2006年08月02日

初任時代の思い出4

3e2a963e.JPG 今日の話に関わる部分で、すでに記事にしたものがあるので、それもお読みいただけたら幸いである。

   1月2日   教員生活35年 

 
 もう、35年以上前のことになる。わたしの初任校は、公立小学校でありながら、受験教育推進校(こんな言葉はない。わたしが勝手に作った。)だった。

 わたしが着任する3代前のA校長が、まさにこの学校の、この状況を作ったのだった。

 A校長のときは、以下の通りだ。

1.夜暗くなるまで、希望者を対象に、受験指導をしていた。

2.6年担任は、交代で1人だけ職員会議に出席する。あとは、子どもを残したり、テストの○つけをしたり、テスト問題を作成したりしている。

3.受験する子が少ない(3、4割で少ないと言われた。)と、その学級担任は呼びつけられ、努力が足りないと叱られた。

4.研究会等への出席は認めない。そんな暇があるなら、受験指導をしろと言われた。これは、6年担任にとどまらない。だから、公立校教員としての指導法が身につかない。進学塾の指導と同じになったと言えよう。

5.越境してこの学校に子どもを通わせる家庭は、全家庭の3割を超えた。


 教育委員会は、この状況を苦々しく思っていただろう。本来の公立小学校にふさわしい学校に立て直してほしいと、その後の校長に思いを託したが、わたしが着任したときの校長まで3人。いずれもうまくはいかなかったようだ。

1. 保護者の絶大な支えがある。何しろ越境が3割を超える。

2. この教育を主体的に支える教員は、わたしが着任したときでも、少なくとも4人いた。信念を持って実践している教員がこれだけいると、大部分の教員はその影響を受ける。

3. それでも、徐々に越境は減らしていった。わたしが着任したころは、1割弱だった。

4. また、教員の異動も徐々に進んだ。ただし、当時は『希望と承諾』の時代(本人が希望しないと異動させることはできない。今は校長裁量で可能。)だから、14年たたないと異動させることはできない。(そう。当時、我が地域は、1校に最大で14年はいられることになっていた。今は、7年。)だから、校長の思うようには改善が進まない。

5. こういう学校だと、新たに着任した教員も、学校のやっていることに驚きはするものの、自分の思いを率直に語ることはできない。逆に協力させられる。わたしと一緒に着任した先輩教員のなかには、ノイローゼになった者もいた。

 わたしは新任教員。こわいものなしだった。情熱を燃やして学級経営に当たった自負はあるが、こうした雰囲気に対してはきわめてのんきだった。何しろ、休み時間も校庭は、がらがら。みんなどのクラスも、教室のなかに子どもを並ばせてノートを見たり、自習をさせたりしている。

わたしは、子どもたちに、
「校庭ががらがらだから、思う存分遊べるぞ。さあ、行こう。」
などと言って、いつも子どもと遊んでいた。
 そんなわたしを苦々しく思っている先輩教員は、大勢いただろう。しかし、直接わたしに忠告する人はいなかった。

 上記、受験教育推進の教員のなかの1人は、わたしにこう言ったことがある。
「toshiさんよ。おかしな学校へ来たと思うだろう。」
「いえ。そんなことは思いませんよ。ここしか知らないのだから。」
(陰の声・・・そんなことはない。自分の小学校時代の記憶がある。それに、父も教員だ。ここの異常さは、よく分かっていた。)
「toshiにはtoshiの思いがあるだろうが、ここに来た以上は、ここのやり方を勉強しろ。そしてな。早く自分を確立させることだ。確立させるときは、自分で自分のやり方を決めればいい。ここのやり方を身につけろとまでは言わない。」
 ほっとしたのを覚えている。

 この先輩教員は、いつも、机の下に一升瓶を置いていた。そして、勤務終了のチャイムが鳴り終わると、その一升瓶は机の上にのった。呑みながら、仕事をしていた。 また、ときどきは、
「おい。toshi。仕事ばかりしていないで、こっちへ来て呑め。」
お相伴にあずかった。彼らは、受験教育反対派、あるいは、消極派をこき下ろす(校長も含め)ことが多かった。黙って聞いていたが、おもしろくもないので、具体的な内容は今、まったく思い出せない。

 いや。一つ、思い出した。相手はそうとう酔っていたが、こんなことを言われたことがあった。

「おい。toshi。ここはな。○△の学習院と言われている学校だ。おまえみたいな初任者が来る学校じゃないんだよ。何で来たのだ。・・・。親父の七光りか。」

 一番言われたくない言葉だった。しかし、黙って我慢するしかなかった。彼らは受験指導に、自信を持っていた。間違ったことをしているなどという意識は、これっぽっちもなかったに違いない。

 わたしなどはまだいいほうだった。わたしの3年前にも、初任者が一人着任した。その先輩は、その学校にとって、ほんとうに初めての初任者だったから、わたしとは比べられないくらいいびられたようだ。

 ただ、この先輩も、時に弱気な面も見せた。

「どうだ。toshiさんよ。親父さんに言われないか。おかしなことをやっている学校だなってね。」
自分たちのやっていることに自信は持っていても、一風変わった学校と思われているという意識はあったようだ。
研究会には行かない。組合員でありながら組合にも反協力的。一種の鎖国状態だったから、無理もないか。

 この先輩の自慢は、自分が作るテストのプリントだった。受験問題を自分で考えていた。自分で考えたものとほんとうの受験問題と、いつもガリ版とろう原紙と鉄筆で作成印刷していた。

 細かい字で、びっしり書いてある。それを、国算社理それぞれ作成し、いつも机の上に山のように積んでいた。

 それをめくっては、
「さあ、今日は、どれをやらせるかな。」
にこにこしながら、問題プリントをめくっている姿は、今もよく覚えている。

「これはな。やつらだって、平均20点くらいしかとれない問題だ。」

 その他、
「教科書なんか、10時間扱いなら、2・3時間で終わりだ。後は、受験問題ばかりだ。」
「理科の実験なんかやる必要はないのだよ。こういう実験をやればこうなると、教えればいいのだ。なまじっか実験などやると、おかしな結果が出てきたりして、子どもは混乱する。」
「社会科の見学もさせない。見学などすれば、余計なことばかり子どもは着目するから、肝心なことがぼやけた印象になってしまう。」

 ああ。いくら、○△の学習院だって、公立である以上、少数かもしれないが、公立中学校へふつうに進学する子どもだっている。そういう子はどうなってしまうのだ。心からそう思った。

 そういう子のなかには、すさんだ心の子もいて、荒れた公立中学校にしてしまうのだという話は、聞いたことがある。


 
 わたしと同時に、2人の先輩教員が着任した。それ以前からの非、反受験教育派の教員もいたから、そういう教員が、『ころあいはよし。機は熟した。』と判断したのだろう。

 △○委員会なるものを組織した。これは、地域の、あるホテルの名前をとったものだ。毎月1回、職員会議の前に集まった。わたしのような初任者も呼ばれ、末席を汚した。
 
 その場では、職員会議へどういう態度で臨むかの対策が話し合われた。たぶん、中心になる教員は、校長の指令を受けていたのだと思う。

 わたしが着任した1年後、受験教育推進派は、3人が異動となり、翌年残る1人も異動となった。もちろんすべてが14年いた人たち。俗にゴロゴロと言うが、5・6年担任を7回繰り返しての満期だった。

 それから急速に、学校の雰囲気は変わっていった。


にほんブログ村 教育ブログへ

 今回は、遠い、遠い、むかしの話。・・・。でも、公立の小学校が受験教育をやるとどうなるか、その例示をしたつもりです。

 それでは、今日も、1クリックお願いできれば、うれしいです。最近、4位が続いています。すみません。どうぞ、よろしく。

人気blog ランキングへ
 
 おかげさまで、13位まで復活してきました。ありがとうございます。
 でも、今日も、1クリックお願いできれば、うれしいです。



rve83253 at 11:14│Comments(2)TrackBack(0)教育観 | むかし

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by kumama   2006年08月03日 00:53
こんばんは 御無沙汰しています。
今日の記事を読ませていただきました。
わたしの子供の学校は地域性もあり、親が主体の受験校になっています。2月のアタマに6年生は半分も登校しません。
昔は先生が主体での受験校もあったのですね。そういえば、お友達のお母様が、小学校で受験の指導を受けたことを聞き驚きましたが、(わたし達の学校は受験する子は予備校に通い、学校での指導なんて考えられませんでした。)他にもあったんですね。
どちらにせよ、極端に偏った教育は、結局子供達に負担を強います。
すべての子供にとってよい教育と言うことは難しいのでしょうが、公立の学校にはできる限りそれを目指していただきたいと、切に願います。
2. Posted by toshi   2006年08月03日 05:48
kumamaさん
 今は、むかしに比べれば、管理色(『職』ではないですよ。)が強くなっているので、全国的に見ても、こうした学校はないと思います。
 ただ、学力低下論と、それに関わっての国の政策の変化で、現場はかなり混乱しているようです。知育偏重のきらいはあるかもしれません。
 わたし、6年担任を6回やっているのですが、1人だけ、受験直前学校へ来なくなった子を経験しました。そのときのことは、かつて記事にしたことがあります。本コメントのわたしの名前のところをクリックすればでるようにしましたので、よろしければご覧ください。
 でも、半分以上が登校しないのでは、もうお手上げでしょうね。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字