2006年06月11日

きびしさの教育4

a6d3d872.JPG わたしは日ごろ、『心の豊かさを育む教育』と言っている。
 子どもの思いを大切にして日々実践に取り組んでいるが、これはともすると、子どもを甘やかしているように受け取られるふしがある。

 たまたま、わたしの姉妹ブログ『小学校初任者のブログ』の『第三者をほめる』の記事で、cloverさんから、「きびしく指導すべきときはどんなときでしょうか。」と、宿題を与えられている気分なので、今日はそのことにふれたい。

 そのまえに、お断りしておきたいが、わたしは、多くの教員が叱っているだろう場面でも、ほとんど叱らないのだ。
 そのあたりはすでにいろいろ記事にしているので、改めてお読みいただければ幸いである。

  小学校初任者のホームページ   Aさんは悪くない。
  当ブログ           心の教育(5)自主性を育む
  小学校初任者のブログ     けんか両成敗か。

 わたしのようなやり方は、一見、放任しているかのように見える場面もあると思う。しかし、それは、あくまで、子どもの心を育むという観点で、観察したり、子どもの言い分を聞いたりしているわけで、けっして、放置しているわけではない。


 さあ、本題に入る。きびしく指導することはないのかと言われれば、否である。

 ただ、わたしのようにやっていると、そうせざるを得ないときは、たまにしかやってこない。

1. 人権にふれるとき。友達をいじめたとか、差別したとかいうようなとき。
2. 無反省に同じミスを何度も繰り返しているとき。
3. 大人に対する態度に、問題性を感じるとき。

 また、きびしくしかることではないが、指示、命令のたぐいとなってしまうことには、
○ 学校行事、学年行事、一日の予定などで、『まったなし』、とても子どもに考えさせている時間の余裕のないとき
というのがある。

 しかし、これらは、どういうケースで、きびしく指導するかを言っているのであって、そういうときは必ずきびしく対応するというわけではない。よく吟味し、必要最低限にとどめる努力はする。

 したがって、宿題忘れ、掃除をさぼる行為、悪ふざけくらいでは怒らない。『第三者をほめる』の手法を大いに活用する。また、様子をじっくり観察し、よくなったときのほめる材料として使う。


 話は変わるが、
 2年生担任のとき、個人面談で、あるお母さんから言われたことがある。

「うちの子ったら、最近反抗期らしくて、よく口答えするようになってしまって、親の言うことを聞かないのですよ。学校ではどうですか。」
「学校では、そのようなことはないですね。むしろ、よくやっています。」
「そうですか。親の対応がまずいのでしょうかね。」
「・・・。」
「このまえ、うちの子に、こんなことを言われてしまったのです。『お母さん。何でそんなことで怒るの。Toshi先生なら、そんなことでは怒らないよ。』わたし、こまってしまって。何にも言えなくなってしまいました。」

 そのとき、わたしはなんて答えたのだろう。もう忘れてしまったが、
「いいのではないですか。大人だって人それぞれでいいと思いますよ。
『先生は先生。お母さんはお母さんなの。何で同じじゃなきゃいけないの。』
そう言っていいのではないですか。」

 今なら、そう答えるかな。もちろん、学級だより、懇談会などで、わたしの指導方針は伝えてある。家庭のことだし、あとは親にゆだねるしかないという思いだ。


 さて、次は、真剣に怒った話題に移る。

 1年生、入学してまだ、2か月くらいのときだ。一人の子、A。

 初めは、先生を先生とも思わぬ、大人をなめきった言い方をするなという思いだった。

 ある日、その子のお姉さんがわたしのところへきて、
「先生。弟はちゃんとやっていますか。・・・。すごく生意気でしょう。」
そんな調子で話しかけてきた。そして、家でもえばり散らしていることを知った。
なんと、自分の母親に、『うるせえ。黙れ。ばばあ。』などと言っているらしかった。

 家庭訪問の折り、ちょっと話題にしてみた。幼少期より、甘やかして育ててしまったと反省していた。

 親を親とも思わぬ態度が、わたしに対しても転移しているのだ。

 『折を見て、ピシッと叱りたいと思うけれど、』そう言うと、お母さんも、『よろしくお願いします。』とのことだった。そこで、様子をうかがうことにした。

 初めは、『そんな言い方をしてはいけないよ。先生に向かって言う言い方ではないよ。もっと、こんなふうに言わなくっちゃ。』と、たしなめるような言い方をしていたが、あるとき、とうとう爆発させた。

 給食で、わたしがよそっていたのだが、量を間違え、数人の子の分がなくなってしまった。それで、「ごめん。ごめん。『こんなに食べられないよ。』っていう子は、手を挙げてね。少し、戻してもらうから。」
そうしたら、いきなり声がかかった。

「何。もたもたやっているんだよう。早くしろよう。」
その言い方のにくたらしいこと。このときとばかり、
「なにい。おまえは先生に向かって命令するのか。」
一喝した。

 びっくりしたようだ。さらに追い打ちをかけた。
「先生に命令するのなら、先生より、Aの方がえらいということだ。それなら、これから、全部、Aが先生をやれ。いいか。間違えたら承知しないぞ。」

 細かいことは省略しよう。ただし、その後、泣き出したので、『なんだ。先生よりえらいやつが、今度は、泣くのか。』と、徹底してやったことにはふれなければいけないだろう。


 それからは、わたしへの言い方がやさしくなったら、うんとほめてやろうと、機会をうかがった。

 一週間後にその機会はやってきた。やはり給食のときである。

 この学校は、お箸だけは家から持参させていた。Bさんが、『先生、箸箱があかないの。あけて。』ともってきた。確かにあけにくい。強引にやったら、あら、あら、箸箱を壊してしまった。
「うわあ。ごめん。ごめん。壊しちゃったよ。いけない。ごめんね。お母さんには連絡帳で謝っておこう。」
Bさんはにこにこして許してくれた。

 ちょうど、そのときだ。Aが、
「先生。また、失敗しちゃったね。」
その言い方のかわいらしいこと。ああ。これこそ、1年生だ。にこにこしていて、一週間前の、にくにくしげな態度はまったくない。

 わたしは思わず、Aを抱きしめた。そして、
「うわあ。今の言い方、やさしかったね。・・・。すごくうれしいよ。・・・。ああ。ほんとうにうれしいなあ。これが、一週間前だったら、『何、やってるんだよ。壊しちゃったよ。どうするんだよ。直せよ。弁償しろよ。』とすごい調子で言っていただろう。今のAさんの言葉はまったく違っていたね。・・・。ああ。うれしいなあ。」

 Aはまた泣き出した。しかし、今度の涙はほめた。
「今のAちゃんの涙は、この前の涙と全然違う。」
そうしたら、Bが、口をはさむ。
「toshi先生。うれし涙でしょう。」
学級は温かな笑いに包まれた。

 以上は、学級全員の前でやったのだが、『さようなら』のあと、Aを呼び、言った。
「今日のAちゃんの、あの、やさしい言葉はほんとうにうれしかったなあ。もう、先生に向かってえばることなんかないだろうって、ほんとうに、思ったよ。やさしくなったAちゃんは、ほんとうにすてきだ。・・・。ところで、どうだい。おうちでは、もう、おかあさんのこと、『ばばあ』なんて言っていないか。」
 なんとも言えない表情で、照れ笑いを浮かべたが返事はなかった。

 しばらく時間はかかったが、家でも、ずいぶん言動がよくなったようだ。お母さんの連絡帳で、そのことを知ると、家での変容も、学級全員の前でほめた。

 そう。叱ることはほめることと一体にしなければいけない。アフターケアだ。叱って、せっかく言動がよくなったのに、それは当たり前のように扱ってしまい、なんにもほめないとしたら、それは、元へ戻るのも早いというものだろう。

 最後に独り言。
 けっきょく、きびしいのかきびしくないのか、読者の皆さんは、どう受け取られたかな。


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この記事へのコメント

1. Posted by くるみ   2006年06月12日 09:16
 「叱らない」ことは「叱る」ことよりずっと労力がいりますよね。まず、子ども達をよく見ること、そして子ども達の成長の暁にはしっかり声かけをする準備が常に必要ですものね。ともかくゆっくりゆったりした心が必要です・・・。そして、それは、失敗や間違いが沢山あってもだいじょうぶという無言のメッセージにもなっているのではないでしょうか。こんなに忙しい世の中で理解されないことがあってもある意味不思議ないのかもしれません。
→続く
2. Posted by くるみ   2006年06月12日 09:16
→続き 
私は、頭ではわかっていても中々できません。  以前、他の保護者の方から、私の子育ては甘い、というようなことを言われました(今でも時々)。確かにそういう風に見えたのでしょう。そして、toshi先生のように「叱る基準」がしっかりしていないので、揺らぐ時があるから尚更なのだと振り返ります。
 でも、これからも、ゆっくりゆったりを心がつつ、「徹底的にやること」も必要な時には、毅然とした親でありたいと思いました。 
 
3. Posted by aoisora33   2006年06月12日 19:21
子どもの心を決して見捨てないという包容力があってこそ活きてくる「厳しさ」だと感じました。
叱責された子どもというのは、
「先生に嫌われたんじゃないか」
「見捨てられてしまうじゃないか」
という不安を、大なり小なり感じるのではないか、と思います。
なので、きっと、嬉しかったでしょうね、Aちゃん。
今日は私も子どもたちの一員になったような気持ちでお話を聞かせていただきました。


4. Posted by toshi   2006年06月13日 04:00
くるみさん
 「あまい」と他人から言われても、子どもに問題性がなければ、あるいは、薄ければ、それでいいのではないでしょうか。
 ああ。間違えました。問題性は多少は誰だってありますよね。問題性もすばらしい言動もどちらもあるのがふつうだと思います。それなら、いいのではないかという意味です。
 ほんとうのところは、他人はなかなか分からないものだと思います。そして、長い目で見て、子どもの心が育っていると感じれば、そのままでいいのだと思います。
 そう。失敗や間違いがあっても大丈夫と子どもが感じれば、子どもの言動の明るさが、際だって違ってきますね。
5. Posted by toshi   2006年06月13日 04:15
わたしも子育てした者として、家庭と学級とでは違うと思ったのは、学級は30〜40人の子どもがいるわけですので、誰かはすばらしい言動をしているわけです。その子をほめて、その言動が波及効果をもたらすわけですが、家庭では、「第三者をほめる」手法がほとんど使えませんので、もろに立ち向かわなければなりません。
 それで、やはり、怒ったり叱ったり、期待をもろに口にしてしまったりするわけです。
 それと、学級は仕事ですので、きちんとしていますが、家庭は生活そのもので、酒も飲みますし、夫婦関係もありますし、やはり、叱る基準は、いい加減になります。これもやむをえないと、楽観していました。
 ただし、我が子とのつながりが、しっかりしているかどうかは、常に気をつけていました。子どもの表情、言動などには注意していたと言うことです。
 すみません。長々と書いてしまいました。
 
6. Posted by toshi   2006年06月13日 04:24
aoisora33さん
 そうですね。おっしゃるような不安感はあると思います。そして、学級という場では、叱られる当事者だけでなく、聞いているその他大部分の子どものなかにも、不安感を抱く子がいるだろうと言うこともあります。今は、ナーバスな子も多いので、気をつけなければいけないと思っていました。
 めったに叱らないというのは、叱ったときの効果は大きいものがありますが、なれていないので、上記の点は特に気をつけないとという思いもありました。
 「子どもたちの一員になったような気持ちで、」とありますが、わたしも校長時代、自分の学校の教職員を見ていて、『わたしが子どもなら、あの先生のクラスに入りたいな。』などと思うこともありましたね。
 すみません。しっかり教職員を育てなければいけない立場ですのに。不謹慎ですね。
7. Posted by くるみ   2006年06月13日 09:32
 優しく温かくわかり易い言葉を有難うございます。こちらこそ、いつも度々お邪魔してコメントいただいて申し訳ありません・・・。
 家庭と学校での視点の違い・・・。ここだけは気をつける、という事以外は、「楽観する」という姿勢は家庭には大切ですね。お陰さまでわが子の心は少しずつ育っていると実感できるこのごろです。・・・ちょっぴり自信が芽生えました。
 実は、「子どもをぼこぼこにしてでも親の言う事を聞かせる」と言う方から非難されたのです。「それは違うのでは?」と思っていても正直悲しいです。 
 そんな状況ですが、toshi先生のような子どもへのかかわりが家庭でも学校でも「子どもの自主性を育む」のだと思うので、中々上手くいきませんが、子どもと共に歩む道標として大切にしようと思います。


8. Posted by くるみ   2006年06月13日 09:32
→続き 
 そして、近所にAちゃんのような子がいます。外に出てくる乱暴な言動を非難し、我が子を遠ざけようとする保護者がいることに特に胸が痛みます。先生やご両親が協力して、少しずつよくなっているのがわかります。私は近所なので、「Aちゃんのことなんだけど・・・」と相談されることがあります。その度に「長い目で・・・」と話すのです。でも、大人は、一度張ったレッテルをはがそうとしないのですね。がっかりします。
 でも、あきらめられません!長い目をもった子どもに対する深い理解ができる大人であり続けるためにtoshi先生のブログでこれからも勉強させてください。宜しくお願い致します。
 いつも長々と失礼しました。
9. Posted by toshi   2006年06月13日 20:40
くるみさん
 よかった。
 親が、我が子について、少しずつ心が育っていると実感できるのなら、他人がなんと言おうと大丈夫。
 「子どもをぼこぼこにして。」の親も、それはダメとは必ずしも言えないです。ぼこぼこにしながらも、それを上回る愛情を子どもが感じていれば、大丈夫。しかし、自主性、自発性、創造力などは、これはむずかしいでしょうね。
 Aちゃんに似た子というのは、何年生でしょう。「鉄は熱いうちに打て」。早ければ早いほど修正が簡単です。遅くなるほど、困難さがまします。
 大人のレッテル。これはまずいですね。子どもも感じますから。
 でも、少しずつよくなっているのなら、希望がもてますね。子どもの実態に遅れながらも、レッテルは徐々にはがれていくと思います。
10. Posted by piano   2006年06月13日 20:56
わたしは今年はしかることが多いような気がします。反省です。
ただ、たとえ、人権にかかわる問題でも、頭ごなしの叱責だけはさけるようにしています。例えば、一人の子どもをいじめている4人の男子たちにしかっても効き目がなかったのに、話をよく聞いてやると、すっかりなくなったことがありました。子どもを信頼し、話し合いをすることは大切ですね。
11. Posted by toshi   2006年06月14日 01:14
pianoさん
 そうですね。pianoさんのおっしゃる例は、誤解があった場合でしょうか。
 頭ごなしはまずい場合が多いでしょうね。
 ただわたしの場合は、よく吟味はしますが、分かっていてやっていると確信が持て、何度も繰り返した場合は、頭ごなしもあったように思います。
 子どもを信頼し話し合うは、ほんとうに大切なことと思います。
12. Posted by くるみ   2006年06月14日 08:39
 本当にいつも励ましていただいて有難うございます。涙がこぼれました・・・。今朝も笑顔で登校する我が子に改めて「だいじょうぶ」と思いました。
 また、「ぼこぼこにしてしまう親」のこと。学校側は、こういう親には距離を置いていること(トラブルがあってもすぐには言わない)。そして、子どもも、ちょっとしたトラブルなどが起こったとき、「お母さんにだけは言わないで」と懇願するところを目撃したこと。学校、親、子どもの関係がどうも「?」だったので、私自身激しく混乱していました。
 でも、toshi先生のご経験からわかることを伺ってやっと安心しました。きっと、彼らも「だいじょうぶ」なんですね。よかった。
13. Posted by くるみ   2006年06月14日 08:52
 近所のAちゃんに似てる子は4年生。1年生のときから色々事があるようです。
 大人たちの彼に対する否定的な発言を聞くと、怒り、悲しみ・・・。そして、すごく嫌になってしまいます。「何故、守るべき子どもをそこまで貶めるのか・・・。」
 でも、彼も確実に前進している、これを「よすが」に近所のおばちゃんスペシャリスト?を目指す私は、息子と同様「だいじょうぶだよ」という想いを持って見守りたいと想います。
 根性ないので、すぐ嫌になる情けない母ですが、これからもtoshi先生のブログで気持ちを強くしていきたいと改めて想いました。
14. Posted by toshi   2006年06月14日 22:13
くるみさん
 ううん。うなってしまいました。
 「ぼこぼこにする親」の件ですが、何となく、見えるようです。
 学校が距離を置いているとのこと、「お母さんだけには言わないで。」ということ、これはちょっと気になります。
 ひょっとしたら、いえ、なんか、すごくその子がかわいそう。そんな思いがしました。
 Aちゃんに似ている子については、これはもう、まわりの大人の問題ですね。これから、いくらでも変容していく子どもなのですから、また、親ががんばっているのであれば、それこそ、大丈夫ですよ。繰り返しますが、まわりの大人の暖かさを期待します。
15. Posted by 高校教師@コロラド   2006年06月18日 05:49
初めまして。いつも読ませていただいています。
「きびしさ」と「やさしさ」は、教育においては同義になってしまうのような気がします。

僕はアメリカで教職の道を選びました。この国は「褒める」ということを重点においているので、生徒に注意するとき、言い方に気をつけるようになりました。決して叱らず、決して甘やかさず。この2つのバランスを取るには、まだまだ経験が必要だな、と思います。
また勉強しにきます。(このブログを僕のリンクに加えてもよろしいですか?)
16. Posted by toshi   2006年06月18日 18:05
高校教師@コロラドさん
 すごい道を選ばれましたね。アメリカで教員をされているとは。これまで、外国にある日本人学校の先生からコメントをいただいたことはありますが、現地校の先生から初めていただきました。
 わたしも大いに勉強させてください。
 ほめる教育ということ、よく分かります。我が地域でも、英語教育を10年以上も前から採り入れ、外国人講師が週1日きますが、ほんとう、一つ一つの発言に、グッドと声をかけ、賞賛の意味の握手もよくしますね。日本人だと、障害児学級だけですね。ふつう級でも、ほめる教育は大切と言っているのですが、なかなか教員がなじめないようです。
 リンクの件、ありがとうございます。わたしもさっそくリンクさせていただきます。
17. Posted by つぼみ   2006年06月24日 20:33
さきほど、「人はミスをする」にコメントを入れたのですが、なぜか入っていないようです。
また入れてみたいと思いますが、もし二つ入ってしまったら、申し訳ありません。

何を教えたいか、許せないことは何か。
そこをはっきりさせることが勝負ですね。
先日志水先生の「学力を育てる」を読みましたが
その中で書かれていた小学校の取り組みの一つでもありました。

心していきたいと思っています。
18. Posted by toshi   2006年06月25日 06:39
つぼみさん
 すみません。
 どうも、ライブドアブログは、反応が鈍かったり、一時消えてしまって、また復活したりということがあるようです。
 コメントが0のままの表示で、ないのかと思うと、あったりして、こまったものです。
 したがって、過去の記事に対するコメントに気づかないでいることもあります。できるだけチェックはしていますので、どうぞ、これに懲りず、よろしくお願いします。

 許せないことというのは、教員それぞれですね。教員の人間性の反映ですから、個性的であっていいのですが、あまり違いすぎるとやはりまずいですね。特に人権問題などは、意識の共有化を図る必要がありそうです。
19. Posted by 中田   2009年04月21日 15:18
褒める子育て、数年前に確か書籍化されていたのを見たことがあります。
うちの母などは、褒めてばかりじゃ、つけあがって駄目になると言うのですが、そうは思いません。
(実際、当時「褒めない子育て」と言う本を買ってきて、読んでいて、非常に複雑な思いでした笑)

家庭では、間取りにこだわっています。
口うるささも大事ですが、
環境も重要だと思います。
自分で何でも出来るようになりなさいと突け離すよりも、
小さい頃から、
背の高さに合わせて、ものを整頓してやり、
一緒に出したり、片付けたりして、
生活の中で自然と整理整頓、私物の管理ができるようになりました。
また、読書も、読みなさいと言うのでなく、
リビングに本棚を置き、
暇を持て余すと、自然に本に手が伸びるようにしたり、
食器棚は、お茶碗と汁椀を100均ケースに入れて、子供でも安全に出せるようにしたり、
とにかく、口うるさくならずに済むには、
どうしたら良いだろうかと考えて今に至ります。

廊下を走るな!と生徒に言うのでなく、
廊下に絵本コーナーを作ったことで、
その場で本を読む子供がいて、
自然に廊下を走る生徒が減っていったというのを
本で読んだことがあります。

ダイレクトに子供に注意するよりも、
ちょっと違う手法で、
一見、やり方が遠回り、間逆なのではと思われることも、
結果的に、効果が絶大な事例は多いと思います。

正に自主性を育むということです。
規律厳しく、叱って、注意して…と、これも一時的には効果があるでしょうが、
自発的に体得したものは、大人になっても、
倫理観として心の中に宿るものではと思います。








20. Posted by toshi   2009年04月21日 21:24
中田さん
《うちの母などは、褒めてばかりじゃ、つけあがって駄目になると言うのですが、そうは思いません。》
 基本的に、ほめる子育ては大切です。それによって、子どもの自己肯定感、向上心は育まれます。
 しかしながら、ほめるとつけあがるという現実があることも事実でしょう。
 それはほめ方に問題があるからです。ご褒美がそれにつながることはあるでしょうね。信頼感に欠けているなかでほめても、そうなるでしょうね。
 ようするに、『ほめる子育ては基本だが、そこに問題が何もないということはないのであり、ほめることによって問題が浮上するようだったら、その時点で対応を考えましょう。』ということだと思います。
《口うるさくならずに済むにはどうしたら良いだろうかと考えて今に至ります。》
 これも大切ですね。用意周到、未然防止の心構えだと思います。これが学校とか社会とかであれば、危機管理につながる発想だと思います。
 ほめる教育について、わたしがかつて勤務した学校においても、教員間で物議をかもしたことがありました。その記事のURLを本コメントのHN欄に貼り付けましたので、よろしければごらんください。『認めてもらいたい欲求』という記事です。

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