し考えてみた(2)  [ 今日行く審議会 ]   2005年12月10日 03:10
心の教育について少し考えてみた toshiさんからいただいたコメントも踏まえてもう少し書いておきたい。 沖津氏の すでに教育システム(教育言説)は過剰なほどに「子ども」へ、「子ども」の内面=「人格」へと向かいつつあるということである。もはやそこにし...「心の教育」の概念、Toshi さんなら変えられるかもしれません。ぜひ、お願いします。まぁ、先入イメージというものは根強くなるのが常ですので、心の教育という名前ではなく、「別の名前」にしても良いかと思います。どんな名前であれ、子ども達の心を豊かにすることが大切だと思うのですから。私も、障害児と接していて、心の教育(というか今の子ども達に欠けているもの)を学んだような気がします。こちらこそ、半分愚痴と悩みの吐露が中心の、あまり対したこと書いていませんが、よろしくお願いいたします。
2. 心の教育を誰がやるべきなのか  [ なだそうそう ]   2005年12月10日 08:05
「THE義務教育」というブログで記事が書かれていました。「心の教育」の概念、Toshi さんなら変えられるかもしれません。ぜひ、お願いします。まぁ、先入イメージというものは根強くなるのが常ですので、心の教育という名前ではなく、「別の名前」にしても良いかと思います。どんな名前であれ、子ども達の心を豊かにすることが大切だと思うのですから。私も、障害児と接していて、心の教育(というか今の子ども達に欠けているもの)を学んだような気がします。こちらこそ、半分愚痴と悩みの吐露が中心の、あまり対したこと書いていませんが、よろしくお願いいたします。

この記事へのコメント

1. Posted by kaikai   2005年12月10日 03:16
 toshiさん、コメント、トラックバックありがとうございます。
 さっそく記事を拝読しました。ここで語られている教室の出来事は私が批判するような「心の教育」とは異なります。
 toshiさんとのコメントのやりとりを通してあの時は多くのことを学ぶことができました。
 これからもよろしくお願いします。
2. Posted by toshi   2005年12月10日 07:48
kaikaiさん。こちらこそありがとうございました。開設したばかりのブログです。末永く宜しくお願いします。
 わたしは、ここに述べた教育こそ、人間再生の道程と思っているのですが、そして、初任者にもこうした実践力を身につけてほしいと願い、微力を尽くしています。
3. Posted by 卯月   2005年12月10日 08:06
初めまして。卯月と申します。
TBありがとうございました。
こちらからもTBさせていただきましたのでよろしくお願いいたします。
4. Posted by toshi   2005年12月10日 09:30
卯月さん、突然のTBで、ご迷惑だったと思います。申し訳ありませんでした。また、ブログのことはよく分かっていなくて、TBに失敗したのだと思い、ご挨拶が遅れたこともお詫びします。
 もう一つ。本来なら、卯月さんのブログに書きこむべきところですが、これもよく分からず、こちらに書き込ませていただきました。
 どうぞ、これにこりず、末永いお付き合いのほど、宜しくお願いします。
5. Posted by 卯月   2005年12月10日 11:04
いえいえ。どうぞ気になさらずに。
迷惑トラバが多いので、トラバ制限をかけた直後だったので、すぐには反映されなかったんです。失敗したと思われたのも無理はないです。
ちなみに、コメントの件ですが…上記のトラバ記事題名からわたしの記事に飛び、その記事の下の方まで下がるとコメントを書けるようになっています。(あっ、決して催促ではありませんので、これまた気になさらずに。)
こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。
6. Posted by Hideki   2005年12月10日 21:49
こんにちは、はじめまして
おっしゃること、すべて同感です。
正直私も「心の教育」への嫌悪感を強くいだく人が多いのに驚きました。良く意味を吟味しないまま、ゆとり教育の代名詞的として否定している感が強いです。
個人的には、心の教育なんてわけの分からない言葉にせず、相手(他人)の心を思いやることとか具体的に指摘したほうが良いと思う。
もっというなら、「徳の教育」といってもいいかもしれません。他人の存在を認め、受け入れ、痛みを慮り、一緒に生きていく。
私事ながら長男が自閉症という障害をもつがゆえ、障害者を知るに連れ、今の日本は「徳の教育が必要」だと感じるようになりました。
http://calin.blog22.fc2.com/blog-entry-73.html
7. Posted by toshi   2005年12月11日 16:21
Hidekiさん。コメント有難うございました。『心の教育』の概念を変えたいという思いでいますが、やはり無理でしょうかね。
 話は変わりますが、私の担当する初任者に個別支援級担任もいますので、週一日、個別支援級に入っています。しかし、私は、同級担任歴もなく研究したこともないので、正直、どう対応したらよいか、迷う事もあります。「今日はうまくいったね。」「今日は反省が多かったね。」の繰り返しのように思います。
 最近の事で言えば、「嫌だ。疲れるからやりたくない。」に対し、「そうね。確かに疲れるわね。・・・。どこまでだったらできるかなあ。」これでうまくいきました。逆に、「ここまでだったらできるかな。」に対し、「何でやらそうとするんだよう。」と言ってパニックになったこともありました。はっきり言って試行錯誤の繰り返しです。  
 
8. Posted by toshi   2005年12月11日 16:28
しかし、教頭先生が、個別級のベテランですので、共に指導を受けながら、勉強しています。どういう言葉かけが大事か、やっぱり、受容なんですね。「心の教育」で述べたことと一緒だなあなどと、変に感心したこともありました。
 「自閉症児マリオくん」のブログも読ませて頂いています。初任者にも読むことをすすめています。
 どうぞ、今後とも、宜しくお願いします。
 
 
9. Posted by Hideki   2005年12月11日 20:36
「心の教育」の概念、Toshi さんなら変えられるかもしれません。ぜひ、お願いします。まぁ、先入イメージというものは根強くなるのが常ですので、心の教育という名前ではなく、「別の名前」にしても良いかと思います。
どんな名前であれ、子ども達の心を豊かにすることが大切だと思うのですから。
私も、障害児と接していて、心の教育(というか今の子ども達に欠けているもの)を学んだような気がします。
こちらこそ、半分愚痴と悩みの吐露が中心の、あまり対したこと書いていませんが、よろしくお願いいたします。

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