2006年08月03日

アメリカと日本の教育4

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 7月27日の記事『充実した学習を』に対し、本ブログにリンクしてくださっていて、アメリカのコロラド州で高校の教員をなさっている新米教師@コロラドさんから、コメントをいただいた。

 ブログは世界への発信と知ってはいたが、そのすごさを改めて実感した。

 さて、わたしが問いかけた、『アメリカでも、泥んこ遊びは学習としてとり上げていますか。』についての答えは。

 

 アメリカにおいては、『泥んこ遊び』はないが、日本の生活科のようなことは、社会科でやっているとのことだった。


 わたしは、このコメントを読ませていただいて、ある意味、あまりにも『教科書的な答え』(いい意味ですよ。)と思い、そういう意味で驚いた。あまりにも、つぼにはまり過ぎた感じがしたのだ。


 と言うのは、日本の戦後の民主主義教育には、アメリカの影響が強くあるからだ。

  (12月19日   社会科学習への誤解(2)も参照していただけるとありがたいです。)

 ご承知のように、日本が太平洋戦争に敗れ、アメリカをはじめとする連合国の占領下にあったとき、連合国にとっては、軍国主義教育をすぐやめさせ、民主主義教育をとり入れさせるのが、急務だった。

 それまでの国史、修身などにかわり、社会科をとり入れることになった。社会科は、民主主義教育の象徴だったのである。

 
 民主主義教育を普及させる目的で、昭和21年だったと思うが、アメリカは教育使節団を来日させた。

 この使節団は、短い期間に日本各地を回って、民主主義教育の普及をはかるべく、教員、市民に、熱っぽく語りかけた。

 その使節団は、我が地域にも来た。わたしの父親は、そのとき、記録係として、講演会だか座談会だかに派遣された。そのとき、父は、31、2歳。

 父は、それをきっかけに、民主主義教育(社会科)にのめり込むこととなる。民主主義は、学習内容も大事だが、それ以上に、学び方、生き方を大事にする。そこに惚れ込んだようだ。

 バージニアプランコア・カリキュラム問題解決学習などの言葉が教育界をおどるようになる。

 いや。当時は、民主主義教育に対しての国民の期待も大きかったから、一般市民をも巻き込むかたちでの社会科の流行になった。


 話はわき道にそれるが、使節団の楽しいエピソードを2つ紹介しよう。いずれも、父が晩年になってから聞いた話だ。

1.彼等は占領下にある日本に対して、戦勝国としての横柄さはなく、紳士的に振る舞った。日本の戦前の教育についても、たたえることを忘れなかったという。

「明治維新以後、日本の教育は目覚ましい発展を遂げた。識字率は、世界に冠たるもので、日本の津々浦々まで教育は見事に普及していた。これはすごいことだ。
 ただ一時期、間違った国の指導により、皇国史観、軍国教育にのめり込んでしまったに過ぎない。
 だから、わたしたちが皆さんにすすめる民主主義教育も、大正デモクラシー(そういう言葉をつかったかどうかは分からないが、)と言われるように、日本にはすでに根付いていたものである。必ずや日本の津々浦々に至るまで浸透し、やがては、民主化された新生日本が花開くものと確信している。」
 そんな言い方だったという。

2.父は、前述のように記録係だった。
 しかし、使節団は全員アメリカ人だから、もちろん英語だ。そこで、通訳の言葉を記録することになる。しかし、通訳は教育の専門家ではない。ときどき、おかしな訳があった。
 父はとりあえずそのまま記録した。そして、使節団が帰ったあと、通訳と協議することになる。

「これは、ちょっと意味が通らない。教育にこういう言葉はない。」
「そこは、〜という単語だったから、そうか、じゃあ、こういう訳もあるな。」
「ああ。それならいい。それなら意味が通る。」
などという会話が続き、仕事が終わるのは、かなり遅くなったと言う。

 わたしはその話を聞いたとき、
「まるで、杉田玄白の解体新書の世界だね。」
と言って笑った。


 話を戻す。

 当時は、こんな調子だから、アメリカ直輸入の教育。

 そして、小学校1年生では、社会科で、『ままごと遊び』などをすることになる。

 そう。まさに、今の生活科ではないか。

 ここでは、家族の役割を通して、家族みんなが協力し合うことの大切さを、実践的に学ぶ。

 
 上記、コロラドさんのコメントから、わたしはそういうことを思い出した。

 『そうか。アメリカの学校教育は、ずっと一貫しているな。』そういう思いになった。


 日本は独立後、こうした面でも、揺れ動くことになる。

 「戦後の教育は、子どもを遊ばせてばかりいる。学力は戦前の子どもの方があったのではないか。やはり教え込まなければダメだ。」
 そういう論調がふえてくる。なんかどこかで聞いたような話ではないか。まさに『歴史は繰り返す』だね。

 
 そして、Hidekiさんが、

7月27日   充実した学習を
のコメント欄4と5に書かれたような、また、初任者時代のわたしの学校のような(これはちょっと極端だが)、そんな日本へとのめりこんでいく。


 コロラドさんのコメントから分かること。

 アメリカは州ごとの教育だと思うから、すべてそうとは思わないが、

 『教育観は一貫している』。


 
 まとめとして言いたい。


 教え込み、つめ込みは、要領よく行く。能率よく行くと言ってもいいかな。

 しかし、それは、戦前の軍国主義教育と共通する部分がすごくありますよ。

 わたしたちは、戦前の、天皇の名前を覚えさせた教育にあぜんとするが、覚えさせる内容が変わっただけで、どんな学ばせ方をするかは、戦前のそれとほとんど変わらない。
 また、覚えさせることばかりでできあがる人間性、・・・、これも、Hidekiさんが、コメントの34番で書いてくださっているが、戦前めざした人間性と同じと言ったら言い過ぎか。


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rve83253 at 13:11│Comments(5)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by 高校教師@コロラド   2006年08月04日 09:03
こんにちは。日本とアメリカの教育の違いについては、アメリカにいるために、肌で感じでいました。

アメリカから持ってきた教育システムが、日本風にアレンジされて築かれていきました。アメリカをモデルに、総合的学習だ、バイリンガルだ、と・・・。
ところが、今、アメリカの教育を考えてみると、僕は、一昔前の日本の教育に逆戻りしているような気がします。つまりは、「テストの成績で学校をランク付けする」ということ。僕のブログでもCSAPという単語を使っていますが、州統一テストの善し悪しによって、日本でいる、「進学校」とか「底辺校」のようなレッテルを貼られる自体になています。つづく。
2. Posted by 高校教師@コロラド   2006年08月04日 09:07
民主主義的な考えを、(僕は専攻が社会でしたから)社会の授業でやりたかったのですが、教育委員会から、読み書きの力をつけろ、テストのために教えろ、といわれ、時間がなくなって、大変な状況でした。
学校が州統一テストでそれなりの成果を出しているならば、社会の先生が「自分が教えたい」と思うことを教えられるようです。ディベートだとか、ホームページ作成などをやっている学校もあるようですが、うちの高校にはそんな余裕がありませんでした。
州統一テストで補助金等の金額がきまるので、悠長に「民主主義」なんて教えられる状況ではないようです。つづき。
3. Posted by 高校教師@コロラド   2006年08月04日 09:15
しかも、日本の受験ならば、(多分)志望校に落ちれば、受験生の責任になりますが、アメリカは、「学校のせい」「先生のせい」となり、自分の立場も危うい状況になります。学校に至っては、3年から5年(州によりけりですが)テストの点数がのびないと、閉鎖されるようです。(従って先生方は全員クビ。)
となれば、「学力」は「テストの点数」という単純明快なものと教育委員会、はたまた米国政府が言っているような気がしてなりません。
僕は日本人で、テストの点取りは受験対策の勉強で慣れていますが、学校がテストのために教科書を教える、予備校化しているような気がします。

とはいえ、アメリカ人高校生が日本の高校生に持っていないものがうらやましくて、この地で教鞭を取ることにしました。後悔もまったくありませんし、逆に「こうなるとは思っていなかった人生」に感謝です。
4. Posted by 高校教師@コロラド   2006年08月04日 09:21
あと、小学校の先生を諦めた件(記事と関係なくてすみません)ですが、僕の英語が児童の言語発達に悪い影響を与えるのではないかと思ったからです。低学年を主に指導したいという気持ちがあったから、余計にそう思いました。(日本語がつたないAETの先生が小学校2年生の担任だ、と思っていただければ、多分状況はつかめると思います。)
言語の壁がなければ、今でも小学校の先生をやりたいと思っています。

長文、失礼しました。
5. Posted by toshi   2006年08月05日 10:03
高校教師@コロラドさん
 いやあ。長文のコメント、ありがとうございました。
 よく分かりました。
 小学校においては、社会科で、日本の生活科のようなことをやっていても、高校は、けっこう、日本の現状のようになっているのですね。
 いえ。それ以上ですね。
 アメリカの高校でのディベートをテレビで見たことがあるのですが、もうそんな自由な雰囲気は一部の高校でしかないということでしょうか。
 子どもがそれにどう応えるのか。日本の子どもとは違い、十分個性的でしょうから、気にはなります。
 高校の教員になられた事情、よく分かりました。応援したいと思いますが、いやあ、それにしても、大変ですね。驚きました。
 ご奮闘を祈ります。

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