2006年08月04日

塾でつけた学力?(1) 『道草学習のすすめ』から5

20407eaf.JPG 『公立校でつける学力はたかがしれたもの。実は、それは、塾がつけた学力ではないか。』という論がある。

 わたしは、それが、『道草学習のすすめ』のこだまさんのような実践を根拠におっしゃるのなら、それはもう、すなおに、認めざるを得ないだろう。

 というのは、公教育は、学習指導要領という枠(?)があるからだ。

 かけ算九九を記憶させる必要はないと言われても、公教育でそれを実践するのは無理だ。


 では、こだまさんのおっしゃることを、公教育でとり上げることはまったくダメか。

 そんなことはないはずだ。こだまさんの発想は柔軟で、思いもよらぬ思考の数々に、驚かされることが多い。

 なるほど。ああ。そうか。そう考えれば、子どもは楽しく学習できるし、生きて働く知識として(つまりそれは単なる記憶、暗記ではないという意味。発展応用力は無限と感じられる。)真に身につく知識となるであろう。

 だから、公教育でも、こだま式発想、こだま式指導法(ごめんなさい。勝手にそう呼ばせていただきます。)で、やっていけるところはやっていきたい。その幅を広げたい。
 九九は覚えさせるにしても、思考力を養うことは、これまで以上に大切にしていこう。そう思った。


 
 ここで一例を述べる。初任者指導の一環としてお読みいただければと思う。

 昨年度、2年生の学級でのことだ。ちょうどかけ算九九を扱っていた。わたしは、『ああ。この単元は暗記させることばかりだ。楽しい学習にはならないな。』
そんな思いでいた。

 ところが、教科書を見て、『あれ!』と思った。
 『2の段と3の段を合わせると、5の段の答えとなります。』
 おはじきを縦に2列、はなして3列。横には、それぞれ9個並べ、それを合わせるような絵とともに、上記の言葉が載っていた。

 『なるほど。ああ。こういうのも学習内容になっているのだ。単なる暗記にさせない。思考力を養うことも大切にしているな。』そう思った。

 しかも、それが、7の段だったかな。もう一回、形を変えて出てくる。


 ところが、初任者の担任は、ここの部分をカットしてしまった。

「どうしてやらないの。思考力を養う上で、大事な学習と思うのだが。」

「ええ。すみません。九九を覚えさせるのに、けっこう時間がかかりそうなものですから、この内容はもう一回出てくるので、そこでやればいいと思いました。」

「わかった。なるほどな。でも、それは違うと思うよ。
教科書に2度出てくることは、2度出るだけの意味がある。それを考えて、それでもなお一回でいいと結論付けるのなら別だが、時間がないなどという理由では納得できない。
 なぜ、2度出てくるかの理由だが、わたしが考えるに、この単元は、ともすると、覚える学習ばかりになりかねない。大事な思考力の育成が軽くなってしまう。それで、九九を使って考える学習も大事にしようとしているのではないかな。」

 わたしは、こだまさんの『道草学習のすすめ』を読むように、初任者に話してあったから、さらに言った。

「道草学習を読んでも分かるだろう。2の段と5の段を合わせれば、7の段の答えになる。考えた結果分かることは、ただ単にそれだけではない。」

 初任者もぴんと来たようだ。

「そうですね。7の段を仮に忘れたとしても、他の段で考えれば、できますね。」

「そう。そうだよな。でも、まだある。」

「・・・。」

「将来、分配の法則を学習するときがくる。今はそんな法則は分からずに、無意識にやるわけだが、やがて、『ああ。かつて学習したあれだ。あのことだ。』と思えるようになるだろう。
 逆に言えば、分配の法則の意味するところは、すでに学習したことになるとも言える。
・・・、まだあるな。」

「ほんとうですか。」

「うん。15×6が出たとしても、・・・、そんなのは出ないか。まだ。・・・。でも、思考力を鍛える意味で、やってみてもおもしろい。」

「ああ。それなら、『道草学習のすすめ』に出ていましたね。・・・。そう。ああ。でも、ほとんどの子は、『そんなの九九じゃない。』とか、『そんなの習っていないからできない。』とか言うでしょうね。」
と、悲観的。

「いや。おもしろいよ。そうなるかどうか。ぜひ、やってみなよ。・・・。・・・。だから、教科書に2回出てくるのを1回ですまそうなどというのはダメなのだ。・・・。ここは教科書通りやれば、いや。3回やったっていいな。
 『できるよ。だって、7・6・42と、8・6・48を足せばいいのでしょう。90じゃん。』と言う子が出てくる可能性がふえる。・・・。
 いいか。ヒントなんかいう必要はないんだよ。ヒントを言えば、できるだろうけれど、・・・、ダイナミックじゃなくなるから、できても、感激がない。」
 

 ああ。そんなことを言ったわたしだが、もし、『道草学習のすすめ』との出会いがなかったら、わたし、冒頭に述べた初任者の対応を黙ってやり過ごしたかもしれない。
 ただただ、こだま先生に感謝だ。


 さて、授業ではどうだったか。

 残念ながら、結合の法則(?)に気づいた子はいなかった。
 残念がる初任者だったが、『何もそんなあせることはない。これから、思考面を大事にしていけば、いや、今までだって大事にしてきたのだから、きっと近いうちそういうことを言えるようになるよ。』そう言って励ました。

 その後、算数に限らず、すばらしい思考力を発揮するようになった。我がホームページに記載した、授業改善編 8 国語「一本の木」は、このクラスのものだ。お時間があれば、お読みいただければありがたい。


 さて、このあと、授業の進め方について話し合った。

 というのは、『2の段と3の段を合わせると、5の段の答えとなります。』を、単なる知識として覚えさせたのでは、何の意味もないからだ。
 しかし、本記事も長くなった。申し訳ないが、ここでは割愛させていただこう。



 さて、冒頭の言葉に戻る。
『公立校でつける学力はたかがしれたもの。実は、それは、塾がつけた学力ではないか。』

 この言葉を言う人は、今日述べたような意味で言っているのではなかろう。知識・理解の面で言っていると思う。

 そのことについては、明日、記事にさせていただこう。


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1. 教科書の九九  [ はるかのつぶやき ]   2006年09月06日 21:48
 まるちゃんママさんからのコメントを読んで、下の教科書のチェックをしていないことに気づいて、早速、チェック。カラフルやね〜(←なぜか関西弁)。 「2の段の答えと3の段の答えを足すと、5の段の答えになる」という記述はなかったのだが、7の段のところで、「6...

この記事へのコメント

1. Posted by こだま   2006年08月05日 03:55
こんばんは!

「道草学習のすすめ」を大きく取り上げていただいて恐縮しています。ありがとうございます。

『学力』の定義。

難しいですね。多くの方は『問題を解く力』のようにとらえているような気がします。そこから、あのような頓珍漢なせりふの「公立校でつける学力は・・・」が生まれてくる背景があるのだと思います。

私は『学力』は文字通り単純に『学ぶ力』と解釈しております。
2. Posted by こだま   2006年08月05日 03:56
塾講師のくせして、塾生には「問題なんか解けんでもええよ」が口癖です。それよりもどれだけ辛抱強くその問題に対して図や表を描いたりして背曲的に取り組めたか、その部分だけを評価するようにしています(そうすると、後から問題を解く力は爆発的に伸びてくると信じていますし、事実一部の子どもたちはそうなっています)。わけもわからず、公式に当てはめて正解しても、こだま塾では0点です。

ですから、

『公立校でつける学力はたかがしれたもの。実は、それは、塾がつけた学力ではないか。』

というような戯言はスルーされるに限ると思います。学校は周囲の雑音に惑わされずに、地に足が着いたしっかりとした本物の『学力』を目指してもらいたいと希望しています。学力テストで見ることのできる力は、ほんの一部にしかすぎないのですから。本物の『学力』は目に見えない部分にたくさん宿っていると最近ますます実感します。
3. Posted by Hideki   2006年08月05日 09:08
こんにちは

哀しいことに、徹底反復学習のみに汲々とする小学校もあるようなので、公立校でつける学力には疑問…という言は、実は一部あてはまるのではないか、とも思うのです。

こういうと、こだまさんの存在を否定しちゃうようで恐縮なんですが、こだま塾でやってること…本物の学力をつけること、は本来は公立校でやるべきだと思うのですよ。

その上で、有名難関私立校へのお受験学力をつけるなら、私塾へ行きなさい、ということなのではないかと思う。…実際に、一昔前はそうでしたから。

『公立校でつける受験力はたかがしれたもの』と読み替えると、的を射ている面もあるのです。

4. Posted by toshi   2006年08月05日 09:11
こだまさん
 いやあ。こちらこそ、ほんとうにいつもお世話になっております。
 本文にも書かせていただきましたが、こだまさんのブログは、目からうろこ。はっとさせられる、どきっとさせられることがたくさんあります。
 「学力」の定義。わたしのなかではむずかしくないのですが、世間的には、明らかな混乱がありますね。
 実は本記事の続きは、そのことを書かせていただこうと思います。広く世間的な意味での学力ですね。
 わたし、つくづく思います。四角い頭を丸くするとか、イギリスの問題では、とか、大手の塾のコマーシャルにありますね。わたし、あれは絶対うそだと思います。
 ますます四角くしているのではないか、ますます考える力を乏しくさせているのではないか。
 ほんとうに丸くし、思考力を豊かにしているのは、(これ、同じですね。)こだまさんのような塾です。まちがいなく。
5. Posted by toshi   2006年08月05日 09:27
こだまさんのおっしゃることで、『ああ。同じだな。』と思ったことがあります。
 「問題なんか解けんでもええよ」の件ですが、わたし、社会科で、問題解決学習を標榜する者ですが、これも、必ずしも、問題を解決させることを意味にしないのですね。
 社会科の場合は、学ぶ力という以外に、学習内容の面でも、それは言えます。
 地球的規模の環境問題、日本の少子高齢化の問題など、大人だって解決はできていないわけです。
 問題解決学習は、追究する過程を大事にするわけです。
 
6. Posted by toshi   2006年08月05日 09:28
しかし、算数でもそういう考え方(もっとも、学ぶ力という観点からですね。)だということに、ブログを読ませていただいて分かっていたとは言え、正直、心打たれました。
 『爆発的』、これもすごいなと思いました。わたし、子どもに学力がついてくることを喜びとしながらも、爆発とまでいった印象を受けたことがあったかな。正直、そう思いました。
 初任者によく言うのですが、『全員発表させようとするのはダメだ。気づいたら全員発表していたがいい。』
 これからも、勉強させてください。
7. Posted by toshi   2006年08月05日 09:51
Hidekiさん
 いやあ。もう、Hidekiさんのおっしゃるとおりです。
 わたし、いつだったか、そのこと記事にしたことがありますね。2月4日『塾と学校と』でした。
 Hidekiさんとこだまさんには、お読みいただいているのですが、未読の方もいらっしゃると思い、本コメントのわたしの名前をクリックしていただければ、出るようにしました。
 Hidekiさんのおっしゃること、その通りです。学校が塾化してしまっている状況が今ありますね。嘆かわしいのですが、世の大部分がそれを支持する気配も感じますので、
 ああ。今日これから書く記事は、それを少しでも、本来の姿に戻せればという気持ちで書かせていただきます。
8. Posted by 今日   2006年08月05日 13:11
< Hidekiさんのおっしゃること、その通りです。学校が塾化してしまっている状況が今ありますね。嘆かわしいのですが、世の大部分がそれを支持する気配も感じますので、
 ああ。今日これから書く記事は、それを少しでも、本来の姿に戻せればという気持ちで書かせていただきます。>

* このように真剣にお考えの先生がいる事、本当にうれしく思います。

僕らも、全ての学校をちゃんとした教育をする場に戻さなくては、と願ってやっています。
ですから、こだまさんの行動には、感謝のしようがありません。

僕らの研究会も、このような事を目的として、発足したものでした。

いいかどうか分かりませんが、僕らの研究が、教科書・指導書になってはいるようになりました。

始めは、水道方式もそうでしたね。
9. Posted by toshi   2006年08月06日 03:31
今日さん
 こうしてブログをやらせていただいて、多くの方から励ましをもらえること、ほんとうにうれしく思います。微力ではあっても、ともに努力していきましょう。
 教科書、指導書に載るようになったとのこと。すばらしいですね。いろいろな形で、啓発できそうです。
 わたし、この夏休み中に、かつての自分の授業を掲載するつもりです。
 その折りはまた、ご指導賜りたいと思います。どうぞ、よろしく。

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