2006年07月01日

橋本龍太郎氏の訃報に接し、3

 今日、橋本元首相の訃報を聞いた。

 謹んで哀悼の意を表します。


 今日の記事は、教育ブログでありながら、教育の問題ではありません。申し訳ありません。

 と言うのは、橋本氏のテレビにおける話で、忘れられないものがあるので、それを記し、ご冥福をお祈りしたい。


 ほんの数年前のことである。有識者などの年金未納問題がとりざたされているとき、彼が話した内容に、衝撃を受けた。

 以下、記憶のなかにある彼の言葉を記すので、正確さには欠けるが、おっしゃっている意味は合っているはずだ。

「年金の未納問題で、世間をお騒がせして申し訳ないが、年金の大切さについて、意外と世間に知られていないことがあるので、お話ししたい。

 約60年前に長期にわたる戦争が終わったのだが、その間、軍人、軍属が数百万人戦死された。これは大変な数である。
 平和な時代なら、彼らは、戦地へ赴くこともなく、平和な家庭を築き、今頃は、お孫さんに囲まれて心豊かな暮らしをされていたはずである。ざんきに耐えない。

 そして、それだけの方々が戦争で命を落とされたということは、それに見合う数の女性が、本来なら、平和な家庭を築き、お孫さんに囲まれていたはずの方が、結婚の機会に恵まれず、不本意ながら、独身生活を続けられたということでもある。

 その方々は自ら独身生活を望まれたわけではない。時代の宿命と思い、結婚をあきらめた方々である。

 そうした女性が、60年たった今、80代、90代を迎えられている。そのなかには、孤独で、身よりもなく、ひっそりと生活されている方も多いはずだ。

 その方々にとって、年金は何よりも大切なものである。どうか、年金を支払う年代の方々は、そのことにも思いをいたし、ご理解を賜りたいものである。」

 だいたいこのようなお話だった。


 橋本氏の上記の話で思い出したことがある。

1. 人口ピラミッドなるものがあるが、わたしが若かったころ、実に印象深かったのは、上記世代は男性が極端に少なかったことだ。はっきり統計に表れていた。これはショックだった。戦争の悲惨さをつくづく感じた。
2. 上記世代は、まさにわたしの両親の世代だ。そう言えば、当たり前のことだが、わたしの年齢層は出生数が少ない。男はみんな戦場にある。赤ん坊が生まれるわけがない。そう。だから、わたしの年齢層の父親は、病弱、軍需産業従事者、学校の教員などに限られるのだ。
3. 逆に、わたしの年齢より2〜4歳下は、ベビーブーム。父親層が戦場から帰ってきたことによる。わたしの小学生当時、わたしの学年は4クラスなのに対し、3学年下は、確か9クラスあった。
4. ベビーブームばかりが話題となり、その裏にある上記側面はまったく認識することがなかった。申し訳なかったと思うと同時に、橋本氏に目を開かせてもらった。
5. あらためて、戦争の後遺症は、60年たった現在も、尾を引いていることを認識する。こわいことだ。

 また、橋本氏は、話を未婚女性に限られていたが、これは、既婚者のなかにも同様の例があると思う。式だけ挙げて、あわただしく出征したなどという話も聞いたことがあるからだ。


 最後に一言。今は、小、中、高に、総合的な学習の時間がおかれている。上記テーマは、小学校では無理だろうが、中学、高校なら、追究していいテーマだろう。受験教育に追われている現状があるかもしれないが、このような学習を、腰を据えて行ってほしいものである。


 ああ。冒頭に、今日は教育の問題ではないと書いたが、やっぱり教育の話題となったね。

 繰り返すが、橋本氏のご冥福をお祈りします。


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rve83253 at 20:33│Comments(5)TrackBack(0)むかし | 平和教育

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この記事へのコメント

1. Posted by 森知   2006年07月04日 00:21
年金を介して人と人の繋がりに思いを馳せる授業は、学年が上がる程必要なものと思います。しかし、進学校では、「うちは、受験だけではない」と言いつつ、有名大学への合格率を競っています。10代の大切な時期にコミュニケーションをとる能力が育まれず、他者との関係が希薄になっているようです。進学校の教諭の多くは、学習への動気づけのために、「夢を持とう」と働きかけます。夢を持つ事は悪い事ではありませんが、他者の存在をどう位置付けるかという観点なく働きかけるのです。「夢を」と働きかけるより、他者との関わり、地域との関わりを踏まえた夢が大切に思います。個人のみが幸せになるような夢は夢に値しない事を大人は教えなければならないのではと考えておりますが、先生のお考えに近いでしょうか。。。
2. Posted by toshi   2006年07月04日 05:26
森知さん
 貴重なコメントをありがとうございました。
 わたしが、うすうす危惧していた進学校の実態が、少し分かったような気がします。
 もう、森知さんがおっしゃっているとおりと思いました。「他者との関わり」なくしての夢は、結局むなしいものになるでしょうね。進学の夢は果たし得ても、その先は不安だらけとなりますね。
 わたしは、小学校では直接的なふれあいによる豊かな人間関係の構築をねらい、中、高では、それも含めますが、年金に象徴されるような、直接目には見えない他者理解をねらうことが大切と思います。
 現状の受験教育の弊害が、はっきり表記されているように思いました。
 ありがとうございました。
わたし、次回の記事に、森知さんのコメントを使わせていただきます。ご了承ください。お読みいただければ幸いです。
3. Posted by まき菱   2006年07月04日 11:13
最近、小5の息子と「大人になるってどういうことか?」という話をしました。
「大人になるってことは、社会を支える側になることだよ。」と話しました。
社会と「ありがとう」で繋がっていく為に、責任や義務を厭わない大人に育ってほしいと思います。

自分に力をつけるのは、自分と他人を支えられるようになる為です。決して自分だけが良い思いをする為ではありません。
また、力を目指すことは悪いことではありません。優しく正しくありたいと思ったら、力は必要ですから。
皆で幸せになる為に、強くなる。努力して力をつける。そうあってほしいものです。
4. Posted by 森知   2006年07月04日 16:49
toshi先生、ご回答ありがとうございます。「中高では、直接目には見えない他者への理解」という、お言葉にジーンと心に来ました。本当に大切な人間の日々の営みとおもいます。

また私のコメントを使ってくださること、ありがとうございます。嬉しく思います。
5. Posted by toshi   2006年07月04日 23:14
まき菱さん
 コメントを読ませていただいて、
 「情けは人のためならず」ということわざを思い出しました。
 わたし、長い間、このことわざの意味を誤解していたのです。最近、よく、ことわざのほんとうの意味をテレビなどでやりますよね。それで初めて知りました。恥ずかしい限りです。
 人に情けをかけるのは、決して人のためにではない。自分のためなのだという意味ですね。
 社会というものはそういうものなのですね。
 それをねらって情けをかけるのは邪道ですが、あくまでそうせずにはいられないという心情でやるのだと思いますが、結果的には、自分に返ってくるのですよというのは、ほんとうだと思います。
 そう。まき菱さんがおっしゃるように、そういうことができる「力」でありたいですし、制度であってほしいですね。

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