2006年07月22日

育つ初任者(6−2) 子どもが創る授業5

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 本日の記事は、昨日の続きである。

  育つ初任者(6−1)

 小学生の保護者の皆さんが子どもだったころはなかった学習が、今はとり入れられており、その授業風景を掲載したいと思い、一昨日記事にした。

 この記事で、一番に言いたいことは、『子ども主体の学習』をいかに保障するかという点である。

 授業終了後、初任者に言ったことの続き。

「本時、先生が子どもに指示したことと言えば、授業の最初に、
『さあ、今日はみんな着替えを持ってきているはずだよね。それでは着替えてください。』
と言ったことと、
『先生。カブトムシを砂場に持っていっていい。』
と聞かれたのに対し、
『ええっ。今日は砂場でいろんなものを作って遊ぶのでしょう。それはダメよ。』
の2回だけじゃなかったかな。あとは先生が指示したことって、なかったのではないか。」
「はい。そう言われてみれば、そうですね。」
「すごいよ。子どもの思いだけで、授業が進んでいった。しかも、何していいか分からないという子は一人もいなかったね。終わったとき、みんな汗をびっしょりかきながらも、満ち足りた表情だった。」

 さらに話を続けた。要約すると、以下のようになる。

1. 子ども主体の学習を通して

 造形遊びは、子どもが、材料の特徴を感じ取るなかで、活動に合った材料や用具を選び、想像を広げながら、体全体の感覚を働かせて取り組む活動である。
 また、友達の表し方のよさやおもしろさを楽しむなど、いろいろな人やものに豊かに関わり合いながら、遊び性を発揮して自分の思いのままに楽しむ活動である。

 したがって、担任は、助言したりヒントを与えたりすることはあるものの、基本的には活動の選択権は子どもにある。

2.造形遊びの指導観が他教科へも

 わたしは、こうした考え方は、他の教科においても大切にしなければいけないと思う。

 話は変わるようで変わらないのだが、担任の多くは、終わりの会などで、『明日の予定』を話すだろう。だいたいは、担任が、
「明日の1時間目は、○△です。△×の学習をしますよ。」
などと話しているのではないだろうか。

 それに対し、子どもが、
「先生。明日の社会科は、△×の学習問題をやるのだよね。ぼくね、いなかのおじいさんに電話して聞いたの。教えてくれたよ。だから、明日は、発表するのが楽しみなんだ。」
などと言うようになったら、これぞ、まさに、子ども主体の学習と言えよう。

 今の学校教育は、決してただ単に知識・技能の習得を目指して行われるのではない。学び方・生き方の教育も視野に入れ、その力を身につけさせることもねらう。

 近年、学力低下論に押され、教育の本質を見失いがちな傾向があるのは憂慮に耐えないが、こうした、現代の教育の方向性は見失いたくないものである。

3. 遊び性を発揮して

 おもしろいのは、この学校の教育課程に、『遊び性を発揮して造形活動を楽しむ。』とあることだ。『充分遊ぶこと』が重要な学習内容というわけだ。

 本授業の題材名にしても、『砂場で遊ぼう。』だ。
そう。『遊び』である以上、十分遊びに浸らせたい。思いのままに活動してこそ、子どもの創造性、美的感性、表現力などが培われる。

 逆に、子どもがしらけるケースもある。子どもの思いそっちのけで、担任がやらせてしまっている場合だ。

 一生懸命授業をしている担任には失礼だが、思わず笑ってしまうことがある。
日直が言う。
 「これで、『○△遊び』の勉強を終わります。礼。」
 一礼した子どもたち。そのあとすぐ、
「やったあ。休み時間だ。遊べる。」
 こう言って跳びはね、校庭へ向かう。これでは単元名が泣こうというものだ。

 体育でも、似たような例はある。遊び性を大事にするために、低学年では、技の一つ一つに、いろいろな名前がつく。

 鉄棒だ。
「さあ。みんなお布団になってね。布団干しだよ。」
そう言って取り組ませながら、やめるときは、『はい。やめっ。』と言ってしまう。『布団干し』はどっかへ行ってしまった。

「はい。お布団をしまいましょう。」
と言えば、遊び性は持続するのになと、残念に思う。

4. 本時、子どもたちは、充分、楽しんだ。

 水を遠くから運んでは、池、川、海に見立てた。別々につくっていた山と川が合体して一つになったりした。気持ちよい肌触り。高い山を築いた満足感、それも友達と力を合わせたからこそ、完成したのだ。
 また、ふだんけんかの絶えない子が、担任が感動するような『譲る心』を見せた。これも、こうした学習のなせる技か。
 
 蛇足だが、この場合の『協力』『譲る心』も、立派に、『学力』ですよ。

 これらは、担任の、子どもを受容する心、認める心、一人一人をじっくり見守ろうとする心、適切な言葉かけなど。そうしたものがあってこそ、初めて育つ力と言えよう。

5.一人一人の子どもの個性がにじみ出る。おおいなる変容も

 「砂は汚いからさわるのはいや。」という子がいる。その子が友達の楽しむ姿を見て、『自分もやってみよう。』と思う。そして、砂への意識を変えていく。
 
 『育つ初任者6−1』に書いた『水を貸してやろうか。』は、『小学校初任者のブログ』に書いた、『いじめ発生』のいじめられた子である。
 それに対し、『うん。ありがとう。』はいじめた側の子である。
 両者が、一緒のグループで活動する。そして、協力体制が見られる。ここに、担任の感動が見られる。ただし、この件については、今後の『小学校初任者のブログ』に譲ろう。

 ふだんの生活のなかでは、すぐきれる子もいる。そういう子は、トラブルになったとき、みんなで築き上げた山を、怒りにまかせてくずしてしまっても不思議はない。

 しかし、本時、そういう子も、終始にこにこしながら、友達と協調し、完成するとこぼれるような笑顔を見せた。

 最後に書こう。

 わたし、この初任者に、90点と言った。(95点でもよかったかな。)
2つの点につき、問題点を指摘しよう。

1. 授業の初めの方で、
C「よごれちゃうよ。」
と言う子がいた。
T「そりゃあ、よごれるよ。砂だもん。」

 これはいただけない。
T「そうかあ。一生懸命つくっているから、よごれるのだね。着替えを持ってきてよかったね。」
などと言ってやりたい。そうすれば、受容、共感的な受け答えは、万全となった。

2. 授業の終わりに、『仕上げましょう。』の声。
T「はい。もうそろそろ終わりです。仕上げに入ってください。」
と言った。

 造形遊びは、完成しなくてもいいのだ。何回も言うようで恐縮だが、「思いのままにつくることを楽しむ」のがねらいであって、創る過程が大切なのだ。
仕上がらなくてもいい。

 また、活動によっては、輪をくぐるとか、寝ころぶとか、創ったもので遊ぶという活動があってもよい。
 本時も、つくった砂のスロープで、ビー玉などを転がすなどという活動があってもよかった。
 もちろん子どもの発想によってだが。


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皮肉なもので、『酷暑のなかの授業』を記事にしてから、とても涼しくなりました。
でも、それまでが、ずっと暑かったものね。6月は、例年以上に水泳指導ができたようです。

涼しくなったのは、異常気象の梅雨のせい。被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。


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rve83253 at 11:38│Comments(16)TrackBack(0)指導観 | 図画工作科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by 夏子   2006年07月22日 21:47
私は幼稚園教諭をしているものです。
「砂場遊び」は幼稚園では子ども達が日常楽しんでいる活動ということもあり、興味をもって、拝見させていただきました。

幼稚園での、日常が小学校では授業になるのだな・・と
幼稚園では「遊び=学び」ですから、
砂場遊びを通して子ども達に何を与えられるのか、それを考え、環境を構成し、教師は援助を行います。
人間関係を豊かにしていくという点にねらいをおけば、スコップなどの用具の数を、あえて減らし貸し借りが起こる状況を作ったり、遊びを発展させる為に、樋を準備したり・・・。この、初任者の先生がどのような環境設定をされたのかも、興味があります。

幼稚園でしたことを、小学校で授業として行っていることに少し違和感も感じました。そういうことを授業としてしなければいけないのだな・・・と。

小学校の授業のことを全く知らないものの、感想です。


2. Posted by toshi   2006年07月23日 05:54
夏子さん
 むかし、幼稚園の新任教諭の研修会に呼ばれたことがあります。懐かしく思い出しました。
 小学校も、『○△遊び』は、多くの教科にありますが、皆、それらは、「遊び=学び」です。同じですね。
 ただ発達段階がありますから、同じ活動をしても、同じにはならないでしょう。
 そういう意味で、小学校、保育園、幼稚園は、交流し合う必要がありますね。
 我が地域では、こうした交流が活発です。わたしも何回か幼稚園の授業を見たことがあります。幼稚園というのは、ほんとうにいろいろあるのだなというのが実感でした。
 子どもの心を育むことに重点をおいている幼稚園から、知育重点の幼稚園まで、小学校とは比較にならないくらい、バラエティに富んでいますね。
3. Posted by 漢字は苦手   2006年07月23日 18:38
学びと遊びについては異論はありません。
Toshi先生のお立場上このような記事になってしまうことは理解できます。
ただ、陰山方式も考える学習方式も新しい学習観についても否定はしない保護者の立場として、今回の記事には納得できないものがあります。
仕事の上で多くの高校生の話を聞く機会を持っています。北海道から九州まで数多くの高校生から話を聞いてきました。
彼等は一様にこう言います。
小学校ではあまり勉強らしい勉強をしなかった。
高校受験を終え、大学受験あるいは社会に出る一歩手前にあって、彼等の考えることは、もっとちゃんと勉強をしてほしかったということなのです。
小学校ではゆとりをし、中学に行けば目の前に高校受験という試練があります。否応なくテストの点数で評価される世界です。
Toshi先生、学校ってなんでしょう。
学校でどろんこ遊びをして、放課後子ども達は何をしているかご存知でしょうか。
4. Posted by 漢字は苦手   2006年07月23日 18:51
続きです。
母親達は子供をのびのびと遊ばせたいのです。
でもそれは学校の授業の中でではなく、休み時間であり、放課後のことなのです。
学校で国語、算数の時間が減り、泥んこ学習がなされ、それが母親達に何をもたらしたのか。
塾であり、公文であり、チャレンジであり、私立受験だったのです。
公教育において、どこの国が学校で泥んこ遊びをさせているのでしょう?
子供を集めて遊ばせている国がこの地球のいったいどこにありますか。
公教育でまともな学力が身に付けてもらえない、それが、お金で学力を身につけるというこの事態を招いたのです。
学力の二極化、これは今の公教育、公立小学校、中学校の教育が引き起こしたことです。間違いなく。
Toshi先生、私は先生の暖かい心のあるこのブログのファンです。ですから今日のこの記事には、なおさら悲しく思います。
大人が本当に考えなければ、この国は終わります。
5. Posted by くるみ   2006年07月23日 23:20
 長くなってしまいましたので、私のブログの記事をコメントとしたいと思います。
6. Posted by Hideki   2006年07月24日 22:04
こんにちは

私は受験戦争世代、そう詰め込み教育をうけてきました。
Toshi さんが進めてられる、この教育は、
私がうけてきたものとは全く違います。逆のもの。

だから、理解できない、

だって、教えは、伝染していくものですから。
自分が受けてきた教育を、良しにつけ悪しきにつけ基本にして考えますから

理解しろという方が無理です。

問題は、いまの小学生・中学生の親が、
私と丁度同じくらいの教育環境で育ったということ

だから、理解できない親が多いと思う
自分がやってきた「教え込み」「詰め込み」を教育と信じている

「学び」とはなんなのか
私達が本当に考えなければいけないとこに来ていると思う

そんな世代の親の一人である私がいうのも変ですが
Toshi さん、
がんばってください。

今回の記事は、
これからの日本に非常に大事なことを、
私たち親の世代に教えてくれていると私は思います
7. Posted by にしこ   2006年07月25日 06:58
私は難しいことはよく分かりませんが、この図工の学習は『造形遊び』を通して『色々な人とうまくやっていく社会性』を学べるように思います。
だから、子ども主体でやることが重要であったのかなと…
普段は好きな人や気の合う人と遊んでいる子どもが、気の合わない人ともうまく関係を築いていくのは大事だと思うのです。

それは、私の理想なのかもしれませんが…。

それと、かなり個人的な意見ですが、こういう学習は障がいのある子も交流しやすいので嬉しいです。
最近、息子は算数の交流が出来なくなってきています。
8. Posted by aaa   2006年07月26日 01:44
興味深く拝見しました

砂遊び

小さい頃、よくやりました。

私は田舎の出なので
日常に、こういった「遊び」はあふれていたように思います。

私はここから学んだことがたくさんあります。
人間関係を作っていくスキルは
遊びの中にありました。
失礼な発言かもしれませんが、
私は小学校で、教室で学んだことはほとんど覚えていません。
9. Posted by toshi   2006年07月26日 12:01
漢字は苦手さん

 すごい論理の展開に、初めは、頭がくらくらっとしました。
 でも、今は、落ち着いています。
 誤解があるようですね。と言っても、別にわたしへの誤解ではなく、今の教育に対する誤解です。
 国は、保守的とか、権力的とか、いろいろ言われますが、こうした『造形遊び』をとり入れたのも、国なのですから、国には、けっこう、先見の明もあるとも言えそうです。
 もっとも、わたしだって、学習指導要領のすべてに賛同するものではありませんよ。
 漢字は苦手さんの誤解された(と、わたしが感じる)部分は、次回の記事にまとめさせていただきたく思います。どうぞ、ご覧ください。
10. Posted by toshi   2006年07月26日 12:05
くるみさん
 さっそく、貴ブログ(りんごのたねを育む本棚)を読ませていただきました。
 大変光栄に思いました。わたしの言い足りなかった部分を補足してくださったように思いました。
 『そうだ。わたしの言いたかったことは、そういうことなのだ。』
 そんな思いで読ませていただきました。
 漢字は苦手さんにも、ぜひお読みいただきたいと思いました。
 ありがとうございました。
11. Posted by toshi   2006年07月26日 12:14
Hidekiさん
 ありがとうございました。Hidekiさんからいただいたコメントで、冷静になることができました。
 もうおっしゃる通りですね。
 冷静に今の教育観について、説明しなければいけませんね。
 また、教育観はしっかりしていても、実践がついていけない現実も多々あると思います。後は、マスコミの変な扇動もありますね。
 だから、誤解されてしまうのだなと、今は思えるようになりました。
 その部分、反省も踏まえながら、次回記事にまとめさせていただきたく思いました。
 今後とも、よろしくお願いします。
12. Posted by toshi   2006年07月26日 12:25
にしこさん
 もうおっしゃる通りです。
 豊かな人間関係の構築には、どんなタイプの人とも、その人のあるがままを認めて、それでもって、仲良くできる力も、含まれています。
 もちろん、障がいのある子とのふれ合いも大事にしたいです。
 前、豊かな人間関係の構築は、人がいるだけでは、むずかしい。そこに物が介在すると、物への対処の仕方を通して、交流の必然性が生まれ、人間理解が深まっていく。
 そんなことを書いたことがあります。
 砂も大事な介在物ですね。
13. Posted by toshi   2006年07月26日 12:38
aaaさん
 《私はここから学んだことがたくさんあります。
人間関係を作っていくスキルは、遊びの中にありました。》
 もう、記事にも書きましたが、『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という、長い題名の本を思い浮かべられる素敵なコメントをいただきました。
 小学校の授業も、同様でありたいと切に思うのです。
 わたしは、戦後の新教育・華やかな時代に小学校生活を送りましたので、もう、60歳を過ぎましたが、けっこう自分が受けた小学校の授業を覚えているのですよ。学習に必然性、切実感があったからだと思います。
 その辺は、12月22日、社会科学習への誤解(3)と題し、記事にしていますので、よろしかったらご覧ください。
14. Posted by toshi   2006年07月26日 16:03
ご覧の皆様へ
 13番、aaaさんへのコメントの最後に書きました、12月22日、社会科学習への誤解(3)は、この14番のわたしの名前toshiをクリックしていただければよいようにしました。
15. Posted by minorin   2006年07月26日 22:31
 一母親として、大変興味深く拝読させていただきました。この担任の先生のように、子供たちの力を引き出せる大人でありたいと思いました。
 小学校入学前の、公園遊びや幼稚園・保育園で「人生に必要な知恵」をもっと身につけられる過ごし方をできれば、小学校で泥んこ遊び、水遊びを通した授業は必要ないのかもしれません。小学生になってからでも、放課後や休日に、思う存分自分の責任で自由に意欲的に遊べる環境、時間があったらと願っています。そうではない現実の今、小学校での体験授業(?)は、子供たちにとって、大切な学びなのだろうと感じます。たった一度の経験の記憶が、生きていく上での貴重な支えになったりすることもあると思うからです。
 このブログを通して、私ももっと学んでいきたいです。
16. Posted by toshi   2006年07月27日 03:41
minorinさん
 この実践は図工の例ですが、今、低学年の教科である生活科でも、似たような活動はけっこう行われています。
 野性体験などという言葉があるかどうかはわかりませんが、我が地域では、木登りをしたり、崖すべりをしたりして、そのなかで、友との人間関係を豊かにしたり、創意工夫する力や危険度を察知したりする力を養ったりしています。
 わたしは生活科の誕生も、minorinさんがおっしゃるような、幼児期の生活環境の変化と、深く関わるような気がしています。

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