2006年06月10日

信頼の教育とは?4

 言葉で言うのは簡単だが、それを実践することはむずかしい。

 そう思う言葉はたくさんある。この、『信頼の教育』も、その一つだろう。

1. しっかりした子ども、きちんとした子ども、素直な子ども、・・・。これなら、誰だって信頼できる。そして、『信頼』は子どもも感じるから、ますますしっかりするし、きちんとするし、素直になる。好循環である。

 問題は、そうでない子どもとどう信頼関係を築くかだろう。

2. 『わたしはあなた方を信頼しています。』と口で言って、信頼関係が構築されるなら、こんなに簡単なことはない。ことは実践的に、挑戦するような気持ちでやらないと、うまくはいかないと思う。
 
 
 きょうはその2点について、論じたいと思う。

 教育ブログでのコメントのやりとりで、しばしば登場してくる言葉に、
『どの子も伸びようとする気持ちをもっている。』
『問題行動が多い子どもは、実は、その子が一番苦しんでいるのだ。』
というものがある。特に前者は、わたし自身もよくつかっていると思う。

 しかし、これ、ほんとうに心から、『そうだ。その通りだ。』と思えるだろうか。日々、実践にあたっていると、とてもじゃないけれど、そうは思えないケースに出会うのではないか。
 おうおうにして、『言うは易く、行うは〜』なのである。

 特に初任者指導に携わっていると、『どう実践するかが問われているのだ。』と思うことがしばしばある。それを初任者に肌で感じてもらわなければならない。

 今のわたしの一番の仕事は、そこにあるのかもしれない。

 そういうわたし自身、子どもの問題行動に出っくわすと、その言い方、態度にふてぶてしさを感じ、我慢できなくなることがある。

 そういうときは、グッと自分で自分に言い聞かせるのだ。
初任者の前で、わたしがカッとしていたら、また反対に、何もせず傍観していたら、初任者を指導することなどできない。第一『日頃口を酸っぱくして言っている信頼の教育は、絵に描いた餅になってしまうではないか。』

 日頃、えらそうにブログを書いているが、自分の心の内を見つめると、恥ずかしくなる。
 
 
 グッとこらえたあと、どう対応するか。

 「何だよ。3時間目が終わるまではがんばって勉強していたじゃないか。用もないのに席を立つこともなかった。手もよくあげていたじゃないか。すばらしかったのだぞ。・・・。ああ。残念だな。それも、3時間目までだったか。・・・。まあ、いいや。・・・。明日は、4時間目までとなるように、がんばれ。」
 そんなことを言いながら、それを初任者に聞かせるようにする。


 さて、『信頼の教育』は、信頼が裏切られたときこそ、その真価が問われる。

 結論を先に言ってしまおう。またまた、口で言うのは簡単だという部類に入るのだが、

 信頼を裏切られたら、その信頼のもととなる思いや願いが高すぎたのだと、指導する側の自分自身が反省する。そして、信頼のもとをもっと低次元に置き換えるのだ。そして、信頼関係の再構築を目指す。


 ここからは、わたし自身の体験に論を移す。また、校長時代の体験なので、子どもから離れ、『対教職員』の事例となることをお断りしたい。

 わたしは、日頃、体罰はいけないということを、教職員に言っている。教育委員会の指導もあることを伝えている。そして、自分の学校に体罰はないと信じている。

 そんななか、A学級で、事件が起きた。
子ども同士の暴力沙汰で、一方の子どもが大けがし、病院に連れて行った。そのあと、担任が、けがさせた子を校長室に連れてきたので、わたしも子どもに対応するとともに、担任が言って聞かせているのも聞いた。

 しかし、数日後、わたし自身が、子ども同士の話を耳にしてしまう。その子たちは、わたしがそばにいることに気づいていないので、比較的リラックスムードだった。

「A先生が子どもを殴るから、子どもも殴るようになっちゃうのだよね。」
「そうだよ。A先生に殴られた子は、すぐ、別な子を殴っているよね。」
「げらげら笑いながら殴っているのだもの。いやになっちゃうね。」

 わたしは、ショックを覚えた。
『そうか。そういうことだったのか。・・・。でも、このまえの暴力沙汰は、あれは、少なくとも、げらげら笑いながらではなかった。あれは、けんかだ。けがした方だって、殴っていたのだ。』

 そんなことを思いながらも、わたしは直接、その子たちに聞きただすことはやめた。その子たちは、わたしの存在には気づかないまま、あっちへ行ってしまった。


 まず、学年主任に聞いた。学年主任もその事実は把握できていなかった。『至急、調査します。』と言ってくれた。

 その日のうちに分かったことは、

1. A教諭は、しばしば子どもを殴っている。それも、7人くらいの男子らしい。3か月くらい前からで、だんだんその回数が増えているようだ。
2. 殴るときは、屋上へ通ずる階段の踊り場へ呼びつけて殴る。だから、下からは見えない。
3. 殴られた子は、必ずと言っていいくらい、教室で別な子どもを殴る。大部分はふざけてゲームのような気分でやるらしい。殴られる子は、決まっていない。そのとき、その場に居合わせた子なら、誰でもやられるというふうらしい。
4. もちろん、見ている子は何人もいるのだが、誰も担任には言わない。その原因が担任の体罰にあることが分かっているからだ。


 さあ、大変だ。

 しかし、これだけのことがありながら、これまで、保護者から何の苦情、抗議もなかったことに驚きの念をもつとともに、保護者から言われる前に把握できたことに、ほっとする思いもあった。

 校長としてのわたしは、教職員への信頼を裏切られた思いにならざるを得ない。しかし、それまで、言って聞かせていただけだったことを反省せずにはいられなかった。

 反省はするが、一方では、『相手は子どもではない。教員免許をとった教育のプロではないか。』そういう思いもある。しかし、ことがこうなってしまった以上、きめ細かく対応しなければならない。そのやり方を考えた。

 このクラスには、PTA会長のお子さんも在籍している。会長さんは、何らかの事実を把握しているのではないかと思い、電話を入れた。

 案の定、会長さんは把握していた。保護者から数件、電話もあったらしい。それで、お子さんにも聞いたようだ。
 電話をよこした保護者には、『わたしから折を見て、校長先生に話すから、わたしに任せて。』と言ってくれていた。そして、『タイミングをはかっている最中だった。』とのことだった。

 思いがまとまり、A教諭を呼ぶ。学年主任にも同席してもらった。
1. まず、把握した事柄を伝えるとともに、その回答を求める。大筋間違いないことを認めた。
2. これだけのことを起こしていても、保護者からの苦情が何もないのは救いであり、何もないうちに、なんとか、改善を目指したいと思っていること。ことは重大であり、おおやけになれば、新聞記事にもなる可能性があるし、処分は免れないことなどを伝えた。
3. 『今のうちに誠意をもって対応すれば、ことはおおやけにならないだろう。先生にとっても、大事な未来があるのだから、これを奇貨と思い、がんばってほしい。』と、話した。
4. 改善策1 担任が子どもに謝罪すること。全員がその事実を知っているのだから、全員に謝罪すること。それはただ単に体罰をふるったことだけではなく、子ども同士の暴力についても、その原因の多くは担任にあったことを認め、謝罪すること。
5. 改善策2 明るい学級の雰囲気作りに、がんばる決意も伝えること。その具体案については、わたしが話したことを参考に、自分でまとめること。
6. 改善策3 校長とA担任との約束事として、今後、週経営案に、前週の学級経営の記録をつけるようにすること。特に、体罰をふるわれていた子ども7人は、問題行動の多いのも事実なのだから、その子たちの行動とともに、それにどう対応しているのかを必ず記入すること。

 それからは、A担任もがんばった。わたしも、教室訪問を繰り返した。徐々にではあるが、明るい雰囲気がみられるようになった。

 教室を訪ねた印象や、週経営案に書かれたことをもとに、会話をふやした。客観的にみれば当たり前のことでも、少しでも改善されれば、A教諭をほめるようにした。

 だんだんA教諭も語るようになった。
1. 体罰なしの教育でも、校長先生のおっしゃるように努力した結果、7人全部とは言わないが、生活態度に改善がみられること。
2. その結果、7人の結束が薄れてきていること。
3. 以前、暴力をふるわれていた子たちに、笑顔、いきいきとした表情が見られるようになったこと。
4. かつて体罰をふるっていたころは、自分自身、体調のよくないことが多く、カッとしてしまう傾向があり、申し訳なかったこと。
などを話すようになった。

 わたし、1.については、
『体罰なしの教育でも、』ではないだろう。『体罰なしの教育に切り替えたから、』だろうと、からかった。でも、A教諭の表情も明るくなっていたことから、以後の学級経営を絶賛した。そうして、週経営案の記録はもう書かなくていいと伝えた。
 でも、わたしの退職(転任)まで(以後は分からない。)、ときどきではあるが、反省記録として書き続けた。

 こうした経過は、逐一、PTA会長に報告していた。会長からは感謝の言葉をいただいた。電話のあった保護者には伝えると言ってくださった。
 
 今にして思う。
 このときは、これで済んだが、担任が全児童に謝罪したと同様、臨時の保護者会を開き、校長として、保護者にも謝罪すべきではなかったか。電話のあった保護者だけでいいとは思えない。当時は、口コミで伝わるだろうという気持ちがあったが、これは安易に過ぎたという思いが、今にしてある。
 ごめんなさい。

 冒頭に、『どの子も伸びようとする気持ちをもっている。』『問題行動が多い子どもは、実は、その子が一番苦しんでいるのだ。』ということにふれた。

 今回の話題は、子どものことではないが、同じと思う。
 わたしは、どの教員も、伸びようとする気持ちをもっていると確信がもてた。
 また、A教諭は、自分の健康に不安をもっていたことも知った。


 さて、最後に、『信頼の教育』も、宿題を残したまま、退職(転任)となってしまったことにふれたい。

 それは、子どもの話題に戻るが、虐待されて育った子の問題行動は桁外れで、通常わたしの述べる対応策では、どうにも子どもを救えなかった事実は認めなければならない。

 また、保護者との対応にしても、大部分は理解し合えたものの、なかには、不満を残したままとなってしまったものもあった。それらは、次期校長に引き継ぐ形となってしまった。今も申し訳なかったと思っている。


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rve83253 at 11:22│Comments(12)TrackBack(0)学校経営 | 学校管理職

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この記事へのコメント

1. Posted by hirarin   2006年06月10日 23:19
「言うは安し、行うは〜」まさにその通りです。

A学級の体験談。ジーンときました。
「信頼」というものは1日でできあがるものではないし、教育においてはかなりのウエイトを占める部分だということが再確認できました。

ただ、この体験談を読んでいて、気になったのが「子どもたちも、保護者も知っていたのに、どうして担任や校長に誰も言わなかったのか」ということです。

「会長さんがタイミングをはかっている最中」と言いましたが正直なところ定かではないと思います。

なので、誰も担任や校長に言えないような
「見えない何か」
があったような気がしてならないのです。
それが何なのか。
恐怖感、罪悪感、絶望感、信頼感・・・・・
どうなんでしょうか。

自分の子どもたちにかける「信頼」を子どもからも受けられるように精進していきたいと思います。
また勉強させてください。
2. Posted by toshi   2006年06月11日 01:35
hirarinさん
 ごめんなさい。ちょっと記憶は薄れているのですが、当時のわたしは、学校の事実の把握が遅れたことについて申し訳ない思いでいたことと、それにもかかわらず、何も保護者が言ってこないうちに把握できてよかったという思いと、交錯していたように思います。
 あと、会長さんが人格者で、会長さんへの信頼が厚かったことも事実です。会長さんは、担任について、「このことはひどいけれど、でも、〜といういい点もあるのですよね。」などと言ってくれていました。
 これも、ほんとうにありがたいことでした。
 そう。そう。このことのありがたさについても、担任には言って聞かせました。
 子どもは子どもで、担任をあてにしないというか、自分たちは自分たちでやっていくというか、そんな機運があったように思います。そういう意味では、絶望感かもしれません。
3. Posted by カワセン   2006年06月11日 14:45
おひさしぶりです。

ますます、”教育の窓・ある退職校長の想い"快調ですね。

本校に今年、初任者のKさんが赴任してきました。初任者担当をしています。HPにさせてもらっています。
TB、送ります。
4. Posted by POOHママ   2006年06月11日 14:49
その後、A教諭はどうしているのでしょうね。
失った信頼は、回復しえたのでしょうか。
それとも、子どもが入れ替わったことで、
自然消滅?

最近は、たった1度のことでも、
大げさになる場合があります。

学校内でのことや、
児童に直接関係のあることは、
対応しやすいですが、
私生活については
校長でも対応が難しいですよね。

うちは今、
教師の不倫が問題になりつつあります。
5. Posted by toshi   2006年06月12日 03:51
カワセンさん
 わたしの方こそ、ご無沙汰しておりました。
 お読みいただき、ありがとうございます。社会科のことも記事にしたいと思っていますが、なかなかそうならなくて申し訳ありません。
 貴ブログを読ませていただきました。K先生、がんばっていらっしゃいますね。カワセン先生は初任研担当ではないと思いますが、しっかり指導していらっしゃると感じました。
 わたしも参考にさせていただきます。ありがとうございました。
6. Posted by toshi   2006年06月12日 04:10
POOHママさん
 その後のA教諭については、あまりよく分かっていません。体罰はないと信じたいです。彼も転勤しました。その後の様子をそのときの校長から聞いたことはありますが、特に問題を起こしたとは、聞いていません。
 すみません。その程度のことしか分からなくて。
 ただ、彼も、いつも体罰をやっていたわけではないので、子どもに頼りないと思われていたことはあったのですが、そこそこ、いい雰囲気の学級を作っていたこともあったのです。
 
 校長といえども、教職員の私生活に踏み込むことはできません。自然に知り得た情報が、たよりです。そのためにも、個々の教職員と豊かにふれあうことが大切と思います。
7. Posted by POOHママ   2006年06月15日 22:16
「豊かに触れ合う」って、
どうしたらいいのでしょうね。
まあ、それぞれにやり方があるのでしょうけど。

学年打ち合わせをしながらもほかの話に発展したり、
たまたま同じサークルに入っていたり・・・。
うちは、超過勤務の人が多く、
その人たちは触れ合っているようですが、
私は家庭があってすぐに退勤するので、
触れ合っている余裕はありません。

後輩たちに
押し付けることなく伝えたいことも、
先輩たちから学びたいことも、
たくさんあるのだけど、
なかなかうまくいかないですね。

私は、去年学年を組んだ初任者を
投げ出してしまいました。
どうしても相性が合わず、
また学年を組むのがいやで
持ち上がりを拒否してしまいました。
(その初任者がどうしても持ち上がらなければならない状況だったので)
去年担任した子どもたちには、
私を慕ってくれていたのに
申し訳ない思いでいっぱいです。
8. Posted by toshi   2006年06月16日 05:16
POOHママさん
 本音に迫るコメントをいただき、ありがとうございました。
 基本的には、与えられた環境のなかで、ベストを尽くせば、それでいいのではないでしょうか。
 問題なのは、話す時間があるのに、人間関係がよくないから話さないとか、そんなことは知っているだろうと想像して話さないとかいうことだと思います。
 何かあったとき、『ああ、言っておけばよかった。』と後悔するようなことがあってはいけないということです。あくまで、『話す時間があるのに、』ということですよ。
 わたしの場合、自然なふれあいのなかで、そういうことが起きることのないように努めたつもりです。もっとも、校長の場合は、『ちょっと、校長室へお願い。』ということもできますから、やりやすいことはたしかですね。
9. Posted by POOHママ   2006年06月19日 23:40
お返事、ありがとうございます。

ちなみに、去年の初任者とは、
話す時間がない分、
メールでいろんなことを伝え合いました。
しかし、文字ではやはり
真意がうまく伝わらない
という限界がありますね。

去年の初任者(20代)は、
今組んでいる学年の人(30代)と、
ほぼ毎日21時過ぎまで一緒に
仕事をしているようです。
(それがいいとは思いませんが)
それで、通じるものがあって、
学年がうまくいくのであれば、
見守るしかないのかな。

私は、その学年の授業ももっているので、
別の場面でフォローしているつもりです。
10. Posted by toshi   2006年06月20日 06:01
POOHママさん
 毎日21時過ぎとはすごいですね。
 でも、おっしゃるように、通じ合うものがあるのなら、それでいいと思いますよ。
 負担でストレスがたまるのならこまりますが、本人たちが楽しいのであれば、かまわないと思います。
 前にも書いたかもしれませんが、人間、与えられた環境のなかで、ベストを尽くせば、それでいいのだと思います。
 いろいろな方がいて、それぞれが個性的存在なのですから、それぞれが自分のできる範囲でベストを尽くすことができれば、学校としても、ベストと思うのです。
11. Posted by POOHママ   2006年06月25日 13:13
本人たちはよくても、
家族にとってはストレスでは?

ちなみに、20代には2人の子どもがいます。
30代は新婚。
どちらも少年団を持っているので、
土日も家にほとんどいません。
そんな中で、家庭人としては
どうなのかな・・・と思ってしまいます。

2人のお子さんが、
父親の存在をどう思っているのか?
奥さんの内助の功だけでは・・・・。
そういった面が心配です。

私自身は、
自分の家族を大切にできる人間こそ、
学校でも児童を大切に考えることができると
思っています。
12. Posted by toshi   2006年06月26日 05:30
POOHママさん
 現在の少子化の問題を考えると、一般論としては、POOHママさんのおっしゃる通りでしょうね。
 でも、個々の家族の場合は、これはもういろいろです。
 わたしも、そう言われると、耳が痛いです。若いときは、時間的な意味では、研究にのめり込んで、子どもの寝顔しか見られない時期がありましたからね。
 でも、我が子をないがしろにした思いはありません。心はしっかりつながっていたと思います。それは日頃の記事の通り。
 時代の違いはあるし、今も通用するとは思いませんがね。
 それと、若い二人が何をしてそんなに遅いのかは、気になりますね。ちゃんと実践力を高めるための努力をしているのならいいのですが、ただ一緒にいると楽しいからというだけなのだったら、もう意味ないですよね。
 この問題、近いうち、記事にしますね。

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