2006年06月07日

豊かな人間関係の構築を(1)5

25e66e05.jpg ある校長が、次のようなことを言っている。わたしより先輩。もうとっくに退職された。

 このように書くと、知り合いと思われるかもしれないが、面識はない。ただ、本で読んで、えらく共感できた。

 もっとも、民間の方はどう思われるかな。

 それは、以下の通りである。

『わたしたち、教育に携わる者にとって、豊かな人間関係の構築は、教育を実のあるものにするうえで、絶対必要な条件である。民間会社なら、もしかしたら、利益を追求する上での手段に過ぎないのかもしれないが、教育においては、目的そのものである。』

 わたしはこの考えに、全面的に賛成である。

 この校長は、もしかしたら、学級経営上、大切なこととして、これを言っているのかもしれない。それだったら、『豊かな人間関係の構築』は、子どもたちと担任との間でのこととなろう。

 しかし、近年のさまざまな社会事象を見るとき、わたしは、これを、学校を取り巻くすべての人との『豊かな人間関係の構築』と見て、差し支えないと思う。つまり、対保護者、対地域、対PTA、対教職員なども含めて、考えることにしたい。

 最後の対教職員は、この場合、職場のなかの人間関係と言えよう。

 豊かな人間関係の構築が、教育の目的そのものならば、教育のプロである教員は、そのことのプロでもなければならない。あるいは、プロを目指さなければいけないだろう。


 なぜこのようなことを、書き出したかと言えば、近年、人間関係の構築に疲れ、定年前に退職していく教員が急増しているからである。

 本ブログと相互リンクさせていただいている、七星来人さんのブログでも、そのことをとり上げていた。それで、わたしは、さっそくインターネットで調べてみた。そうしたら、・・・・、もう、驚いてしまった。

 わたしはすでに、退職した人間ではあるが、定年前に上記理由で退職するのは、ほんとうに残念でならない。まして、七星さんのおっしゃる『辞めて欲しくないなあと思う人』『これから働き盛りなのに』というような人がやめていくのは、本人もつらいことだろう。

 ここはぜひ、奮起してほしいところである。

 それには、個々の教員にとっては、自己改革しかないだろう。

 時代は変わったのだ。『古き良き時代』は、もう戻ってはこない。


 変なたとえ話で恐縮だが、

 地球46億年の変遷のなかで、もとの地球に戻ったことはない。地球誕生のときの地球は、火の玉だったと言う。そのとき、大気の大部分は二酸化炭素だったに違いない。そのとき、我々生物の先祖は誕生した。

 それから、地球環境は、46億年の期間を経て激変してきた。それにあわせ、生物も進化してきたのである。

 地球環境がおだやかで、格別の変化がないとき、生物の進化はなかった。環境に適応していればいいのだから、進化する必要がなかったのである。

 しかし、地球環境が激変するとき、生物は、新たな地球環境に適応する必要が生じた。進化をとげないと、生き残ることはできなかった。

 こうして、今の霊長類、人類にまでたどり着いたことになる。


 社会の変化も同じではないだろうか。安定した時代のなかでは、人間は自己変革する必要はない。

 『いや。社会と自然は違うよ。社会は、わたしたち自身がつくり出しているのではないか。社会を変える上で主体的に生きることも大切だ。』

 そういう声も聞こえてきそうである。

 しかし、地球環境の変遷をみるとき、生物がはたした役割は大きいのだ。
 いや。今、問題にしている点においては、そんなことを言ったって仕方ないか。

 こういうことだ。社会を変えようと主体的に生きるのも大切だが、さしあたり、自分が生きていくうえでは、自分自身で自分を『進化』させないと、どうしようもないのも現実と思う。


 そこで、どうするか。

 人間には、二つの自我があるのではないか。一つは、自分自身の感情に支配される自分と言ったらいいだろうか。二つ目は、そういう自分を見つめる自分である。

 一つ目の自分は制御しよう。そして、二つ目の自分を鍛えよう。

 相手への思いやり。相手が何をしてほしいと思っているかの洞察。心のゆとり。共感し合えたことを喜びとする心情。

 『これだけは許せない。』
そういうものが、そんなにたくさんあるわけではないだろう。(あるかな。・・・?)

 明るい未来が開けてくるのではないだろうか。


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rve83253 at 00:18│Comments(31)TrackBack(1)教育観 | 自己啓発

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1. 「人たらし」の教育  [ ☆自閉症児マリオくん☆ ]   2006年06月07日 23:46
あらかじめ、皆さまにお断りいたしますと、今回の記事は自閉症にまったく関係があり ません(汗。 じつは、以前もご紹介しました「教育の窓・ある退職校長の想い」というブログを展

この記事へのコメント

1. Posted by 成長   2006年06月07日 01:42
こんばんは。
大学を出て間もない未熟者ですがひとこと。

たしか、
宇宙は150億年(日本でも、キリスト教などでも神はそれ以前から存在します)。
地球は46億年。
生物は38億年(偶然でしょうか?人間は38週間で生まれてきます。それも、38週間で38億年の生物の進化をやってのけます)。
人類はせいぜい500万年(恐竜は1億5千万年の間存在していました)。
だったと思います。
人間ひとりは120歳といったところでしょうか。

そして、その一つ一つの生物には例外なく2つの親が存在します(単性の生物にはひとつの親ですが、また25億年位前はすべての生物が女性のみの単性生物だったようですが)。
こんなことは当たり前のことです。考える必要のないことです。

とある100歳を超える女性の言葉
「結局、自然と同じだった」


2. Posted by 成長   2006年06月07日 01:43
人間(生命)を考えるとき、150億年以上をさかのぼるだけの想像力が必要になるのでは?と思います。

教(?)育について考える人にもそれだけの想像力が欲しいものです。
3. Posted by 成長   2006年06月07日 02:00
ちなみに、わたしは、信仰のない者(いわゆる無神論者)です。
宗教的なアブナイ話ではないつもりです。
4. Posted by namiママ   2006年06月07日 06:37
共感したところがたくさんです。
社会の、教育の歯車の一つである自分たちが
人格を高めようと日々精進することが、
全体を高めると信じて動きたいものです。

でも、その気力が落ちてしまわないように
理不尽なことは理不尽だと声を大きくしていいたい。
一つはそのためにブログを続けている気がします。

教員同士の良好な人間関係は現場の志気を高めるために
不可欠。
船の舵取りがtoshi先生のとき
乗組員でありたかったと思ってます。
5. Posted by uenishi   2006年06月07日 11:20
はじめて書き込みさせていただきます。
先生の言われていることは、
本当に今の現場に大切なことで、
このブログは今の管理職の方にも読んでいただきたいと思いました。
さらには教育問題の研究者にも。

6. Posted by デモシカ   2006年06月07日 21:30
経済的な利益を得ることが目的なのが現実でも,
実際の活動を行うのが人間である以上,
人間関係の構築は重要なのは間違いありません。
しかし,実際の現場では有意な関係を構築したくても
目の前の業務に追われて疲弊しています。
その現実の中で私たちはどうあるべきか
toshi先生のブログを見て考えていきたいと思います…
7. Posted by Hideki   2006年06月07日 22:52
ご無沙汰してます

6月より会社を転じたため、アクティビティが落ちました。でも、今回のお話、とても深いものがありますね。

コメントをかいてたら、どんどんと記事の内容からずれていくし、なんだかとても長くなってしまいましたので、トラックバックすることにしました。
8. Posted by toshi   2006年06月07日 23:42
成長さん
 わたしの年齢は、今、61歳。
 しかし、わたしの身体や心は、約40億年の生命の継続、進化の結果として、今あるわけです。
 この間、地球環境の変化に対応できず、絶滅した生命もたくさんあったはず。
 そう考えると、地球環境の変化に適応、進化させてきたこれまでの生命の尊さを感じないわけにはいかないですよね。
 成長さんのおっしゃるように、それを感じながら、日々の教育にあたりたいと思います。
9. Posted by toshi   2006年06月07日 23:48
namiママさん
 おっしゃること、よく分かります。
 わたしも、同じ目的でブログを始めたのだと思っています。
 微力ではありますが、明るい未来の構築のために、お互い、がんばりましょう。
10. Posted by toshi   2006年06月07日 23:55
uenishiさん
 大変な激励をいただいたと思いました。
 ほんとうにありがとうございます。
 大変ご活躍のご様子。
 わたしのブログも、どうぞ、よろしくお願いします。ときどきでも、コメントをいただければ幸いです。
11. Posted by toshi   2006年06月08日 00:01
デモシカさん
 確かに現実は厳しく大変だけれども、子供の笑顔、心が通じ合う喜びが、こういう時代だけに、よけい力となっていくのも事実。
 それががんばることのできるエネルギーにもなるのではないでしょうか。
 ともに、がんばりましょう。
12. Posted by toshi   2006年06月08日 00:15
Hidekiさん
 大変なときだったのですね。そんなときまで、こうしてコメントをいただき、また、TBも、ありがとうございました。
 おっしゃること、よく分かりました。
 そう言えば、以前、テレビで、伊藤忠商事の前社長さんでしたか、今回のHidekiさんと同じようなことを言っていたのを思い出しました。
 司会者に、モットーはと聞かれ、『わたしは、いつも、顧客、株主、社員の笑顔が見たいのだ。』
 そして、確か、『この三者は、いつも利害が一致しているとは限らない。こちらを立てればあちらが立たずということも起きるだろう。でも、それを乗り越えた先にある笑顔を見たいのだ。』と言っていたように記憶しています。
 教育の役割を、さらに重層的にとらえてのコメントをいただき、大変勉強になりました。ありがとうございました。
13. Posted by namiママ   2006年06月08日 01:52
リンクして 記事を書きました。
事後報告になり すみません。
14. Posted by aoisora33   2006年06月08日 08:01
二つの自我
一つは、自分自身の感情に支配される自分
二つ目は、そういう自分を見つめる自分

一つ目の自分は制御しよう。
そして、二つ目の自分を鍛えよう。


二つ目の自我を鍛えることで、身の回りの『許せない』ものは減っていくものなのかもしれない、とお話を伺って思いました。

自分の『許せない』を減らしていくこと
そして、自分以外の方の『許せない』に心を寄り添えつつも、その感情にいたずらに巻き込まれることのないくらいに、二つ目の自我を鍛えたい
そんなことを今、感じています。


15. Posted by 七星 来人   2006年06月08日 20:33
トラックバックありがとうございました。
ただ、「自己改革」が必要だと言われると、「退職した人は自己改革ができなかった人だ」と言われているようでちょっと辛いなぁと思いました。自己改革するにしても、その教師だけに責任を求めるというのはキツイと思っています。
私自身、「辞める」ことを考えたことが何度もあります。それは、自分だけではこの状態を打破できない。という絶望感でした。
だから自己改革だけでなく、それをサポートする役目なりシステムが決定的に不足しているのではないかと思っています。
私は過去の自分の経験から「このままではこの先生は危ない」と感じることがあります。その時他の先生に今の状況を話し「何か協力してもらえませんか?」と頼むことにしています。(続く)
16. Posted by 七星 来人   2006年06月08日 20:36
また、その先生の指導で伸びた子どもの話を伝えたり、子どもが感謝している様子を伝えたりもしています。
そういう相互に助け合うことが大切なのではないかと思っています。

退職する(辞める)のは、こういった自分の成果が見えなくなっている場合が多いと思うのです。有能な先生が辞めるのは、「目指すレベルと現実とのギャップ」に「自分の力不足」を感じて意欲が低下してしまうことじゃないかと思っているのです。甘いかもしれませんけれど、「教師同士がそういうモチベーションを高める関係」に進化していくことが求められるのではないかなぁと思っています。
17. Posted by くるみ   2006年06月09日 04:51
 今回のtoshi先生の投稿、寄せられた皆様のコメントを拝読して、すぐ言葉が出てきませんでした。
私なりに考えました。ピンボケかもしれませんね。すみません。
 今、互いに受け入れられなくても理解しようとすること、ここから始めようと思っています。
 昨年までの教頭先生が校長になっての初めての運動会がありました。こじれて一度開いた心理的距離は簡単に縮まりませんが、近づこうとする気持ちになっている自分に気がつきました。→続く
18. Posted by くるみ   2006年06月09日 04:51
→続き 
 toshi先生からの言葉「リラックスした向上心」を持ちながら、今はだめでも、いつかがっちりスクラム組める日が来ると信じ続ける力が大切で、これを支えるのはやはり人とのつながり=信頼関係、なんでしょうね。
 なんだかわけわかんなくなりました。ごめんなさい。
 
19. Posted by toshi   2006年06月09日 05:01
namiママさん
 読ませていただきました。ありがとうございます。理不尽なこととおっしゃる。これだけは我慢できない。あるいは、許せないと言うことがやはり多すぎるのかな。そう思いました。
20. Posted by toshi   2006年06月09日 05:10
aoisora33さん。
 そうですね。学級経営していると、また、これは、校長としての学校経営も同じですが、許せないが多いと、相手もかたくなになりますね。『いいではないか。そのくらい。』と思いながら、相手のちょっとした変化を喜べる心境になると、相手も、心を開いてくれるし、かえって、その方がうまくいくものだと思うのです。
 ただそんなわたしも、わたしの思うその方の姿とまったく異なる言動をとられると、裏切られたとか、意表をつかれたとかいう思いになり、思ってもいないことを言ったりやったりしてしまうことがありました。そういうときは、反省しきりでした。
 ああ。このことで、また、記事にしたくなりました。ありがとうございました。
21. Posted by toshi   2006年06月09日 05:21
七星さんのおっしゃることはよくわかります。互いのサポート体制は大事ですよね。そして、七星さんのなさっていることもすばらしいと思います。七星さんのなさったことは、相手の方もうれしかったことでしょう。
 ただ、わたしは、責任があるなどとはいっさい思っていません。こういう時代だからこそ、やめてしまうのは惜しまれる。やめる先生のあるいは、やめたいと思っている先生の生き方の問題としては、こういうことが言えるのではないか、また、そうした方が、人生楽しめるのではないかと言ったつもりなのです。ごめんなさいね。
 わたしは、サポート体制がとれている地域、あるいは学校しか経験していないので、それがとれない地域だと、つらいものがあるだろうという想像はできますが、同時に、やめていく方も、もう少し、いい生き方があったのではないかと、これも想像してしまうのです。ごめんなさいね。
22. Posted by toshi   2006年06月09日 05:33
くるみさん
 おっしゃりたいこと、よく分かるような気がします。
 信頼関係が大事。それはよく分かるのですが、信頼関係がとれないと感じたとき、それを相手のせいに思ってしまうか、自分を振り返るよすがとするか、そこが大事なのではないでしょうか。
 しかし、そうは言っても、置かれた状況、環境、また、人それぞれの受け取り方は、それぞれ違いますので、なかなか客観視することがむずかしい。だから、一概に言えないと思うか、それでも、できるだけ客観視して論評を加えるか、それがまたむずかしいのですね。
 わたしは、一般化し、論評を加えました。そういう見方もあるかと、一考を加えるという、そんな感じで受け取っていただければ幸いだと、今はそう思っています。
23. Posted by toshi   2006年06月09日 05:37
くるみさんのおっしゃる、
    今はだめでも、いつかがっちりスクラム組   
める日が来ると信じ続ける力が大切で、これ   
を支えるのはやはり人とのつながり=信頼関    
係、なんでしょうね。
 は、わたしの経験で言わせていただければ、間違いなく言えることだと思います。
 また、近いうち、このテーマで記事にさせていただきますね。
24. Posted by くるみ   2006年06月09日 06:07
 自分を振り返るよすが・・・とても素晴らしい表現ですね。自分と相手の光と闇を自分に取り込んで生きる糧にしたいと持ちつつもバランスを崩した日々が続いていました。
 お陰さまで、学校と自分の両方に対しての「光と闇」を噛み砕き消化活動?まで来ているように感じます。あとは、きちんと栄養なるように、早寝早起き朝ごはん!で元気でいることが大切だなあと思うようになりました。
 「地球」のお話、感動しています。今度ブログで引用させていただきたいと思います。有難うございました。
25. Posted by くるみ   2006年06月09日 06:30
↑朝食を作っていてはたと思いました。なんだかとっても生意気なこと言ってるなあって・・・。恥ずかしいです。申し訳ありません。
26. Posted by SZK   2006年06月09日 09:22
はじめまして。
教員をしておりました。
あることがきっかけで、不眠症になり、精神疾患で限界を感じて辞めました。
現在は私塾をやってます。
教員をやっているとき、年を追うごとに、感覚のずれに悩み、それが溜まって、一気に噴出したという感じです。
公民ともに、精神疾患者の数が増えてると聞きます。
疲れる世の中なのかなと思います。
それでは。
27. Posted by toshi   2006年06月10日 05:49
くるみさん
 そんなことないですよ。『くるみさんご自身が、自分で自分を謙虚に振り返る。すてきだな。』と思って読ませていただきました。
 『元気でいること。』これも大切だなと思いました。セルフマインドコントロールとでも言いますか。そうしないと、あるいは、そうできないと、自分自身が参ってしまいます。
 でも、これもむずかしいときがあります。
 いずれ、それも、記事にしたいと思います。
 ありがとうございました。
28. Posted by toshi   2006年06月10日 07:03
 SZKさん
 コメント、ありがとうございました。ご苦労が多かったのだろうと、お察ししています。
 でも、ここは、何とかしないと、日本は大変なことになるという、やむにやまれぬ思いから、書かせていただきました。
 前記事と併せてお読みいただいていると思いますが、今の日本だって、信頼できる人も大勢いるではないかという思いもあります。
 お互いに、今のおかれた環境で、がんばりましょう。

 
29. Posted by mondo   2006年06月10日 09:55
2回目のコメントです。
前回たいへんお忙しい中、コメントをお返しいただきたいへん感激しておりました。

私も、校長3年目となり、ようやく落ち着きを取り戻すことができたみたいです。
(やるべきことは山積していますが…)

いま教職員評価で戸惑っています。
教員は概して、
評価はしても、評価されることに慣れていません。
ただ単に評定するのではなく、PDCAサイクルのCとしての評価を先生方と共にしていきたいと思うのですが… 暗中模索の状態です!!

取り組みは始まったばかりです。
とにかく悩んでいないで、第一歩を踏み出し、臆せず挑戦したいと思います。

toshi先生のスタンスに少しでも近づけるように頑張ります!!

30. Posted by toshi   2006年06月10日 16:44
mondoさん
 コメント、ありがとうございました。
 今、退職した学校の運動会に行っていました。小学生は運動会とは言え、授業の最中ですから、あまりふれあえませんでしたが、見に来ていた卒業生とは、かなり話すことができました。みんな、懐かしがってくれました。わたしもじーんとしてしまいました。
 わたし、現職の最後の年が、教職員評価の始まった年でした。中学校と違うのは、授業評価も自己責任でしっかりやれることかなと思いました。中学校は、教科担任ですから、むずかしい部分もあるでしょうね。
 将来的には、教職員の査定もあるでしょうから、そのときこそ、正念場といえるのではないでしょうか。
 
31. Posted by toshi   2006年06月10日 16:46
評価することも、されることも、どちらも不慣れなのだと思います。大変でしょうけれど、がんばってください。
 お互いに納得できるようにするには、やはり、会話を積み重ね、そのなかで理解を得るよう努力するのが一番かなと思いました。

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