2006年06月17日

みんなちがって、かわいそう?(2) わたしと小鳥とすずと4

26095ef5.JPG 初めに、まだ前記事をお読みでない方がいたら、お断りしたい。
 本記事は、前記事の「みんなちがって、かわいそう?」をお読みいただいたうえで、お読みいただければ、幸いです。

 

 ああ。詩っておもしろいな。

 いろいろな解釈が成り立つ。

 作品は、作者のもとを離れた瞬間から、鑑賞者のものになるという。したがって、解釈はいろいろでいいのだそうだ。
 もっとも、『小鳥も、わたしも、走れない。』は間違いだが。

 今はそう思う。


 でも、前回の記事に対するコメントをいただくまでは、そう思っていなかった。
子ども自身の気づき、解釈は大切にするが、『かわいそう』につながる解釈は、間違いと思っていた。

 だから、3年生の子どもにしっくりくる詩は、どんな詩なのだろうと考えていた。

 たとえば、こんなふうか。

      小鳥が両手を広げると
      お空を高くとべるけど、
      とべないわたしは、全力あげて、
      地面をはやく走れるよ。

      すずが体をふるわすと
      きれいに音がでるけれど、
      鳴らないわたしは、きれいな声で
      たくさんな歌を歌えるよ

      すずと小鳥とそれからわたし、
      みんなちがってみんないい。

 こんな、盗作まがいの詩は、子どもの前には絶対出さないから、どうぞ、ご安心を。

 つまり、できること、肯定的な表記でいけば、『みんなちがってみんないい。』に違和感なくつながるのだと思った。


 でも、今は違う。

 みっぴさん、Hidekiさんからコメントをいただき、想いが変わった。

人それぞれ、できることもできないこともあり、それが、そのまま、『みんなちがって みんないい。』につながるのだ。

 できないことだって、『みんないい』の中味。
 今はそう思う。

 3年生が、『かわいそう』と思う中味も同じであって、だから、『かわいそう』という気持ちで思いを寄せるのも、すてきなことなのではないか。

 今は、『かわいそう』であっても、人の弱さに共感できる部分が、『みんないい』につながっていくと信じる。


 
 それにしても、がっかりさせられるのは、インターネットにのっている、この詩の授業記録の数々だ。

1、 否定形ばかりで構成されるこの詩は、『みんなちがって みんなダメ』という解釈も成り立つ。そういうコメントがあった。

2、 ほとんどの授業が、子どもを枠にはめるような、まるで受験問題を解いているような、味気ない授業だ。子どもの豊かな心情を育むといったものではない。

 
 最後に、ふれたい。

 この詩を3年生でとり上げることに無理はないか。

 もっと上学年なら、より豊かな授業が可能なように思った。


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rve83253 at 05:56│Comments(11)TrackBack(0)児童観 | 国語科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by まき菱   2006年06月17日 07:19
詩の鑑賞それ自体が、あまり易しいものではないのではと思います。
わからない言葉とか喩えとか、行間に込められた思いとか。
そんな「わからない」をとりあえず丸呑みにして、ゆっくりゆっくり消化して、そのうちにすとんと胸に落ちることがある。
読んですぐに解釈とか感想とか言われると、つまらないと思うのです。もったいない。
何日か経ったときに「ああ、そういえば・・・」と思うこともあるだろうし、「あのときはああ思ったけれど、今はちょっと違う気もする」ということもあるでしょう。本当はそこが大切なのではないのでしょうか。
ベルトコンベアーに乗らずに沢山の文章に触れるには、どうしたら良いのでしょうね。せめてフィードバックのチャンスが欲しいと思います。
2. Posted by namiママ   2006年06月17日 07:31
できることがいいことだとは思わないし
できないことがかわいそうだとも思いませんが
子どものときのストレートな解釈っていいですよね。

詩って 語感を楽しんで 触れて…
程度じゃだめですか?

解釈を押しつけずに 大人になってからまた触れる機会があったとき
ああ、私の解釈はかわいかったなあ…って思うのも
またありだと思うのです。

同じ本でも読むタイミングが違うと
全く心に響くポイントが違いますよね。

解釈に重点を置くよりも
詩の語感や意味を想像してふくらますだけ
ふくらまして(正解はなくて良いと思うんです)

それをきっかけに
また その感性で たくさん子どもたちに詩を残して欲しい。

解釈より表現を!
是非今の国語教育にはそれを望んでいます。
そして私だったらそうすすめると思います。
だから 邪道なんでしょうけどね。
3. Posted by namiママ   2006年06月17日 07:47
コメントが消えたので書いてますが間違って2度入ってたらすみません。

詩の学習って 語感や自由な解釈をたのしんで
触れる程度で良いと思うんです。
感じたことをふくらますだけふくらましたら
あとは そのモチベーションを表現につなげて欲しい。

いい詩に触れて たくさんそのときの感性で詩を残して欲しい。

解釈はそのときの気持ちや成長度合いでも変わると思います。あのころの解釈は幼かったなあ…と
振り返ることも また いい経験です。
(いい詩には人生で何度も触れますし、子どもの感性で触れたものって心の芯で覚えてますよね?)

解釈より表現に力を入れて欲しい。
たくさん書く機会を、話す機会を!
読みとりに重点を置きすぎだと感じてます。
4. Posted by Hideki   2006年06月17日 11:37
じつは、この詩の英訳・仏訳が
「みんなちがってみんないい」
英語では We are all different and all unique.
仏語では Nous sommes tous uniques et différents.
とあります。can もcannot もないのですよね。
むしろ、unique にポイントがあるように思います。

肯定形の変換は、ある意味で良いとは思うのですが、唯一そこに「自分が他者より優れているもの」を探すという、他者比較の概念が交じるのが気になります。

勉強もダメ、スポーツもダメ、大人しく、引っ込み思案で、絵も音楽も苦手…そんな「cannot」ばかりの子どもは実際に存在します。そう、うちの次男、ルイージがそうなんです。

ここで劣っていても、別のところで優れているから、良いのよ!という発想では、救われない子もいます。

実は、欠点は長所の裏返しなことも多いわけで、劣っているところを深くみつめてみると、そこに光が隠れていたりします。
5. Posted by Hideki   2006年06月17日 11:45
あと私は、こういった詩は、小さい頃から読ませて、仮に解釈が大人の思ったものと違っていても、「いろいろと思いをめぐらす」という意味で良いのではないかと思う。

大事なのは、思い・考えを深めることなので、「それは違っている」「これが正解だ」ということを教えるのではなく、「なぜそう思ったの?」「それって本当にそうなの?」「ほかにどんな変なことでもいいから別の思いは抱かなかった?」といった、思考を深める問いかけが必要なんじゃないかなぁ

それを、ノートに記録させておいて、半年後、1年後、3年後とかして、見直させると自分の軌跡が垣間見えると思うのです
6. Posted by toshi   2006年06月18日 05:03
まき菱さん
 「今は分からなくても、いつかすとんと落ちるときがある。」というお気持ちは分からなくはないのですが、そうであることもあるし、ないこともある。たぶんに頼りない部分があるわけです。
 フィードバックも大切ですが、そして、わたしなどは、子どもの問題行動に対しては、その大切さも訴えていますが、学習内容に関しては、現実にはきびしい部分がありますね。
 どうしても、今、どう指導するかが問われます。そこで、やはり、子どもの発達段階に応じた学習内容をと思うわけです。
 ベルトコンベアーにのらずに、たくさんの文章にふれるということでは、「朝の読書タイム」などを採り入れる学校がふえていると思いますが、これは、読みっぱなしになることが多いのではないかと思います。
 まあ、今後とも、さまざまな工夫が必要でしょうね。
7. Posted by toshi   2006年06月18日 06:46
namiママさん
 おっしゃりたいことはよく分かるし、そんな学習もしているつもりです。特に、この詩の単元のねらいは、『詩を楽しもう』でしたから、よけいその思いをもっていました。
 ちょっと詩の指導の一断面ばかり強調しすぎたかもしれません。
 それと、やはり、日頃、子どもの様々な思いを引き出す努力をしているかが、こうした指導でも問われると思います。詩の指導だけで、思いを豊かにと言ったって無理ですものね。
 表現力を育むことも、それに関わりますね。
 今、わたしが初任者に指導していることも、そういうことです。初任者自身も、心が開かれていなければなりません。初任者のいいものを引き出そうと努力しているつもりです。
8. Posted by toshi   2006年06月18日 07:12
namiママさん
 おっしゃることはよく分かるし、そうした指導もしているつもりです。ただ、本ブログの記事が、一断面ばかりを強調しすぎたかもしれませんね。
 それと、わたし自身が、間違いと違いを取り違えていた面がありました。この部分では、namiママさんのおっしゃる通りと思います。
 特にこの単元名は「詩を楽しもう」ですので、よけい自由な発想を楽しみたいですね。
 これ、詩の指導にとどまらないと思います。普段から、子どもの自由な発想を引き出す指導をしていないと無理ですものね。
 表現力を育むことも同じだと思います。日頃の自由な発想を促す指導をしていないと、やはり画一的な表現にとどまってしまいます。
 初任者にも、そうした指導の大切さを話すとともに、初任者自身の自由な発想も大切にして、また、良さを引き出すようにして、指導に当たっています。
9. Posted by toshi   2006年06月18日 08:18
Hidekiさん
 この詩の外国語訳があるとは知りませんでした。ユニークが強調されているとのこと。いいなあと思いました。勉強になりました。ありがとうございました。
 お話とは別ですが、日本語を習っている外国人がこの詩を読むと、3年生と同じような読み取りをするかもしれないなどとは思っていました。
 「大切なのは、思考力を深めることであって、〜。」はほんとうにその通りと思います。
 記事のテーマと違ってしまうので特にふれませんでしたが、この授業の前半は、読みたい子や全員で音読し、それぞれの音読の強調点の違いを契機として、読みを深め、詩を味わう学習をしていました。
 そうしたなかで、記事に書いた点が浮き彫りになったのです。
10. Posted by toshi   2006年06月18日 09:16
 肯定感を育むことは、自己実現、自己肯定感の育成と関係し、現在の学校教育で大切にしていることですので、ちょっと、ふれたいと思います。
 現在の子どもは自分自身になかなか自信がもてないという指摘が、よくなされます。それは現場としても感じることなので、お互いにお互いの良さを認め合い、それによって自分に自信が持てるようになることをねらい、指導している教員は多いと思います。
 わたしはよく言うのですが、「跳び箱7段とべる子が、3段が4段になった友達のことを喜んであげられる。」そういう学級作りを目指しています。
自己肯定感の育成と、友達の進歩を喜び合える雰囲気作りは一体と考えていますので、おっしゃるような、優越感、劣等感と結びつくことのないように、教員は留意しなければいけないでしょう。
 
 
11. Posted by toshi   2006年06月18日 09:30
Hidekiさんがお子さんのことをおっしゃったので、わたしは何とも言えないのですが、でも、これまで、わたしは、何ともその子の良さが見えないケースでも、それを見つけるために、全力を傾けたことはお伝えしたいと思います。
 これは、わたしの例ではないのですが、1年生のかん黙児で、その子の良さがまったく分からない。6月になって、担任は、その子が、友達の、虫を世話している様子をじっと見つめているのを見て、「あっ。Aちゃんは虫が好きなのかな。」と言うと、かすかに、うなづいた。そこで、虫を接点としてその子の把握に努めた結果、けっこうしゃべるようになり、思いを伝えてもらうことができるようになったという実践例もあります。
 わたしたち教員は、そういうことにも、全力で取り組まなければいけません。

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