2006年07月27日

充実した学習を(1)5

 2年生の初任者の実践を2度にわたり記事にしたところ、多くの方からコメントをいただいた。

 授業時間を使っての造形遊びは問題だというもの、こういう実践を必要とする今という時代背景を書かれたもの、こういう実践こそこれからの学校が大事にしていかなければいけないとするもの、

 ほんとうに多岐にわたるコメントをいただいた。ありがとうございました。

 今回は、これらのコメントを受けたかたちで記事にさせていただく。

 というのは、Hidekiさんからいただいたコメントに、『受験戦争、詰め込み教育のなかで育った、今の保護者世代は、こういう造形遊びのような授業をなかなか理解できないのではないか。』とあったからだ。

 さて、どんな授業か、先の記事をお読みでない方は、まず、そちらからご覧いただければ、ありがたい。

   7月20日    育つ初任者(6−1)造形遊び
   7月22日    育つ初任者(6−2)子どもが創る授業


 冒頭の問題視するコメントは、漢字は苦手さんからだった。

 これについては、今の教育に対するいくつかの誤解と、今の学校教育の反省点とがあると思うので、その辺を解き明かすことから始めたい。

1.漢字は苦手さんは、『学びと遊び』については、理解できるとおっしゃる。だから、『遊び時間や放課後ならいいが、授業時間を使うことはないではないか。』ということなのだろう。

 それは、こういうことだ。

 子どもは遊び心に徹する。
しかし、教員は、子どもをしっかり見取る。子どもに刺激を加える。
賞賛も、受容も、励ましも、ヒントも、たぶんに即時即場的ではあるが、授業の見通し、ねらいなどについて言えば、意図的、計画的な活動である。

 それによって、子どもは遊びの気分でいながら、自然に、豊かな人間関係、豊かな感性、創意工夫などの心が養われることになる。

2.『わたしの立場』とあるが、わたしは、情熱を傾けて、この実践に当たる初任者の指導を行った。自らも大変重要で意義のある授業だと思っている。

 なお、念のため、教科書を見てみた。

『土って きもちが いい』のタイトルのもと、『はだしで土の上を歩いたよ。』『水をつけると固まった。』などの表記が、土とたわむれる子どもたちの、笑顔の写真とともに、あった。

3.漢字は苦手さんは、『多くの高校生の話を聞く機会をもっている。』とおっしゃる。そして、彼等は一様に、『小学校では、もっとちゃんと教えてほしかった。』と言うとあった。

 わたしには、その高校生たちが、どういう気持ちでそう言ったかは分からない。しかし、想像することはできる。

 それは、こうした造形遊びを授業中にやったからではない。

 こうした造形遊びの時間、子どもを遊ばせっぱなしにして、担任の営みが何もなかったからではないか。あるいは、ただ子どもと一緒に遊ぶだけで、授業にとって大切な意図的、計画的な営みが薄かったからではないか。

 くるみさんも、ご自分のブログでおっしゃっている。くるみさんは家庭の問題として書かれているのだが、『自主性を育む前に自主性に任せるという大義名分のもと、結果的に野放しのような状態になっていないか。』
 これは、そのまま、学校の問題でもある。そうならないようにという願いも込めて、わたしはこのブログ記事を書いた。

 そう。こうした、放任、ほったらかしでは、確かに、休み時間や放課後と変わらない。『授業時間を使ってまで。』と非難されても、反論の余地はない。

 『造形遊びのような授業は、どのように行ったらよいのでしょう。』という初任者も多い。これは、今の初任者の子ども時代もなかったのだから、やむを得ない。
 そうした初任者に、少しでも、理解していただければという思いもあって、記事にした次第である。

4.漢字は苦手さんは、わたしが記事にした実践の、担任と子どもとの心を通わすやりとりについて、その教育的意義を、何も認めないのであろうか。

 賞賛、受容、共感、・・・、そうしたやりとりが、子どもの心を豊かに育み、それが、将来の学び(もちろん今も学んでいるが、)に、よい影響を与える。それを信じてほしい。

 『ゆとり』の意義も認められないようだが、これは、そういう世論がいっぱいだから、やむを得ないと思っている。ゆとりが、学力保障につながるのだということについては、すでに詳しく書いた記事があるので、それをご覧いただければありがたい。

 この点については、先ほども述べた、くるみさんが、ご自分のブログ『りんごのたねを育む本棚』で、具体的に記事にされた。大変、勉強になった。すばらしい記事だ。わたしは多くを学ばせていただいた。
 あとで詳しくふれる。

5.『公教育において、どこの国が、泥んこ学習をやっているか。』とある。これはわたしには、分からない。本ブログにリンクしてくださっている米国コロラド州の新米高校教師のコロラドさんなら、分かるかな。高校の先生だから分からないかもしれないな。
 
 これについては、『さあ。分からないなあ。分からないけれど、やっているのではないですか。やっていると思いますよ。』そう答えることにしよう。

6.公教育ではまともな学力はつけてもらえないとおっしゃる。これについては、申し上げたい。
 公教育は、断じて受験学力は養いません。受験はやはり進学塾へ行っていただくしかないでしょう。公教育は、低学年の造形遊びも含め、真に人間性豊かな子どもの育成をめざし、そういう学力を身につけさせることをねらい(もちろん基礎・基本と言われる部分も大切にしていきますよ。)、がんばっていきます。

 しつこいようですが、現状の公教育に幾多の問題があるのは、認識しています。それについてなら、甘んじて受けなければならないし、反省しなければならないし、そして、またまた、くどくなるが、わたしがブログを出す意味も、まさにそこにあるのです。

7.学力の二極化については、すでに記事にしたことがあります。リンクさせますので、ご覧ください。
 別に公教育が引き起こしたわけではありません。ただし、今の社会に学校も含める視点で批判なさるならば、これはまったく正しい。



 さて、そこで、何人もの方がふれてくださっている、『社会の変化に伴い、子どもが子どもらしく生きる環境が破壊されている。』という部分について、わたしとしての見解を書きたい。


 わたしは先の記事に、保護者の皆さんが子どもだったころはなかった授業として、造形遊びを書かせていただいた。しかし、こういう趣旨なら、もっとふさわしいものとしては、生活科をあげなければならない。

 生活科は、図工以上に、子どもの遊びをとり入れている。『自然の物でおもちゃをつくり、遊ぼう。』『秋と遊ぼう。』もう、『遊ぼう、遊ぼう』のオンパレードだ。

 また、これは、『遊ぼう』とは関係ないが、近年、公的交通機関をほとんど利用することなく、小学生になってしまう子もふえつつある。

 子どもの生活経験が不足しつつあるのは、残念ながら、事実のようだ。

 そういう時代の公教育だからこそ、むかしのようにはいかないという側面は、やはりあるだろう。

 ここで、Minorinさんがお寄せくださったコメントを引用させていただく。

『小学校入学前の、公園遊びや幼稚園・保育園で、「人生に必要な知恵」をもっと身につけられる過ごし方をできれば、小学校で泥んこ遊び、水遊びを通した授業は必要ないのかもしれません。小学生になってからでも、放課後や休日に、思う存分自分の責任で自由に意欲的に遊べる環境、時間があったらと願っています。そうではない現実の今、小学校での体験授業(?)は、子供たちにとって、大切な学びなのだろうと感じます。たった一度の経験の記憶が、生きていく上での貴重な支えになったりすることもあると思うからです。』

 まったく同感だ。特にコメントの最後については、とかく、『授業という限られた時間のなかでは、どんな体験をしてもたいして意味はない。』という論も聞くので、力づけてもらった。


 最後に、くるみさんのブログ、『りんごのたねを育む本棚』(心と学問と生きる力)から、長文を引用させていただきたい。

『このように、低学年で、自らの心と身体のエネルギーの発露としての学びの場を体験することで、強くしなやかでそして柔らかで豊かな心が育つ。

 そのエネルギーの発露を体験するということは、心と身体で喜びや楽しさ、充実感という気もちを持ち、自らも周りからも認められるという自己肯定感につながるのだと考えます。

 そうしてはじめて、次のステップに移るものと思います。

 次のステップとは、時には、辛抱強さ、根気,苦痛を伴う学問の世界へ入ったとき、かつて心と身体で学んだ実体験と学問が結びついたとき子どもたちは飛躍的に伸びることと信じて疑いません。

 そして、そのとき、必ず師や仲間の存在による「学び合い、認め合い、高め合い」があるからこそ、人とのつながりが心の杖となり、生きるための原動力となるのだと思います。』


 くるみさん。くるみさんは、別にわたしのために書いたのではないですよね。でも、すごく励まされました。ありがとうございました。

 そう。子どもにとっては、生きている今、どんな年齢のときも、今。その今の充実が大事です。今が充実し、満ち足りたものであれば、次のステップには、きわめて自然に、順調に進むことができます。

 次のステップのための準備期間などと位置づけるのは、邪道です。

 ただし、小学生の時期、算数はどうだっていいと言っているのではありませんよね。
これについては、『道草学習のすすめ』で、こだまさんが、子どもの心を育むなかで、算数を楽しく学ぶという学習のあり方を、いつも書かれています。それだからこそ、着実に身につくのだということですね。
 わたしも学ばせてもらっています。


にほんブログ村 教育ブログへ

 ああ。今日は、熱っぽく語ってしまいました。リンクもたくさんさせてもらいました。今、充実した疲労感があります。
 これからも、ともに、歩んでいただけると、うれしいです。

 それでは、すみません。今日も、1クリックお願いできますか。

人気blog ランキングへ
 
   (2)へ続く。

rve83253 at 15:46│Comments(48)TrackBack(0)教育観 | 自己啓発

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by うさ   2006年07月27日 23:38
はじめまして。いつも、頷きながら読ませていただいています。子ども3人、知的障害者施設職員をしています。
病中なので長く書けず失礼します。

学校の授業で、虫取りやザリガニ釣りなどをすることに多少の疑問を持っていました。(造形遊びに関しては図工的な立場はわかりませんが…)
このようなことは私の子達が通った保育園では日常的にしていることです。『仲間の存在による「学び合い、認め合い、高め合い」』があり、さらに充分に遊びきって、仲間との関係も作れるようになって学校へ上がる。
学校ではどんなことをするのだろうと、わくわくして上がった学校で、今迄と同じ遊びをし(もっとも時間的にも制限されて)アレッ?と思うのです。
(つづく)
2. Posted by うさ   2006年07月27日 23:39
(つづきます)
多分そういうことをしてこない子ども達が、多いのかもしれないのでその子たちにはもちろん必要なのでしょう。でも先生方はなぜ、幼児期にフラッシュカード、文字や英語、算数をするより、こういう育ちをしてきて欲しいとおっしゃらないのでしょうか?
本当に子ども達の『自らの心と身体のエネルギーの発露としての学びの場を体験することで、強くしなやかでそして柔らかで豊かな心が育つ。』ことを、先生方は大切だと思っていらっしゃるのでしょうか?
「先生方」を、ひとくくりにするつもりはないですし、学校で「遊ぶべきではない」とも思いませんが、近所にできた保育園のチラシを見ると文字・英語・九九をし、園庭を見れば外遊びが少ないので芝生がきれいにそろっているのを見ると、不思議な気持ちです。
3. Posted by こだま   2006年07月27日 23:52
こんばんは!

今回の記事の内容、まったく同感です。ただ、私が残念に思うのはむしろ学校の塾化の傾向です。昔に比べて、徹底反復が大流行ですから…。

どろんこ遊びや造形遊びが学力の養成にダイレクトにつながっているのは、私の中ではもはや常識すぎて議論の余地のないところなのですが、問題はそのことをどう説明していけば、理解して頂けるのか。そこが一番の課題です。

「問題を多く解かせれば、学力を養成できる」という考え方をなんとか転覆させようと目論んでいます。正直な気持ち、3割削減どころか、私なら問題を解く量に関して言えば、9割削減しても、一向に構わない、いえ、そのほうがもっともっと学力はつくと本気で思っています。

過激なコメントですいませんでした。m(_ _)m
4. Posted by Hideki   2006年07月28日 01:28
一点、謝らなければいけないことがあります。
私は共通一次施行の翌年に大学受験をした、
その意味では詰め込み教育真っ盛りのど真ん中より
ちょっと早い世代という方が正確かもしれません。

つまり、勉強、勉強、また勉強…と溢れるばかりの
記憶作業勉強を強いられたのは、中学・高校時代なんです。

小学校時代は、勉強なんか、そっちのけ
遊びまくっていました。

中学のときも、勉強はかなりやりましたが、
TVで受験の為に徹底合宿塾、なんてのが取り上げられる度に
甚だしい嫌悪感を感じ、反発し、忌み嫌ってきたんです。
だから、学習塾には、小中高と一切行きませんでした。
全部、自力…参考書の自力学習とZ会などの通信教育でやってきたんです。

5. Posted by Hideki   2006年07月28日 01:28
それでも、中高の勉強は、暗記と反復が中心で、
決して面白いものではなく、はやく「大学合格して開放されたい」ものでした。
事実、大学では一切勉強はしていません。

そして、それは今でも「勉強はつらくつまらないもの」として深く染み付いています。

私が勉強の面白さを実感したのは、
社会人になってずっとあと、
自分の興味ある道として「マーケティング」に気づいて、
ビジネススクールに自腹で通い、自分が変化する喜びに気づいたとき
やっとその時に、学ぶ面白さを知ったようなものです

6. Posted by Hideki   2006年07月28日 01:30
そういった背景の中で、今ふりかえってみると、
小学校時代は、勉強なんかほとんどやらず、
遊んでばかりいました(良い時代だったと言えるのかなぁ)。

そして、そんな小学校の授業の中で、今思い起こすと、
なかなか独創的な授業をしてくれた先生がいたんです

その先生は、授業のカリキュラムを「(たぶん)無視」して
午前中の授業時間をつぶして、私達に他のことをやらせたんです。

・荒城の月を、全パートにわたり縦笛で覚えさせる
  …勿論、コーラスパートは編成分け
・ある課題曲を決めて、合唱練習させ、
 最後はレコーディングしてコンクールに応募する
・クラスを2つに分けて、2時間くらい大サッカー大会をやる
・クラスで文集、歌集をつくる
・クラスで一つの版画屏風をつくる
  …1枚の下絵を大きくして、40等分して版画製作して組み合わせる

7. Posted by Hideki   2006年07月28日 01:30
朝、先生が「今日は外で合唱練習だ」というと、みな大喜び
うちらのクラスだけ、良く校庭で合唱をしてました

そうそう、これは休日だと思うけど、クラスで山登りもいきました
岐阜城のある金華山。370mくらいの小山だけど、結構急峻な登山道があります。

非常に楽しく、とても創造的になれて
しかも、他人と一緒に物事をつくりあげてことを
自然に学んだ「授業」だったと、今でも思っています

実は、この「授業」は、ぼくらのクラスだけでした。
つまり、とても特殊な、異端なものだったんです。
今から思えば、良くあの先生は実行し切ったな、と
感心すらします。

骨のある、先生だったと言えるのかな

8. Posted by Hideki   2006年07月28日 01:30
Toshi さんが今回仰る、創造力と自主性を養う授業とは
ちょっと違うのかもしれません。

でも、今でも印象に残っていて、そしてそれを「良かった」と評価できる
「わくわく」がいっぱいある、授業だったんです。

私見ですが、「学び」には「わくわく」が絶対に必要だと思うのですよ
それがあれば、多少の苦しみ・つらさは、
ポジティブに乗り越えられるんです
でも、「我慢」ばかりが先に立つだけだと、
結局はいつかは行き詰るのだと思う

  −うぅ、長文ごめんなさい−
9. Posted by こだま   2006年07月28日 13:43
こんにちは!
昨日書いたコメントを読み返してみると、かなり誤解を産む部分が多いと思いましたので…。

>どろんこ遊びや造形遊びが学力の養成にダイレクトにつながっているのは

ダイレクトはいいすぎだったかもしれません。だけど、このような体験を十分に行っていないと、勉強の基本知識を理解できないということが最近ますます痛切に感じられます。

あと「9割削減」も大袈裟でした。だけど、問題量だけでしたら「7割削減」してもらいたいです。だけど、履修内容は増やしても構わないと思います(矛盾しているように思われるかもしれませんが)。解く演習量が気になるだけですので…。

HIdekiさんの「わくわく」。とても大切ですね。キーワードだと思います。
10. Posted by toshi   2006年07月29日 07:14
うささん
 ご病気とのこと。
 早く快癒されますよう祈念しています。
 わたしの方も、今、妹が病いにあります。お互い、健康には十分留意したいですね。

 前にもどなたかにコメントしましたが、幼稚園、保育園は、ほんとうにいろいろです。わたしは、かつて、幼稚園の初任者研修(こう言ったかどうかは忘れましたが、)に臨んだことがあります。
 幼稚園の先生が、自分が就職した園の方針に、悩んでいること、そういう事例があることを実感しました。
 それは、うささんが最後にご指摘になった保育園のような園と言って差し支えないでしょう。
11. Posted by toshi   2006年07月29日 07:23
1.基本的には、日本は民主主義国家ですから、いろいろあっていいのです。特に幼稚園は、民営が多いので、ニーズがあれば、そういう園は、人気が高まるでしょう。
 2.でも、うささんがおっしゃるように、子どもの育ちに何が大切かということの研修は、大いに積み重ねなければなりません。
 3.少なくとも、わたしの地域では、幼保小の連携は盛んで、毎年、数回の研修会を実施し、交流を深めています。わたしも何回も園の授業を見てきました。
 そういう場で、知育偏重の園は、激しく批判の目にさらされますよ。きびしい意見が相次ぎます。
 4.でも、全国的に見るとどうなのでしょう。前々記事でも、幼稚園の先生からコメントをいただきましたが、どうも交流はされていないように読みとれました。
 
12. Posted by toshi   2006年07月29日 07:32
5.ただこれは私見ですが、たとえ、園で、うささんがおっしゃるような活動が盛んに行われたとしても、だから、小学校では必要ないとはならないような気がします。
6.造形遊びは、今は、高学年まであります。ただし、これは、図工的なねらいがあるので、今論じているような、自然体験の不足というテーマからははずれるでしょう。
7.ほんの一例ですが、幼児の時期にできないような、大木の木登り、崖滑りなど。そういったものは、やはり、学童期が適切でしょう。学童期だからこそ発揮される能力、それは運動的能力もあるし、創意工夫などの思考力もあると思います。その年齢に合った活動があると思います。

13. Posted by toshi   2006年07月29日 07:39
そう。むかし、都会でも自然が豊かだったころ、わたしが子ども時代は、こうした遊びは、幼児期から学童期まで持続していましたから、そういう意味でも、小学校の授業も、こうした学習を採り入れるべきではないでしょうか。
 ただ、うささんがおっしゃっているのは、幼児期でもできるようなことを小学校でもやっているということかとも思いますので、この辺はやはり、地域ごとに、幼保小の交流が大切でしょうね。
 
 うささんがおっしゃるように、先生方もいろいろです。お互い、知らなさすぎる現象があると思います。先の幼稚園の先生も、小学校の生活科で何を学ばせているか知らないようでした。
 全国的に、こうした交流を盛んに行うようにしなければいけないなと、今回改めて、そう認識させていただきました。

 ついでながら、これは、小中でも、当然言えることです。全国的にはどうなのでしょうか。
14. Posted by toshi   2006年07月29日 07:47
こだまさん。
今の学校現場は混乱していますね。これは、国にも言えることです。
 ゆとり教育をすばらしいものとして実践し始めたところ、数年のうちに、学力低下論が渦巻き、訓練的な学習が復活してしまいました。
 学習指導要領、教科書などは、『ゆとり』的に書かれているなかでの、訓練的な学習です。大いなる矛盾ですよね。
 一つ、学校現場の自信のなさが現れているような気がします。学力低下論に反論できない。だから、それにあおられ、あたふたしてしまうのでしょうか。
 もっと自信を持ちたい。『わたしたちは、生きる力、学ぶ力も含め、しっかり学力を育てているぞ。子どもは意欲的に学び、これだけ楽しく学習している。学力検査の結果もこうだ。』
 自信を持って説明できれば、市民の皆さんも納得してくれるはずですよね。
 そういう関係を築きたいものだと思います。そういう関係を築けるくらいの実績を上げたいものだと思います。
15. Posted by toshi   2006年07月29日 08:00
ああ。こだまさんもおっしゃるように、個人の力って限界がありますね。なかなか、ジレンマからはい上がれません。
 一つ。民間企業の新製品開発のような、目覚ましい、誰にでも見える成果とかに、なかなかならないのが教育現場であるとも言えそうです。
 そうか。逆に、百マス計算、音読主義、ちょっと前なら法則化。飛びつきやすい安易なものばかりが流行しては消えていきますね。(消えていくでしょう。)
 ああ。主唱者は安易ではないのでしょうね。流行が安易なのです。
 でも、お互い、そのなかで、まず足下から、がんばっていくしかないですね。
 わたしもがんばります。
 
 再度のコメント、よく分かりました。
16. Posted by toshi   2006年07月29日 08:11
Hidekiさん
 どうも、Hidekiさんは、わたしが初任だったころの教え子と同じ世代のようです。そして、すでに記事にしたように、わたしの初任校は、公立でありながら、受験教育推進校(?)でしたから、Hidekiさんのおっしゃること、よく分かるような気がします。我が地域でも、似た傾向はありましたね。
 むかしの教員は、今と比べれば、一匹狼的。よく言えば、個々の裁量にゆだねられていた。そんな感じです。管理的ではなかったのですね。
 受験教育推進の教員と、子どもの思いで学習を進める教員とが隣り同士の教室にいて、まったく水と油のようなことをやっていても、教員の熱心さ、ひたむきさが伝われば、世間はそれを了としていた。そんな時代だったと思います。
17. Posted by toshi   2006年07月29日 08:21
学習には、「わくわく」がたいせつとおっしゃる。この部分ではまったく同感です。こだまさんもその大切さをおっしゃっています。
 こだまさんへのコメントに付け足す形になりますが、
『公教育の自信のなさ』
 それを解消するためには、最低限、このわくわく感さえあれば、保護者は、『ゆとり』に納得してくれるのではないかとさえ思います。

 話は変わりますが、金華山。懐かしいです。わたしも一度行きました。昭和50年代の後半です。
 そのとき、全国小学校社会科研究協議会岐阜大会なるものが行われ、わたしは、大垣市の小学校を参観に行きました。すばらしい授業で、今でも、けっこう記憶しています。
 今度、折を見て、どんな授業だったか、思い出にあるものを掲載しますね。それこそ、わくわく感がありましたよ。
 6年の社会科、歴史です。太閤検地を扱いました。それこそ、算数的な要素もありましたので、こだまさんにも、喜んでもらえるのではないかな。

 蛇足。でも、これとても、一匹狼ならぬ、『一校狼』だったのかもしれません。
18. Posted by うさ   2006年07月29日 23:19
Toshiさん、ありがとうございます。子育てにも仕事にも、健康を損なっては充分な事ができないことを痛感しています。(体調が悪いといいながら長くなって恥ずかしいです)

私の文の最後の保育園の園長の話を聞く機会がありましたが、親のニーズという言葉を盛んにおっしゃっていました。
19. Posted by うさ   2006年07月29日 23:21
確かにうちの子が行った保育園は無認可から認可になり、方針を選んで入っていた人ばかりから、当然そうでない人も増えてきました。その人たちにもだんだん理解してもらう努力は大変なもののようです。(無認可時代は学校の先生が選んで遠くから通って来ていたのですが、最近は学校の先生は選んで来る事がないようです。)
20. Posted by うさ   2006年07月29日 23:21
5、6で、おっしゃる事、そうですね、私は図工が苦手でしたので(創造力に欠ける)造形的なものはイヤでしたが、大切な事と思います。
7でおっしゃるように、学童期の活動として野山で遊ぶ機会が難しい中で、「プレーパーク」などの活動が都市公園で行われていますが、私も地域でプレーパークを作る活動に参加しています。また、小学生から中・高・大生の混じったキャンプをするおやこ劇場などにも子どもが参加するなど、かなりそれなりの努力が必要な時代ですね。

Hidekiさんの「わくわく」からとってもすてきな、感覚がよみがえります。私にも本当にわくわくした授業があったのを思い出しました。そして、入学の数日前に、自分の名前と家族の名前だけひらがなを覚えて学校に入った我が子が毎日ウキウキ学校に通っていたのを思い出しました。
21. Posted by toshi   2006年07月30日 05:50
うささん
 すばらしい活動をなさっていますね。
 野性味ある公園がいいですね。
 わたしの地域では、巨大な倒木がそのままになっていたり、子どもが滑り降りるのにちょうどいい傾斜の崖があったりして、そんな所で、低学年の子が思う存分遊ぶ、そんな研究授業をやる学校もあります。
 たぶん、ただ遊んでいるだけではないか、こんなのが研究授業かと思って見ている教員もいるのではないかと思います。
 担任と子どもの関わり、子ども同士の関わり、そういうことを中心に見てもらえればいいのですけれどね。
 今の子どもにしても、そういう場さえ与えれば、思う存分自然と戯れて遊ぶことができますけれどね。もっとも、なかなか遊べない子もいる訳で、そういう子が、挑戦するようにして遊び出すと、うれしいものです。
 また、皆さん、けっこう、子ども時代の授業のいい思い出がおありなのも、うれしく拝見させていただきました。
22. Posted by くるみ   2006年07月30日 07:20
気後れしてしまいました。
今頃のコメントお許しください。

toshi先生の記事が呼び水となって私自身も一気に
今までの想いをまとめて明文化したように思います。このように取り上げて下さり、お恥ずかしい
限りです・・・。

そして、多くの方が寄せたコメント、とても勉強に
なりました。

人は他者を通して自己を見つめる。そして自我を確
立する・・・こんな話を聞いた事があります。そこ
には「学び合い・認め合い・高め合い」という心の
根っこの関わりが存在すると思うのです。

23. Posted by くるみ   2006年07月30日 07:22
→続き
これは、私の反省からも言えることです。
今回の記事の根っこにはこの反省があります。

今、子どもを持つ親は、心配でならないのだと改めて
感じました。子ども達のことを想う気持ちは同じ。

同じ時代を生きる子ども達を支える親同士、そして、
大人たちがスクラム組んでがんばりたい、切にそう思います。

長文失礼しました。

追伸:前のコメント、改行がおかしいですね。
重ねて失礼しました。

24. Posted by toshi   2006年07月30日 21:21
くるみさん
 気後れなんて。・・・。なんか申し訳ありません。引用させていただきましたが、ちょっとやり過ぎたかな。でも、うれしかったのです。
 繰り返し、ごめんなさいね。
 こうしてブログを始めたことによって、いろいろ学ばせてもらっているなという思いには、強いものがあります。
 わたし自身、見方が広がったという思いがあります。どう書けば、皆さんに分かってもらえるか。そう思うことがふえてきました。
 今回も、Hidekiさんから、受験教育世代、詰め込み教育世代の者にとって、今の教育を分かれと言われても無理と言われると、『ああ、そうだなあ。』と、改めて思いました。
 まさに、『他者を通して自己を見つめる。』ですね。『学び合い、高め合い、認め合い』は、決して子どもだけのことではなさそうです。

 
25. Posted by 高校教師@コロラド   2006年07月31日 02:48
こんにちは。

アメリカでは「泥んこ学習」というのはありませんが、ティームワークを勉強するような形の「遊び」は体育の時間やアートの時間を使ってやっています。

こっちの小学校には「生活科」はなく、「社会科」という中で、生活科でやっているようなことはやるようです。
つづく。
26. Posted by 高校教師@コロラド   2006年07月31日 02:50
昔小学校で実習した時(本当は小学校の先生になりたかった)、学校探検の単元がありました。学校の地図を書く、ということを目標にして、注意事項として、「時間は1時間、その場所にあるものを壊したり、もってきてはいけない、ということと、その場所にいた先生やスタッフの皆さんと握手をしてサインをもらってきなさい、と言っておきました。

あとは学生の自主性(遊び心)に任せて、自分たちでやってみなさい、先生は教室にいます。困ったことがあったら、戻っておいで。と言って、自分は教室のドアのところで待機してました。(もちろん先生方には担当教諭を通じて許可をもらってました。)
つづく。
27. Posted by 高校教師@コロラド   2006年07月31日 02:55
1時間して、学生が大きい模造紙を校長先生からもらってきて(この指示はしてません。本当はグループでやらせようと思っていました。)、みんなで校舎の平面図を作り始めました。「北はどっち、南はどっち?」、「この部屋は何年生の教室?」、「図書館の中に物置があったよ。」とか・・・。
まだ、疑問に残るところは、見にいったりして、確認。人に聞いたりして。

子供が一生懸命取り組んでいるところに、僕の居場所はありませんでした(笑)。でも、時間だよ、って言ったら、今度は「先生、学校の周りはどうなの?」とか、見方を広げていったのには感動しました。
つづく。
28. Posted by 高校教師@コロラド   2006年07月31日 03:04
確かに、僕の実践も泥んこ学習も、学力につながる教育だとは思いません。でも、子供にとっては楽しかった以上に、いろいろ勉強になったと思います。このクラスは問題がまったくなく、平和でした。それは、みんないい関係、友達だったからだと思います。そういう意味で社会性を育てるという意味で、学校教育の中でこういう時間は必要なのではないか、と思います。日本と違いアメリカは人種差別などがあり、その点を考慮しなければならないので、遊び学習は人種などを取っ払って、一番いいものだと思いました。
この学生達、今年9年生(高校生)になります。懐かしい思い出です。
29. Posted by toshi   2006年07月31日 05:16
高校教師@コロラドさん
 うわあ。アメリカの情報を入れていただいて、ありがとうございました。
 泥んこ遊びはなくても、『遊び』はあるのですね。言われてみれば、分かる気がします。
 また、生活科はなくても、社会科のなかで、生活科をやっているようなものというのも、分かるような気がします。
 この辺は、近いうちに記事にさせていただきますね。
 
 コロラドさんは、ほんとうは小学校の先生になりたかったとのこと。なられればよかったですね。
 自分は先生になるなら小学校と思う部分がありました。一言で言えば、『鉄は熱いうちに打て』の気分に魅力を感じていたこと。
 もう一つは、子ども主体の学習ができるという気持ちもあったからです。
 でも、アメリカなら、受験体制とは違って、高校でも、豊かな学習ができるのかもしれませんね。もしそうなら、高校だけに深く専門的で奥行きのある学習ができるでしょう。
30. Posted by toshi   2006年07月31日 05:52
実習とは言え、いい授業をやられましたね。まさに子ども主体の学習です。きっと指導教官がいい実践をなさっていたのでしょう。
 コロラドさんのこの記事も、示唆に富んだすばらしいコメントです。わたしの想像力を大いに広げてくれました。
 アメリカには人種差別がありとありますが、日本だって、『いじめ』の問題などは、まさに差別の意識と似たものがあり、問題の本質は変わらないでしょう。
31. Posted by 漢字は苦手   2006年07月31日 16:08
記事、拝読いたしました。
はじめにコメントしたように、遊びと学びに付いては異論はありません。子供は十分楽しんで、その時間を無駄にはしていません。
そのことは一行の中に書いています。
「二十四の瞳」は勿論お読みになったことでしょう。あの時代、教師は精一杯頑張った。しかし、結果、教え子達は戦場に行き、命を失った。
教育というのは時の権力に利用されます。何が正しいのかではなく、何が都合がいいのか。
ゆとり教育が何を目指したものなのか私は知りません。
国が子供の幸せを目指したのか、他のことであるのか。
32. Posted by 漢字は苦手   2006年07月31日 16:30
続きです。
今の時代はこうだから、これからはこうでなければという考えにも異論はありません。
子供に足りないもの、人間性の育成に大切なことを教えていこうという考えは正しいと思います。
しかし、それでも敢えて異議を申し立てたのは、教育システムを変えずにこのままゆとり教育が続くのであるならば、教育格差、格差社会は助長され、学校の先生はそれに加担することになるということを伝えたかったからです。
Toshi先生は6でこう書いておられます。公教育で受験学力をつけることは目的ではない。
そう私が言いたかったのはこのことなのです。
学校の目的はなんでしょうか。今のように99%高校に進学する時代、高校受験に対応できる学力は公立学校でつける必要はないのでしょうか。
お金のないものは高等教育を受ける権利が無いのでしょうか。


33. Posted by 漢字は苦手   2006年07月31日 16:51
もう一つ、子供の心に対する重大な問題があります。
いわゆる学力をつける場が学校ではなくなることの危険性です。
塾でやるから学校では遊びでいい、のような気持ちを子供に植え付けるのではないのか。
塾で学ぶ機会を持つ子とそうでない子の間に思いやる心が育つのか。
教師がつける評価は実は塾でつけた学力に対するものであり、意味をなさなくなるのではないか。学校で精一杯やっている子にフェアな評価となるのかということです。
保護者会ではゆとりを賛辞しながら、放課後必死で家庭学習に励ませる母親と、遊ばせてくれる先生と、お金で学力を買えるこの社会を、子供たちはどう見ているのか。
Toshi先生には「はだかの王様」になってほしくありません。
34. Posted by Hideki   2006年07月31日 22:03
あまり横から槍を入れるのも何ですが、
「学力」とは何なんでしょうか?

また、高校受験を目指すとして、
小学校に何をもとめるのでしょうか?

焦りと不安から浮き足立って、
先行学習と早期徹底教育を競いあうことで
心の安寧の拠り所をもとめた、
受験戦争の呪縛から抜け出さなきゃいけないのは、
実はわれわれ親の方なんじゃないか

良い大学に入れば、幸せになれる
そんな時代はとうの昔に終わりました

いま、子どもたちが本当に身につけなきゃいけない
「学力」とは何なのか。「ちから」とは何なのか

今いちど真剣に考える必要があると思う

そこそこの知識と学識はあるかもしれないが、
自分のやりたいことも見つけられず、
斜めからしか物事をみられない。

そのくせ、YESしかいえない。

そんな連中は、もう要らんのですよ
35. Posted by くるみ   2006年08月01日 00:47
toshi先生やみなさんのコメントを改めて拝読して今を生きる子ども達が大きな大きな過渡期にあることを痛感しました。

そして、みなさんが心から真剣に子ども達のためにあらゆる角度から現実や理想、実践と成果を、語っておられるものと感じました。

理想と現実のギャップ、確かにありそうです。これを埋める方法は・・・?と考えてみました。

ミクロとマクロの視点で考えると、ミクロ(我が子や通う学校、友達、地域)に対しては多少なりともできることはあるかもしれません。しかし、マクロに対しては、選挙に行く、教育行政への意見を出す・・・くらいしか思い浮かびません。

我が身の無力さを思い知らされますが、前へ進むしかないのですよね・・・。

36. Posted by toshi   2006年08月01日 11:59
漢字は苦手さん
 今、国には、たいした考えはないだろうというのがわたしの実感です。国は、マスコミ等のそのときそのときの論調に振り回されています。
 詳しくはまた、記事にしますね。

〜教育格差、格差社会は助長され、学校の先生はそれに加担することになるということを伝えたかったからです。〜

 漢字は苦手さんのおっしゃる教育格差、格差社会って何でしょう。受験できる人とできない人という意味のようですね。
 こういう論があることは知っています。でも、わたしは、こんなのは格差でも何でもないと思います。受験させようと思えばさせられる人でも、大部分は、受験などさせていませんよ。
 
 わたしの勤務した学校(今の再任用期間も含めて10校)で言わせてもらえれば、初任校は受験校でしたから別として、(それでも、わたしの学級は、8分の1程度でした。)その後は、どの学校でも、多いクラスが、8分の1程度、大部分は、1割にも届きませんでした。
 
37. Posted by toshi   2006年08月01日 12:12
それでも、最近、私立中学受験がふえているのは、知っています。知っていますが、半分以上が受験するなどと言うのは、きわめて限られた少数校でしかないでしょう。
 もちろん、少数でしょうが、受験させたくても、受験させられるだけの資力がないという方もいるでしょうが、それは、別途方法を考えるしかないのではないでしょうかね。
 とにかく大部分は自ら公立中学に進学するのに、小学校で受験のための教育をというのがよく理解できません。そんなことをしたら、大事な学力が身につかず、荒廃してしまうでしょう。

 
38. Posted by toshi   2006年08月01日 12:22
学力の問題は、確かに受験学力はつけないけれど、もっと大事な学力を身につけさせるために、多くの学校が努力しているはずです。遊ばせておけばいいなどという学校はありませんよ。
 そういう子どもがいることは否定はしませんが、我が地域でも、そういう子どものいる学校がないわけではないが、これはいい話題があります。やはり記事にしますね。

思いやりの心が育つのかと言われれば、すでに、記事にしました。12月13日心の教育(2)です。ぜひご覧ください。ただこの点については、多くの6年担任が苦労していることは確かです。

 担任がつける評価は、実は塾でつけた学力ではないかとのこと。これもそういうことがあるだろうということは否定はしませんが、実はさほどでもないと言いたいです。これもまた記事にしますね。
39. Posted by toshi   2006年08月01日 12:34
Hidekiさん
 そうですね。もう、学力観が大きく違っていますね。どういう人生が幸せかということについても、まったく違うのでしょうね。

 〜とうの昔に終わりました。〜

 そのようですね。今、どうなのでしょう。
 娘から聞いたことがあるのですが、今の入社試験は、出身大学を記入もさせないし、聞きもしないとのことでした。
 この点、もう少し詳しく聞いてみようと思いました。
 どこもそうなら、これはもう、うれしいことです。当然と言えば当然ですがね。学歴が仕事をするわけではありませんものね。
40. Posted by toshi   2006年08月01日 12:47
くるみさん
 前いただいたコメントに、『今の親は心配でならないのだ。』とありましたね。
 よく分かります。これも少子化の影響でしょう。進学塾はどこも、中学受験をあおっています。でも、漢字は苦手さんへのコメントでも書かせてもらいましたが、受験はふえてはいるものの、大部分の保護者は賢明な選択をしていると思います。
 ただ受験は一筋縄ではいかないのですよね。荒れている公立中学の問題もありますから、そうなると、よけい悩ましくなるでしょう。
 
 ごめんなさい。よけい悩ませてしまうようなコメントになってしまいました。
 
 ただ親が、しっかり子どもを見守っていてあげれば、大丈夫ですよ。それがわたしの結論です。
 親の悩み、不安は尽きないです。わたしの場合でも、娘2人とももう結婚しているのに、・・・です。
41. Posted by くるみ   2006年08月01日 19:37
そうですよね。ど〜んと構えてるふりして「心配」なのですよね。それが親というものなのですね。
励ましのお言葉有難うございます。

実は、息子の通う小学校は、半数近い子どもが受験という地域のようです。

4年になった途端、
「塾行ってる?」ではなく、「どこの塾行ってる?」という話題が飛び交うこともあるとか。

我が家はもちろん、行かせておりません。

今しかできないこと。夏休み満喫中です。

「去年の夏は〜だったね。でも、今年は〜〜にしようか。」と家族で「わくわく」しています。

家庭での「わくわく」も学校と両輪の輪の如く、大切。「わくわく」を共有し、家族でも「学び合いや認め合いや高め合い」ができるものと思っています。
42. Posted by くるみ   2006年08月01日 22:16
補足させて下さい。

地域も大切な学びの場ですよね。それぞれの場で、関わる人によって、その学びは違うものですよね。

バランスよく大切にして行きたいと思います。
43. Posted by toshi   2006年08月02日 05:42
くるみさん
 半数近くが受験するとのこと。
 くるみさんがどんな地域にお住まいか、分かるような気がします。
 わたしの「小学校初任者のホームページ 授業改善編 11番 道徳」、それから、サイドバーにあります、わたしのプロフィールの似顔絵および記事は、まさにそういう地域の学校で、わたしが行った授業だし、子どもの作文なのです。
 やはり一口で言って、知的に高いレベルの子が多いと思います。
 お子さんが、夏休みを満喫できるということは、幸せなことですね。今しかできないことを思う存分やらせてみてください。
 ただ、かなりのお友達が塾に行っているようですので、お子さんがそうしたお友達をどう思っているのかは、心にとめてください。
「かわいそうだな。遊べなくて。」
と思っているのならいいのですが、
「ぼくも塾へ行こうかな。」
と思っているのなら、話し合いが必要でしょうね。  
44. Posted by toshi   2006年08月02日 05:47
わざわざ聞くまでのことはないと思いますが、ふだんの言動にそういうことが感じられるのなら、気にかけた方がいいとは思います。

ごめんなさい。またまた、不安にさせるようなことを書いてしまいました。

 地域の教育力、それも、おっしゃるように、大事です。地域の方が子どものためにやってくれる行事には、積極的に参加させたいものだと思います。『大人みんなが子どもを見守ってくれている。』という感覚を子どもたちが持てれば、それは、子どもの健全育成にかなり役立つものです。


45. Posted by 漢字は苦手   2006年08月02日 19:53
Toshi先生
受験とは高校受験のことです。
今までのコメントから当然ご理解いただいているものと考えておりました。
中学(勿論中学も義務教育ですね)へ進んでから、いかに小学校の内容が大切なものなのか分ります。
そして高校受験は小学校からの積み重ねの上に成り立っているのです。
この問題に関して、もはや議論の余地はありませんね。
学校で勉強をしないことが子供から大切な時間を奪うことになっている、結果、そういうことになっているという事実があるだけです。
それでは。

46. Posted by くるみ   2006年08月03日 04:32
丁寧にお答えくださり有難うございました。

息子は塾に行ってる子は「計算が速い」と言っていて、気にしているようですが、「ボクも」とはなっていません。やはり、「どう思っているのか」に心を寄せるのは大切なことですよね。勇気付けられる想いです。

私の住む地域は、確かに知的レベルが高い子どもが多く、それは素晴らしいことだと思います。反面、そこにだけポイントを絞ってしまうと心が育たない恐ろしさがあります。

息子は幸い地域の方にも可愛がってもらっています。市民農園では、おじいちゃんのアイドル?です。スポーツでもお世話になっています。

自分の子育て、もう少し自信を持っていいように思えてきました。有難うございました。

47. Posted by toshi   2006年08月03日 06:27
漢字は苦手さん
 『もう議論の余地はない。』とのことですから、コメントする必要はないかなとも思ったのですが、すみません。
 高校受験の前提として、中学受験があると思ったものですから、すみませんでした。
 中学受験なくして、高校受験のために、小学校からという論理は、初めてうかがいました。
 これはもう、コメントの34番で、Hidekiさんのおっしゃる通りと思います。
 『遊び=学習』をお認めになっていながら、いまだに、『学校で勉強をしないことが子供から大切な時間を奪う』とおっしゃる。よく分からなくなりました。

 そうか。『常に、今の充実が大事』と考えるのと、『未来に備えての今が大事』と考えるのとの違いなのですね。たぶん。
48. Posted by toshi   2006年08月03日 06:50
くるみさん
 くるみさんは、ほんとうにお子さんのことをよく見ていらっしゃる。表面的な、できる、できないだけではなくて、お子さんの心を見つめていらっしゃる。
 今回、上記コメントだけではなく、わたしの『初任者ブログ』へいただいたコメントからも、それを強く感じました。
 よけいなことを書いてしまってごめんなさいね。

 『もう少し自信を持っていい』
 
 ほんとうに、うれしくなるコメントです。
 お母さんが、お子さんにこういう心で接すると、笑顔いっぱいでしょうから、さらによい親子関係が築けると思います。
 
 またまた、ごめんなさい。今だって充分そうでしょうね。

 

コメントする

名前
URL
 
  絵文字