2006年06月01日

『落とし物』について4

259e7083.jpg  5月26日、『やり直し』についてという記事を載せたところ、教員の皆さんから、大変謙虚なコメントをいただき、うれしく思った。それら、コメントを読ませていただきながら、結局は、子どもへの気配り、もっと言えば、愛情の問題なのだと感じた。我々の心のなかにある『無意識』の世界を、意識のなかに置き、『これでいいのか。』を問い続ける、そんな教員でありたいものだと感じた。

 そうしたなかで、

せきちゃんさんから、いただいたコメント7番の、『できていない子の近くで、できている子を褒めよ!』は、わたしの無意識の世界を、意識化させてくれた。大変ありがたいコメントだった。そこで、さっそく、わたしの姉妹ブログ、『小学校初任者のブログ』、『第三者をほめる』と題し、記事にさせていただいた。

また、lunar catさんが、似たような記事ということだろう。『忘れ物対策』をTBしてくださった。大変ありがたく思った。

 忘れ物への対応についても、思うところはあるが、それは後日に譲り、今日は、前回の『やり直し』同様、多くの教員に、『意識』してほしいと思う、『落とし物』について、書いてみようと思う。


 わたしたちは日ごろ、子どもへ、あるいは、保護者へ、持ち物には記名するよう指導したり話したりしているだろう。特に、入学時の保護者説明会では、どこの学校も強くこのことにふれていると思う。

 また、『今の子は、物を大切にしない。自分の持ち物かどうかも分かっていないことがある。学年が進むにつれて、名前の書いてないものが多くなっていくわね。』などと、口にすることもあるのではないか。

 それなら、
物を大切にする。
そのために、持ち物には必ず記名する。
を徹底させる意味でも、教員に努力してほしい点がある。これも、先の、『やり直し』同様、案外、教員が、うっかりしている点があると思うので、気をつけたいものだ。

 それは、記名してあるのに、いつまでも、落とし物箱、あるいは、落とし物コーナーに放置されていないかということである。

 また、授業参観の折など、我が子の物だと気づいたら、持ち帰ってほしいということで、落とし物を展示しているケースもあると思うが、その場合でも、記名してある物を展示していないか。

 もしそうなら、『記名してもしなくても同じではないか。』と感じさせてしまい、記名への意欲(?)をそぐことになりかねない。

 こうしたケースでの教員の思いは、おそらく、『記名してあるのだから、自分の子どもの物だとすぐ分かる。きっと持ち帰ってくれるだろう。』となるのだろう。

 しかし、保護者の思いは、『記名してあるのだから、何も展示しなくてもいいではないか。なぜすぐ返してくれないのだ。恥をかかせて。』となるのではないか。

 わたしは、やはり、記名してあれば、すぐ返してやりたいと思う。そして、『名前が書いてあるから、すぐ持ち主に戻ったのだね。よかったね。』と言葉を添えてあげる。そうすれば、『持ち物には名前を書こう。』という意欲が高まるのではないか。

 口をすっぱくして言うより、効果的ではないかと思う。


 どこの学校にも、校務分掌の一環として、『落とし物係』があると思う。しかし、これは、担任がなっている場合が多いから、現実には、落とし物は、だいたい職員室にいる教頭に届けられる場合が多い。

 わたしは、教頭時代、落とし物が届くと、まず、記名してあるかどうかを見た。

 そして、記名してなければ、落とし物係へ渡す。多くは、箱が用意してあるから、そこへ入れる。

 記名してあれば、児童名簿を見て、その子の学級を調べる。たとえ、学年学級が書かれていても、すでに上学年になっている場合も多いから、一応調べる。そして、その担任の机上に置く。時には、「『名前が書いてあるからすぐ戻ってよかったね。』と言って、返してやってください。」というメモガキも置くようにする。

 担任からも、あとで、『教頭先生、ありがとうございました。』という声が返ってくることがある。

 また、わざわざ、子どもがお礼を言いに来たこともあった。

 ときには、該当児童がいない場合もある。そういうときは、おそらく、記名された子の兄弟ではないかと考え、同じ姓の子がいる学級をまわしてもらうようにする。

 教頭は、一般的には、子どもとふれあう機会が少ないだろう。しかし、こういうかたちで、子どもへの愛を示すことができる。そう考えたのだ。

 ときには、お金が届く場合もあった。これはもう、持ち主が分からない場合が圧倒的に多いから、届けてくれた子に対し、
「ありがとう。でも、多分、持ち主は現れないと思うから、募金があったときにそれに入れるようにするね。」
と、答えた。


にほんブログ村 教育ブログへ

またまた、絶大なるご支援をいただきました。ほんとうにありがとうございました。
今日も、よろしければ、1クリックをお願い。

人気blog ランキングへ
 
こちらも、お願いできますか。


rve83253 at 02:56│Comments(7)TrackBack(1)学校管理職 | 児童指導

トラックバックURL

この記事へのトラックバック

1. 第三者をほめる  [ ぱわぁあっぷ blog ]   2006年06月04日 09:36
以前に,教育の窓・ある退職校長の想いの中の『やり直し』についてに,コメントをさせていただいた。 きちんと指示ができていない子に,対して,注意や叱責では, 教室の空気が重くなる。 だからわたしは,できている子を褒めている。 当たり前のようなことだが,....

この記事へのコメント

1. Posted by くるみ   2006年06月01日 07:40
 保護者は、鉛筆一本まで大切に記名することで、子ども達に「ものを大切にすること」を言葉でなく行動で心に届かせる事ができることに気づきました。

 そして、学年が上っていくにつれて「自分で記名する」ことが身につけばと感じました。

 いつも有難うございます。

2. Posted by 大山虎竜   2006年06月02日 21:39
toshi校長先生、そうですね。教頭にといっても学校で仕事をしているのですから、子どもとふれあう機会はあります。
朝の掃除も私にとって苦行ではありません。子ども達とふれあう貴重な機会です。単に朝の挨拶をするだけでなく、名前を呼んで話かけるようにしています。子どもって希望ですよね。
僕も、名前を呼んでもらえる教頭になっていけるよう頑張っていきます。
3. Posted by toshi   2006年06月02日 23:32
くるみさん
 成長するにつれ、何でも自分でできるようになればいいのですが、そして、もちろん、そういう例もたくさんありますが、
 ただ、『これからは自分でやりなさい。』と言うだけでおっぱなしてしまうと、何もしないままということになってしまうのですね。こういう点、親も教員も気をつけたいものだと思いました。
 やはり、そのことの必要性を感じさせる努力が必要ですね。

 大山虎竜さん
 教頭時代、腰に万歩計を付けていたことがありました。最大で12,000歩。最小でも7,000歩でした。もっとも、万歩計は、階段一段も一歩と数えてしまいますがね。
 それが、校長では、だいたい、2〜3,000歩になってしまいました。いかに教頭が、激務か、実感したものです。がんばってくださいね。
4. Posted by くるみ   2006年06月03日 01:07
toshi先生
もうおっしゃる通りです・・・。
お恥ずかしいのですが、「自主性に任せる」という大義名分のもとに「おっぱなし」にした苦い経験があります。改めて肝に銘じて子ども共に歩みたいと思います。

話がそれて申し訳ありませんが、「自主性に任せる」という考え方、初任の先生が深みにはまってしまう原因かもしれないなあとふと感じました。
5. Posted by toshi   2006年06月04日 11:48
くるみさん
 『自主性に任せる』と『自主性を育む』は、かなり違いますね。
 正しいのは、自主性を育むための労を惜しまないということでしょう。何もしないのでは、『自主性』は育ちません。
 保護者に限らず、また、教員に限らず、『自主性に任せる』は、指導する側が楽をする方便になっているケースが多いと思います。
 また、感情的な叱責の言葉は、『自主性』を弱めてしまうでしょう。
 おっしゃる、『初任の先生〜』は、わたし、初任に限らずだという気がします。ベテラン教員でも、ありがちではないでしょうか。
6. Posted by 中田   2009年04月21日 14:37
前クラスでの状況によく似ているなあと思いました。
記名ありの私物が教室の隅や、落し物入れ箱に沢山あって、担任曰く「本人に任せている」と。

私自身、子供の私物に氏名を記入するのは徹底しておらず、
失くしたと言われれば、仕方なく買い与えていました。

ですが、教室に山積みになった落し物を見て、
記名することの大切さが身にしみて分かりました。
なぜ靴下にまで??と思っていましたが、
実際、下着も落し物になっていました。

今の子供は、落ちているものを拾わないと言われたのですが、
やはり学校と家庭両方で、
ものの大切さを指導していくべきだと思いました。

指導と言っても、おっしゃられている通り、
「子供達の自主性を育む」ということですね。

家庭で一緒に記名をしたり、
教室での落し物は先生や友達が、
落とし主に知らせてあげたりする。

そういう体験の中で、
やっぱり名前を書いている方が落としても、
返ってくるから良いな〜とか、
私物に名前をつけて大切に使うことで、
愛着が沸き、自然と大事にしようという気持ちが沸いてくるとか、
間接的に気づかせてあげるとでも言うのでしょうか。

子供の新クラスでは筆箱に名前ペン必須なんです。
無記名のものを見つけたら、すぐに書けるように。

こんなものにまで!こんな小さい場所に!?というものまで見つけては、
無理矢理見つけては、自分で記名してるのを見つけては、なんだか、微笑ましい気持ちになります。
こんなことでさえ、やり方によっては、
叱ることなく、楽しんで出来るのだわ、と感心させられました。





7. Posted by toshi   2009年04月21日 21:06
中田さん
 こんなことまで本人に任せているという回答では、記事に書かせていただいたように、記名する必要はあまりないということになりますね。物の大切さの指導もないということになりそうです。
 子どもの自主性は、自主的なはたらきを多いに認めてやるところから、育つものだと思います。
《こんなことでさえ、やり方によっては、叱ることなく、楽しんで出来るのだわ、と感心させられました。》
 いやあ。ほんとうにそうですよ。叱ることはほとんど必要ないです。ほめながら子どもを育んでいく。それはできるのです。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字